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エックハルトトールの教えと名言27選

まめたろう
まめたろう

今回は「エックハルトトール」の引用です。

たっかぶり
たっかぶり

安定のヨーダ感。

※この記事は、エックハルトトールが著書やインタビューなどから言っていた名言集を紹介し尽くす内容です。

エックハルト・トールは、スピリチュアル、精神世界の作家、講演家として知られています。世界で最も影響を与えるスピリチュアルマスターと言ってもまったく過言ではありません。

彼の著書には、the power of nowなど本当に全世界で読まれまくっている有名な本がたくさんあります。ぼく自身、いろいろなスピリチュアル系の本を読んだり、オンラインでみたりきいたりするのですが、the:原点というのが、

このエックハルト・トールです。

人生にはうまくいくときもあれば、そうではない困難に直面するようなタイミングもあります。そのすべてにあなたのエッセンスが詰まっていることをもう一度思い出してみましょう。

この記事は以下のような人におすすめ
  • エックハルト・トールが好きな人
  • 人生で迷子になりがちな人
  • いろいろなことがうまくいっていない人
  • 自分を信じてみたい人

目次

人生の意味や目的は?

人生の意味をスピリチュアルから切り取ると、本当にいろいろな視点がありますが、共通項が1つあります。

それは自分自身の創造と自己実現です。もうちょっとスピリチュアル寄りするとソース(宇宙)の自己実現です。

もう少しかみ砕いた表現をすると、自分がいったいぜんたい何者であるかを知るということです。

この自己実現を達成する手段として、大雑把に分けて2つのパターンがあります。

1つは、人生で何かを成し遂げるぞなどという内側から外側に向けて自分を表現するようなものです。これは創造的な部分です。

もう1つは、その反対で、自分の内側に深く入り、ただただ肉体として存在することに自分のエッセンスを見出すいわば外側から内側に向けて自己実現をするかたちです。

前者の目的をもつ魂は、例えば大きなプロジェクトをやってみたり、自分以外と積極的に関係性を結んでいく中で、自分っていったい全体何者なんだろう?ということを学びます。

後者の目的をもつ魂は、例えば、ガーデニングを楽しんだり、ささやかな日常に感謝したり、ただあることを楽しむことで世界に貢献します。

つまり、形あるものの創造と、形のないエッセンスの認識(自己実現)の両方を通じて、自分自身を知ること、そしてそれが宇宙の目的であり、その一部としてぼくらが今ここに生まれてきた理由になります。

まめたろう
まめたろう

なんだかよくわからないと思うけど、とにかく何かを成し遂げたいぞ!と思ってくる人もいれば、今ここは完璧なんだよとそれを味わう人もいるってことです。あらゆる創造のパターンが宇宙です。それがつまるところあなたのエッセンスです。

名言集:エックハルトトールの教え

人生の目的が良い感じに創造と自己実現の両方を成すということが分かったところでエックハルトトールの名言集でもみながら良い感じのバイブレーションに包まれてみてください。

①「今この瞬間」こそがもっとも大切なものである

今がすべてであることに気づいていません。
あなたの心の中にある記憶や期待以外には、過去も未来もありません。

過去はあなたにアイデンティティを与えます。
未来は救いそして、どんな形であれ成就の約束をします。
どちらも幻想です。

時間は幻想です。あなたが貴重だと感じているのは時間ではなく、時間外にある一点、つまり「今」です。過去と未来の時間に集中すればするほど、そこにある最も貴重なものである「今」を見逃してしまいます。

ほとんどの人は、今この瞬間に完全に存在することはありません。無意識のうちに、次の瞬間が今よりも重要であるに違いないと思い込んでいるからです。でもそうすると、人生すべてを見逃します。

あなたが今この瞬間を尊重するとすぐに、すべての不幸と闘争は解消され、人生は喜びと安らぎとともに流れ始めます。今この瞬間の意識を行動に移すことで、何をするにしても、最も単純な行動でさえも、質、気遣い、愛情が染み込むようになります。

いやあ、今ここが大事なんだよ。と言葉ではわかっていてもついつい僕らは過去や未来に目を向ける。そしてこれこそが人生におけるもっとも大きな思い込みや信念の1つなんですよね。

