今回のテーマは「自分への嘘」です。
嘘は良くないわけじゃないんだけどね。
※この記事は、気づかない間についつい自分を偽り、嘘をつくのが癖になっているサインをいくつかお伝えしつつ、それがなんでびみょうか、そして自分への嘘をやめてみる内容になります。
自分にも他人にも嘘をつくのは良くないと教わる一方で、嘘も方便!という矛盾した教えを幼いころからおそわる人間です。
今回扱う自分への嘘と言うのは、自分の本音がほんとうにはわかっているのに、気づかぬ間に周りを想ってとか、平和を保つためとか、それっぽい理由で自分をだます、いわゆる自己欺瞞がテーマになっています。
自分を偽るのは良くないと思っていても、なぜか取り繕ってしまうその奥にはいったい何が隠れているのでしょうね。そんな自分に対して幻想としての安全ゾーンを引きがちなすべての人の参考になれば嬉しいです。
- ついつい自分の本音を隠す人
- 本当の自分の気持ちに気が付けない人
- 自分に嘘をつくことで平和が保てている人
- 素直な自分と言うのがイメージできない人
人間なんで無罪放免、清廉潔白、生まれてこの方、今に至るまでもう赤子なんですわ。と言う人は非常にまれだと思います。
ただ、嘘をつくにはそれがメリットがあるからとぼくらは人生経験を重ねていくうちに学びます。そのあたりをざっくりみてみましょう。
①快適さがある
いつ、どんな状況で自分を偽りやすいのかは人それぞれですが、一つ目は、自分にとっての真実から目を背けることによって、難しい問題から逃避するのに役立つという心理が働くときです。
問題から逃げるのは快適になることも大いにありますから。
カップルやパートナー間でよくあるような会話で、「今度の休みどこか行きたいところある?」に対するアンサーで本当はお家でゆっくりしたいのに、「どこでもいいよ。ドライブでもする?」とかね。
トラブルを避けるためには快適で無難な偽りをぼくらはしがちなんですよ。
②便利さがある
①と少し似ていますが、ここでいう自分を偽る便利さと言うのは、何かを変える必要がないとき≒安全ゾーンにとどまり続けるときです。
例えば、本当は今すぐにでも仕事を辞めたい気持ちの方が今の自分はとても強いのに、いや、今の仕事が悪いわけではないから。と自分で自分を偽り続けたりです。
未知のことに飛び込むのは思ったほどに勇気も必要はないこともたくさんあるですが、わかりきった生活や環境、関係は楽なんですよ。
③自尊心が保てる
こちらは「いい人」をついつい演じるタイプの人が陥りやすい心理です。
自分のニーズよりも他人のニーズを必要以上に優先させることで、かりそめの承認欲求や、周りからの信頼感を得ることが可能になるのは事実です。
他人から認められるという結果を無理にでも努力して勝ち取った自分は自分に対しても偽りの自尊心を感じることが可能になります。
④自分で責任をとらなくてすむから
自分で決めた方がいい、感情や感覚、思考や選択を偽って誰かや何かに必要以上にゆだねすぎることは、もったいないのですが、万が一、最悪の結果になったとき、自分で自分を責めなくて済むという責任回避のメリットもあります。
このタイプは、要するに自分に噓をつくことで、自分を正当化するか、それ(責任逃れ)が楽だと錯覚しやすい人たちです。
とはいえ、嫌なことネガティブなことはなるべくなら背負いたくないから気持ちはわかりますけどね。
自己欺瞞の例はふんだんにあるのですが、イメージがつきやすくなるようにいくつか例を挙げてみましょう。
①嫌だけど仕事を続ける
社会的に認められていてお給料も高い弁護士の仕事に就いたとしましょう。
初めは順調だったけど、数か月後、パニック発作や倦怠感、睡眠障害などを経験し始めるようになりました。
タイミングわるく、体調不良が続いているだけだよ。と自分に言い聞かせ、ストレスがかかっているのを無視して仕事をし続けます。
身体のNoサインに耳を傾けないのは自分を偽っている例そのものです。
②ソウルメイト
出会った相手がソウルメイトだと信じてお付き合いを始めます。
いろいろあって、あなたは別れたいと思っても、相手が愛している、大切な存在と言い続けることでなかなか決心がつきません。
これはソウルメイトというより、カルマティックなパートナー関係になっている可能性がありますね。一生に一人だけの人をソウルメイトとするような魂もあるとは思いますけど、そうでない魂もあります。
③先延ばし癖
受験のときに、なんか勉強する気分でないから今日はいいか。が続いたり、仕事でこなすタスクが入っても他のことをしてしまったり、これは単にその勉強や仕事や予定が自分に必要ないことだから。=純粋に好きじゃないから。
ということもありますが、勉強して受からないのは怖いな。とか、仕事上のタスクをこなしても、何か失敗したらどうしようという不安感や恐怖心による先延ばしが起こることもあります。
