徳=virtuesです!
たくさん徳を積むといいぞ!
徳を積むということは「善い行いをすること!」という説明は多いんですが、ぼくは「行為」そのものが徳になるかといわれると疑問が生じます。
というのも、行為の「善悪」は受け手と送り手の捉え方によって異なるからです。例えばAさんがBさんにプレゼントを贈るとしましょう。AさんがBさんを喜ばせようとして贈ったプレゼントが、実はBさんが苦手なものだったらどうでしょう?
これを純粋に善悪で測ることは難しいですよね。徳を積む方法といわれている、ゴミ拾いとかトイレ掃除とかと同様です。
なので、もちろん善い行いというのは徳を積むっぽいことの一部にはあるんですが、スピリチュアルな観点からいうと少し違った観点になるので今回はそこを深く掘り下げていこうと思います。
ちなみに4年前のぼくは徳を積むということを自分の純粋な気持ちに沿って人生を過ごす的なニュアンスで捉えていたんですがこれは側面でしかなかったので、この数年で捉え方が変化したっていうのも今回記事を書こうと思った理由にあります。
徳を積む方法もいろいろあって、徳はエネルギーを良い感じにマスターするのに役立つみたいですが、結局のところ、徳ってなんでしょうね?
- 徳×スピリチュアルな観点からが知りたい人
- 徳を習得したい人
- 徳を積んでいい感じに人生を過ごしたい人
徳を積むとは?
まずは言葉の定義から見ていきましょう。
徳とは?
徳を辞書的な意味合いでいうと
りっぱな行いや品性、神仏の恩恵、生まれつき備わった能力・性質。天性。
というものが出てきます。英語で言うところのvirtuesですがこれは冒頭で書いた良い行いのことですね。
仏教の徳
仏陀が人間的な苦しみから脱する方法として説いたものがどんどん発展していって、見返りを求めない行為とか、奉仕とかいろんなリストを仏教徒たちがつくっていったものがあります。
ですが、仏教における最高の徳とは解脱=悟りを得ることですよね。これこそが仏陀ですからね。
現代風に訳せばマインドフルネスなのかもしれません。
陰徳と陽徳
自己啓発やスピリチュアルで徳が登場すると「良いことをすること」という側面から必ず登場するのがこの陰徳と陽徳です。
本来の意味は別にして、陽徳とは、人がみているところで行ういいことで、顕徳ともいいます。一方で、陰徳とは、人目に触れずいいことをする、マイナスのことをしないことにより結果としてプラスになることを行うことをいいます。
ボランティアで街のゴミ清掃をしよう!が陽徳で、そもそもゴミのポイ捨てをせず、街や住む人の目についたら不快になるだろうからゴミをみたら拾うみたいなのが陰徳です。
キリスト教の徳
キリスト教には、貞節、正義、節制、勇気の 4 つの基本的な美徳と、信仰、希望、慈善の対神徳の3つがあります。七元徳っていわれます。
最高の徳はなんといっても隣人愛ですよね。隣人をあなた自身のように愛すみたいなやつです。
ごちゃごちゃいろいろと出しましたが要するに徳とは、
だとおもいます。
徳を積むスピリチュアルな意味
スピリチュアルはすべてをエネルギーとして捉えるので、徳に関してもぼくは「エネルギー」のことだと思っています。
ですから、以下のような解釈が可能です。
①徳≒ソースであるという認識
こちらは、マスターエックハルト・トールの言うところの徳です。
彼はエゴがあるという気付きは分離で、そこを手放し今にいることで、統合すると考えます。なので、徳≒自分自身と自分が誰であるかのソースにもはや分離感がない状態≒創造主そのものであるというロジック展開をします。
難しい言葉を使わないなら、ただ存在するという光やエネルギーの状態のようなものです。
だから徳を積むとは英語でcultivating virtueというのですが、彼から言わせたらエゴを脱ぐ作業と一緒に近いと思います。
②徳は思考パターン
こちらも似たような考えなのですが、徳をエネルギーとしてとらえ、ライトで軽い思考パターンのことだとする説明もあります。
これも確かにそうなんですよ。人間的にいう、善行みたいなものって、愛とかやさしさとか、勇気とか思いやりとか、謙虚さとか、寛容さとか許しとかいろいろあると思うんですけどそれはスピリチュアル的な観点から言えばエネルギーなので、思考パターンのことっていうのも全然ありですよね。
行為ではなく思考
この思考≒エネルギーのことなのですが、ここが一般的な徳を積むとスピリチュアルでいわれる徳を積むの違いなのかなと個人的には思っています。
「行為と思考ってほぼ同じでしょ。」ってツッコミももちろんなんですけどぼくはけっこう違いがあると思います。
例えば、AとBという選択肢があって、Aの方が圧倒的に自分のためになる行為で、Bの方が圧倒的に他人のためになる行為だったとします。
これを徳≒いい行いという観点から切り取るならBを選んだ方が徳を積めます。
でも徳≒思考パターンだとしたら、もしかしたら、Aには自分のためになる行為だけど、そこには忍耐、自己信頼、勇敢さ、勇気を伴う4つの思考パターンがあって、
Bには他人のためになる行為だけど、協力することとやさしさの2つの思考パターンがあったとしたら、これはおそらくAの方が徳を積んだってなるんですよね。
スピリチュアル的な徳を積むのは全部OK?