次の瞬間や過去の瞬間にこそ教訓があるなんてのは幻想というのは個人的にはめちゃくちゃ刺さるんですよ。

②置かれた場所でこそ花咲く

あなたがどこにいても、完全に今ここにいてください。
もしあなたが今ここにいることに耐えられず、現実があなたを不幸にするなら、あなたには3つの選択肢があります。
その状況から身を引くか、状況を変えるか、それを完全に受け入れることです。
自分の人生に責任を持ちたいなら、これらの 3 つの選択肢のいずれかを選択する必要があり、今選択する必要があります。
そしてその結果を受け入れてみてください

今ここの意識を持ったとしてもどうしようもないときもあるんですよ。

ただ、その時3つの選択肢によって花が咲くと彼は言いたいんでしょうね。

③今ここにイエスをいう

受け入れてから行動する。
今この瞬間(状況)がどんなものであれ、それを自分で選んだものとして受け入れてください。
反対するのではなく、常にそれに取り組んでください。

常に今この瞬間に「イエス」と言ってください。
すでにあるものに対する内側の抵抗を生み出すこと以上に、無駄で狂気なことがあるでしょうか? 
人生そのものに反対すること以上に正気でないことはあるだろうか?
あるがままに降伏する。
人生に「イエス」と言ってください。そして、人生があなたに反対するのではなく、突然あなたのために働き始める様子を見守りましょう。

これは、そうなんですよ。笑

内側での摩擦や抵抗に気が付くには、今ここにイエスと言う必要があります。そして、人生そのものに反対のエネルギーをぶつけていることを認めることこそが人生で最もした方がいい失敗になると個人的には思います。

イエスと自分にいうと、いろんなプロセスがあるにせよ、すべてのエネルギーが自分のために動いていることに気が付くんですよ。それを見守るのがミソです。

④人生は、意識の進化に最も役立つ経験を与えてくれます

人生は、あなたの意識の進化に最も役立つ経験をあなたに与えます。
それは、なぜあなたが必要としている経験なのでしょう?
それがあなたが今この瞬間にいる経験となるからです。

人生でどんなことがあるにせよ、それはあなたの意識の進化に役立つことだといわれます。

意識の進化とはエネルギーにはグラデーションがあることを知り、今この瞬間を味わうことにあります。

要するにどんな経験もプロセスで学びと気づきにあふれているということです。

⑤真剣にならない

人生は、心が考えるほど深刻ではない。

これはエックハルトトールのマインド理論なんですよ。

人生で起こることはすべて中立だけど、そこに付加価値をつけるのがマインドでありエゴの役割になります。それが良いか悪いかは別にして、もしそのマインドに支配された心で世界をみつめていて、それが自分を縛る何かになっているのであれば、

解放することでパワーオブナウがわかっていきます。

⑥愛とはあなたの外側にあるものではありません。

愛は存在の状態です。
あなたの愛は外にありません。
それはあなたの奥深くにあります。
あなたはそれを決して失うことはありませんし、あなたから離れることもありません。

愛とは何かと言われると、この世界、この宇宙で最もパワフルかつ、ぼくらのつながりを表す最大公約数的なエネルギーです。

宇宙における愛とは当たり前かつ当然にいつでもただそこにある全肯定エナジーなんですよ。

分離の反対です。

ネガティブなことを考えれば考えるほど、あなたの心はネガティブなものに取りつかれます。

人は良いことよりも悪いことを考える傾向があります。
そのため、心は否定的なもの、ジャッジメント、罪悪感、将来についての考えなどから生じる不安に取りつかれます。

ネガティブ思考になるのは、人間の防衛本能によるものです。

危険を感じ取れないとサバイブできなかったんですよ、原始の時代はね。ただもう、ぼくらは令和時代にいるので、そんなに危機感マックスにならなくてもなんとかなるものです。

だって、なんとかなるからです。

⑧不平不満を言うと、自分が被害者になります。

不平を言うことは、常にありのままを受け入れないこととイコールです。
それは常に無意識の負のバイブレーションを持っています。
不平を言うと、自分が被害者になります。
あなたが声を上げるとき、あなたはあなたの力の中にいます。
したがって、必要または可能であれば、行動を起こすか、声を上げて状況を変えてください。
その状況から離れるか、受け入れるか。
それ以外はすべて狂気となるでしょう。

自分の状況や現状、過去の環境や待遇、その他すべてに不平不満はつきものです。

不平不満はこの世界を拒絶することにもなるので、離れるか受け入れるかの選択をぼくらはできます。

大切なことは、ブロッコリーにマヨネーズかけるかかけないかくらいいつもシンプルなんですよ。

⑨過去を尊重することと、それに没頭することの間には、絶妙なバランスがあります。

過去を尊重することと、それに没頭することの間には、絶妙なバランスがあります。
たとえば、自分が犯した過ちを認めてそこから学び、次に進み、今に再び集中することができます。
それは自分を許すことと呼ばれます。