④この教えは正しいはず
自分が興味ある分野でコミュニティや先生に師事したとしましょう。
すごく思いやりのある先生で、素晴らしい人格者に教わってとてもハッピーだと。ただ、ひょんなきっかけで、本当はその先生やコミュニティはすごくジャッジメントが入っているなとか、自分にとって都合の悪いことは隠しているな。とかとかがわかったとします。
そんなコミュニティや先生や相性が合わなくなったので変えればいいだけなのですが、そこに目を背けて自分は素晴らしい選択をしたに違いない。とだまし続けることがあります。
もっと厄介なのは、スピリチュアルな世界ってこういうのあるあるだと思うのですが、
例えば、「欲は良くない!お金を求めてはだめだ!」という教えがあったとして、あなたが本当にそうなのかな?と思い始めたときに、そんな疑問を持つのがあなたがまだ覚醒していないからですよ。とか、
〇〇(その教え)と思えないのはあなたが未熟だからです。とかガスライティングが行われているケースですかね。これは非常にプンプン香ばしいかおりが漂います。笑
自己欺瞞の例はほかにもまだまだあると思いますがこの辺にしておきます。もし、みなさんの中にこれは自己欺瞞かもという体験があったらぜひコメントなどでシェアしてみてください。
自分自身に嘘をついているぞ!と明確に自覚するのはなかなか難しいものです。というのも自己欺瞞とは、自分を無理に正当化することなので、ほぼそれが無意識に行われるからです。
無理やりポジティブでいる。なんていうのもまさに自己欺瞞の1つの形態なんですよ。
なかなか気づきにくい自己欺瞞ですが、ぼくの過去の失敗経験からいくつか兆候があると思うのでそれをシェアしてみます。
①なんとなく逃げているかも?
今の現実や状況、環境がネガティブな意味合いで心地よく、自分にとっての真実や現実からなんとなく逃げているのかも。。となっているときは自分に嘘をついているサインかもしれません。
特にお腹のあたりに不快感が伴うときはそれは自分の本能がうずいているときでしょう。
②他人のネガティブな言動を正当化する
ここでいうネガティブとは悪い行い。というものではなく、自分にとって相性の合わない言動を意味します。
たとえば、メンタル的に傷つけてくる相手を、その人も何か事情があるから自分にぶつけても仕方ないよ。とか、明らかに自分を貶してくる相手をなんかバカな間違いをしているだけだよ。と見過ごしたりです。
相手を必要以上に気遣って、相手の言動を正当化する心理があるときはそれは自分の気持ちに正直じゃない領域を多く使っているサインです。
③自分のネガティブな言動を正当化する
先ほどの具体例でも出した嫌だけど、何かを続けたり、自分のダメだったところを素直にダメだったよね。と認められないとき、ぼくらは自分で自分をだましているといえます。
表面上の意識では、それっぽい正当な理由をつくるのですが、自分の本音の部分では、それは単なる言い訳だったり自分のみたくないところを隠しているだけに過ぎません。
④自分は常に正しいと言い張る
自分の言動によって起きた現実に対して責任を回避するようなマインドがでるとき、たとえ自分が間違ったり、自分の責任でその結果が起きたとしてもそれを認めずに、相手に責任転嫁するような部分が顔を出します。
必要以上に自分自身を正しいと説得させて、相手を間違っていると説き伏せるセルフトークまさに偽りの自分がでています。
これ、自分を間違いだ。と説得させて、他人を正解とする場合も同じようなことが起きているんですけどね。
⑤オーセンティック感がない
オーセンティックとは、日本語で、真実とか本物を意味します。
自分の内側から沸き起こる感覚、感情に本物ではなく偽り感が大きければそれは紛れもなく自分に嘘をついているサインです。
本来の自分とのつながりが薄くなると、思っていることと行っていることの不一致が起こります。不一致があたりまえになると、本当の自分がわからない迷子状態になるというかなりやっかいな負のループになる可能性があります。
⑥無理なポジティブ主義
いい気分でいればいい。≒グッドバイブスオンリーというのはスピリチュアル界隈のキラーフレーズの1つだと個人的には思います。
もちろんぼく自身もいい気分でいることは大事なことの1つだと思います。ただ、それは、自分の過ちや、自分の違うという声を無視して、現実から目を背けて、辛くなってもそれをみずに現実逃避せよ。
ということではまったくありません。
問題ではなく解決に目を向けるためには、自分の嫌なところとかネガティブな部分をみつめて、そのうえで、ナチュラルないい気分を目指すという意味だと個人的には思います。
いい気分でいることは義務ではないんですよ。
⑦他人の意見に過剰反応する