あと、行為だけだとしたら例えば、相手を傷つけてしまったり、自分に嘘をついたり、悪い行為をしたら取り返しがつかない感がでてきます。バッドカルマとか前世でモノを盗んだ罪とか罰とかね。
でも、思考パターンだとしたら、その傷つけてしまったという後悔の気持ちを手放して許したり、自分に嘘を付くという行為を反省して正直になると改善したりすることも可能なので、すごく救われる気がしませんか?
むしろ、悪い行い≒悪徳だとして、それは美徳を積むために必要な学びだと捉え直すことができて、ぼくらの人生に一ミリも無駄がないという素晴らしさに気が付くことができるような気がします。
罪や罰の行いだとしたら、その罪滅ぼし的な気持ちになってそれこそ良い行いをせねばとか、自分の人生で悪いことがあるのは運命のせいだみたいな悲壮感がぼくは出てきます。
でもエネルギーや思考パターンだとしたら、やり直しや選択肢が多いのでやりがいがめちゃくちゃあります。ま、この辺りは好みなんですけど、これがスピリチュアルの面白さだと個人的には思っています。
徳を積んだ人の特徴!スピリチュアルな観点から
徳を積む=エゴを越えるようなエネルギー感だったり、思考パターンだとしたら、徳を積んだ人ってのは以下のようなことがいえます。
要するに目覚め、覚醒、アセンション(精神的な高まりや進歩)と同じなんですよ。
①時間の幻想に気が付く
スピリチュアルな目覚め、アセンション症状の1つは時間が幻想であることに気が付くことです。過去、現在、未来は同時に今ここに存在するという気づきです。
徳を積むと見た目が若く見えたり若々しさが出てくるってのはスピリチュアルな説明をすれば時間の幻想を脱いでいるからっていう理論になります。めちゃくちゃ面白いです。笑
②ありのままの自分を愛する
これも大事な徳ですよね。信頼とか愛とかそういう部分の徳ですが、この徳を積むとありのままの素直な自分に許可が出せるようになってくると思います。
もちろん、ありのままの自分を愛するので周りへのリスペクトもでてきます。
③エゴの声が少なくなる
ここでいうエゴとは問題を解決するために役立つけど流れを妨げる防衛本能による必要以上の恐れなどです。
これは本当に色んな徳を積む必要が出てきますよね、恐れ、怒り、自信のなさ、その他いろいろです。
④現実化が早い
思考は現実化するとスピリチュアルな世界では言いますが、要するに思っていることや考えていることが現実になることを指します。
もちろん徳というのはエネルギーであり思考パターンだとしたら、現実化が早くなったり引き寄せ的なやつをマスターするのはあるあるだと思います。色んな幻想をぼくらは抱えていますからその重荷を脱ぐとエネルギーも自在になるのかもしれません。
他にもいろいろあるとは思いますが、これはまた別の機会に記事にしてみようと思います。
徳を積むとどうなる?得られる効果
徳を積むというのはお伝えしているように、
ネガティブな思考パターン(エネルギー)に気付き、それをライトな思考パターン(エネルギー)に変えることです。またはその意志をもつことです。
なので、めちゃくちゃ良いことだらけじゃないですか?
①自分の素晴らしさに気が付く
徳の反対は悪徳といいますが、もちろん悪い行いということではなく、自分のネガティブな思考パターンのことです。
だから、徳を積むことと悪徳を手放すことは密接に関連しています。
例えば、誰かに傷つけられて、その相手を恨んだり、怒りを感じるとしましょう。恨みや怒りは悪徳に違いないのですが、それを持つことによってその相手から守れたり距離を保つことができるのではないでしょうか?