過去に執着し、しがみつく時期があります。どうしても離れないことがあります。

再びそこから脱却して今ある自分に気が付くにはそのトリガーを探すことです。それが許しなんですよ。

手放すには、強さと勇気が必要です。

物事を手放すことは、防御したりしがみついたりするよりもはるかに強力な行為である場合があります。

いくつかの変化は表面的にはネガティブに見えますが、
新しい何かが出現するためのスペースがあなたの人生に作られていることにすぐに気付くでしょう。

物事を手放すことと、それが喪失することはイコールと考えられがちですが、そうではないんです。

あなたのバイブレーションにあったものがいつも周りにあるんですよ。

それを手放すことが良いとか悪いとかそういう話ではなく、本当に自分にとって必要かどうかを吟味するその時間とエネルギーこそがこの人生におけるエッセンスになるということです。

あなたの本質は存在であって、行為ではありません。

今日の慌ただしさの中で、私たちは皆、考えすぎ、求めすぎ、欲しすぎて、ただ存在することの喜びを忘れています。

花は咲くから美しいのか?と言われると、美しいとジャッジメントするのはいつも周りと自分です。

咲かなくても咲いても花は花なんですよ。それは、人間が生まれるはるか前からある普遍的なものなんですよ。

自分自身や他人を定義することをやめる

思考によって自分を定義することは、自分を制限することです。

自分自身(と他人)を定義することをやめてみましょう。
あなたは死ぬことはありません。
あなたは生きられます。
そして、他人があなたをどのように定義するかを気にしないでください。
彼らがあなたを定義するとき、彼らは自分自身を制限しているので、それは彼らの問題です. 
人と交流するときはいつでも、主に機能や役割としてではなく、今ここの意識としてそこにいてください。
自分が所有しているものは失ったとしても、自分そのものを失うことはできません。

一度何らかの形のネガティブなものと自分を同一視すると、
それを手放したくなくなり、深い無意識のレベルで、ポジティブな変化を望んでいません。
それは、落ち込んでいる、怒っている、または頑張っているというあなたのアイデンティティを脅かすでしょう。
結果、人生のポジティブなものを無視したり、否定したり、妨害したりします。
これは一般的な現象です。
それでも狂気です。

いやあ、刺さりますね。ぼくらは何らかの形で定義したり、定義されたりを繰り返しながら自分のアイデンティティとも呼べるものを確保していくんですが、その定義や分類って一ミリもあの世には持って帰れませんからね。

それによって、ネガティブな経験と自分そのものを同一視するのはあるあるだけど、それクレイジーだからよろしくってことです。こういうのがエックハルトトールの好きなところなんですよね。

あなたのマインド以上のものがあなたです。

より深いレベルでは、あなたはすでに完成しています。
それに気づいたとき、あなたのあらゆる行動の背後には喜びに満ちたエネルギーがあります。

自分のマインドと自分そのものを同一化することは、「時間」に閉じ込められることです。
記憶と期待だけに頼って生きようとする衝動です。

思考にはありのままのあなたが、
感情のノイズには静けさが、
痛みには愛と喜びが、隠れています。
自分自身を知ることは、自由、救い、悟りです。

退屈、怒り、悲しみ、恐れは『あなたのもの』ではなく、個人的なものでもありません。
それらは人間のマインドの状態です。
彼らは行ったり来たりします。
行き来するのはあなたではありません。

自由の始まりは、自分は「思考」ではないという認識です。
思考を見始めた瞬間、より高いレベルの意識が活性化されます。
そして、思考を超えた知性の広大な領域があることに気づき始めます。
その思考は、その知性のほんの一部にすぎません。
また、真に重要なものはすべて、美しさ、愛、創造性、喜び、内なる平和など、マインドの向こうから生まれることに気づきます。
あなたは目覚め始めます。

マインド、感情や思考の厄介なところは、それが自分のすべてだと思い込ませるのが得意なことにあります。

あらゆる出来事には背景があり、その奥や先にはただありのままの自分がいます。それが内なるかみさまです。

真の愛があるところにはエゴはありません。

「本物」の関係とは、イメージ作りや利己的なエゴに支配されない関係です。
その関係において、相手に対してオープンで注意深い注意が向けられ、そこには何の渇望もありません。

