ヒーリング基礎講座開催11月20日~

人生がつまらないと感じるのはスピリチュアルな目覚めのサイン?!

まめたろう
まめたろう

テーマは人生つまらん×目覚め

たっかぶり
たっかぶり

アウェイクニングが進んでいるぞ!

※この記事は、スピリチュアルな目覚め・覚醒が進むと人生がつまらなく感じる理由をぼくの経験に照らし合わせてご紹介する内容になります。

ぼく自身は目覚めています!覚醒しまくりです!というのは正直よくわかりません。

ただ、スピリチュアルなアウェイクニングを体験していく段階では、ちょっと人生つまらんなあ。(≒覚醒ってこんなもんかねえ)と拍子抜けする感じる点がいくつかあると思います。

もちろん、これはぼく個人の感想であって、万人の魂に当てはまる話ではないでしょう。中には覚醒して目覚めて「ヴぉーーー!」「引き寄せ最高ゥゥ!」みたいな人もいるかもしれません。

はたまた、スピリチュアル界隈からはそれは真の目覚めを体験していないからだ!覚醒すると魂の目的を思い出して充実するぞ!などなど怒られそうな意見でもあります。

ただ、僕はなぜそうなる(なっている?なった?)かというと、目覚めっぽいときっていわば淡々とその瞬間に身を委ねているような感じがするからです。右も左も行かず真ん中で心地よく浮いているだけのイメージかもしれません。

今回は目覚めが進んでみてわかった人生つまらないポイントを怒られないように張り切りつつ楽しくご紹介していきます。

みなさんはどんな目覚めを体感していますか?

今回のお話の流れ
  1. 人生がつまらないのはなぜ?
  2. スピリチュアルな目覚めを体験していくと人生はつまらなくなる理由
  3. まとめ

人生がつまらない」をスピリチュアルからみる

今回は敢えて、二つの「退屈さ」にわけて、根本感情を基軸にしてみましょう。

いわば目覚めっぽくはないつまらないと目覚めっぽいつまらないです。

覚醒っぽくない「人生つまらない」

こちらの退屈だという思考のパターンの根本的な感情は、不満足感、不足感、苦しみ、不安などが考えられます。

例えば、周りと比べて幸せじゃない自分が嫌いだから人生はつまらない。周りから求められなくてつまらない。とか、やりたいことをやりたいのに、○○がないからつまらないとか。

親や家庭環境から抜け出せずつまらないとか、本当の自分がわからなくてどうしよう。とかですかね。

スピリチュアルから言えば、本来の自分の性質とエゴの自分のギャップが生むようなつまらないです。

覚醒っぽい「人生つまらない」

一方で今回扱う「人生つまらない」はこちらです。

スピリチュアルな目覚めの定義は人それぞれ本当に色々ありますが、ここでは「本来の自分」になることだとしましょう。

本来の自分とは、ここにもいろいろな説があるのは当然ですが、感覚としては、自分の多様性に限りがない感覚。とか、ザ・これで良いのだ。感です。

それがアウェイクニングとなると、常に今にある領域が大きいので、ずーーっとぼんやり続くイメージです。

つまり、目覚めが進むと感情がなくなるわけではなく、感情の浮き沈みはあっても、自分の真ん中がわかっているので、重心がしっかりした振り子みたいにすぐに真ん中のゾーンに自然と戻っちゃう感覚がぼくにはあります。

シンプルな言葉を使うなら淡々としている。みたいな感じのつまらないです。

人生がつまらないのは悪いこと?

スピリチュアル界では、スピリチュアルから人生退屈を切り取ると、それは真に目覚めていないからだ!とか、覚醒したら使命や果たすべき役割がわかるから退屈な人はまだまだ!みたいなスポ根を出している意見が多い印象です。

また、それは孤独と分離を表している。とか、自分の軸がぶれて他人軸になっているからだ。というネガティブな言及もありますが、ぼくは本当にそうかな?と思う時があります。

なぜなら、覚醒や目覚めが進むと、今にいるだけでパーフェクトなので、そこに自や他がなくなるからです。

存在しているだけで、あとは、投げやり意味ではなくポジティブな意味でどうでもよくなるのも覚醒という魂があっても「普通」です。

要するにポジティブな自分もネガティブな自分もなくて、ぼんやりと真ん中にいるだけなんですよね。

(もちろんそうじゃない魂もたくさんあると思います。)

