まめたろう(僕)
ペドロ
※この記事は、「思考」をテーマに何が世界を形作っていて、なにが現実をつくっているのかをおっさん2人が真剣にお伝えする内容になります。思考ってアップデート可能なのところが良いところであり厄介なところなのかもしれません。
このブログでもお伝えしていますが、この世の中は、仮想現実(VR)であることがほぼほぼ証明されつつあります。まあ、証明されようが証明されまいが自分の信じることを信じていればそれでいいんですけどね(笑)
みなさんは、普段、「思うこと」「感じること」に関して、それは自分なのか、相手なのか、暇つぶしに考えたことはないでしょうか。Aという現象はAというシンプルで不変の事実なのに、BやC、YやZにまで昇華させるのは案外自分の思考によるところかもしれません。
思考と自分、忘却とあなたの曖昧な境界線に在ることが意外と一番楽なのかもしれませんね。あなたはどう感じているでしょうか?
思考の役割と世界の中心
全部思い込みかも
どうもペドロです。
今回は思考についてのあれこれです。思考の断片的な役割が分かるとこの世には自分しかいないという物の見方も可能です。
最近色々な宗教観、正確にはスピリチュアル観なんですが、それを持った人達に続けざまに出会っていて、これが皆さん結構違うんですね。僕なんか確固たる宗教観なんてありませんから出会う度に『スゲー!』です(笑)
そのスゲー!は出会う度に更新されていく訳ですが、その現象を宙に浮かべてボーっとしてたらある閃きがありまして。全部思い込みだなって。この全部って言うのは全部です。
全て。
色んな価値観持った人いるなってのも僕の思い込み。これは思考の役割、対話、計算、思惟、懊悩(おうのう)に次ぐ『装飾』になります。
例えば僕が女の子を侮辱して泣かしたとします。傷ついた女の子がいるのは厳然たる事実のように見えますが、もし僕がその女の子は傷ついてないと思ったとき、いるのはただ泣いてる女の子になります。
仮に女の子自身が傷つけられた事を訴えたとしても、傷つけられた事を訴えた女の子がいるだけと思っていれば傷ついた女の子はいないわけです。この例えで僕のクズ度が上がったのも思い込みです。
泣いてる女の子というベースがあって、基本的に僕達は多かれ少なかれ思考で世界をデコレートしてると思いますね。
この世は完全な中立で、各々がバイアスをかけていく世界。
まあ絶対の中立世界なんて実はなくて、むしろ自分で創造した世界のみなので中立になっていこうという話ではないです。
この世は本質的にモノローグ
この思考システムは親のしつけ、教育機関、常識の浸透、他人の価値観をピックアップ、多くは人生を歩むなかで獲得していきます。機能的には自律神経みたいなものでコントロールはほぼほぼ出来ないはずです。
呼吸も自律神経ですが、大きく呼吸したり一定時間止められても逸脱するようなことはできません。表現するとすれば思考から離れる、別な思い込みに書き換えるなどでしょうか。
僕は無理に思考から離れる必要は無いと思っていて、この舞台装置がないとドラマや学び、多様性が生まれないと思ってます。多少飛躍してしまいますが、これがあるから世界は存続しているんですね。
スピリチュアルには使命、アセンション、悟りと様々なスゲー!がありますが、僕(あなた)という事実からすれば大したことないです。
世界広しと言えど、宇宙広しと言えど、霊界広しと言えど、僕(あなた)という存在はそれらを容易に呑み込む程巨大です。言うなれば全てを内包した存在の爆発です。通じるかは分からぬ。
この物の見方をすると他人が景色のようなものになります。山々のような。喋る山ですね。強いて言うなら与えあう影響度の違いでしょうか。それが海であれ、人であれ僕とそれ以外みたいな。
凄く寂しいように思えますが、むしろ一体感という対極の境地にあったりします。『それ以外』もやはり僕なんです。
冒頭で自分(あなた)しかいないと言いましたが、思考システムを通して見る限り客観というものは不可能ですよね。つまり相手の言ったことやったことに装飾した時点で相手の純粋な要素は無くなっています。
ややこしいんですが僕の要素を相手に塗りたくるのでそれはもはや僕なんです。
スケールのでかい一人相撲みたいなもんです。
この世は本質的にモノローグ
ここまでありがとうございました。
ペドロ。
ワンネスと思い込みの世界
まめたろう(僕)
ペドロさん、いつもありがとうございます。今回も変態度合いが浮き彫りになっていたと思います。もちろんいい意味の思い込みで(笑)
