ヒーリング基礎講座開催11月20日~

スピリチュアルからみた陰謀論とは?陰謀論は真実かウソか

まめたろう
まめたろう

今日のテーマは「陰謀論を信じる」です。

たっかぶり
たっかぶり

すべて「あいつら」の仕業だぞ!

※この記事は、「陰謀論を信じること」のぼくらに及ぼすメリットやデメリットを改めてみてみる内容になります。陰謀論の弊害と恩恵というイメージです。

スピリチュアル界隈だと、陰謀論が本当かウソかは別にして、それを信じることは不幸になるだけ。みたいな意見はわりとよく見る気がします。

そんなこというと、陰謀論だけが特別。ってわけじゃなくて、スピリチュアルもそうだし、なんでもでしょ。と思うのがぼくなわけです。

結局、ぼくらは信じたいものしか信じないし、体験したことのないことしか体験しない限定的な肉体や思考パターンをもっているわけなので。

(それを脱ぐのが心地よいんですよね。)

なので、この記事では、冷静に良いところと悪いところをみて、陰謀論を信じることについてみてみようと思います。

ぼく自身の立場を明確にしておくと、陰謀論そのものに関してはどうでもいいですね。平和だなあという頭の悪い感想しか思いつきません。

みなさんは陰謀論を信じることって良いことだと思いますか?悪いことだと思いますか?

そして、なぜ陰謀論は一定数の魅力を解き放つのでしょうか?

今回のお話の流れ
  • 陰謀論とは何か?
  • なぜ人は陰謀論を信じるの?
  • 陰謀論を信じることの恩恵と弊害
  • スピリチュアルからみた陰謀論
  • まとめ

陰謀論とは?

まず、陰謀論の考え方を定義してみます。

陰謀論の定義

陰謀論にも様々な定義があると思いますが、ぼくは以下のような言葉で定義しています。

ある出来事や状況の背後に隠された目的や意図があり、公表されない力が働いているという現実の捉え方

簡単に言ってしまえば、「世界は一般の人には公にされない人物や組織によってコントロールされているぞ。」という思考回路です。

政治や経済、国際システムにおいて、見えないパワーが働いていると考えない人は少ないと思います。

日本でいえば、政治家が裏でコソコソなんか悪いことしている。とか、同じようなニュースが続くときは何か法案を通そうとしているタイミングだ。

おそらく昔から会ったと思いますよ。人間って残酷ですからね。笑

なので、陰謀論そのもの自体は別に良くも悪くもなく、ただの考え方・捉え方・見え方の1つです。

そういう観点から言えば、陰謀論はぼくらの推論的もしくは批判的思考の結晶の1つみたいなもんです。

もちろん、陰謀論を信じる人の中にもいろいろなタイプがいるので、例えば、ディープステートは信じるけど、トランプ大統領がメッセンジャーとかは信じないし、Qアノンは政府側の人間だと思う人もいれば、悪魔崇拝とかないでしょ。と思う人もいるでしょう。

陰謀論が非難の的になる理由

陰謀論はただの捉え方なのに、なぜ批判的にネガティブにみられることがあるかというと、それが実際の事件に発展することがあるからだと思います。

事実でない(かもしれない)ことが拡大解釈されて広まって、さらに起こり得なかったことが起こるからですね。カオスがカオスを呼ぶみたいな。笑

もちろん、陰謀論信者っぽく、公にされると困る人がいるから。と言うことも可能です。笑

事実はどちらでもいいとして、偏りすぎると、オウム真理教みたいに「じゃない方のひとたち」を困惑させちゃうんだと思います。

なぜ人は陰謀論を信じるのか?魅了されるのか?

陰謀論は海外(アメリカや欧州など)だとわりとさかんにピックアップされるカルチャーの1つで、社会学や心理学民俗学的観点らからいろいろな研究が出ています。陰謀論はポップカルチャーとしてみる傾向が一定数あります。

ぼくも共感した4つの理由を紹介してみます。個人的には、一言でいうなら(優越感などの)エゴを絶妙にくすぐるからだと思います。

  • 恐怖を感じることは安心につながるから
  • 混沌した世界に「真実」の意味を与えるから
  • 「悪」を一元化できるから
  • 「大衆とは違う」を味わえるから

