今回のテーマは人生の価値です。
なにやら壮大です!
※この記事は、自分の人生に意義や価値がないと思いがちな人がそうでもないんじゃない?と自分の人生のよきところを見つけていただくような内容になります。
自分の人生には意味があるのか、価値があるのか、無意味なんじゃないか。そんなことをグルグル考えすぎてしまうのは人間の性の一部分にあるように思えます。
大きな視点から言えば、人生の意味や価値は「今この瞬間」なのですが、なかなかそうは思えないしそもそもなんだそれ。という卑屈な自分が顔を出す時もあるでしょう。
なので、ぼくが勝手に、今の人生に価値があるって思ってもいいんじゃない?という質問リストをつくってみました。ぜひ勝手に自分の人生には意味や価値をもっているぞと思ってみましょう。
- 自分の人生は価値あるものかどうかがわからない人
- 人生をグルグル迷子になりがちな人
- 楽しいけどどこかしっくりこない毎日を感じる人
- 自分の人生を振り返ってみたい人
人生の価値や意義は何で決まるかと言えば、それは本当にまったくもってその人次第です。
お金を持ったり、ラグジュアリーな生活をしたり、理想のパートナーや家庭を持てば価値があると思える人もいれば、まあ生まれてきただけで価値があるよねと感じる人もいます。
至極当然ですが、価値があると思うのも、価値がないと思うのもその人の自由意志によって人生は彩られます。
ぼくなんかがあなたの人生は価値ありますね。無価値ですね。という権限はまったくもってないのですが、一つだけ言えるのは、誰もが価値ある人生を送っているということです。
理由としてはとてもシンプルで、意味があるからこそ、価値があるからこそ人間としての人生を送ることを自らの意志でみんなひとりひとり決めているからです。
ま、そんな風に思えなくても全然いいんですが、少なくともぼくはみんなが意義ある人生であると思っておきますよ。
人生が価値あるものかそうでないかは他人にゆだねることなく、自分で決めちゃうのが良いと思いますよ。せっかくならミーニングレスだと感じるよりも意味のある人生だなあと思える方が面白いはずですから。
①今必要なものが十分にありますか?
人生における必需品とは?と言われると千差万別の答えがあると思いますが、
食べるものがあって、水を飲めて、寝る場所があれば、肉体活動を維持できる生活スタイルを送っているのであれば、もはやそれは足る人生です。
そんなの必須事項というか、必要最低限じゃないか。と思われるかもしれませんが、今あるモノに感謝するというのが自然になるとその「あたりまえ」にも感謝したくなってしまいます。
たとえどんな生活をしていようと、今ここに存在している事実があるのであればそれは価値のある人生です。
不満足感は不満足な人やモノ、状況を、満足感は満足している人やモノ、状況に惹かれ合うのでここにはイエスといっておきたいです。
②人との関わりがありますか?
こんな文脈だと、友人や家族に囲まれたり、人間関係が円滑な人生が良いと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
人間は過去や未来をいったりきたりする生き物なので、生まれてこの方相互に影響を与えずに≒人と触れ合わずにいた人なんていないと思います。
その瞬間の交流がまさに価値のある人生と言える日があってもいいのかもしれません。
ずっと続くような関係性もそうかもしれませんが、瞬間的な相互作用によってぼくらは成り立っているからです。
③誰かや何かに対しての責任感がありますか?
スピリチュアルな世界では、必要以上に他人の人生に責任を負いすぎるのはよくないことだ。と言われがちですが、誰かのために頑張れるなんてとても価値のある人生だと言えちゃいますよ。
他人の人生に責任を負うことはその人の権利なので難しい(つまり、他人は変えられない)のは確かですが、誰かの何かのきっかけになったり、その大小にはかかわらず影響し合う存在があるからこそ責任が生まれるのもまた事実です。
ホオポノポノでいうところの、今、風が揺らいだのも、雲が大きく成長しているのも、誰かの喜びも悲しみも、「すべて自分の責任です!」と言えることができる日が一瞬でもあればそれは価値のある人生です。
④犠牲を払ったことがある
スピリチュアルな世界では、自分を犠牲にしたり、被害者マインドをもつことは良くないことだといわれます。
両親の世話をするために、夢をあきらめた。子供のために、自分のやりたいことを我慢して一生懸命働いた。自分を犠牲にして他人のために動いた自分は本当にクソなのでしょうか?
我慢したり、犠牲になったりすることは確かにしばしばぼくらを自分の性質とはズレた選択に導くのは事実ですが、それはあなたが思いやれる人、自分一人では生きていない。ということをわかっていることの証明でもあります。
すべてはプロセスなのでそのとき犠牲にした自分に感謝と許しを与えて、今度は自分ライクで自分ファーストは一歩目を歩んでみては?
