今日のテーマは「境界線」です。
ヘルシーでありたいね。
※この記事は、人間関係において大事とされる境界線(バウンダリー)とはどんなものかを説明しつつ、その引き方をご紹介する内容になります。
自分とその他を分ける物理的、感情的、精神的、エネルギー的なラインを境界線、バウンダリーといいます。
スピリチュアルな世界では、しばしば非二元論をベースにして、自分と他人とは分けて考えないのがアセンションであり、覚醒である(よきこと)と言われますが、ぼくはそうでないときもしばしばあると思います。
スピリチュアルな話をしなくても、このバウンダリーとは、親子、夫婦、友人関係でぼくは大切なときもたくさんあると思います。それは、端的に言葉にするのであれば、
自分の自由と意志の権利を主張し、同様に相手のそれを尊重することに繋がるからです。簡単にいえば、自分で自分の人生をコントロールする意志みたいなものだと思います。
どこまでが自己中心でどこまでが自己中心ではないのかのバランス感覚を育むレッスンになるとも言えます。自分のために生きなさい!という教えがある一方で、他人に尽くし奉仕しなさいという教えがあります。
これはどちらが正しいとか間違いかを言い負かすことよりも、「自分にとってはどうか?」を探すためのバランスポイントの発見です。バウンダリーもまったく一緒だとぼくは考えます。
人それぞれのテーマや性質は異なるので自分に一番ベストな境界線を探す旅をある文脈ではぼくらはしているのでかもしれません。みなさんは「境界線」についてどう思いますか?
- 境界線・バウンダリーとは?
- 境界線が引けないことで何が起きる?
- なぜ境界線を引けなくなるの?
- 境界線を保つという自由意思の第一歩
- 曖昧な境界線と健全な境界線の違い
- 境界線を引く7つの方法
- まとめ
まずは、バウンダリーの定義をしてみましょう。
バウンダリーの定義
境界線とは、前述の通り、自分と他人を隔てる物理的・心理的なボーダーラインのことです。もう少し範囲を広げると、精神やエネルギー(無意識や深層心理)も含むと個人的には思います。
このボーダーラインが曖昧になっていると、
人間関係において、例えばですが、相手の要求は満たしているのに自分のニーズはちっとも応えてくれてない!みたいな状態になったり、
あるいは、アグレッシブに出るとすると、自分の都合で他人をコントロールしたり、自分に合わせて他人を変えようとします。
つまり、このバウンダリーは、自分の価値を守り、それとまったくおんなじ分だけに相手の価値を尊重し、自分と相手の関係性を対等でフェアなものとする指標になります。
後述しますが、自己中心的な人。とは似て非なるものです。
さてここからはちょっとだけ具体的に曖昧な線がネガティブ方向のどのような人間関係を構築するかをみてみましょう。
責任が曖昧になる
境界線がファジーな状態では、相手と自分の間の責任のラインが曖昧になります。
ここでいう、責任とは義務というような重いものではなく、自分の人生を自由に選択できる能力のことです。
境界線を踏みにじる場合は、相手の自由を奪うことになりかねないし、踏みにじられた場合は、自分の自由を奪われます。結果、フェアではない関係性が生まれます。
親子の関係性
フェアではない関係性が状況別にどのような感じになるか少し例を挙げてみます。もちろんこのほかにもたくさんあると思います。
- 親が子供の人生を決める
- 互いに「期待」と「失望」を行き来する
- 親が子どもに価値観を押し付ける
基本的に生まれてきた環境によって、子供は善悪を育みます。
バウンダリーが曖昧になると、過干渉、過保護、逆に超放任みたいなシチュエーションが想定されます。
親が望む子どもを生きるようになり、自分の主張ができなくなるケース。あるいは子どもが望む親にならなければ。という謎の責任感が生まれ、「自分」を見失いやすくなることもあるでしょう。
カップルや友人の関係性
友人やカップル間だと簡単にいえば、素が出せないイメージがあります。
- 相手のニーズにこたえてばかりで自分の望みは叶わない