とすると、恨みや怒りは決して悪い行為や思考パターンではなく、自分を守ってくれる素晴らしい気質のひとつだと気が付きます。
さらにその恨みや怒りを手放すという意志をもてたとしたら、それは許しになり、許しは慈愛の徳を積むことができます。悪徳があったからこそ徳が積める世界観なんて最高です。
②人生が豊かになる
これは行為としてみる徳を積むでも言われていることですよね。開運の秘訣はトイレ掃除です!みたいなやつです。
でもあくまで思考パターンや自分がもつエネルギーだとしても、豊かになるのはもちろんだと思います。豊かさとはなんなのかといわれると、単にお金、人間関係、恋愛成就などなど人それぞれ解釈が分かれます。
例えば、お金に対してお金は悪である!みたいな悪徳をもっているとして、お金は無限のパワーと周りと分かち合えるものだという豊かさの徳に変わったら、もちろん人生が豊かになると思います。
③エネルギーがクリアになる
徳を積めば積むほど、よりエネルギー的には芳醇で濃密でクリアなエネルギーになりますよね。ネガティブな思考パターンを手放すことなので、それは本来ぼくらのあるべき姿なのだと思います。
④人生を創造している感が出る
ぼくはこれに尽きるのでは?とも思っています。
徳を積めば、魂レベルが上がって来世がよくなるとか、人気になるとか、引き寄せの法則が使えるようになるとかそれももちろんそういう側面もあると思いますが、徳を積めば積むほど、ぼくらはよりエネルギー的な存在というかエネルギー的な側面への理解が進むと感じています。だって思考ですからね。
なのでどんなことも自分が創造して、そのどれもが素晴らしいってことがわかるのはとても徳を積むメリットなのではないでしょうか?そんな事どうでもいいからお金がたくさん入ってきて、いい人間に恵まれてワクワクしたいって意見が大半でしょうけどね。笑
このほかにもどんなネガティブな思考パターンをもっているかによるので、いろいろとあると思います。
- 世界の美しさに気が付く
- 無条件に相手も自分も愛する
- 感謝の気持ちが増える
- 自分を信頼できる
- 素直な自分で人生を過ごせる
- 強制感のない人生があるとわかる
- 他人軸ではなく自分軸になる
- etc..
徳を積む方法とは?スピリチュアルな実践方法
徳を積むとは繰り返しですが、ネガティブな思考パターンやエネルギーを引き抜いて、新しい思考パターンやエネルギーを持つことです。なので、以下のような感じの方法がスピリチュアルっぽいやり方です。
①自分と向き合う&内観
自分にはこんな思考があるなとか、こういう感情が本当は嫌だけど湧いてくるなとかを探りましょう
その思考や感情で学べたこと、それがあったからこそ良かったぞ、何か気づいたこと、役に立ったと思えることを探してリストにします。
ネガティブな感情や思考をやめるかやめないかは(自由意志があるので)あなただけが選択できることです。「その悪徳は必要ですか?」ってやつです。
ステップ3と4は同時に行ってもいいですね。学びや役に立ったことを終わらせてもいいのか自問自答してみます。
新しい感情や思考パターン、自分にあった思考パターンを感情に置き換えましょう。例えば、自分は惨めだ。という思考や感情があったら、それを自分は豊かである、そして豊かさを周りからも受け取れるとかにします。
置き換えたらその感情や思考パターンを自然と使っている自分に気が付きましょう。無理にちからを入れる必要はありません。ネガティブな過去の思考パターンが出たらキャンセルです!