⑤失敗をコントロールできなかった
人生が100%計画通りで、パーフェクトです!と思える人はなかなかの強者です。
ありていの言葉を使えば、人生において失敗を経験していない人はいないです。歩いていたらつまずくなんて別に誰のせいでもなくうっかりしてしまうことなんてありますからね。
人生を計画通りに進められないあなたには価値がありません。という意味にはなりません。なぜなら、失敗をコントロールできなかった。ということにイエスが付くのであれば、
失敗をした自分には気付いているし、コントロールできなかった自分には気付いているからです。
その気付きを失敗するなんてダメな人間だ。計画通り人生をコントロールできないなんて存在意義はあるのだろうか?と粗探しに使うのではなく、
次ある未来に向けてふさわしい失敗へと再定義する入り口にたっている時点ですでに価値のある人生が目の前にあるのも同然です。
⑥チャンレンジする
自分にはなんとなく合っていない引っかかりが心にも物理的な世界にも広がっていたら、自分が変わるチャンスにとらえているでしょうか?
心や物理的なモヤモヤを素直に受け止めて、まだ未知なる新しい世界へ飛び込む決意をしたあなたは有意義で価値のある人生を送っているといえるでしょう。
では、チャレンジしていなくて、コンフォートゾーンにとどまる人は価値のない人生を送っているかといわれると必ずしもそうではないのですが、
それがあなたの本質でなければ、もったいなさを先延ばしにしているので人生のどこかのタイミングでもったいない自分を収穫する時期とタイミングがくるはずなのでゆっくりのんびりしておくのもまたよしです。
⑦人生をスムーズにする習慣をもつ
よくあるような幸福になるルーティーンとか、7つの習慣とかを実践するのももちろんありですが、自分自身オリジナルの習慣をもっているというのはそれだけ人生が充実していることにもつながります。
人生に価値があるぞ!と思えるのは何か大きな出来事が必須と感じるのは悪いことでは全くないんですが、それよりも自分に価値ある習慣を毎日ナチュラルにできることのほうがエネルギーの流れ的には大事になってきます。
ぼく自身はいろいろなルーティーンがありますが、水をよく飲むこと、寝る前に今日もベストな一日でした。というのはぼくの人生のマストアイテムになっています。
みなさんはどんなルーティーンをもっていますか?
⑧感情の処理の仕方がわかっている
人間なのでネガティブな感情、怒り、妬み、恐怖心、不安、悲しみ、喪失感、孤独感などがでてくるのは当然のことです。マインドがなければわざわざ人間やっていないですからね。
ただ、その感情が自分のすべてだと思いこんで、自分の可能性を閉じ込めるのは非常にもったいないです。
不安を抱くのは全然いいんだけど、それが自分に合った使い方になっているかどうかを吟味していくことで感情の知性が働きます。感情の知性が豊かになることは、自分に対する気づきや、自分の能力の発揮の仕方がわかってくるので、
それだけ人生もおもしろくなること間違いなし。3次元の学びは感情とバランスにあるといっても言い過ぎではないですからね。
⑨自分を偽らなくていいことがわかっている
人生で最も価値あることの1つは、自分を偽らず素直に生きてもなんら問題ないということへの気づきです。
人間なのでなかなか素の自分で生きられなかったり、素直な自分を出せないのはあるあるですが、ひょんなことをきっかけに素直な自分でもだいじょうぶかも。と思える瞬間にこそ輝きがあります。
そしてその瞬間を味わえる領域を増やしていくことが人生に価値をもたらすことになる気がしています。
一見すると、自分の人生には価値がないんじゃないか、無意味なんじゃないかと考え込みふさぎ込むのは人生においてあるあるなプロセスの1つかもしれません。
ただ、いろいろな角度からみると、それも価値のある人生になるエッセンスの1つだったと気が付けるのが人間や人生の醍醐味の1つであることもまた事実だとぼくは思っています。
人生に価値があると思うのも、人生に無意味さを見出すのも本当に個人の自由なのですが、よくわからないけど、自分への価値は見出せる人生にしておくか!と決めておく道のりの方がぼくは楽しめるんじゃないかと感じています。
それこそ、無条件に自分の人生に価値があるよと思うのは、タダでもできますからね。
ちなみに今回の質問リストにイエスが何個あれば価値のある人生です。ノーが何個あるから価値がありません。という類の質問リストではありません。冒頭でいったように価値のない人生を送る人なんていませんからね。
自分があちら側の世界にわたる前に少しでああ、良き人生だったなあと言える毎日に今日からひとりひとりがなりますように。
いつも読んでくださってありがとうございます。