今回のテーマは「スピリチュアル×失敗談」です。
私は失敗などしたことはありませぬ。
※この記事は、僕がスピリチュアルっぽいことを勉強したり学ぶ中で、過去にミスったわ。と感じたことをシェアする内容になります。
長い目で見れば、人生にもスピリチュアルな道を歩んでいく中にも失敗は存在しません。なぜなら、すべては学びかつすべての道はオリジナルだからです。
結局過去の失敗(と感じちゃう)経験というのは自分にとって必要なこと、そして今の自分にベストで骨となり肉となる出来事に過ぎなかっただけです。
スピリチュアルっぽいことを学んでいる最中の僕ですが、過去の自分がダセえ。と思うことは星の数ほどあります。
スピリチュアルっぽいことに限定せず人生に置き換えたら、パラレルワールドの数ほどあるでしょう。
そんな失敗談を今回は書き連ね、どこかの誰かの笑い話になれば過去の自分が昇華できる気がするので共有してみます。
みなさんは、自分の道を歩いている中で、歩き方ダサかったなあ。と感じていることあるでしょうか?
今回のお話の流れ!
- スピリチュアルな道とは?
- スピリチュアル失敗あるあるベスト5
- まとめ
スピリチュアルな道とは?
まず、今回扱う、「スピリチュアルな道」を少し説明しておきましょう。
人生そのもの?
今回の失敗談に登場する「スピリチュアルな道」を「人生」と置き換えても間違いではないと思うのですが、今回は敢えて少し限定してみます。
- メタフィジックスなことを勉強する・学ぶ
- メタフィジックス的な世界観を信じる・体感する
このあたりに限定してみたいと思います。
そうしないと、人生における失敗や間違いなんて多分めちゃくちゃあって、それこそすべて書き出したら穴に潜りたくなるからです。
スピリチュアルな道を歩む中での間違いベスト5
いま振り返ると、こんなことしなくてももっと近道あったんじゃないかな。って思うけど、でもその遠回りこそ、素敵な糧にできちゃうから不思議なものです。
①スピリチュアルを美化しすぎていた
これはめちゃくちゃ失敗だったなあと思うことです。
スピリチュアルなワードって無駄にかっこいいんですよね。スターシードとかライトワーカー、○○星人とか、サイキック覚醒とか。
「あなたは、プレアデス星人で地球に光を与え、みんなを癒し幸せにする特別な使命がありますよ。」なんて言われた日にはイチコロです。
過去の僕は、覚醒すれば、自分に関することはすべてわかって、超能力マスターで宇宙人とコンタクトできて特別な存在感を示せると思っていましたから。笑
ザ・スピリチュアルエゴですよね。
あと、いわゆる「みえる人」はめちゃくちゃすごい。っていう感覚もとても強かった気がします。
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②完璧主義だった(信念にこだわりすぎていた)
自分の信念やこだわりがあるのは決して悪いことではないと思いますが、行き過ぎたこだわりは視野を狭くし、他の選択肢を排除することも大いにあります。
スピリチュアルなことを見たり聞いたり、学んだりしていると、様々な考えが出てきます。
その中で、「真理」や「真実」にこだわりすぎるとみえない部分もあるんですよね。Aさんが言っていることは正しくて、Bさんが言っていることは間違い。
という世界観は僕の好きなメタフィジックス的な世界観とは相容れないので、少なくともその部分に関する完璧主義な自分はお休みモードにさせたいですね。
コナン君みたいに「真実はいつも1つ」ではないのがこの界隈だと思います。
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③自分の価値判断基準を押し付け否定的だった
②と類似していますが、メタフィジックス的な事柄を学ぶと、様々な考えが出てきます。
その中で、自分の価値観とは相容れない価値観も、もちろん登場しますがそこを否定して自分の中の完璧さを見出すことをするのは、
とてももったいないことに過去の僕は気づけませんでした。肯定や否定から生まれるものって大したことないのかもしれないですね。
決めつける人やイメージを押し付ける人に対して理解しておきたいこと
④感情が自分の全てだと思っていた
これはいわゆるエゴってやつですね。(①-③も言ってしまえばエゴですが。)
スピリチュアルな世界観を学ぶ上で、「ワクワクすること」「楽しいこと」を選ぶのは間違いではないです。
ただ、反対に「モヤモヤすること」「がっかりすること」を選んでも正解なところが面白いんですよね。
長年寄り添っていた感情は、自分のすべてではなく、あくまで自分の一部ということを念頭に置いておくことが、
結構この世界観にスパイスを与えることになるのかなと今の僕は感じています。
要らぬ感情は手放しなさいってことではなく、全てと錯覚している自分を認識しようって感じですかね、たぶん。
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⑤自己犠牲・「何かのため」が強すぎた
誰かのための救世主にならんとすることで自分が気持ちイイ(あるいはごちゃごちゃ)状態になることをメサイア(メシア)コンプレックスと言います。
(ちょっと侮蔑的な表現らしいですが。)
スピリチュアルな世界観の一部では、他の人のため、世のため、あるいはより良い世界のためという教えがあります。
僕もメタフィジックスなことを学ぶ当初は、(サイキックな意味合いで)覚醒して、困っている人を助けるぞ~。的な価値観を持っていましたが、
すぐにぼくにとっては必要のないものだと気が付きました。
スピリチュアルだからといって特別なことは何もなくて、
人生における発見や追求などの探求心が好きなぼくは自己犠牲よりも自己中心的な世界観の方が合っていたのでしょう。
世のため人のために尽くす生き方こそが価値があり幸せな人生なのか?
スピリチュアルな道を歩くうえで失敗はあるけど
ベスト5として挙げるならこの辺りなぼくですが、この辺りは人それぞれ本当に違うでしょう。あくまで僕にとっての失敗ですからね。
例えば、自己犠牲をすることがクズなぼくみたいに気持ちいいエゴを擽るようなものではなく、魂に刻まれている個性もあると思いますし。
ぼくの場合ですが「失敗」と言えば、上記以外にも例えば、「苦労せねば。」とか、「神聖な道を行くには清らかな心を持たねば。」とか、
自分で自分の首を絞めるような世界観を持っていた過去はたくさんあります。ハートではなく「ハードな道」を選んでいたりとかね。
それがぼくにとってベストな気付きや繰り返す過ちだったと勝手にしているので、とても良い宿題を自分に課した自分をめちゃくちゃ褒めてるんですけどね。
結局、こんなにもいろんなバリエーションの魂や人間がいるのだから人それぞれ自分探求をしながら、ベストウェイを選んでいるはずだと気が付くと、
そこから変な道が開いちゃったりすることもあるのかなと思いますよ。知りませんが。笑
まとめ:結局、スピリチュアルな道って・・
僕らが今いる場所に関しては、比較したり、証明したり、自己を確立するためのツールを持っていなきゃ生き延びることができない。
みたいな価値観がほとんどだと感じます。
ぼくがメタフィジックスっぽい世界で一番好きなところは、比較したり、証明したり、
てんやわんやしなくても自己宇宙は理路整然としていて、パーフェクト設計図を持っているってことです。
つまり、それぞれが本当にフラクタルな世界観を(決して押し付け合うんじゃなくて)共有できちゃうってところですよね。
こんな激アツな世界ってたぶん、見渡してもそんなにないんですよ。もちろん、それもめちゃくちゃ好みですけどね。
そして、スピリチュアルな道というのは、自分がみている主観の世界なので、
激アツな世界観をいろんなところに適用してもいいところがこれまたミラクルスパイシーだとぼくは感じています。
みなさんは、スピリチュアルな道でやっちまったわ。みたいな失敗や間違いあるでしょうか?
ぜひぜひコメントなどで教えてもらえると嬉しいです。いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
やっぱり、
まめたろうさんの世界観好きです!
私も美化してますね〜
そしてエゴもメラメラΣ(-᷅_-᷄๑)
激アツな世界を楽しみたいと思います!
JURIさん、
ありがとうございます^^楽しみましょう~
おはようございます。私のやっちまったな、感は、何をやっちまっているかわからない、けどやっちまっている感はある、ということです。後追いなんです。なんか。
なんだろな、これ、があって、勉強する、みたいな。勉強するのは好きなので。いいのですが。自己犠牲…じゃないけど、働かないと、みたいな染み付いた認識があり、スピ的じゃないかもしれませんが、変な動きします。いつも柔らかい解説ありがとうございます。
こんにちは、最近はバーシャルさん関連の、ブログばかり、です。で、あちらの方によると「アセンションは2020年」までですよ。これを逃すとないですよ。スターシードの自覚のある方は、動き出しましょう。最後なんですよ。もう一度言います、2020が四次元密度のキップを手に入れましょう。 と書かれているのを、見ると、不安になるのですが。まさか、真実ではないですよね?。まさかのまさかも、あるパターンですか、もしかして?いつも、楽しく読まさせていただいています、ありかとうございます。笑
1025さん、
コメントありがとうございます!
アセンションについてもいろんな捉え方があると思うので、ピンとくるものを
勝手に適用させると良いと思います^^