②徳を使う
ぼくは日ごろからヒーリングセッションでクライアントさんをみさせていただくことがありますが、もちろんセルフワークでやることもあります。
例えば、自分の気持ちを信頼&優先すると周りを傷つけるみたいな悪徳があって、それを自分を信頼する。そして信頼することによって周りとの関係性も豊かになる。みたいな思考や感情に切り替えるぞとなってもなかなかそれで本当に切り替わっているのかってわからないものでなんですよ。
でも、ぼくらはとても便利な世界にいると思っていて、すぐにそれを実践する(実験する)ってこともできます。
上の僕の例でいうなら、そういうシチュエーションが出てきたら、今までは自分を通さなかったけどいったん通してみるといいんですよ。もし、また周りを傷つけるようなパターンがでてきたら、信頼することはできるようになったけど、
もしかしたら、良いことがあったら良くない悪いことが起きる(対価)とかがきっと隠れているはずです。そしたらまたその思考や感情と向き合って変更してトライすればいいんですよ。
何が言いたいかっていうと、要するにトライ&エラーすることで徳を積むのがスムーズになるってことです。ブッダもびっくりだと思います。
徳を積むのは難しい?徳を積む方法における誤解
ぼくの思うというかスピリチュアルな観点で解釈するならやっぱり徳とはエネルギーのことなのですが、それでも多いのは行為で、ゴミ捨てとか献血とかが紹介されているのでそのあたりのぼくの見解をお伝えします。
- 必ず無償の良い行いをすべき
- 人の役に立たなければいけない
- 見返りを求めたら徳にはならない
- 自己犠牲をしたら徳ではない
①必ず無償の良い行いをすべき
これはもう繰り返し言っているようにそんなことないと思います。それも徳の側面の一部には違いないと思いますが。
例えば徳を積むには寄付だ!!みたいな主張や考えがありますが、そこには偽善があるかもしれないし、自分の利己主義があるかもしれません。
お年寄りに席を譲る系、ゴミを拾う、掃除する系、弱者を助ける系、全部同じです。もちろん本当にそういう気持ちがあってやるのは個人の趣味趣向の問題だしとても素晴らしいですけどね。
ただ、そこに利己主義やエゴティズムが関わっていたらおそらく悪徳(≒ネガティブな思考パターン)だと思うのでやらないほうがましってことも全然ありえます。
②人の役に立たなければいけない
これは断言できるのですが、「人の役に立っていない人なんていませんよ。」で一蹴できる徳を積むコンセプトです。
そんなことないでしょ。って言われるかもしれませんが、ぼくは性善説をとるし、自分にとって自分が役立たずな人がいるとしたら存在できないと思います。
③見返りを求めたら徳にはならない
これはほとんどの場合でイエスだと思います。というのもそれは利己主義につながるからです。
でも、自分が与えたものを素直に受け取るのは悪いことではないし、どちらかが与えてどちらかがもらう対価や交換の世界観ではないものだとしたら、別に徳を積むってことにもなり得ると思います。
そもそも徳を積むに見返りを求めるっていう言葉が入る時点で徳にはならなそうですけどね。
④自己犠牲をしたら徳ではない
徳を積むためには自己犠牲はダメ。という意見もありますが、ぼくはそうは思いません。
もちろん、自分のすべてを投げうって相手に尽くすみたいな行き過ぎた自己犠牲は自分へのリスペクトを忘れてしまうのでおすすめできないんですが、
ちょっと私心を抑えてこの人のために!って気持ちは奉仕の徳になると思いますよ。自分の何を犠牲にしてもいいからこの人を救いたまえ的な心構えじゃなくて、純粋に相手がポジティブな気持ちになったらいいなとかですよね。
徳を積んでも意味ない?カルマの清算とスピリチュアルな目的
知恵袋には面白い質問があって、徳を積んで善い行いするのって見返り求めようとして意味なくないですか?それって偽善じゃないですか?とか、自己犠牲を伴う徳を積むってなんか価値があるの?みたいな意見がありました。
ぼくは確かに。と納得しましたが、たぶんここまで読んでいただいた方なら、徳を積むのが善い行いではなく、そこにまつわるエネルギー感や気持ち、思考パターンだと思ったら徳を積むのはとても価値があると思えるのではないでしょうか?
というのもお伝えした通り、徳を積むとは、ネガティブな思考パターンに気が付きライトな思考パターンに変えることです。
徳を積むのは来世に良いことがあるようにでも、ポイント貯めて神様に特典を提供してもらうためでもなく、自分が純粋な思考やエネルギーをもっていることに気が付くことだからです。
カルマの清算と徳を積むは同じ
カルマの清算と徳を積むは価値観や思考パターンの変更を指すので、ぼくはおんなじ意味にとらえています。
ただ、カルマは前世や過去世の行い(感情や思考パターン)を指すので、過去から引っ張ってきている思考パターンがあるとしてそれを変更したら徳を積むことになると思いますよ。
ここでいうカルマとは、善悪や罪と罰としてみるのではなく、レッスンや自由意志とする解釈です。そしてレッスンは、不幸な環境などではなく、新しい価値観に気が付くための種みたいなものです。
- カルマは運命ではない
- 過去世・平行世がもとにある古い価値観(ぬぐえない感情や思考パターン)
- カルマは今ここの自分で変わる
- (罪や罰としての)カルマは存在しない
- バッドカルマは「本来の自分」ではない側面
- グッドカルマは「本来の自分」の側面
- etc..