友人、知人、家族、その他、他の人の意見に過剰なリアクションを示す時、それはあなたのスピリットがうずいている証拠です。
たいていの場合は、怒りや拒絶などのマイナス方向の反応ですが、ときには、必要以上の賛同や賞賛もそこに入るとぼくは思っています。
マイナス傾向でもプラス傾向でも自分が納得できる意見や考えを述べた人にだけ拒絶あるいは共感過剰リアクションを起こす時、自分の中にクリアになっていないトゲがあるのかもしれません。
⑧常に満足できない
何をやっても、どこにいても、どんな状態であれ、自分に満足感を得ず、不安にさいなまれるとき、人はしばしば偽りの自分の領域を生きていると考えられます。
本当の自分であれば、素直に認められ、満足を得るのがわりとナチュラルなゾーンだからです。
自分が正しい道にいるのか、間違っていないのか、ある程度の不安を感じるのは全然ありですが、常に正解を外側に求めている状態では、偽りの自分に気づけない時がほとんどです。
⑨ハートとマインドの矛盾
⑥と似たような感じなのですが、マインドのエゴが強いとき、必要以上に自分を納得させたり、自分や相手をコントロールしようとしすぎる傾向がでてきます。
一方ハートに従うとき、それは自分のエネルギー感と矛盾しないので、ま、これでいいか。とライトな自分で言動や気持ちを維持することが可能になります。
基本的に、マインドとハートの足並みがそろっていない時は、何かしら身体にもバグが起きるとするのがスピリチュアルな世界観です。
自己欺瞞なんてみんな生きていれば一回くらいはあると思いますよ。ただ、そればかりだと、なかなか素で生きられずもやるので早めのパブロン的にそこに気が付くのが一番です。
鉄板中の鉄板、王道中の王道で、自分のトゲを溶かしてみましょう。
①偽っている自分に気が付く
自分の気持ち、思考、言動を他人からの視点で認識するのはなかなか難しいのですが、それでも自分のモヤモヤしているところを発見するのはできると思います。
なんか、モヤモヤするなあとか、偽りの自分の方をよく使っているよなとか。
偽りが起きている自分に自覚的になってみましょう。
②嘘をつく自分を認識する
うそをつく自分に気がついたら、いつ、どこで、何に対して、どのように起こるのかを把握してみましょう。
たいていの場合、人生で繰り返すようなパターンとして現れたりしているので、普段から自分観察マニアな人ならより一層気が付きやすいはずです。
自分で無理なら誰か人に聞いてみるのもありですね。
③傷を癒やす
自分に対して、嘘をつく自分がどんな状況でなぜ嘘をつくのかがわかると、そこにどんなブロックや思い込みが隠されているのかがわかります。
感情でいうなら、罪悪感、不安、恐怖心、怒り、嫉妬なんかが隠れていると思います。
世界に対する1つの意見をそれがすべてだと思い込んできた自分を許してあげるゾーンがここの領域です。インナーチャイルド案件の人もいるでしょう。
④手放す
最後は、偽っていた自分にも本物の自分もバイバイして今を生きるってやつです。
まあ、ここまでする必要があるかどうかは本当にその人次第なんでしょうけど、いちおういわゆるスピリチュアルヒーリングとかはここになりますね。
あと、①ー④までステップ順に踏まなくても、行ったり来たりするのはあるあるなので人生を通じてゆっくりと自分の痛みと向き合えばそれで問題ないんだと思います。
自分に嘘をつくのは、相手を慮ってのことだったり、自分のみたくないところから逃げるみたいな逃避の性質の表れだと思います。ただ、自分に噓をつくなんてわりと誰でもやっていることでもありますよね。
ただ、その場しのぎになるからとか、より一層自分が傷つくからとかではなく、嘘はエネルギーが下がるからとか、カルマになるとか、そんなことはどうでもいいとして、自分に噓をつく最高にして最大限のデメリットはそれはネガティブな意味で、自分がよくわからなくなるというところだと思います。
自分が何に満足していて、何に嫌悪感を抱くのか、自分がどうなりたくて、どうなりたくないのか、そんな自分自身の舵を誰かにゆだねるってことは、肉体を含むスピリットをあげちゃうのとイコールですから。
本当にもったいない気がします。
ぼくも自分自身に嘘をついて何かにしがみつくことは人間なんでやっちゃうときもありますが、そんなときはなんで嘘をつくのか、そしてそれは自分を大切にすることにつながり、魂のためになるのかを聴くようにしています。
嘘をつくってことは、本当のことを言えるってことでもありますから。それがまたまた人間的な学びにもなるのはとても面白いことだと思いますよ。
みなさんは自分に噓をついていしまう自分を許せていますか?本当のことをいう自分に対してナチュラルかつ素直にそれでいいんだよと言えていますか?
いつも読んでくださってありがとうございます。