まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、自分の直感が信じられるものかどうかを見分ける方法と、直感と思い込みとの違いをぼくなりの感覚で共有していく内容になります。みなさんは自分の感覚、それがあってるかどうか不安になりますか?それとも自信がありますか?
日々、自分から沸き起こってくる感情や意思があります。それが直感なのか思い込みなのか、その判断ってなかなか付きにくくありませんかね?それがとりわけ、誰かに対するジャッジメントだったり、自分に対する指針だったりすると拍車をかけたように、
わけがわからなくなるようにぼくらはできているのかもしれません。
ぼく自身、過去を振り返ってみたり、1日を回想してみると、どれが思い込みでどれが直感かって正直考えてみたことはあまりないんですが、よくよく思い返すと、どっちでもあるし。どっちでもない。って答えに行きついちゃうような気がしています。
でも、それでは元も子もなくなってしまうので、ちょっぴり思うところを共有していきます。
直感とはなにか?
直感って言葉を辞書で引くと、
推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。byコトバンク
なんて風に出てくると思います。推理や考察は、ざっくり考えると「思考」なんて言葉に置き換えられますね。過去の経験、親や学校のしつけ、世間体、本やネットから拾った情報を含んで、後天的に獲得してきたツールの1つです。
一方で、「直感」、感覚で物事を捉えること。というのは、思考以外の「なにか」から沸き起こってくるものです。もっと言えば思考の隙間に突然来ちゃうものです。
例えばなんですが、あなたが、短距離走のランナーだとしましょう。
タイムを頑張って縮めたい!と思った時、タイムを縮めれば、誰かに褒められるから。とかタイムを縮めれば、表彰されるから。という損得勘定が出て「頑張った(努力した)」、それは直感的な行動ではないです。
純粋短距離走が好きでタイムを縮めれば、自分が喜べる。なんて頑張りは直感的な行動といえます。
直感と思い込み・エゴとの違い
(誰かのために)やればならない。(利益のために)やった方が得だ。みたいな部分は自分の思考や思い込み、エゴから来るもので、逆に、なんとなくやってみたいから、頑張っちゃえ。というのが直感に近いです。自分がもつ本当の声ですかね。
これ、他人の行動を分析したりするとわかりやすいんですけど、自分のことになるとわからなくなるのはなぜでしょうか?その辺を少しシチュエーション別にわけて見ていきましょう。
相手の性格や性質を直感的に分析するとき
「相手の性格や性質」なんかについて考えていきましょう。
もちろん、色々なシチュエーションがあるので、一概にこれが絶対的に直感だ!とかそれは絶対的に思い込みだ!なんていうことは言えないので、参考程度に捉えてくださいね。
まず、直感的に分析している場合は、とりわけ、それが相手が腹黒いとかネガティブな感情を抱くとき、すごくあいまいな時が多いかもしれません。え?言ってることと本音が違くないかな?とか。みんなは優しい人っていうけど、言葉だけっぽいかな?とか。
逆に、お、この人おもろいなあ。とか言葉や言動以外の部分で信頼できるかも。とか、みんな変わっているとかいうけどわたしはそうは思わないかな?と思うときは、わりと直感的に分析しているにも関わらずすんなり受け入れられる場合が多くないですかね?
これは、同じ直感的に感覚的に分析しているのに、極端に言ってしまえば、なぜかネガティブな方は自分を疑って、ポジティブな方は自分を疑わない状況なんですね。
とても面白いです。
ぼくは最近、このアンサーがみつかったんですが、このとき、まだ自分の直感を信じられていないときに起こるんです。信じられていないときに、何が起こるかというとやっぱり思考を使っちゃうんです。
みんなが良い人っていうのに、なんで自分は相手を腹黒い認定しちゃうんだ。とか、自分って嫌なやつだな。とか、主にその矢印が自分に向いている場合、その直感は間違っていないので安心しておいてください(笑)
もちろん、他人や周りの人は全員嘘つきだから疑いまくれ!ということではありませんね。世の中いろんなギャップがある人がいると自分だけでニヤニヤしちゃいましょうというお話です。
ぼくらは、そんなに暇人ではないので、敵はつくっても疲れるだけなので、時間もエネルギーも省エネしていかないともったいないと思いますよ。
相手の性格や性質を思い込み・エゴで分析するとき
相手の気持ちを思い込みやエゴで分析するときは、とてもシンプルだと思います。損得勘定を含む自分の気持ち、あるいは周りの声に基づいて、相手をジャッジするとき、ぼくらは思考をたっぷり使います。
みんながAさんはこういう人だ。と言っているから自分も同調しておいた方が波が立たずに楽だ。とか、自分がAさんをこう思っておけば、なんとなくやりすごせるかもしない。とか。ですかね。
そのときの周りにいる人や、自分の感情によって大いにAさんのアイデンティティが変化しちゃうんだと思います。
ブレブレのAさんが出来上がって、自分をもちろんエゴ的な意味で納得させるときぼくらは思い込みやエゴというフィルターをかけてAさんをみているはずです。
みなさんはどう思いますか?