人生がつまらないはスピリチュアルな目覚めといえる理由

さて、ここからはぼくがどういうところがつまらんくなるかを勝手にピックアップしていきます。

もちろんここでいうつまらないのは、ポジティブな意味でです。

おそらくですが、以下の6個が主につまらんくなるポイントでしょう。

  • 特別がなくなる
  • 人付き合い減る
  • 敵が消える
  • TVとか外側への興味がなくなる
  • 奇跡が消える
  • 人生の意味がなくなる

①「特別」ではなくなる

覚醒が始まっていくと、魂に優劣や善悪はなく、例外なくすべての人(モノ)があらゆる可能性にオープンだということが分かります。

結果、自分だけが、あの人だけが「特別」とか「優れている」という感覚は希薄化します。もちろん、反面、自分だけ、あの人だけが「劣っている」みたいなところも薄れます。これはとてもグッドポイントでしょう。

②人付き合いが少なくなる・無理に合わせなくなる

目覚めは無理やり感のないこれでいいんだなあ。になるので、人付き合いがぼくの場合は減りました。自分にとって心地の良いエネルギーと触れ合って、不要なエネルギーで消耗する必要がないと感じたからです。

「そうは言えど、人っぽくならなきゃ。」=自分が楽しいとは思わない人付き合いも大事だ。と考えたのは最初のころだけで、今はどっちでもいいです。

冷たいっちゃ冷たいです笑

③敵がきえる・味方も?

自分にとって相性の悪い相手には焦点を充てなくなるので、自然に嫌いな人がいなくなります。というか、色んな人がいるな。で片付きます。

スピリチュアル界隈で言えば、陰謀論チックで、○○が諸悪の根源だ!という意見に賛同できなくなるので、共感しない人と思われる可能性もあります。

また、エコマスターの地球のためになんちゃらみたいな活動もまあまあ気楽にいこうよ。自分が良いと思えばそれでいいじゃない。と言いたくなる時もあります。

日常生活レベルでいえば、○○さんって嫌な奴よね!とか団結するコミュニティがあったら、共感できずにこれまた困ります。

じゃあ、味方も消えるかというと、確かにあなたすごーーい!みたいな人にも一定の距離感を保ちたくなる時もありますよね。ありがたいですが、もっと自然で軽やかな関係性が心地よくなるでしょう。

④TVショー・外側に興味がうせる

ゴシップとか、テレビとかに興味がなくなるのはあるあるだと思います。

ぼくはかれこれ10年以上はテレビのない生活をしていますが、ネットサーフィンは大好きです。

まったく芸能ニュース?とかをみないのかというと、ガッキーの結婚くらいは知っています。

あと、親族とか知人・友人がどれだけ立派かとか、すごいお金稼いでるとか?子供がすごいとかいう話題もへえー。としか思えない時もたくさんあります。笑

要するにどうでもいいことはどうでもいいし、(誰かや何かのせいではなく)どうにもならないことはどうにもならないんですよ。

⑤奇跡が少なくなる

本来の自分のゾーンになると、今あること・起きていることはごくごく自然のことと捉えるようになるので、え?そんな奇跡ある?みたいなやつが減ります。

嬉しいこと。楽しいこと、ラッキーパンチが減るとかそういうことではもちろんありません。

自分のエネルギーにぴったりなものが、ベストなタイミングで来ると自然に感じられるようになるので、まあ、引き寄せだよね。はいはい、シンクロね。そりゃそうだ。と勝手に納得します。

