ヒーリングセッションやっています

【映画】ラッカは静かに虐殺されている 感想・レビュー※ネタバレあり

今日は、「ラッカは静かに虐殺されている」の感想です。

まめたろう(僕)

たっかぶり(妻)

真剣にみてたね。

※この作品は、生々しい映像があるため、抵抗のある方は見るときにご注意ください。

ラッカは静かに虐殺されているをみる(Amazonプライムビデオ)

 

ドキュメンタリー「ラッカ静かに虐殺されている」あらすじ

まずは四の五の言わずに予告編をご覧あれ。

 シリア内戦が生んだ市民運動のカタチ

このドキュメンタリー映画の舞台は、シリア。メディアでぼくら日本人もたくさん目にする内戦が繰り広げられる地。

戦後史上最悪の人道危機と言われるシリア内戦。2014年、その内戦において過激思想と武力で勢力を拡大する「イスラム国(IS)」が制圧したシリア北部の街ラッカ。かつて「天国」と呼ばれ、穏やかだった街はISの首都とされ一変する。爆撃で廃墟と化した街では残忍な公開処刑が繰り返され、市民は常に死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられていた。海外メディアも報じることができない惨状を国際社会に伝えるため、匿名の市民ジャーナリスト集団“RBSS”( Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)は結成された。彼らはスマホを武器に「街の真実」を次々とSNSに投稿、そのショッキングな映像に世界が騒然となるも、RBSSの発信力に脅威を感じたISは直ぐにメンバーの暗殺計画に乗り出す――。 uplinkより引用

約30万人ほどの人口を擁していた、シリア北部の都市ラッカ。現在は、2万から6万人と推定されている。そんな「小さな」都市で起きている市民ジャーナリスト活動の話。彼らの名前は、RBSS(Raqqa is Being Slaughtered Silently)、映画のタイトルにもなっている「ラッカは静かに虐殺されている」。アサド政権の支配権力を逃れ、「自由」を手に入れた矢先、新たな支配権力イスラム国(IS)の台頭により街は統制され侵略され独裁体制のもとにまたおかれた。※中東やフランスメディアはISのことをダーイシュと呼んでおり、映画でもシリア人はダーイシュとよんでいます。ダーイシュは裏切者、踏みにじるもの。と否定的な意味。

そんな、小さな都市、ラッカの惨状を「外」に伝えようと奮起する市民の物語。RBSSは、アジズ・ハムード・ハッサンの共同創設で設立された市民団体、彼らはいずれも20代半ばで全員が「学生」という身分にいた。

この映画は、学生が決起し、つくった市民団体が世界を取り巻く惨状を世に知らしめた輝かしいサクセスストーリーでもなければ、シリア内戦、ISの支配の残虐性を象徴するいわゆる悲劇のストーリーで成り立っているわけではない。ただ、そこにあるのは、この革命と内戦がもたらした「事実」だけであるような気がしている。

映画におけるシリア内戦の変遷記録

知っているひとも、知らない人もこの映画をみることでシリア内戦でいつ、何が起きて、どうなっているか。が少し身近に感じられたのではないでしょうか。

革命期、シリアにアラブの春来る

「アラブの春」がシリアに来たのは2011年3月のことです。40年以上のアサド政権による「圧制」が続いたシリアでも、2010年頃から中東がアラブの春と称した反政府運動が盛んになり、その波がきました。

映画では、一人の学生(おそらく高校生?)が「国民は政権崩壊を望む」と学校の壁に記載したことから、一気に「革命」や「自由」をかがけた反政府運動が加速します。政府による革命運動の取り締まりも厳しくなってきます。

個人的な意見ですが、抑圧の反動を抑圧すると、かなり反動し、またかなり抑圧し、水掛け論に発展し、知人が、友人が、家族が痛めつけられ、リベンジ=「革命」や「自由」や「独裁」という言葉やイデオロギーが産まれ、「内戦」になっていった印象が強いです。そこに、イスラム国を始めとした「他組織」や利害を意識した「他国」が入り込んで、もうめちゃくちゃにしてしまった。そんな印象です。

簡単にいえば、ここで「政府VS反政府」の対立軸ができます。日本人のぼくらが想像するに簡単なのは、明治維新の時期でしょうか。開国派と攘夷派で日本に「革命」が起きましたね。

