今回のテーマは「癒しとスピリチュアル」です。
自分で自分を癒やすための哲学だね
※この記事は、「自分で自分を癒やす」ために、心構えとして持っておいた方がいい10のことをご紹介する内容になります。
「癒し」とは、傷ついた状態(悲しみや苦しみ、疲れなど)から解放され、心理的な安心感などを得ることと一般的には定義されがちです。
ただ、スピリチュアルから癒しをみると、それは本来の自分に戻る意志、とか、ありのままを受け止める許可とほぼイコールだと個人的には思っています。
ボロボロで傷ついた魂を持っている人でも、ポジティブで元気な自分を無理やり奮起させて作っている人にも、何かしらのヒントになれば嬉しいです。
今回ご紹介する10の原則をやっていなくても別に癒し生まれるんだけど、根本的な「癒し」を進めたいならわりとけっこう大事にしておくのもいいかもね。ということが伝われば嬉しいです。
- セルフヒーリングをやっているけどうまくいかない人
- 自分で癒したいけど哲学がない人
- 自分で自分を癒やすに迷子になりがちな人
- セルフケアをスピリチュアル的側面から見たい人
まずはスピリチュアルからみた癒しをみてみましょう。
癒しの定義
癒しにこれと言った定義はありませんが、辞書を引くと、「傷や病気などを直すこと。 苦しみや悲しみなどを和らげること。 」となるのが一般的です。
ただし、スピリチュアルは「ふつう、ありのままの状態」≒「完璧である」とみます。
なので、言葉にすると、
- 自分のズレ、狂気を認識すること
- 自分が誰であるかを理解すること
- 本来の自分に気が付くこと
となります。身体、心、精神、スピリットレベルでの癒しとは、本来の自分と過去や肉体レベルでの自分とのズレに気が付き、本来の自分は一体全体何者なんだろう?という理解をしたいところからスタートします。
ここでいう、「本来の自分」とは、マクロな視点でいえば、創造主や神です。ミクロな視点でいえば、身体と心とスピリットを含む魂レベルの自分です。
もう少しわかりやすい言葉を使うなら、ついつい本音を隠す自分に対してオープンになることとか、ついつい頑張りすぎて無理する自分をやめるとかそんな感じです。
大きな視点から自分のズレや自分が誰なのかを理解するためにはスピリチュアルな考え方で10個ほど基本的な原則みたいなものがあります。この哲学を大事にしておこうみたいなやつです。
セージを焚いたり、クリスタルを使ったりするのもいいんだけど、表面的なことをやるのにも哲学をもつとその効果が良い感じになるんですよ。そして、これらは目新しいものではなく、スピリチュアル好きな人なら何度も目にしているはずです。
①ありのままを受け入れること
受け入れることとは、「与えられた状況のありのままの現実を認めること」です。
何かを受け入れることとは、その何かに必要以上に同意したり、満足したり、反対に、必要以上に拒否したり、不満足感を露わにすることとは全く違います。
例えば、とても嫌いな人の言動やエネルギー感に対するリアクションとして、うわあ、めっちゃ嫌だなあ。じゃなくて、なるほど。そういう人もいるか。とか、
めちゃくちゃ好きな相手の言動やエネルギー感に対して、めっちゃすごすぎー!!じゃなくて、なるほどね。くらいなもんでとどめておくイメージです。
ありのままを受け取るのはマインドフルの状態なんですよ。
この対極にあるのがジャッジメント、「自分の価値観で物事を決めつけ善悪や優劣を判断する行為」なんですが、こうすると「癒し」は遠ざかります。
②オープンマインド
オープンマインドとは、文字通り、あらゆるすべての可能性を尊重し、それらを受け入れることを意味します。
あらゆることは「イエス」とマインドもスピリットもオープンにしておくと文字通り自分には無限の可能性があることに気が付いてきます。
③感謝の気持ち
感謝の気持ちが大事ですよ。とスピリチュアルな世界では自分の苦手な人にも嫌いな人にも肯定的に受け取って感謝しなさい。みたいなニュアンスが出てくるんですが、ぼくはそうは思いません。
癒しに必要な感謝とは、今の自分に対しての感謝の気持ちとその表現です。
これは、自分が欲しいけど持っていないものへの必要以上の嫉妬や妬み、そして、持っているけど望んでいないことやものへの嫌悪感を解放するのに役立ちます。
ちなみに、神経科学の分野でも感謝の気持ちをもつことで、視床下部や中脳の一部に刺激が与えられ、ストレスが軽減し、幸福感が増すことがわかっているらしいですよ。
どんなに苦しい状況でも感謝しなければならないかというと、ぼくはもし可能ならそうした方がいいけど、感謝は義務ではなくナチュラルな習慣にしておくと人生は不思議とスムーズにはいきますよとだけ言っておきます。
④謙虚さ
謙虚さは、日本人だと前に出ることなく、相手を立てて。要するに自分の評価を下げて相手の相対評価をあげるみたいな話が多いんですが、ここではまったく違います。
シンプルに自分の良いところもダメなところにもオープンになるということです。ありのままの自分に素直になるってやつです。
自分の弱さやダメなこところを現状把握し、認めることによって、自分が完璧であることに気が付けるんですよ。
⑤忍耐
忍耐とは苦しいことを我慢したり、不当な扱いでも耐え忍べ。ということではありません。
心配や不満なしにシンプルに「待つ」能力のことです。不快な状況や動揺する状況に直面した際、対応、決定、または行動を起こす前に時間が経過するのを待つのは「忍耐」が必要です。
それは必要以上にコントロールすることを手放す決意でもあります。スピリチュアルでいえば、すべてには神聖なタイミングがあるんですよ。
⑥誠実さ
誠実さとは、2つのレベルがあります。
1つは、思っていることと言動の一致、そしてもう1つは、周りから見たあなたが、内側の感情や精神と一致するというのが誠実さになります。
後者のやつは、周りから穏やかな人だねえ。と言われたときに、自分は本当は穏やかな人なんかじゃないのに。。というのは不一致です。そうなんよ、穏やかなんよねえ。と言えれば一致です。
自分自身の真ん中にある価値観と意識的につながり、行動と価値観が一致すると誠実さはナチュラルなものになります。
⑦信仰
これは、⑤の忍耐とも結びつくのですが、宗教的な何かとか、外側にいる神を信じよ。ということではありません。
スピリチュアルな言葉を使えば、自分は大いなるものの一部で、大いなるすべては自分の一部であるという理解です。
宗教的な何かだったり、外側にいる神を信じることは特段悪いことではないんですが、スピリチュアルからみるとすべてはワンネスなので、それだけが特別となるのはヘルシーじゃないか、あるいは恐怖心から何かにすがっている状態に近いという意味を持ちます。
そうでなく、自分が創造主であるという信念は、人々や状況を余分にコントロールしようとする必要性を放棄し、物事が必要な方法でうまくいくと信じることを意味します。
⑧許し
許すことは、他人、グループ、社会、周りに対してあなたがもっている現実あるいは想像上の嫌悪感、ネガティブな感情、キズ、恨みを手放すことです。
各スピリチュアルリーダーの言葉を借りるなら、
例えば、エイブラハムは、「許すとは、抵抗していたエネルギーを元の流れに戻すこと。」と言ったり、
エックハルト・トールは、「許しとは、 不満(悲しみ)や怒り、他のネガティブな感情に居座り続けないこと 」と言っています。
ブッダ先輩は、怒りに執着するのは、誰かに投げるために焼けた石炭を握りしめ続けるようなものです。火傷をするのは、あなた自身です。
とも言っています。なかなかむずいんですけど、リリースしていける範囲で、ネガティブな感情に居座っている自分を許してあげましょう。
⑨自己受容
自己受容とは、自分自身を受け入れる。ということではなく、すべてに無条件でオーケーサインを出すことです。
この世界にいるために、何者かになる必要はなく、ありのままあなたで完璧なんですよ。という気づきですね。それは他人に対してもいえることです。
自分の中のマザーアースを呼び覚ましてみましょう。
⑩奉仕
自分を犠牲にして他人に尽くしなさい。ということではないですが、誰かのためになったり、自分以外に時間やエネルギーをコミットメントする決意のことです。無理やりではなくてね。
スピリチュアルからみる「奉仕」は、与えたものが返ってくる、受け取るモノは与えたモノ(≒与えたモノは受け取ったモノ)のエネルギー交換の原則とおんなじなんですよ。
大事なので二回言いますが、自分のニーズを後回しにして、他人のニーズを優先させなさい。ってことではありません。すべてに「思いやり」をもとうとする意志が、ぼくらのつながりや癒しに繋がるんですよ。
今回ご紹介した10の大切なスピリチュアル的な考えは、あらゆるスピリチュアルなセルフケアを実践するうえで、持っておきたい心構えでもあります。
波動が高くなるには、自然由来の無添加を摂取すればいい。とか、とにかくポジティブに考えよ。そうすればハイヤーセルフにつながり、奇跡が起きる。〇〇年までにアセンションするから頑張らないと。
みたいなやつを追いかけるのもまったくもって間違いではないですし、とても大切なことだとは思いますが、
これらの基本中の基本的な考えを人生の中で実践していくことで、ぼくらはより深い平和的な部分とのつながりを再認識することができるとぼくは思っています。
大切なことは、案外とてもシンプルなんですよ。シンプルなんだけど、人間的な生活で、ストレスフルになってしまったり、自分で考えすぎてわけわからなくなると、どうしたらいいかの舵をゆだねてしまうんですよね。人間だものです。
まあ、これらの考え方を自分に浸透させたら幸せになれたり、お金がじゃんじゃん入ってきたり、ソウルメイトに出会えたり、”スピリチュアルな能力”が開発されたりするのかは本当に謎ですが、
もし、これらがナチュラルに浸透していくようなエネルギーや魂はとてもスムーズなエネルギーフロウのもと人生を送るので、とても楽だとは思います。
悩んだりきつくなっても自分の中心にすぐに戻ってこれるんですよ。逆に調子がいいときもそれをナチュラルなものとして捉えることができる感じです。その中心部分に実は癒しはいつもあるんですよね。
表題を自分で自分を癒やすための大切な考えとしましたが、スピリチュアルなことを学んだり、目に見えない世界へのきっかけをつくるのにも今回の考えはめちゃくちゃベーシックなものとして通ずるところがあると思います。
書いていて、こりゃあわかっちゃあいるけど、できないから人間をぼくらはカルマ的にやっている側面もあるんだよなあとも思いました。
ありのままを受け入れて、自分の弱さもダメなところも受け入れて、感謝して、つながりに奉仕して、オールオーケーで、自分は創造主だってナチュラルにエネルギーに浸透していたらそんなもはやただの神ですから。笑
できなかったり、似たようなパターンを繰り返しても全然ダメじゃないんで、ちょっとずつ肉体を持ちながら良い感じに人生を癒やせていけたらいいですね。
皆さんはどう思いますか?いつも読んでくださってありがとうございます。