まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、恐れや不安をスピリチュアルっぽい視点から解説しつつ、本当に手放したり克服した方がいいのかを真面目に議論しながらぼくなりにどう扱って対処しているかを共有する内容になります。
肉体的にリアルに感じる恐れを除いて、恐怖を突き詰めるとそれはおそらくエゴの一部です。不安や心配は恐れをベースにして現れる部分ですね。エゴの自分のそのまたエゴというイメージをぼくは持っています。
恐れ自体はもちろん善くも悪くもないんですが、ほぼ幻想に近いため、ぼくらの思考やマインドを空回りさせて、本来の自分の声を遠ざける性質があります。「気付き」の一種として捉え直すと新たな自分にバージョンアップできるかもしれません。
今回はそんな「恐れや恐怖」にどう対処するかをお伝えしていきます。ヒントになるところがあれば嬉しいです。
今回のポイント
- 恐れ・恐怖の種類
- 恐れの根本にあるモノ
- 恐れは手放す?克服する?
- 恐れを活かして本来の自分を再発見
恐れや恐怖とは?その種類
まずは、恐れや恐怖について、敢えて分かりやすく分類を試みてみます。
恐れは、細かく分けると3つの意味があります。①不安・恐怖、②心配・懸念、③畏敬・畏怖の3つです。
今回扱う分野は主に①と②になります。
①肉体的な恐れ
恐れでまず分かりやすいのはこの肉体的恐怖ですね。暴力とかダイレクトな類のやつです。動物的な本能の部分により関わってくるような類です。先天的に備わっている防衛本能といいましょう。
突き詰めてしまうと、「死」を連想させるような類に行きつくと思います。こちらは今回扱う「恐れ」の根本であるエゴとは少しかけ離れた位置にいるでしょう。
生存するための欲と言い換えることも可能です。ジェットコースター苦手な人とか、高いところ苦手な方なら味わうあの感覚もこちらに分類します。
②精神的な恐れ
こちらは敢えて分かりやすく精神的と表現しました。将来や未来に対する、とか人間への、とか苦手なモノ・コト、その他に対する恐怖です。①の反対に位置するものとして、こちらは、後天的に身に付けた防衛本能です。
生きていれば、どこかで作り出す恐怖、いわば幻想っぽいと表現される「恐れ」はすべてこちらに分類されると思ってもらって大丈夫です。(厳密に分けると違うんでしょうが。)
赤ちゃんをみていればわかりますが1歳くらい(それ以前)の赤ちゃんにはおそらくですが、ほぼこの恐れという機能については備わっていませんね。無邪気です。
③見えないモノへの恐れ
せっかくなので、触れておきます。
ぼくらの先祖をみると、食べ物の確保が生死に直結していました。ザ・サバイバルですね。現在では、なぜ台風が起きるのか、地震はどう発生するのかなどはわかりますが、昔はそれを見えないパワーとか、神のなんちゃらみたいな感覚があったそうです。
これが③の畏敬や畏怖に近い感覚です。こちらも恐れにはなりますが今回は扱いません。
オバケや幽霊に関する恐怖は②×③の合わせ技を持っている人がほとんどなのかなと感じています。
恐れの種類
- 肉体の危険に迫る恐怖(先天的)
- 後天的につくる恐怖(後天的)
- 神や見えないモノへのおそれ(遺伝子とかDNA)
後天的につくった恐れを主に扱います!
恐れ・恐怖の根本には何があるの?
まず、後天的に学ぶ恐れや恐怖には何があるのかをみていきます。
結論から言えば、それ、ザ・エゴです。スピリチュアルっぽい視点からはカルマとも呼べるやつかもしれません。
恐れとエゴ
ほとんどの恐れや恐怖はぼくはエゴに基づくと思います。理由は子どもと妻と生活するようになって気付いたのですが、子どもには恐れや恐怖がほぼないからです。感情がないわけではもちろんありません。
エゴについては色んな記事で触れていますが、要するに、自分を他人や社会と比較することで守ろうとする自己防衛機能の1つです。親から教わったこと、社会の通説や常識などがメインディッシュとなります。
恐れも一緒で、それ自体は良くも悪くもないんですが、人生長いので一生まとわりついていたら正直しんどいでしょうね。
恐れが事実として存在するというよりかは思い込みで作られた部分がほとんどなので。いつから創るんでしょうね?