アサドからの独立とイスラム国の台頭

2014年、映画の舞台であるラッカは、(アサド政権からの)「独立」を宣言します。(「政府VS反政府」のシリア内戦は継続中)、アサド政権からの支配から逃れた市民たちは、「自由」を手に入れた。と思いきや、次なる独立政権が誕生します。

それが、イスラム国(IS)です。彼らは、自分たちの国の首都を「ラッカ」と決め、市民を圧制し、コントロールし、鮮やかに国造りを成功させました。革命で権力の余白ができたラッカを狙った巧みな侵略術ですね。アブ・バグル・アル=バグダディさんの演説は有名です。

ここから一気に、ラッカが混沌に陥ります。統制という名のものと市民は飢餓や貧困に苦しみ、ISもある程度まではその勢力を拡大しています。

空爆や他国の介入

シリア内戦がイスラム国の台頭により、「泥沼化」してくると、国際社会も無視できなくなり、いよいよ空爆や介入が始まります。ラッカも空爆指定地域になります。

映画の中では、「IS数百人のために市民数千人が犠牲に」というかなり強いキーワードが出ていましたね。イスラム国の掃討作戦を非難する論文や、肉弾戦のような介入の仕方が効果的だとみる論文も数多くありましたね。

一方で、ラッカから逃げるシリア市民も増えます。この頃から、ヨーロッパでは移民問題とポピュリズムの台頭が話題になるように。移民デモも盛んにおこなわれ、国外に逃亡したシリア市民も脅威を感じます。

ここで注意しておきたいのは、すべてがシリア内戦に寄与した移民・難民ではなく、アフリカ諸国からの移民もいて爆発的に移民人口が増えたことも片棒を担いでいることです。移民問題のすべてを「シリア」に押し付けることになると、かなり狭い意味でしかこの出来事が捉えられなくなってきます。

また、ポピュリズムということばもキーワードになってきます。ここでは、脱線してしまうので語りませんが興味のある方は本など読んでみましょう。

 国際社会介入後のラッカ

映画ではこの辺りでクライマックスに近づいてきます。時期で言うと、2015年終わりから2016年ころでしょうか。アメリカ、ロシア、ヨーロッパなどの大国がシリア内戦に介入を示し、意見が割れ、少し空爆をし、撤退しては、封じ込め作戦を打ち出し、泥沼は一向に解決していません。空爆の是非を問う論争も国際法学者の間では、活発に議論されていましたね。

映画では、このあたりの描写は薄く、いわゆる「クライマックスシーン」というものが欠けていました。個人としては、「終わらないシリア内戦」をうまく揶揄するカタチになったのでは。と想像します。

映画では描かれる前に公開されたので、描写は全くありませんが、2017年10月、イスラム国から首都ラッカは解放されています。解放されて、よし万々歳、復興モードだ。とすぐなるような自然災害とは違って、シリア内戦はまだ終わっていません。興味のあるひとは、日本語より、英語でニュースを見るとわりと最新のニュースが読めたり聴けたりするのでおススメです。

 

「ラッカは静かに虐殺されている」感想・レビュー

少し、前置きが長くなりましたがここからはぼく個人の感想を述べます。

ラッカは静かに虐殺されているをみる(Amazonプライムビデオ)

形容できない感情のあらわれ

ドキュメンタリー映画は、好きでよく見るのですが、題材が殊に戦争となると感情のそぎ落としに時間を要します。事実だけを追っていくのが少し困難になります。

戦争は人間の残虐性がリアルにかつ鮮明に描き出されるからです。人間は残虐。というのは戦争でなくてもそうです。毎日起こるような殺人ニュースを耳に入れればそれは言うまでもありません。

「ラッカは静かに虐殺されている」をみた、正直な感想というのが今もまだはっきりと言えないのが今の正直な感想です。処刑シーンの残虐性や、イスラム国の非人道的(とされている)行為をみて、短絡的に「戦争はひどい。」というのもしっくりこないし、

批評家が絶賛しているような「真のジャーナリズムここに極まれり」という賛同の嵐を呼ぶようなコメントもまったく的を得ないです。なぜなら、戦争はひどい。といいつつぼくらはそれを繰り返しているから。人を殺すから。少年兵の惨さを知りながら、結局は、今日の夜飯を美味しく食べてしまうから。

ジャーナリストはすごい。と絶賛する世の中が来たと思えば、テロリストに惨殺された日本人のニュースが跋扈した瞬間に、手のひらを返したように、ぼくらは「ジャーナリズム」を批判するから。

イスラム国ひでえええ!RBSSに寄付しよ。あげぽよォォォ。で終わる人とは多分仲良くはなれません(笑)想像力と感性の限界がぼくとはちょっと違うところにありますね。

だから、この映画をジャーナリズムや戦争の悲惨さを伝えるモノと捉えることはぼくはできないです。

この映画をメディア戦争の幕開け的な位置づけで終わらせるのも少しもったいない気がしています。

市民とはなにか?

この映画で、よく考えたのはしいて言いうなら「市民」について。そして、「革命」や「自由」という言葉の曖昧さについて。です。

シリア内戦を革命側からみた、この映画では、上手に二極化されていました。「反政府と政府」「善と悪」「ラッカ市民とイスラム国」などです。ここに違和感を感じざるを得ない理由は、ぼくは政府やイスラム国側の立場が欠けていると思ったからです。

イスラム国の抑圧的な圧制は十分に伝わりましたが、じゃあ、そこで市民側は「復讐」しなかったのでしょうか?目には目を歯には歯を。の思想はイスラム以前のハンムラビ法典からきていますが、結局、「復讐」「怒り」「憎しみ」という感情が生まれる限り、どちらが「善」でどちらが「悪」かは、断定できかねるでしょう。

だって、何人であれ何千人であれ、何万であれ、何億であれ、人の命の重さは絶対的に違うから

何千人、何万人を虐殺したイスラム国を悪とするなら、数十人、数百人の命を奪い復讐した「革命軍」は正義なのか?絶対的に違うでしょう。だって、その時点でぼくらは「戦争」を容認しているイデオロギーにまとわりつかれているから。

面白いのは、「市民」はどこから「市民」なのか。ぼくは国籍上「日本人」であっても「日本人」と意識することは日常においてほとんどありません。強いて言うなら、国民健康保険カードを提出するときくらい。日本語で買い物をして日本語の映画やアニメをみるときくらい。

集団的自衛権が話題になったときも一緒。ぼくはここぞとばかりに「日本人」を主張するひとを基本信用できません(笑)

「自由」と「革命」の曖昧さ

「自由」と「革命」という言葉がこの映画ではすごくリアルに描写されていました。(実際に、ぼくもシリアに行ったことがあるんですが、めっちゃ「自由」と「革命」それと「アルハンドゥリッラー」と「アッラーアクバル」大好きですね、彼らは。)

「自由」は、定義が難しいですね。反政府側、革命軍の彼らにとっての自由は、アサド政権からの脱却、イスラム国からの解放を指しているような気がします。でも、ぼくら日本人が思い描く自由は、好きなことをする自由。好きな人に好きと伝える自由。好きなモノを買う自由。だから、独裁政権を味わったことのない僕ら世代の日本人はこの、「自由」に注意が必要です。

「自由」は虐殺、討伐、解放戦線。などのことばに置き換えることが十分にできるからです。

 

それでも、人が死ぬのは悲しすぎる

あれやこれやと理屈交じりにぼくはこの映画の感想を述べてきましたが、矢張り人が死ぬのはつらい。この一言に尽きます。RBSSで活動していたひとや、その親族・親がどんどん殺されていくのですが、めっちゃつらい。

描写はなかったですが、空爆で、イスラム国側の人間が爆破されたり、少年兵が自爆することもめっちゃつらい。とにもかくにも、ぼくは戦争が嫌いだし、善悪、自由、革命、神が跋扈するあの空間に嫌悪感を覚えます。

だから、日本に生まれてよかった。と再認識してしまうひどい人間だし、たぶん今日もおいしくビールを飲んでしまうむごい人間でしょう。それでも、この感受性は破壊されないまま、いまもどこか遠くのしらない世界で「戦争」をしているひとたちに一縷の想いは馳せたいです。

そんな映画でした。

虐殺されている、上映館情報

劇場でこの映画を見たい方は、こちらより確認できます。

ぼくの住んでいる地域では劇場放映ないので、ぼくはAmazonでみました。

ラッカは静かに虐殺されているをみる(Amazonプライムビデオ)

 

本でシリア内戦を知りたい方へおすすめの本

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください