まめたろう(僕)
ペドロ
※この記事は、スピリチュアルにおける「学び」そして、「気づき」について、どういう意味合いを持つのかその違いなんかをみていく内容になります。みなさんは学びと気づきってどう捉えているでしょうか?
生きていくうえで、ぼくらは何かを体感したり、その経験を通じて、学びなるのもを獲得していきます。スピリチュアルでも、それが人生における学びです。今世の学びです。というような文脈で出てきますね。
気づきも大事です。なんてことも言われますが、この学びと気づきってみなさんはどんな感覚を抱いているでしょうか?仏教的な意識が強いと辛さ、試練、ネガティブなことなんてイメージがもしかしたら、強いかもしれません。
スピリチュアルにおける学びのエネルギー
嫌なモノから愛を学ぶこと?
どうもペドロです。
今回はスピリチュアルにおける学びについて書いてきます。僕の感覚だと、この『学び』ってすこーし重いエネルギーを感じます。
勝手な世間の学びイメージですけど、嫌な状況、嫌な奴がいて自分の中で愛の決断をしなければそこから逃げられなくて、愛の決断をした時状況が好転して嫌な奴がどっかいくみたいな。
しかも学びが終わらない限りその状況から逃げても同じような状況になる、とまあ僕の想像だとこんな感じです。
ここまで大げさじゃなくとも、これのマイナーチェンジしたものとかでしょうか。もちろんこういったパターンの学びも沢山あります。その上で、それだけじゃ無いかもという話です。
スピリチュアルにおける学びは人生とイコールかも
僕が思うに学びとはもっと多種多様で後味の悪いものもいっぱいあると思ってます。スピリチュアルにおける『学び』はどこかドラマティックな雰囲気さえあります。これはある意味当たり前で、学びとは人生とイコールだからです。
学びでない時が無いんですね。感情が伴わないとか取るに足らない体験まで全てです。よくこういう選択をしたからこの学びが終わった、と言ったニュアンスがありますが別な見方もできて、充分したかった体験をしたから次へ移行できたとも言えます。
学びにおける重要なポイントは選択や決断より体験です。つまり、なにがしかの体験を味わいきった後、次の学びへ移行する儀式的なものとして選択がやってくるんですね。
特定の状況から逃げても同じような状況に出くわす、これは明らかに学びの傾向がありますけど、勘違いという可能性もあります。霊的なサポーターってその場その場で計画を変更している印象があります。
学びが終わらないと次の学びにはいけないというのはあまり無いのかもって感じですね。
不幸やネガティブなことを体験したかったの?
おそらく先程の『したかった体験』というところに引っ掛かりを覚える方もいると思います。なんせ学びとは大抵自分の好ましくない状況ばかりを想像すると思うからです。ここは推測になってしまいますが、生前やることを決めてる的なやつですね。
『したかった』ということはしてない、知らないということじゃないでしょうか。生まれてくる前に決めることって案外サーティワンでアイス選ぶ感覚でチョイスしてそうですよね。
現世的な見方だけすればとてもおいしいものもあれば、まずいものもあるということでしょう。
バランスを取るためってわけではないのですけど、学びにも色々あって、友達とディズニーランドでくたくたになるまで遊ぶ。これが学びって言われたらどうですかね?
休日に昼まで寝て起きたらネットサーフィンするだけの日。これも学びですね。こう考えるとスピリチュアルの『学び』ってなんなんだろうってなってきますよね(笑)
刹那的な体験=ポジティブ?
ネガティブよりだったり、ドラマティックなとこにフォーカスしがちなのか、この辺りにすこーし重いエネルギーに感じる原因がありそうです。でも気持ちは分かりますね。
ポジティブなものって結構そこで発散して刹那的なぶん印象に残らないことが多いですからね。ネガティブなものは体験談が終わった後の軽さだとか、同じ状況なのに感じ方が全く違うことに笑ってしまったりする程です。
手前味噌であれですが以前書いた契約不履行なんかは良い例ではないでしょうか。
学びと一緒に語られることが多い気づきにも触れましょう。 学びが体験だとしたら、気づきは自分がブレている時に起きるセーフティのようなものですかね。これ完全に僕の私見なので別な見方がある時は気軽にコメント下さいね。
いつも読んでいただきありがとうございます。
スピリチュアルにおける学びとは?
まめたろう(僕)
スピリチュアルにおける学びは、ヒーリングをしているぼくからすると便利に使われ過ぎている言葉にも感じます。それ、学びやで。で終わらせることけっこうできますからね。(笑)
ここからは、ぼく、まめたろうが、スピリチュアルにおける学びと気づきのイメージを共有していきます。
学びにおける体験と感情
スピリチュアルにおける学びが使われるときは、ぼくもかなりバラエティに富んだものとイメージしていて、いわばほぼ全部学びです。ペドロさんが言うように人生とイコールですね。
ぼくらは感情や感覚部分を持ち合わせています。それが不幸だったりマイナスあるいはネガティブだったりする「体験」になるのか、幸福、プラス、ポジティブな「体験」になるのかは大半のことが感情と誰かや何かとの比較次第です。
感情を失くせば楽になるとか、比較しなければ幸福になるよ。ということではもちろんありません。むしろ、ぼくは感情は豊かに表現したほうがいいと思っています。
だから、やっかいなんですけどね(笑)
学びは逃れられない運命や宿命か?
ペドロさんが言っていた、「したかった体験」について少し掘り下げます。あなたの魂の成長に必要な運命や宿命だった。なんて言われることですね。ぼくの勝手なイメージでは、魂の成長に必要で決めてきた「体験=学び」というのはあるしないしって感じです。
人生をゲームのRPGに例えると、売られているゲームはストーリーや脚本がしっかりあって、どうすれば「クリア」なのか、攻略方法もやりこんでいくうちにわかります。このストーリーや脚本に関していえば、プレイヤーのぼくらは変更不可です。
勇者が主人公のゲームを、主人公を悪役のボスキャラにしようとか、魔王で世界征服しようとかはちょっと無理ですよね(笑)
ただ、ぼくら人間として生まれた場合は、事前にこのストーリー展開や脚本を書いて電源を入れてゲームを進めていくのではなく、それらはわりと自分で自由に消したり追加したりできるとぼくは思っています。最終的な「クリア」もです。
ただ、予めこういう傾向でこんなふうなゲームスタイルにしようかな。的な部分はある程度ストーリーを考えてくる人もいます。その後は限りなく自由に近いですね。
カルマやミッション、宿命、そのあたりのニュアンスで表現されていることは、自分が初期設定している部分もあればそうでない部分もあるという風にとらえてみてください。大半はそうでない部分に分けられるはずですが、完全に思考や感覚回路の好みですね(笑)
スピリチュアルにおける学びと気づきの違いは?
ここからは、スピリチュアルにおける学びと気づきの違いについて少しだけ触れていきます。
学びと気づきはわりと一緒の文脈で登場しますが、みなさんはどんな風に捉えているでしょうか?ペドロさんは、気づきは「自分がブレている時に起きるセーフティのようなもの」と表現していましたが、ぼくも似たような感覚があります。
スピリチュアルにおける気づきとは?
気づきは、目に見えない存在からメッセージを受け取るとか、心の声に気が付くとかそういうニュアンスを想起する人も多いかもしれませんが、ぼくのイメージでは、もう少し緩やかな印象があります。
わかりやすく説明すると、あなたがマニュアル式の双眼鏡をもって、なにかをみるとしましょう。学びが、その見る対象がどんどん変わって、自分で体験していく部分としたら、気づきは、その双眼鏡のピントを合わせたり、ズームしたり、引いたりする行為です。
双眼鏡を自分の手で持ってなにかをみているときもあれば、誰かに強制的に握られているときもあるかもしれません。誰かに握られているで。って感じるときに必要でベストな動きをしてくれるのが気づきになるのかなと感じています。
だから、ペドロさんが言うようなセーフティー機能が気づきにはあるかもしれませんね。調整や調節、確認なんかの働きをするでしょう。体験としての学びにより意識的になるイメージです。
言わずもがな、気付かなければいけないとか学ばなければいけないということは1つもありませんね。
学びも気づきも自分の声を聞くツールかも
どれが気づきでどれが学びかなんて深刻に悩む必要はまったくないのですが、この分類をしておくと、スッキリすることもあるかもしれませんね。
学びの方が大事で気づきの方が大切ではないということではもちろんありません。どちらも自分に必要なタイミングで必要なときに起こったり、自分で自分を取り戻すのに役立つで。という感じですね。
スピリチュアルにおける学びについてはぼくも以下の関連記事でわりと真面目に言及していますので、気になる方は読んでみて下さい。
いつも読んでくださってありがとうございます。
私の中で学びとは生きて体験している事(意識している事もしてない事も含めて)気づきは
その学びがネガティブな事でもポジティブな事でもリアルな感覚になって受け入れた瞬間
の様な気がします あぁ楽しかったよなぁ
とか辛かったなぁ って平常心で思った瞬間
……スピリチュアルにおける…ではないかもしれない私見です笑笑
コメントありがとうございます!
なるほどなるほど!おもしろいです^^
いろんな捉え方の学びと気づきがありますよね!
こんにちは
考える機会をありがとうございます。
思ったことを書いてみます!
[学び]
未知だったことの体験、体感。
開拓。向上。成長。拡張。進化。望遠鏡。
[気づき]
魂の記憶の呼び戻し。元々あったもの。根源。帰還。掘り下げ。深化。顕微鏡。
不幸や苦労は学びのひとつで、楽しむことや喜びを覚えることも学びだと思います。
悲しみの涙はこんな味がするのか~
喜びの笑顔は人を幸せな気持ちにさせてくれるんだね~
こちらは気づき、な気がします。
おつゆんさん
コメントありがとうございます!
面白い学び&気づきの共有嬉しいです^^