- 役割分担(家事、育児、仕事)などが極端かつ明確にわかれる
- 相手の本心を聞けない、自分の本音がいえない
- 相手が望む自分をつくろうと偽る
個人的には一番大きいのはニーズとサプライがしっちゃかめっちゃかになるような関係性です。
役割分担のところは、大昔は男が働き、女が家のことをやる。というのがほぼ「当たり前」でしたが、そんなもの当然ですが、その2人ないしは3ー4人の個性によって違います。
男女間においても、同性間においても、性を脱いでその人をみる関係性が境界線には大切になってくるケースもあるでしょう。
社会、仕事の関係性
仕事上でのバウンダリーがネガティブ方向にでると、NOが言えなかったり、ひとりですべてやってしまう癖を育むことが多いです。
- 頼まれた仕事にどんな状況でもNOといえない
- (事実に基づいて)不公平に感じる
- 仕事を任せることができない(≒すべて自分でやってしまう)
仕事や社会において、(肩書上の上下関係はあるにせよ)自分も相手もフェアな立場でなくなると、NOが言えません。
大げさに表現すれば、自分が命令下すロボットになるか、自分が命令を受けるロボットになるかですね。
昨今の○○ハラスメントみたいなものも、この境界線の定義があいまいになっていることから来るようなことも大いにあると思っています。
バウンダリーが引けなくなる理由は、幼少期の環境です。という心理学的な意見は多いですが、スピリチュアルな観点からももちろん原因を模索することも可能です。
境界線に根付く価値観
境界線を引けない、あるいは侵害してしまう価値観や信念としては、様々なものが考えられますが、代表例は、個人的には条件がないと自分は不完全・不自由である。というものだと思っています。
バウンダリーは、一般的に、子供の自我が芽生え始める18カ月以降(イヤイヤ期のはじめあたり)に子どもの意思(NOやYESなどの)に対するリアクションによって変わると言われます。
例えば、子どものNOに対して、アグレッシブに上から抑え込めことだけをしていると、子どもは健全な境界線というものは、引くのが難しくなります。自分の自由は外側に規定されるものだと無意識下に学習するからです。
反対に、子どもの主張に対して、全てイエスと言っていると(あるいはそういう態度を大人が誰にでもだしていると)、子どもは境界線を侵しがちになります。
「わがまま」でいることが正義!あるいは自由は外側を邪魔して獲得するものという価値観を無意識下で構築するからです。
どっちに偏るにせよバランス感覚が大切ですね。
親や環境だけじゃないかも?
一応、スピリチュアルなブログですので。
こういう価値観を構築する根本に、心理学では人生経験、家庭環境などを取り入れますが、スピリチュアルでは、家系的な遺伝(家系の価値観、ファミリーカルマ)、前世の感情、感覚、魂レベルでの感覚などからもみます。
つまり、生まれた瞬間から、きっかけはあったにせよ、根っこが家庭環境や親からのものではなく、自分がつくっているという考えです。これはどっちが正しいとか間違いとかじゃなくて、ただそうだっただけですね。
この辺はどう捉えても自由だとぼくは思っています。(ただの価値観や好みの相違。)
こんなバウンダリーですが、本当は自分で決めていいことは最初からすべて内側にあるとぼくは考えます。
ここは少しぼくの主観が混じってしまうので、ご容赦ください。
本来ならば自分で決めてもいいこと
以下のようなものは、すべて最初から自分が自分の裁量で自由に決めて良くて、境界線の内側にすべて属するものだとぼくは思います。
- 感情
- 価値観
- 気付き
- 選択
- 行動
- 限界
- 能力
- 思考パターン
- ピュアな欲求
- 愛とか愛情
- 肉体
これらは周りの意見、感情、価値観に侵害されたり操作されたりするものではなく、自分で自由に選択するもの(責任を負うもの)です。
もちろん自分がそうであるなら、必然的に相手も同様の権利を持つとぼくは考えます。それゆえ、責任を負う必要はなく、干渉するものでもありません。
繰り返しですが、健全なバウンダリーとは、「わがままに自己中心に振舞う自由」ではなく、自分の価値を自分で認め、それとまったく同じレベルで相手を尊重することです。