⑥人生の意味がなくなる

目覚めが深まると、自分がただあるだけでOKだという領域が増えます。

裏を返すと、なぜ生まれたのか?使命がなんなのか?を完璧に悟るとかじゃなくて(そういう魂もあると思いますが)、外側に求めなくなります。

つまり、意味がなくなる。というのは厳密ではなく、自分の存在、体験、すべてが人生の意味そのものだと感じるようになってくると思います。

人によってはつまんね。と思う大きなポイントですが、自分ってなんなの?とネガティブな意味での混乱や迷いがなくなります。

今がすべてです。

番外:病気が少なくなる

自分のバランスを自分で保てるようになるので、おそらく病気的なものは減ったり、なくなっていきます。

不老不死になるとかそういうことではないんですが、振り子みたいにすぐ真ん中に戻るんですよ。

もちろん、スピリチュアルから言えば定期的なデトックスはそれでも体感すると思うので、風邪をひいたりもすることもあるとは思いますが。

病気した方が人生が面白いのかと言われるとたぶんそうじゃないので、番外としてみました。

人生がつまらなくなるのは何者かになる必要がないとわかるから

アウェイクニングが進んでいくと、ぼくは使命がわかるとかものすごい超能力が使えるとかそういうイメージは持っていません。

ハイヤーセルフとつながるんじゃなくて、ハイヤーセルフだとわかるからです。

エゴやジャッジメントがうすくなる

スピリチュアルの世界では、エゴやジャッジメントはよくない。と言われます。

比較、優劣、善悪を持つと自分がわからなくなるからです。

でも、物理的な世界観では、良きものと悪しきものが分かれていることで人の性質やテーマによっては人生に面白さを与えてくれるスパイスにもなりえます。

どちらの世界が良いとか悪いとかは本当になくて、ただの好みでしょうね。

目覚めのかたちは人それぞれ

個人的には、現在の風潮である、目覚めというのは自分のポジティブ、あるいはネガティブなエゴやジャッジメントを脱いでいくもの。という考えはわりと同意します。

そのプロセスでは、上述の通り、はっきり分かれている物理的な世界が無性につまらなくなるということも十分にあり得ると思います。

誤解してほしくないのは、繰り返しですが、感情がなくなるとか消えるとかそういうことではもちろんなくて、感情の一定数の浮き沈みは体感するかもしれません。

ただ、極端に不安になったり、迷ったり、退屈するような気分がなくなったり、逆に極端に高揚したり、興奮したり、多幸感を味わうような、いわば感情に作用される領域が狭まると感じます。

また、奇跡です!すごい!!!みたいな肩の力入れたポジティブ感や、逆にもうダメだ!人生どん底!終わったわ。みたいな絶望感が自然と和らいでくると思います。

これでいいんだなあ。なんでもいいね。という静かなワクワク感が淡々と続き、その永遠と刹那にいるような閑静な目覚めや覚醒がしっくり来ています。

要するに目覚めるとはすべてがわかる状態!とか自分が何者かになり替わるんじゃくて、自分も周りもパーフェクトな存在だとやんわりわかるようなことだと思います。

使命や役割は、今ですから。

目覚めや覚醒、人生にゴールはないかも

人生がつまらないのは魂を燃やしていない(真に目覚めていない)から!他人軸に偏っているからという説は正しい時も大いにあると思います。

でも、目覚めが深まってくるとこれでいいなあ。という領域が増えるのでドラマティックな人生(感情も出来事も山あり谷ありみたいな)とは少しずれてきて、それが人生いい意味でつまらん。みたいなところに

行きつくところも大いにあると僕は感じます。

要するに「これでいいんだなあ。」は暇なんですよ。人生も然りですが笑

それが嫌だ。という人はおそらく性質にはあっていないだけで、何か変わる必要があるかもしれませんが、それが心地いい。と思う人はそれがあなたにとっての人生の意味で、目覚めなのかもしれません。

ぼくはいい意味で人生はつまらんなあ。と思いますが、いい意味で人間が大好きなので、またもう一回くらい人間をやりたい気分です。

みなさんは目覚めてみていい意味で人生つまらなくなるでしょうか?

いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

3 COMMENTS

てゆてゆ

まめたろうさん、こんにちは(^ ^)
今回の記事のポジティブにつまらんくなる6ポイント…大きく納得です!
色々なものへのジャッジが消え、自我もほぼなくなることで、自分の中心は保ったまま、ぼんやりと日々静かに過ごす感じ(昆虫や植物を眺めては、学ぶこと多いな〜!とか、好奇心は持ち合わせてますw) 時間の進み方も早いも遅いもなく、月日も特に気にならず…もはや隠居した人間(笑)
その覚醒?といえば覚醒であろう私の思いを適切に文にしてくださった感じw
ありがとうございます

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ヘラ美佳

こんばんは
スピリチュアル的な試練は、もう何回もありました。それが終わってしばらく休んだり、何も考えずにしばらくやりたいことをしていて、それも終わるころ、つまらなくて々、明日仕事なのですが、それも本当はどうでもよくて。本当にまめたろうさんの文のとおりです。父の言うような親戚の中の立場とか、仕事の営業成績とか、会社の仲の良い仲間とか、苦手だと思っていた人とかどうでもいいです。
また、保険月が来たら、営業成績がどうだとかもどるのでしょうか?
私の中の妄想の神様や守護者に心から感謝をしています。今日の最後にここにこれて、休みの最後をしめくくります。
それではこれで。

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