異性や同性におけるパートナーシップにおいても、友人関係においても、エゴや利害関係のある関係性は自然に消滅するか、互いに苦しい何かを抱えながらカルマティックな感じになるのが落ちです。

オーセンティックなあり方を自分にも相手にもできるような関係性がいいですよね。

戦うものは何でも強固になり、抵抗するものは居座り続けます。

人生に何の抵抗も示さないということは、優雅で気楽で軽快な状態にあるということです。
この状態において、物事が良いか悪いかに依存しなくなります。
矛盾しているように思えますが、形あるものへの依存がなくなると、あなたの生活の一般的な条件である物理的な形あるものが大幅に改善される傾向があります。
自分の幸せに必要だと思っていたもの、人、条件が、苦労や努力をしなくても手に入るようになりました。
もちろん、これらすべてはまだ消え去り、サイクルが来ては去っていきますが、依存関係がなくなると、もはや失うことへの恐れはありません。
人生は簡単に流れます。

あなたが憤慨し、他の人に強く反応するものはすべて、あなたの中にあります。

何と戦おうと、あなたは頑固になり、抵抗したことはすべて居座り続けます。

この抵抗しない、戦わないは、現実から逃避するのとは似て非なるものです。

自分のダメなところ、良いところをすべて抵抗せずにそして戦わずに全部まとめて受け入れるということです。そこには抵抗していたエゴがあることに気付くでしょう。

⑯他者に対する力とは、弱さをオープンにできる強さです。

他人に対する力とは、強さを装った弱さです。真の力は内側にあり、そしてそれは今あなたに利用可能です。

強さとは自分のダメなところや嫌なところをもオープンにする意志=「弱さ」です。これは名言です。

今ここを感じるとき、取り繕う必要のない圧倒的かつ壮大な事実にぼくらは気付くことができます。

すべての依存症は痛みに始まり、痛みに終わる

すべての依存症は、自分自身の痛みに向き合い、乗り越えることを無意識に拒否することから生じます。
すべての依存症は痛みに始まり、痛みに終わります。
中毒になっている物質が何であれ、アルコール、食べ物、合法または違法な薬物、または人であれ、あなたは自分の痛みを隠すために何かまたは誰かを利用しています。

依存傾向の思い込みを突き詰めると〇〇なしではだめだ。という自分への拒否感や拒絶感、無価値感などにいきつくことが多いです。

そんなものはないってことに気が付くためにぼくらは生まれてきているのかもしれません。

排他性は神の愛ではなく、エゴの「愛」です。

太陽の光が無条件に誰にでも降り注ぐのと同じように、愛も選択的性質ではありません。
一人を特別にするわけではありません。
排他的ではありません。
排他性は神の愛ではなく、エゴの「愛」です。
ただし、真の愛を感じる強さはさまざまです。
あなたの愛を他の人よりもはっきりと、そして強くあなたに返してくれる人がいるかもしれません。
その人とあなたをつなぐ絆は、バスで隣に座っている人や鳥、木、花とあなたをつなぐ絆と同じです。
感じられる強さの程度だけが異なります。

気を付けておきたいのは、エゴの愛はダメで神の愛の方が素晴らしいというエゴい判断ではありません。

ただ、そこにあるものを感じ取るのが愛で、その強弱があるよね。とマスタートールは言いたいんだと個人的には思いますよ。

肉体がなくなれば、どんなものにも共通点を見出すと彼は言いますが、それが愛なんだと思います。

⑲オーセンティック生きることを求める。

ある「役割」に没頭すると、真の人間関係は不可能になります。

あなたが自分や他の誰かのイメージに従って生きることは、本物ではない生き方です。

最近ぼくはこのオーセンティックというもつ言葉のパワーに惹かれます。

人生の中で、何かを演じるのは多少は仕方のないことでしょう。親としての自分、子どもとのしての自分、日本人としての自分、会社のとある立場での自分。

いろいろな側面をぼくらはもっているのですが、オーセンティックでありのままの自分でいても、楽なところに常にいたいですよね。

⑳私たちは神を神として「見る」のではなく、神を自分たちのありのままとしてみます。

人は自分に似せて神を作った

要するに神=宇宙は自分そのものであることを表すスピリチュアル界隈では切っても切れない教訓だと思います。

求めることは幸福のアンチテーゼである。

幸せを求めるな。
探しても見つからない
求めることは幸福のアンチテーゼだから。

幸福と内なる平和の間に違いはありますか?
はい。
幸福は、ポジティブと認識される条件に依存します。
内なる平和はそうではありません。

ここは色々な解釈に分かれると思うのですが、大金やラグジュアリーな生活、豊富な人間関係などを求めてはいけないと禁止しているということではないと思います。

求めるということは、自分がそれを持っていないということを無意識では認識している状態とイコールなので、求めずに、それらが欲しければ自分の願望として宇宙に届けていいんですよ。求めているってことは渇望ですから。