ここからは、ぼく、まめたろうが思考について、ペドロさんの意図をくみ取っていきたいと思います。いうなれば、本当にこの世は本質的にモノローグ。というところに落ち着くんですけどね。
ワンネスとわたし
スピリチュアルにはワンネスという概念があります。
このワンネスとは、平たく言えば、全部わたし=あなたです。っていう概念です。わたしは、宇宙であり、隣にいるあなたであり、パソコンであり、文字であり、思考である。思いつくやつ全部です。
仏教で言うところの、一即一切ですね。突き詰めるとぼくらが粒子とか原子の存在であるとか、なんともうさんくさい説明にはなってきてしまうんですが、ふーんという程度にとどめておきましょう(笑)
まあ、ようわからんけど、自分も相手も、周りのモノも、結局「ルーツ」は同じところって感じです。ワンネスって考えない方がワンネスっぽくなってきたりはするんですよね。言語化すると狭くなっちゃうイメージです。
ワンネス・波動については以下の記事でも言及しています。
思考の役割
全部一緒。ぜんぶわたしであなたって考えはようわからんけど、全然違うやん。って考えは非常に納得できていると思います。
この違うんやん!って感じるのは、ぼくら1人1人が持ち合わせている「思考」です。この思考は、ペドロさんが言語化してくれたように、色々な対象を装飾したり、デコレーションする働きをします。
ここでいう「色々な対象」は、例外なくすべてを意味します。だから、ワンネスって概念自体も言葉で本質的に理解することはおそらくできなくて、思考をもってきて全部ひとつだよ。って言っているだけ。という本当に意味のわからない状況にはなってきますね。
人生で起こる出来事や対象、相手なんかは、完全完璧にただそれだけなんですが、ぼくらが思考でガッチガチに足し算したり、時には引き算してできているホログラムみたいなものですね。ペドロさんがクズっていうのも完全にホログラムです(笑)
そこに、宇宙では味わえない人間的な面白さがあるんですけどね。
完全無欠の1人舞台
精神世界やスピリチュアル系の方ならご存知のバシャールは、宇宙には5つの原則・法則があると言っています。
- You exist.(ぼくらは存在する)
- Everything is here and now.(すべては今とここに在る)
- The One is the All and the All are the One.(すべてひとつ=ワンネス)
- What you put out is what you get back.(表に出したものが自分に返ってくる)
- Everything changes except these four laws.(1-4の法則を除いてすべては変化する。)
ここでいう宇宙はもちろんぼくらがいる地球も指します。この5つの法則は乱暴に解釈してしまえば、つまるところ、ペドロさんのいうところの、「この世はモノローグ。」になります。
だから、他人からどう思われようが、自分がどう感じようが、自分の在りたいままに振舞ったほうがどうせ1人相撲になっちゃうんで、わりと楽しいんではないでしょうか。もちろんそれがつまらない。と思うならそれでもいいんです。
それも思考がつくった幻想なので(笑)
ぼくらは存在していて、すべてはイマココに集約されているんで、ぼくら1人1人の存在っていうのはすごすぎ&変態すぎるってことになりますね。
こんな難しくみえる、わけのわからない言葉を並べなくたって、シンプルに自分勝手気ままな思考に委ねて、自分のアンテナがマッチングするところに周波数を合わせておけばそれだけで良いんですけどね。
まあ、このシンプルなことがなかなか難しいと感じてあれやこれや奔走するのがぼくらの愛おしさ満点なところではございます。(笑)
オンザステージでセッションしたいときだけしておけばいいんですよね。ぼくら全員ピエロみたいなもんなんで。(笑)
キラキラした役者、なにもしない役者、ひたすら落ち込む役者、舞台には色々な役者がいないとなんとも見応えのない物語になっちゃうかもしれません。それすらも実のところ思い込みや思考の仕業だったりはするんですが。
みなさんはどう感じるでしょうか。
いつもありがとうございます!
こんにちは!いつも楽しく読ませていただいてます。なぜか読み終えた時にニヤニヤしている自分がいます(笑)
今のTVに面白さを感じなくなってしまった私は昔のTV番組を観るようなワクワクでここを毎晩観に来ています
いつもありがとうございます‼️
YSさん、お久しぶりですね~
コメントありがとうございます^^
昔のテレビ感、とても嬉しいです。
本当にいつもありがとうございます◎