今回のテーマは「あなたのコントロール下にあるもの」です。
なんでも思い通りになるよ、自分のことはね。
※この記事は、人生において、思い通りにコントロールできない15のことをピックアップしつつ、代わりに何ならコントロールできるのかを改めて考えてみる内容になります。
スピリチュアル界隈には必殺引き寄せの法則というものがあり、すべては自分の想いのまま、人生を無双できるみたいな教えがある一方で、コントロールできないものもあるんだよといういつも通りの矛盾した教えが存在します。
個人的な考えや経験に基づいてぼくの意見を述べると、(その必要があるかどうかは別にして、)自分の境界線の内側にあるものはすべてコントロールできるよねと思っています。その境界線をどこまで広げるかはあなた次第です。という感じですが。
みなさんは何なら思い通りになって、どれなら思い通りにならないと考えているでしょうか?人生にモヤモヤ感を抱く人の参考になれば幸いです。
- 物事や他人をコントロールしようとしすぎる人たち
- 自分の考えや感情に振り回される人
- 将来や過去を安心して見守るのが難しい人
スピリチュアルな世界では起こる出来事はすべて中立で、それをどう解釈するかによって何が起こるか決まります。という説があります。
ぼくは、この考えには概ね賛成しています。
例えば、大切な人との別れを経験したとしましょう。この「別れ」自体は中立で、いわばゼロポイントにあるとします。
もし、あなたがもっと○○すればよかった。という後悔の念が強いとき、その別れは寂しく、そして傷付くような別れになります。
一方で、もしあなたが、ようやく別れられたわ!オーイエス!と晴れ晴れした気持ちが全面にあるとき、その別れは、次のステップに進む礎のような別れになります。
生まれてくる前に決めてくること
たいていのことはこの解釈論に通じるのですが、例外として、生まれてくる前に決めてくること(場所、環境、設定など)は思い通りにならないと個人的には思います。
厳密に言うなら、魂から言わせれば思い通りになっているんだけど、肉体レベルの自分ではそうは思えないってことです。
あなたの運命は決まっているからあきらめてください。ということではもちろんなく、不幸な境遇とか環境とかをスピリチュアルな側面で理解しようとしすぎなくてもいいということです。
例えば、生まれながらにして身体的な障がいをもつとか、小さい頃両親が離婚したとか、すごい貧乏だったとかですね。
それはあなたのせいでも、誰のカルマでもなくて、そういうものなので、納得したり理解したり必要以上に自分を責めたりしなくていいということです。
スピリチュアル×人生論の相性が悪くなるポイントでもあります。詳しくは自由意志についても言及してある、以下の記事を読んでみて下さい。
ちょっと前置きが長くなったところでさっそく、思い通りにできないことをみてみましょう。
①他人の言動
他人の言動を100%コントロールすることはできないです。だって自分じゃないですから。
ただし、他人の言動に左右されるか否か、あるいは他人の言動に影響やきっかけを与えることはコントロールできます。
言い換えれば、あなたが(良い悪いに限らず)何をしたとしても、他人の選択や言動の結果にはあなたは責任がないことを受け入れましょうということです。
もし、他人が自分の思い通りにならなくてモヤモヤしたり、誰かからひどい扱いを受けていると感じたら、それは境界線を設定する必要があると考えられます。
例えば、周りにネガティブな言動が目立つ人がいてそれをやめてほしいとしましょう。彼らのネガティブな言動やそれを通じた結果は、彼らだけのものです。
ポジティブに捉えるとこうだよ、とか、ネガティブになることもあるよねと励ますことはできるし、そのネガティブさを自分にも適用するか否かはあなたが決められることですが、実際にどうするかは彼らの範囲にあります。
②他人からの評価
他人があなたをどう捉えるかもコントロール不可です。だって、それは他人の感情感覚、思考ですからね。
ただ、どういう人間関係を大切にしていきたいか、そして自分への評価はよゆうでコントロールできます。
例えば、優しい平和的な人間関係を築きたいのであれば、自分はそういう人だと自分で評価して、そういう言動や思考、領域を増やすことは可能です。
他人からの批判は無視しろってことではもちろんなくて、そこだけが自分の評価のベースになるのは誰かになろうとしすぎているってことです。