個人的には、これはスピリチュアルな世界のはじめの一歩のようなものだとも思います。
自分が着る服とその善し悪しは本来ならば外側に規定されるものではなく、自分で決めてもいいんですよね。
せっかくなので線が曖昧になっているときのサインや特徴をご紹介してみます。
曖昧なバウンダリーのサイン(迎合的&回避的)
境界線があいまいになっているパターンは大きく分けて2つあります。
1つは、迎合的(自分の意見を曲げても相手に合わせてしまう)、そして回避的(わがままはダメ!みたいな)な少しディフェンシブにでるパターンです。
- NOを言うのは気が引ける
- 衝突や嫌われるの恐れ相手のニーズになんでも応える
- 自分が我慢すればおさまる
- 相手の感情や意見で自分を変える
- 相手の不幸の責任を自分に感じる
- 周りにサポートを求められない
- 1人ですべてを解決しようとする
ぼくの言葉でなおしていくと、こちらは、自分で自分のニーズを満たす(自分で自分を認める)のが苦手なタイプです。
曖昧なバウンダリーのサイン(支配的)
もう1つはアグレッシブに出る場合もあります。こちらは支配的なイメージです。
- 自分にとって都合の良いことを求める(相手を変えようとする)
- 自分の都合に合わせて相手をコントロールする
- 自分の供給(愛情や行動)にたいしてリターンを求める
- 相手や環境、周りが思い通りにいかないと怒り散らす
こちらは反対に、自分で自分を認めるのが苦手なのは共通していますが、条件が固定化する(相手をコントロールすれば)ようなイメージです。
曖昧になっている境界線ベースの人間関係では、ディフェンシブに出るのかオフェンシブに出るのかは人それぞれです。もちろん、気分や感情によっては、両方を出すような関係性もあるかもしれません。
健全な境界線の例
一方、境界線がヘルシーな状態であるとき、おそらくですがこんな傾向にあります。
- 素直にYESもNOも言える
- 過度な要求は受けないし、相手にも求めない
- 互いに帳尻合わせできる(都合やニーズを聞き分けられる)
- 自分の価値をないがしろにされたら、拒否できる
- 必要以上の責任は互いに負わない
- 自分の幸せは自分に責任があると考え、相手も同様の責任力をもつ
- 必要なときは助けを受けられる
- どちらもウィンウィンである
こんな感じの人間関係だと楽ですよね。
さて、ここからはどうやってバウンダリーを引いていくかをご紹介してみます。
今回は、7つの方法でみていきましょう。
- 境界線は自分で決めて良いものと知る
- 他人の要求や感情よりも自分
- NOとYESを言う
- 「必要以上」を見極める
- 相手を変えるんじゃなくて自分が変わる
- 自分の幸せは自分が背負う
- サレンダーする
①境界線は自分で決めて良い
バウンダリーを意識するというやつです。もちろん境界線は目にみえるものではありません。
なので、心の動き、マインドや感情の動きで、どんな関係性であれ、「違和感」のようなものを見定めることをおすすめします。
相手に合わせて、自分が本音で行動や選択をしていない場合、また、相手の人生に多いに踏み込んでいる場合などです。境界線を意識するとは、自分と相手のラインを越えているか越えられているかを意識することです。
意識が変われば選択や結果が変わります。なので、例えばAさんがものすごく境界線を踏みにじるタイプだとしましょう。
今までは境界線を意識していないので、言われたことを真に受けて自分がいけないの?何がダメだなんだろう。と思い悩むしか選択がありませんでしたが、自分で守っているのでうまいこと流すという選択が生まれます。
相手が勝手に踏み込んできたんだから勝手にやっておけばいいじゃんみたいなイメージですかね。言葉にすると簡単なんですけど、もちろんすぐにできなくても当然だと思いますよ。
②自分優先していいじゃない
迎合的、回避的なバウンダリーを作っている人は、状況や環境、人間関係において、他者優先マインドを必要以上に出しがちです。