男女の色恋沙汰において、相手が自分に好意を抱いているか否か。これに関しては、思い込みだろうと直感だろうと、ぼくらはすごく考えてしまう生き物なので、自分を破裂させないように気を付けるだけで十分です。
そして、どんなシチュエーションであれ、ぼくは損得勘定、常識や方程式は1つの事実としてだけ捉えて、自分に従うことをおすすめします。
まあ、言葉では簡単に言えるけど、これがなかなか難しいんですけどね。苦笑
ぼくらが直感を必要とするときは?
ぼくらが、これ直感なのかな?本当にこれでいいのかな?と判断する方法をお伝えする前に、直感を必要としているときってどんなときでしょうか?
ぼく自身はいつかな?と振り返ってみるんですけど、直感よ来い!!的な状態はまず間違いなく直感来てないですよね(笑)だから、ここでいうのは敢えて言葉にするならという前提付きで考えてみてください。
ひらめきがなくて困るとき
何かを始めたい、今の生活ではなんとなく不安だ。ある課題に対する解決策。みたいなときでしょうか。直感的な答えが欲しい時は、やっぱり「困っているとき」が多い印象です。
ぼくの場合ですが、頭で考えても、経験則で導き出せそうにないときに、直感を必要とすることが多いです。
選択肢が2つ以上あるとき
人生はけっこう選択の連続ですよね。そこに後悔とか過去への憧れが生じることがあります。もちろん、人間はないものねだりなので、どんな選択をしようと、今の大切さがわからないと、いずれにせよおんなじというイメージはぼくにはあるんですけどね。
色々な選択がある中で、直感を必要として、直感をつかって選んだ道はぼくの中では、あまりブレがない印象があります。
悩み過ぎてパンクしそうなとき
頭を使っても、本を読んでも、他人の意見を聞いてもよくわからなくなるとき、ありますよね。そんなとき、ぼくらは忘却するか、答えがありそうであれば、直感を必要とするのではないでしょうか?
他にもまだまだありそうですが、とりあえずこんなところで留めておきましょう。悩み、困ったこと、答えが浮かばないとき、そのあたりが共通項としてありそうですね。
直感が信じられるか、直感かどうかを判断する方法
直感が信じられるかどうかを判断するのは、シチュエーションや状況によって異なるので、これは、直感。というのは一概に言えないのはもちろんなのですが、ぼくの経験上で直感的っぽい感じにはそれなりに共通事項があるので、共有します。
言わずもがなですが、これに当てはまれば直感、当てはまらなければ直感ではないということにはもちろんなりませんよ。あくまで大事なのはあなたの感覚です。
①利害、損得勘定を計算しない直感
あらゆる選択、あらゆる思考回路のとき、ぼくらはけっこう利害、損得が真っ先にくるかもしれません。これをやろうかな?と直感的に思いついたとしても、ああ、やっぱりこう思われるのが怖いかも。こうなったらどうしよう。
不安付きのひらめきはたくさんあると思います。不安や心配、恐怖心などは誰しも持ち合わせている感情のひとつですので、それが来たら直感ではない!と断言はしませんが、おそらく行動に移すまでに時間がかかるか、やめてしまうことが多いのではないでしょうか。
利益や常識をスルーした先に、面白さや楽しさ、ネガティブな感情を上回ることができるとわりと直感と仲良くなれそうな気がしています。
②ブレがない直感
直感はブレることがない、あるいは少ないです。先ほど延長にはなりますが、思いついた閃き、相手に対して抱いた感情、思考の隙間なく、それだ!となるときってなんかありませんかね。
直感が鋭い人って、例えば、あ、このクジ当たるわ。とかじゃんけん勝っちゃうわ。とかとか、それに関して一縷の疑問もたないとき、それは直感と言えることがほとんどです。
③一瞬で消える
直感は、慣れていなかったり、いつも思考やエゴばかりだと、常に猜疑心がつきまとう人もいるかもしれません。ですので、パッと思いついて、泡のように消えてしまうことが多いです。これは人によりけりですけどね。
一瞬で消えちゃったから直感だ。いや直感ではない。ともちろん一概に判断しかねる部分はありますが、ぼくのイメージだと、直感はすぐ消えることがほとんどです。
④今までの自分の辞書に載っていない