①安心につながるから

陰謀論の種類にもよりますが、支配されている感じだったり、昨今でいうと、自分の健康などに直接的に影響がありそうな陰謀論は、本能的に信じやすい人もいます。

要するにそれが恐怖を刺激して、恐怖心を覚えておくことで、自分は騙されないぞ!とか自分は知っているから防御できるぞなどの安心感に繋がります。

スピリチュアルな言葉で言うと、愛ではなく恐れがあるからです。

②混乱した世界に意味が与えられるから

2つ目は、陰謀論は、意味を与えてくれます。一般的、論理的には説明のつかない現象に「そうだ。」と思えるような混乱からの救いを与えてくれるからです。

大げさな表現をすれば、世界の混乱や不公平さの根本を自分の理解できるゾーンに引っ張り、ひいては、なぜ自分が世界に存在するのか?という根源的な意味を付与するといったところでしょうか。

世界は混沌としていて、それにはちゃんとリーズナブルな理由があるし、自分が生まれてきた意味もこれだ。みたいな。

③「悪」を一緒くたにできるから

3つ目は、世界を光の力と闇の力にシンプルに二分化し、「悪」を一元化できるからです。

要するに自分が善の立場にいるってわかりやすくできるんですよね。

反なんちゃら運動とかもまさにこれですが、都合いいことを隠したいVSそれをあらわにするぞという対立構造って別に陰謀論に限らずどこにでもみられる人間の性(二元性)の一部みたいなもんです。

④「大衆」とは違うを味わえるから

陰謀論はしばしば、特別、隠された秘密の情報や知識として表現されます。それらの知識を得ることで、洗脳化された大衆とは違う。と考え、社会の「偽り」を暴くことができると感じます。

これはけっこうなマウンティングをとったバージョンの陰謀論好きな人ですね。

要するに気持ちいい?

陰謀論を社会学や心理学の立場から見ると、一言で言うならモチベーションにつながって気持ちいいんです。もちろん、控えめゾーンでいえば、恐怖心だとか、バイアスみたいな観点からも言及が可能です。

近頃、メインストリームではあまり登場しなくなったQアノンの熱狂っぷりは、③と④の要素がとても拍車をかけていた節は否めないのかなと思います。

陰謀論はかっこいいですからね。

陰謀論を信じることの良い点と悪い点

「陰謀論を信じる」がどの程度なのかにももちろんよるし、何を基準にするか、あるいはどの視点からみるかにもよって変わってきますが、おもいつくことを羅列していきます。

今回は個人(を含む集合意識)レベルから、主に感情・思考・エネルギーみたいな観点でみていこうと思います。

もちろんひろーーい視点からみれば良いも悪いもなくただの好みですね。

陰謀論を信じることの恩恵

まずは良い点です。

  • 多様性が生まれる
  • ある程度の距離感をもっておくと、自分で考えることができる

世の中の出来事や状況を「一般」とは違った見方をする陰謀論は集合意識の側面からよく言えば、多様性を育んでいるといえます。

例えば、「納豆は身体にいい。」みたいないわば一般常識を、尖ったみかたを入れることで、吟味するパワーが生まれます。

生物学的に言っても、多様性の強い生き物は反映しますからね。笑

そういう観点から言えば、陰謀論というムーブメントはみんなが肯定しても自分は否定するとかみんなが否定するといっても自分は肯定するとかそういう自立的な多様性を育む可能性は秘めていると思います。