例えば、生まれたときから人からいじめられるような体験をしたわけじゃないけど、なんとなく人を信用できないとか、なんか一人ぼっちになるのがめちゃくちゃ怖いとか、今の人生の体験が関与してなさそうな悪徳です。
人生に必要な徳を積む:様々な徳まとめ
ちなみに、この徳を思考パターンやエネルギーとしてみる主張はエックハルト・トールももちろんなんですけど、シータヒーリングの存在の層っていう本がめちゃくちゃ詳しいです。
以下、引用ですが、ぼくらが良い感じの人生を送るために必要な徳の「一部」があります。めっちゃあります。笑
- 受容 性( acceptance)
- 自己 主張( 相手にも配慮 し た)( assertiveness)
- 本質( authenticity)
- 美しさ( beauty)
- 信念( belief)
- 勇敢 さ( bravery)
- 気遣い( caring)
- カリスマ 性( charisma)
- 明晰 さ( clarity)
- 清潔 さ( cleanliness)
- 賢 さ( cleverness)
- 誓う( 何かを達成 すると決心 する こと commitment)
- コミュニケーション 力( communication)
- 慈愛・やさし さ( compassion)
- 自信( confidence)
- 配慮( consideration)
- 満足感( contentment)
- 確信( conviction)
- 協力( cooperation)
- 勇気( courage)、
- 創造 性( creativity)
- 好奇心( curiosity)
- 貢献( dedication)
- 超然 と し た( detachment)
- 決意( determination)
- 献身( devotion)
- 尊厳( dignity)
- 持続 力( endurance)
- 楽しむ 気持ち( enjoyment)
- 意欲( enthusiasm)
- 卓越 さ( excellence)
- 公平 さ( fairness)
- 信じる 力( faith)
- 柔軟性( flexibility)
- 集中力( focus)
- 許し( forgiveness)
- 穏やか さ( gentleness)
- 優雅 さ( grace)
- 気品( graciousness)
- 感謝( gratitude)
- 調和( harmony)
- 人 の 役に立ち たい という 気持ち( helpfulness)
- 正直さ( honesty)
- 尊敬( honor)
- 希望( hope)
- 謙虚 さ( humility)
- ユーモア( humor)
- 理想( idealism)
- 想像力( imagination)
- 誠実 さ( integrity)
- 知性( intelligence)
- 喜び( joyfulness)
- 正義( justice)
- やさし さ( kindness)
- 愛( love)
- 忠誠 心( loyalty)
- 慈悲( mercy)
- 適度( moderation)
- 慎まし さ( modesty)
- 道徳性( morality)
- 高潔 さ( nobility)
- 楽観 主義( optimism)
- 秩序 正し さ( orderliness)
- 情熱( passion)
- 忍耐( patience)
- 平和( peace)
- 根気 強 さ( perseverance)
- 遊び心( playfulness)
- 心構え( preparedness)
- 純粋 な 意図( pure intent)
- 目的意識( purposefulness)
- 信頼 性( reliability)
- 尊重( respect)
- 責任( responsibility)
- 敬意( reverence)
- 自制心( self-discipline)
- ] 奉仕( service)
- 真摯 な 態度( sincerity)
- 共感( sympathy)
- 気配り( tact)
- 節度( temperance)
- 粘り強 さ( tenaciousness)
- 感謝( thankfulness)
- 寛容 さ( tolerance)
- 信頼( trust)
- 真実 性( truthfulness)
- 理解( understanding)
- 洞察( vision)
- 智慧( wisdom)
- 感動( wonder)
もちろん、1つの意見なんですけど、なるほど!となることが多いので興味がある人はぜひぜひ読んでみてください。徳は積んでも積みすぎることはないですからね。
徳を積めば積むほど人生は奇跡であふれるかもしれません
やっぱり、以前の徳を積むに関する記事はいやいやそんな行いじゃないでしょ!っていうのを顕著に出しすぎたので今回は包括的にスピリチュアルの徳はエネルギーや思考パターンですよ。って今のスピリチュアルの王道の展開にしてみました。
行為や行いとしてみる徳もめちゃくちゃ素晴らしいとは思うんですけど、やっぱりぼくらの本質が目に見えないエネルギーにあるというコンセプトが好きな人ならあんまりスッキリ来ないと思います。
だって、いろんな善といろんな悪があってそのジャッジメント感がよくわからないですからね。
人生あとどれほどあるかは謎なんですが、できる限りたくさんの徳≒経験や思考を学んで次の人生ももっとさらに面白くなるような日々にしていきたいなと感じています。
ここ最近、妻とブラッシュアップライフというドラマにハマっているんですけど、あそこで登場する徳はなんなのかぼくはまだよくわかりません。このあとの展開が楽しみです。
みなさんは徳に関してどんな意見や感覚を持っていますか?いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
質問や意見があればぜひコメントにて!