ぼくだって完全完璧な人間ではまったくないので、何事にも恐れないかと言われればめちゃくちゃ嘘つきやろーになりますが、恐れが薄かったり、恐れを感じても残存しない気分では常にありますかね。
恐れとカルマ
目にみえない部分で、恐れをつくる原因があるとすれば、前世や過去世です。信じるか信じないかみたいな話ですけどね。
エゴの部分を心の恐れ、カルマの部分を魂の恐れと表現してもいいかもしれません。ただ、魂レベルで恐れをつくるのかと言われれば、ぼくは100%ノーとは言いませんが、わりと稀なような感覚があります。
根本はないんですが、無意識に恐れを違うところから蓄積しているイメージですかね。
そして、エゴや後天的に教わった恐怖を助長させるような役割として、前世や過去世の感情や感覚がある人が多いのかなあ。というイメージがけっこう強いです。まあ、それも思い込みかもしれませんけどね。
恐れは幻想なんだけど、現実はリアル
恐れや恐怖は幻想です!という主張確かにぼくもそう思うんですが、実際に将来に不安を感じるし、心配ごとは多いし、何か怖いモノがあるという感覚はリアルですよね。
幻想といわれてもピンときませんね。この現実に感じている感情の方がバリバリ強いからです。なのでこれからは、ぼくが実際に「恐れや恐怖」にどんな感じでお付き合いしているか共有してみます。
- エゴや後天的に教わるモノ
- もしかしたら目に見えない部分もある?(前世)
恐れや恐怖は手放した方がいい?克服した方がいいの?
ぼくの感覚では恐れや恐怖は手放すとか克服するよりもファーストステップとして、『認識する』が健全なのかなあという感じがします。
①恐れを認識
エゴも一緒ですが、恐れをいきなり手放すとか克服するとかなくすとかってけっこう無理じゃないですかね。ぼくらブッダじゃないので。
だから、まずは恐れがある。ということをしっかり認識することが先だとぼくは経験上感じます。当たり前なんですが、ここをしないと恐れがダメとか、良いとかそういう狭い世界に閉じこもる気がします。
②Howを探求
一度恐れや恐怖がある。という認識ができたら、次はそれをどうつくったのかを自分なりに思いつく限りでいいので、膨らませてみてください。
いつ頃からあるのか。何かきっかけがあったのかないのか。誰かが言った言葉なのか行動なのか。などなどです。
「自分の恐れ」という1冊の本を読み上げる感じですかね。
③恐れや恐怖を観察
原因がみつかってもみつからなくても、あとは観察するだけでいいんじゃないですかね。ここまで来ればほぼおしまいです。
そういう自分もいるんだなあ。という状態は、イコール、いつでもこんにちは&さよならを自分でできるからです。
そうすると、何かに気が付いたり、ふとしたときに、あ、これ恐れのある自分だ。とわりと客観できるような気がします。手放しや克服なんてこの程度でいいとぼくは感じています。
肉体が消滅すればいずれ恐れは消えちゃうと思うので、頑張ってなくすものでも、無理に引きちぎるものでもないでしょう。
恐れのカーテンがあって、自分はいつでもそれ開けて換気して光を享受できるで。って思っておくのがちょうどいい塩梅なのかもしれません。まあ、好みや人それぞれなところはもちろんあるんでしょうけどね。
恐れを取り扱う3つの手順
簡単に上の文章を要約してみます。
もし、これでもどうにもならなかったら、それインナーチャイルド案件としてそれっぽい人に依頼するのもアリなのかなあとぼくは感じています。
恐れや恐怖のスピリチュア的な意味合いと取扱説明書
ここからは恐れや恐怖をスピリチュアルっぽい視点から、どんな意味合いをもつのかについてぼくなりの感覚を共有していきます。
①気付き