③他人からの扱い
他人があなたに対してどう接してくるかどのようにあなたを扱うかは彼らの自由意志に寄るものなのでコントロールできません。
ネガティブな例でいうと、あなたをいつも攻撃してきたり、悪い噂話をしたり、何かネガティブなことをしてきたとしましょう。
その扱いをやめてよ!と主張することはとても素直なリアクションで素晴らしいですが、本当にやめるか続行するかまではコントロールできません。
なので、もし不当な扱いを感じるのであれば、自分の内面の学び(例えば、自己卑下や恐怖心)に変えることができるので、そちらにエネルギーや時間をかけましょう。
自分の内側の傷はないよ。という場合は、ただただ彼らの土俵に並んでいるだけなので自分の土俵をつくるのが良きだと思います。
④他人が自分を好きかどうか
ぼく自身も嫌われるよりは他人に好かれたいと思います。ただ、必要以上に自分を取り繕って、相手が好む自分になるのは、どこかでエネルギー不足かバーンアウトを起こします。
言葉にすると、必要以上に承認欲求を得ようとしていないか否かのチェックが必要です。
素直でありのままの自分でも認めてくれたり、対等でフェアに尊重してくれる人はめちゃくちゃいるので誰かになろうとしなくてもいいんですよ。
他人が自分に好意や好印象を抱くかどうかはコントロール不可ですが、自分に真実であることは常に自分の自由意志の範囲内にあります。
⑤他人の価値観
こちらも当然っちゃあ当然です。
オレンジジュース好きな人を、いくら自分が好きとはいえクランベリージュース好きに変えることはできません。
ぼくらが建設的なコミュニケーションでできるのはオレンジジュースとクランベリージュースの違いやそれぞれの良さや悪さを共有する点だと思います。
その結果、オレンジジュース好きな人がクランベリージュースも好きになるかもしれないし、やっぱりオレンジジュースの良さを再認識するかどうかまでに決定権はないんですよ。
裏を返すと、自分とはそぐわない価値観に対してどう捉えるかどうリアクションしていくかはめちゃくちゃ自由ってことです。
⑥他人があなたの言動をどう解釈するか
人間関係なので、意図せず相手を傷つけたりというのはあるあるだと思います。自分だったらそんなの気にしないけど、他人はあなたではないので、どうその言動を解釈するかはわかりません。
誤解を与えるような言動を意図せずしてしまった場合、他人の解釈はコントロールできませんが、あなたはあなたの気持ちや意図を伝えることはできます。
その結果(他人がどう思うか)はあなたの責任の範疇にはないということを理解しましょう。
⑦他人に起こる出来事
他人に起こるネガティブな出来事もポジティブな出来事も、あなたのコントロール下にはないことを思い出しましょう。
何か困難な出来事やネガティブな出来事が他人に起きたとき、あなたができることはその人を痛みから守ったり、救ったり、治すことではありません。
あなたはその相手のためにそこにいること、スペースを確保していること、そしてできる限りのことはするよ。と立場を分けていることです。
⑧あなたの思考や感情
これは究極的な感じですが、自分がどういう思考をして、どういう感情が出てくるかはほとんどの場合、コントロール不可能です。
コントロールしている風にみえていても、感情や思考を自分のものだと同一視(勘違い)しているか、それらに執着するか否かなどを選んでいるにすぎません。
思考や感情とパーソナリティーは違うというやつです。永続的に続く思考や感情はないので、ネガティブなものもポジティブなものも中立地点から眺めてあげるといいでしょう。
⑨過去
当然ですが、すでに起きたことをコントロールして、なかったことにすることはできません。
その代わり過去、すでに起きたことから自分は何を学ぶのか、学んだのかを考え、次につなぐことはできます。つまり、今の在り方を変えることは可能です。
⑩未来
未来に何が起こるか、まだ起きていないけど起こりそうなことをコントロールすることはできません。
スピリチュアル界隈では、理想の未来は手に入れられる!とその未来をコントロール可能かのように言及することが多いんですが、未来は、いくつもの扉がただそこにあるだけです。
それ(扉やその先にあるもの自体)は変わらないんですが、どの扉を選ぶかは今ここでコントロールができます。
⑪特定の結果
引き寄せの法則における誤解みたいなところもありますよね。