また、バランスよく取り入れる「意外性」は、自分で考える癖を生むようにもなると言えます。

偉い人が言うから正しい、大衆が言うから正解というのは、俺が黒と言えば雲も黒なんだよ。という風潮に類似します。笑

陰謀論は角度や視点を逆から見る部分もあるとすれば、その「情報や知識」が「自分にとってはどうか?」と再確認&精査する契機にはなるのではないでしょうか。

もちろん偏り過ぎたら、やっていることはなんら変わらなくなりますけどね。

陰謀論の弊害

次にあまりヘルシーでない点です。

  • エゴを育む
  • 結果、ジャッジメントをつくる

ぼくはこの2つに尽きると思います。

エゴと言うのは、善悪、優劣、いきすぎた否定肯定感情のことです。

自分の中に優越感をつくるということは当然ですが、劣等感情をひた隠しにしているか、みないようにしているかだけに過ぎません。

陰謀論は、それが「特別であり」「選ばれた人しか」みたいな文脈でいえば選民思想的なところもあるでしょう。

究極的に言ってしまえば、どんな陰謀論であれ、真実かどうか嘘か本当かというのはわかりません。人それぞれの好み、趣向、性質、テーマが異なるからです。

「スマホは身体に悪い」というような説と一緒ですね。

陰謀論を選民思想な側面からみると、結局どちらの立場(陰謀論を信じることを否定あるいは肯定)になろうと、ジャッジメントしか生まないんですよ。

つまり、本当に欲しい答えというか自分にとっての正解からうまい具合に遠ざかる気がします。

陰謀論的に言ってしまえば、巧妙にそういう風潮にリードさせるのが陰謀論の目的ですからね。笑

スピリチュアルからみた陰謀論とは?真実かウソか

せっかくなのでスピリチュアルからみた陰謀論をちらっとみてみましょう。

陰謀論=3次元のゲーム

ぼくはこの一言に尽きるかなと思います。誰が何を真実とするか、嘘とするか本当とするかはとてもくだらないんですよ。ただ、そういうくだらないゲームみたいなことに意義を見出すのがぼくら人間のおもしろさのひとつです。

くだらないことを真剣にあーでもないこーでもないということが、自分自身を揺さぶったり、落ちたり上がったり、真ん中に戻ったりを繰り返しアップデートできるきっかけになり、それが集合意識のアップデートにつながります。

要するにスピリチュアルからみた全部レッスンで片付きます。超絶便利な言葉です。

スピリチュアルでは非二元論(ノン・ディアリティ)がベースになり、そこに善し悪しはないので、なんでもありなんですよ。

それぞれの魂を尊重する

また、スピリチュアル観点から陰謀論争いをみると、人それぞれみんなが役割を持っていると言えます。

世界の真実を暴露したい人もいれば、悪役もいます。え?陰謀論とかってキモイ。ということを言う人もいます。妻みたいにマンデラにハマる人もいれば、

こんな引いた視点を出しながら実際は掌で躍らされているだけかもしれない僕もいます。

それぞれが個別に持つ魂と性質とテーマがなせる業なので、それを信じることが良いとか悪いとかはどちらでもよくて、誰のどの考え・思想・信念も特別で素晴らしいものであるとみます。

みんなが宇宙ってことですね。

個人的な陰謀論に関する考え

ぼく個人から言えるのは、陰謀論を信じて幸せになればそれでいいし、ごにょごにょするのであればやめればいいじゃない。です。世の中っていつもたぶんすごくシンプルなんですよ。

また、世の中をひっくり返す。みたいな陰謀論が好きだとして、ぼくだったら、まず本当に自分がそう思っているかどうかを自分に問います。もしそうだとして、世界を変えたいならまず自分が変わります。

それでも環境や状況が味方してくれないなら、自分にとって相性の良い環境と状況を探すことに時間とエネルギーを使います。自分以外のその他を変えるために時間やエネルギーを使うのはコスパが悪いんですよ。

悪が正義を倒すみたいなシナリオが本当にあったり、スピリチュアルっぽく言えば、大きなシナリオの中で地球は浄化の時代を迎えているとしても、なるようになりますから大丈夫だと勝手に思っています。

地球も宇宙も良い感じですから。あとぼくはスピリチュアルが好きなので仮に好みじゃない地球になったら別バージョンの自分がぼくにぴったりの地球を体験しているのでばっちりだと勝手に思います。

陰謀論も創造の力ですね

たぶん、みなさんが興味が湧くのは陰謀論のどこまでが真実で真実でないかだと思いますが、敢えて陰謀論信じるみたいなメリットデメリットをあげてみました。

結局のところ、どこまでが真実かというのはとても曖昧なものだと思います。歴史は繰り返すと言われますが、同時に歴史は変わります。

ちなみに、今回陰謀論について書くにあたりいろいろと調べていたんですが、一番面白かったのは、陰謀論の語源です。

陰謀論は、「conspiracy」と英語でいいます。語源はラテン語の「con」=共に、「spirate」(息をする)です。

「spirate」に前置詞である、inをつけると中に息をするでinspire(奮い立たせる)、またa(~にむかって)をつけると、「aspire」(熱望する)になります。

この「spirate」はぼくらが大好きなspirit(スピリット)の語源にもなっています。

つまり、完全なるこじつけにすぎませんが、陰謀論って、実は、もともとは別々だったぼくらがこの青い星で共に呼吸するために共同創造したひとつの物語なのかもしれません。

信じるか信じないかはあなた次第です!笑

みなさんは陰謀論どう思いますか?

いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください