今日は、張り切って変態特集。ちなみに、ここでいう変態は、露出とかちょっと変わった趣向の××ではなく、変態、そりゃあもう純粋に狂っているひとを指すのでお見知りおきを。
サルバドール・ダリ、目が飛び出している
ぼくと妻はひとを変態とよぶときまずよく目を見る。目をよくみるとその人の「為人」がよくわかるからだ。
ふだん、2人で歩いて散歩をしたり、食事にいったりすると、人間観察をしては、「あーこの人変態だね。」「絶対、イッテルヨ。」「もうさー、小学生の時、絶対小石に好きな人の名前書いてハンマーでめっちゃ割って。今日好きな人に告白した。とかしたり顔で照れてるタイプだよ。絶対。」それか、カレーね。ただのカレー好き。福神漬け入りなら尚可。みたいな第22.5回目のベストカレーニスト受賞してるもんね。」なんて話を25時間くらいは、しているともっぱらのインドで噂だったらしい。
先日ふとした瞬間にぼくが思い出して、
「そういえば、ダリって知ってる?」とおもむろに聞くと、
「は?ダレ?ダレってダレ?」と答える妻。
(はあ。三十路すぎたアラサーDQNババアとたぶん内心思ったふりだけをしているぼく。)
「ダリだよ、ダリ。サルバドール・ダリ。時計がグンニャアってまがっている作品を残した人。」
「あーね。知らん。ダリねー。ダリダリ。」
(こいつ、三十路だけじゃなくて、脳内完全に五十路だろ。ってか還暦間近だな、おいこりゃああああ。)
そんなやりとりをして、ぼくは妻にダリの顔と作品をみせた。もちろん、みせたのはぼくではなく、グーグル先生がみせてくれたのはダリの髭がグンニャアからのシャキンッ。ってなっていることくらい自明なのはひとまず置いておこう。
「なに、このおっさん、この世にいねーじゃん。目やべえ。めっちゃうけるぅぅぅ」
(ちなみに、妻は普段、こんなに小汚い言葉を綴ることはないので、これは妻の中にいるリトルおじさんが言っていることはたぶん読者の方も十二分にお分かりだろう。)
そう、サルバドール・ダリはぼくの妻曰く、この世にいないのだ。どういうことかというと、つまりこの世にいないのは、サルバドール・ダリなのである。まだわからない読者の方に説明すると、「ダリ」と「この世」は、パラレルワールドの世界で同時期に「存在しえない」のに、時空の歪み2.0が勃発して、「彼方」と「此方」の異世界がひも理論でめっちゃつながってしまったのだ。
「ダリは、この世にいない」
世界中が天才だと崇め、鬼才だと称賛し、「20世紀、スペインを代表する最も多才な画家」と言わしめした、天才中の天才、雲の上にもその名声は自明な、あのサルバドール・ダリをぼくの妻は一言でいないひとだと見抜いたのだ。妻は、もはやゴッドである。
1週間のうち8日ほど家にいるような存在感で、神々しく、荘厳な妻が、いつも言っていることといえば、「甘いものを食べたい。無限に。」だけなのであるが、ゴッドツマは、サルバドール・ダリよりも遥々うえまでいく存在だったのだ。その名声は宇宙までは確実に届いているし、「甘いもの食べたい。無限に。」の一言でブラックホールが開きだしたことは、当然のこと、柳は緑花は紅だ。
冒頭にこんなに、文章を割いてなにがしたいのか全くわからなくなってきたが、今日は、ダリみたいな変人の特徴を探してみたかったのだ。そう、変態の特徴を。僕と偉人ツマが思う変態様の特徴を浮き彫りにしていく。
ちなみに、これだけは言いたい。妻は、ジャン=ミシェル・バスキアのことは、「こいつ小二やん。」の一言で片づけた。
変態の特徴、目がイッテいる。(ダリタイプ)
サルバドール・ダリをみれば、説明はもはや不要なのだが、ダリの目をもう一度よく見てみよう。
もう、完全に入ってるではないか、ここでいう、逝っているは、みなさんが思うようなアノイッテいるでは、もちろんなく、文字通り行っている。ではなく、「いっている。」おくすりでいくのとはわけが違う。カジュアルにいっているのだ。
妻曰く、ダリタイプのいっている変態は、「この世に存在しない。」つまりパラレルワールド状態なのだ。
変態の特徴、目が少年or少女(バスキアタイプ)
photo:forbes.fr
彼も、目を見れば一発だ。そう、完全に少年なのだ、キラキラしすぎている。お金や権力、富や名声とワンピースにまみれたぼくらみたいな汚いオトナではちゃんと直視できないはずだ。ナチュラルにキラキラしている。ぼくらがいまみた写真は、クリリンの太陽拳かバスキアの目かほとんどのひとが区別できなかっただろう。
彼自身、カラダは大きくなっていくのに、心が少年、まさに逆コナンくん状態だったため、オーバードーズしないと、この汚い世界を直視することができなかったのだ。27歳、早逝のアーティスト、バスキアを存在させなかった世界中のオトナがまずドゲザするべきなのだ。
妻に言わせれば、バスキアはただの小二なのだから。
変態の特徴、思ったことを口にする(大阪のおばちゃん五歳児タイプ)
次に、変態の特徴としてあげられるのは思ったことをそのままストレートにぶつけるひとだ。つまり、大阪のおばちゃんタイプだ。正確に言うと、大阪のおばちゃんは人の弱点を突くプロ。だけであって、ここで言う「ストレートに思ったことを言う。」とは、ちょっと一線を画す。
ちゃんとした表現がみつからないが、言い得て妙と強いて搾りだすのであれば、「5歳児」くらいの「子ども」だろうか。子供はすごい。綺麗なことは、綺麗。汚いことは汚い。好きなものは好き。嫌いなときは泣きじゃくる。感情表現に建前も裏もない。じゃんけんでいえば、ずーっとパーを出し続けている状態なのだ。腹が減ったら泣くし、感性だけで生きている。
理性なんてものは、大人が作り出した偶像であって、感性さえあれば、変態になれるのだ。感性だけがすべてだし、感覚的なものでしか人間が生きられない。そうあのモハメッドアリが蝶のように舞い蜂のように刺したワールドスペースクラシック級のパンチみたく、子供は感性だけをもっているのだ。
ついでに言うと、子供は、目は必ず少年or少女&いってる。
つまり、全宇宙の子供は、「バスキアとダリ」。そうここでぼくは、今日一つの真実にたどり着いた。
変態とは、こどもである。
変態とは、こどもである。
変態とは、こどもである。
とんでもないことに、妻とぼくは、変態の特徴をこどもと一緒に重ねていたのだ。なんて夫婦をこの世に神は作り給うたのか。
ジーザス、アーメン、クライスト。オーゴッド。
この記事1番好きです。元気になります。