そもそも幸福というのはそこにあるものに気が付く方がエネルギー的な要素としては大きいですからね。

ただ、内なる平和になると、大金と大金じゃない状態には境界線はなくなるよ。って話です。内なる平和というのは今この瞬間です。

 あなたが与えるものは、あなたが得るものです。

あなたが他人にすることは、自分自身にすることです。

宇宙にいる僕らに共通するものですね。

得たものは与えたもの。与えたものは得るものなんですよ。惜しみなく貰って、惜しみなく与えましょう。

なにを?

エネルギー(≒すべてのもの)を。です。

何もしないよりは、どんな行動をとっても良い。

何か行動を起こすほうが、行動しないよりはマシだということがよくあります。
長い間、不幸な状況に陥っていた場合は特にそうです。
もしそれが間違いだったとしても、少なくとも何かを学べば、それはもはや間違いではなくなります。
立ち往生していると、何も学べません。

コンフォートゾーンを抜けようとするときに、恐怖心や不安感情から行動をやめてしまう自分がいます。

周りからの声を気にして、思い立ったことを否定しまう自分がいます。

失敗は成功の母と言われても失敗するのはいやなのが人間です。

でも、ぼくらは消滅することはないので、有限な肉体を使って、無限の魂をベースに自分の音を奏でても何の問題もないんですよ。

マインドは、正しく使えば優れた道具です。

マインドは正しく使えば優れた道具です。
ただし、使い方を誤ると非常に破壊的になります。
より正確に言うと、あなたは自分のマインドを間違って使っているわけではありません — 通常はまったく使っていないのです。
マインドがあなたを支配します。
これが病気です。
マインドが自分自身そのものであると信じています。
これが妄想です。

ここでいう、マインドとは思考、感情、心の動きなどです。

新しいことを始めるのがこわいとか、この仕事や関係がうまくいくだろうかという不安などですね。

これらのマインドに自分を支配させるのではなく、自分がマインドマスターになることが人間的な世界を楽しくするコツの1つです。

なかなかマインドマスターにはなれないんですが、ちょっとずつやっていきましょう。

心配は時間の無駄です。

心配は何かが必要なふりをするが、何の役にも立たない。

心配は、何かが欠けているのでは?という幻想からくるとトール氏は話すことが多い印象です。

心配はしてもいいんだけど、しすぎたらエゴやマインドに支配されるから距離感が大事だよねと個人的には思います。

人間の心の構造が変わらなければ、常に同じ世界を作り直すことになります。

人類は今、進化するか死ぬかという厳しい選択を迫られています。
……人間の心の構造が変わらなければ、同じ世界、同じ悪、同じ機能障害を常に作り直すことになります。

意識が先ってやつですね。

マインドから見る世界がすべてだと思ったら同じところを回り続けるかつ終わりのないメリーゴーランドにいることになっちゃうから不思議です。

泉を清くすれば、すべてが清くなる。

内側を正しくすれば、外側がうまく収まります。
一次現実は内側にあります。
二次現実は外側にあります。

次元や現実というのは様々なグラデーションとなっているんですよ。

そのなかでも原始にて原点は内側の平和なんですよ。個人的には、泉を清くするがここ最近のキーワードになっていたります。

エックハルトトールの名言で本来の自分を思い出そう

いやあ、さすがのエックハルトトールという感じでした。

これを読めば、もうスピリチュアル系の本や映像でいっていることは同じで別の角度からの言い回しが違うだけといっても僕は過言ではないとおもっています。

最近やる気がそがれにそがれまくっていたぼくですが、エックハルトトールの今から自分を切り離しすぎていただけなんだと思います。

どんなことにも、シンプルかつ大胆でどれがベストに自分がおもろいかを選び続ける今世にしたいと思うまめたろうです。

夏の終わりものぞき込みつつある最近ですが、いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

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