こちらも人によりけりなところは大いにあるのですが、理性や思考とお付き合いの長い人は、直感を自分の声ではない。そんなはずはない。と丸く収めがちな傾向にあるように思います。
そのひらめきや思い付きが、もし、損得抜きで、自分から来るモノであれば信じてみる価値は大いにあります。そして、不慣れな人はそんな決断や行動のヒントは今までの自分の辞書のどのページにも記載されていないため、
やっぱり自分を責めがちになりますが、ちょっとだけ歩み寄ってあげると気づきがあるかもしれません。
⑤理路整然としていないかも
これまで、ロジカルを大切にしてきたひと、常識や世間を大切にしてきたひとにとって、直感は化け物染みていて、理路整然としてないこともあるかもしれません。でも、大丈夫です、それ直感なだけなので(笑)
気の合う友人や、自分の心と直接的に会話するとき、突拍子もない話題がいきなり出てきたり、あちこちにテーマが飛んだりしませんかね。ぼくは自分の心と直感的に対話するとき、パラレルワールドを行き来している感じがするのですが、そんなイメージです。
理論も論理もへったくれもないような感覚に陥ることが多いです。もちろんいい意味です。
ネガティブな感情と直感の距離感
直感的な行動や会話、ひらめきや思い付きがきてもすぐにそれを否定しまう人が多いです。もちろんかつてのぼくもそうでした。これをしたいのに、こう思われるのが怖い。言い訳はたくさん思いついちゃうのです。
そちらの方がビニールハウスで育った野菜みたいに、心地が良いからです。心地が良いと親や学校、常識や世間体から教えられてきたからです。でもビニールハウス破って、台風あり、大雨ありの環境でも野菜はダメにならないので安心してください。
むしろ、適応能力があがったり、個性あふれる野菜に育ちます。それを食べておいしいか美味しくないかを判断するのは、結局自分だけだと思います。
もし、直感がおりてきて、自分が快感を得られるようなモノではない限り、それが例え恐怖心や不安をつきまとうようなものであっても、一度ダイブしてみるとたくさん発見がきっとあると思います。
幸か不幸かよくはわかりませんが、ぼくらはけっこう自分でどうしたいのか決められるっぽいですよ。
まとめ:直感と思考(エゴ)を使い分けてみましょう。
直感に従って生きるようになると、エネルギー的に言えば、かなり軽くなってきて、ぼくは楽なイメージがたくさんあるし、実際にそうしてきたことで、循環することが多くなってきたように思います。
だからといって、エゴや思考は捨てて、我がままに無双状態で生きなさい。ということではもちろんありません。両方とても大事ですから。
直感かどうか判断して、あれやこれやと考える隙間があるのなら、一旦そっちに乗ってみちゃうのはアリですよ。自分の声なので信じてあげてみてください。
また、思い込みやエゴでパンパンなひとは、直感をないがしろにしていると、エネルギー的に重くなって、意識や生活の循環が鈍くなってきます。他人に押しつぶされそうになって、世間や常識の鎧をかぶってないと不安で仕方がなくなります。
それって、レールやラベルを貼っている間はけっこう楽なんですけど、いきなり誰かに剥がされる可能性大なので、リスクを含有した幻想に近いモノですよ。たぶんね。
たまには自分の声に耳を傾けてあげてみてください。
質問や意見がありましたらコメントください。
いつもありがとうございます!
⑤理路整然としていないかもって確かにです!直感で突然わかるから、定期的に会いたくなる友人の時は何時間でも話は色々な方向に飛びますが、不思議と纏まります。あのどこからともなくピンとくる感覚は何なんでしょう(えへへ)ほぼ更新される記事の内容は、私の生活と同時進行のようにです。興味深いです!チャネリング勝手にしてるのかな?すごく楽しみです!
いつもありがとうございます!
そうですよね、ぼくも親しい友人は五本の指で収まる程度なんですが、会話していて内容ほぼ覚えていません。
んで、なんかわかんないけど、あ、そういえば!みたいに後から来ることが多いです。
なんと(笑)素直に喜んでおきます^^記事のリクエストなんかあれば教えてくださいね~(←無理矢理一致させるw)
まめたろうさん、いつも返信ありがとうございます。記事読んだのが遅く、つい興奮して名前入れるの忘れていました(*’▽’) Naviでした。