どこからが自己中心で、どこからが他者優先なのかはもちろん人それぞれ変わります。そんな基準を相手に求めていても終わりのない迷路をさまよう結果が高いので、まずは自分を中心にもってくるときも大切です。
それに、親や子、家族であれ、自分ありきの人生ですからね。
③YES&NOを素直に言う
相手を慮って、自分の気持ちを偽り犠牲者を気取るのが得意になる生き物がぼくら人間です。
どんな状況、条件にいても、YESかNOかはあなたが手放さないほうがベターな権利だと知っておきましょう。スピリチュアルな世界で言うなら、存在そのものに価値があるってやつですね。
④「必要以上」を見極める
人間なので、バランスを削ぐのが得意ですが、なにごともほどほどがちょうどいいです。
ありのままの自分のニーズや感情をまずは自分で尊重してあげてみましょう。そして、尊重できたら、なぜとかどこからが領域を侵害されるポイントなのか。あるいは侵害してしまうポイントなのかを冷静かつ落ち着いて、
紙とペンに書き出すと良いと思います。これは自分を理解するためには本当に大事なワークになると思います。
⑤相手を変えるんじゃなくて自分が変わる
境界線を踏みにじられたとしても、踏みにじったとしても、その現状にフォーカスしても事実は変わりません。
問題じゃなくて解決にフォーカスする方が120%コスパがよくて、相手が変わることを期待してても一向に世界の色は変化してくれません。
個人的には支配的なバウンダリーを引きがちな人は、自分を省みるってことが苦手で、ブーブー言っている人が多いというイメージを持っています。
相手が変わることに期待しても悪くはないんですけど、「思い通りにならなかった」ときのリスクがでかすぎて、魅力的な投資案件ではないように感じます。笑
⑥幸せや価値は自分で決める
自分の人生はもちろん外側なにものにも規定されるものではありません。
もちろん、ぼくらは人間なので、物理的なものだったり、肩書や目に見える何かに価値を見出すことも大いにありです。ただ、あまりにもそれに偏りすぎていたら、
自分の価値が「何者になるか。」で決定されます。非常に苦しい、きついと個人的には思います。だって、ゴールや指標を誰かに委ねちゃうものですからね。
お金持ちになるな!とか欲はダメ!とかそういうことではまったくありません。
肩書やステイタスが本当に大事ならそれを大事にした方がいいし、目に見えないなんとなくの満足感を大事にしたければそうした方がいいということです。
承認欲求と同じかそれ以上に、自分を愛すること(セルフラブ)はパワフルということです。
⑦サレンダーしてみる
サレンダーとは英語で降伏という意味を持ちます。ただし、これは自分を捨てる、自我を捨てるとかそういう意味ではありません。
ここでのサレンダーは強い自分も弱い自分も認めてありのままの完璧さにひれ伏す。という意味です。
自らの意志で、あらゆるもの(ネガティブな自分もポジティブな自分も)を信頼し、自分自身にオールインするということだとぼくは思っています。
つまりどういうことよ?って言われたら、ダメで弱い自分、鎧で固めた自分を人間関係においてもさらけ出すと楽っていうことです。
個人的な考えとしては、どんな関係であっても、自分が違和感を感じたらバウンダリーは持った方が良いと思います。
自分の人生ですからね。
一方で、究極的な考えをしてしまうと、自分が大切にできることはそもそも作るとか育まなくても全部内側に常に失われないものとして存在していると思います。それは周りの人も同様にです。
もっぱら息子が「ブラック企業の社長化」している我が家ですから偉そうなことはまったくもって言えませんけどね。笑
ぼくがイヤイヤ期に突入しそうなのはおいておいて(おそらく妻も)、気づき→経験→選択という意味では、日常なんてそれだらけです。
ちなみにですが、ヒーリングやリーディングをするその「瞬間」は当然ながらバウンダリーは消えると個人的には思います。
みなさんは心の境界線は育んでいるでしょうか?
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。