ぼくのイメージでは、恐れや恐怖の裏側には必ずといっていいほど、気付きや発見、自分の本来の声やそれっぽく言えば愛や光が隠れています。
(愛や光というとぼくらはすぐに良いモノと認識しがちですが、そういうことではないので学びくらいの表現がぼくは好きです。)
なので、恐怖や恐れを手放すとか克服するとかそういう意味合いよりも、大事なのは、おそらく気付くことです。
日々、自分で自分と勉強しているぼくらなんでしょうね。
②色んな自分
恐れや恐怖を突き詰めると、ぼくは自分が今まで決めつけてきたこと、価値判断で塗りたくっていたことに気付くことが多いです。
自分の人格形成とか価値基準ってどうやって作られるのかをしるヒントが自分にあるなんてめっちゃ優秀すぎますよね。
そして、さらに、そこから前進してーもちろん後退もたくさんするんでしょうけど。ー自分ってなんだろう。スピリチュアルのアヤシイ表現を借りれば、意識とはなにか?エネルギーとは?愛とは?光とは?ワンネスとは?
みたいなところまで掘り下げることも可能ですよね。ぼくはわりとそんな感覚を持っています。
恐れって別に怖いモノでもなんでもなくて、結局なんかそれっぽいやつに近づける便利なツールなんでしょうね。もちろん、今めっちゃ恐怖や恐れがあるで。という場合はまずある程度復活してからのお話にはなりますけどね。
まとめ:自分の中の恐れの自分をじっくり観察していきましょう
恐怖や恐れって、確かに「幻想」なのですが、存在していないとか、嘘だとかいう意味合いより、ぼくは引っかかりやしこりのようなモノの裏側に隠れている何かを発見するツールだと感じています。
手放さなくても克服してもしなくても、自分自身であることは変わりないので、本当にどっちでもいいんですが、なるべく優しく取り扱ってあげたいところですよね。
そして、この恐れや恐怖に関してはほぼ間違いなく、人間として。経験できる感情の1つなので、いろんな視点からみると、とても愛おしいのかもしれません。
みなさんはどんな認識で「恐れや恐怖」を体感しているでしょうか?
そしてその恐れや恐怖を抱いているバージョンの自分と、そうじゃないっぽい自分にはどんな差があるでしょうか?ぜひぜひ興味があれば探求してみることをおすすめします。
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いつも読んでくださってありがとうございます。
>恐怖や恐れって、確かに「幻想」なのですが、存在していないとか、嘘だとかいう意味合いより、ぼくは引っかかりやしこりのようなモノの裏側に隠れている何かを発見するツールだと感じています。
本能から来る「恐れや恐怖」は、生きていく上で必要ですが、その経験を元につくり出した「恐れや恐怖」は、今、ここで、その感覚必要?って、都度都度、確認できるようになりたいなって思っています。5万年前の荒野で使っていた「恐れや恐怖」を経験としたデータベースだけだと、ちょっと、現代社会ではバグりますからね。ここのシステムはアップデートしたいところです~☆
いつもありがとうございます!
>本能から来る「恐れや恐怖」は、生きていく上で必要ですが、その経験を元につくり出した「恐れや恐怖」は、今、ここで、その感覚必要?って、都度都度、確認できるようになりたいなって思っています。
これめちゃくちゃ同意します!ぼくも常に自分に無意識で聞いてます。
>5万年前の荒野で使っていた「恐れや恐怖」を経験としたデータベースだけだと、ちょっと、現代社会ではバグりますからね。ここのシステムはアップデートしたいところです~☆
これも本当その通りで、現代社会ではやっかいなやつなのですぐにアンインストールしておきたい気分です。