100mを9秒で走りたいとしてコツコツ努力続けても、100m9秒という結果が得られるかどうかは、コントロールすることは難しいんですよ。
自分が望んだまさにその通りのものが手に入らなかったとしても、常にあなたはベストな存在であり、望んだものと同等とエネルギーは絶えず受け取っています。そこに気が付くかどうかはもちろんコントロールできます。
⑫老化や健康
形がある物理的なものはいつか朽ちていくというのが物理次元におけるルールです。肉体は不変じゃないってやつですね。
身体も一緒で身体が老化していったり、病気そのものをなくすことはコントロールできないです。
ただ、自分の身体をどう扱うのかとか、病気に対してのアプローチは自分のコントロール下にあります。疲れたら休んだりですね。
⑬傷つくこと
これは、世界や人間は敵だから傷つくのはしょうがないとかそういう意味ではもちろんありません。誰かや愛するペットをなくすときの痛みや、そういうことがなくても傷つく出来事があるという事実は変えられません。
これは人間には感情がありますからね。不可避の痛みやキズがあるのは事実なんだけど、その傷や痛みを自分はどう扱うのかはコントロールができます。
ボロボロで傷ついても一生そのまんまです。なんてひともいないと思うので、大丈夫です。
⑭世界に苦しみがある事実
こちらも、⑬と似ていますが、世界や人間はクソだから苦しみがあるんですよ。という神様仏様思想から来る苦しみということではもちろんありません。
美しい世界があるということは、苦しいという反対の性質もこの世界にはあるという事実を認めておきましょうということです。これは変えられないですね。
ただ、その世界をどう捉えるのか、どう貢献するのかは自分の意志で決めることができます。
⑮生まれてくる前に決めてくること
生まれてくる前に決めてくることは、人それぞれ違うんですが、これを意識的にコントロールすることは不可能です。
無意識的には自分で決めてくるので厳密にいえば自分でコントロールしているんですけどね。
生まれてくる前に決めてくることはコントロールできないけど、生まれて後決めることはコントロールが可能です。それはぼくらの自由意志です。
ぼくらは生きていると、過去だったり、未来だったり、自分の思考や感情だったり、あるいは他人の言動をついつい自分の想いのままに操れると勘違いします。
使えない筋肉を無理やり使うのは無理なんですよ。
それよりもしなやかな部分をよりしなやかに。強い部分によりパワーを与えるイメージを持った方が人生はすごく楽な場所に移り変わると思います。
引き寄せの法則とは、なんでも思い通りに世の中をコントロールできる魔法の法則という説明がわりと多いと思うのですが、自分の境界線の内側にあるものをコントロールしてエネルギーを実感する1つのツールだとぼくは思っています。
自分で決めれらることや自分でコントロールできるものに対して柔らかくありたいですね。
ブログの更新が随分滞ってしまったんですが、久々に体調が崩れました。みなさんも暑い日が続きますのでご自愛くださいませ。
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
わたしの場合。某ラジオオに、葉書を
通算600枚(四百枚までは数えていた
)を、資産を投じて 時間とお金を捧げたのですが。ちょっと、やり取りの行き違いで、仲が悪くなり (わたしがおもっているだけかも) で、年に一回の、楽しみだった。年賀状を(今年もお願いします
)と10月には、お願いしてあったのにだ。「送ります」と、言っていたのに涙
気づけば、二月になり、五月になり、もう来ないんだろう。の 、悟りの八月。
葉書だけじゃないんです。映画券なんかも 、大手のラジオ局の 、映画券プレゼントなどに、投稿して、 当たったら、それを、自分で使わず、そのまま。その目当ての、局の番組へ送ったり。(何をしてるんだ、わたしは。) 一回じゃないんです。映画ペアチケット券を、四回(通算ペアだから、8枚の映画券、金額にすると、10000円を、越える) を、貢いで。
で。今週の記事のお話ですが、人は、見たいように見るし、受けとりたいように、受けとるんだなぁと。でも。仏教で言うところの、布施を、していたのかなと。(実際、はがきで、笑顔にもしたし、ハガキ代、六百枚だと、四万円強) 、でも。楽しかったので。WIN、WIN の関係、だったとおもっています。すいません。くらい話で、申し訳ない。次は明るい話で。