今回のテーマは「ワクワクに従って生きる」です。
バシャールのファーストコンタクト!
※この記事は、バシャールの説く、「ワクワクする」「ワクワクに従って生きる」とはどんな感覚なのかを説明しつつ、ワクワクに従って生きても何も変化がない理由、そんなときどう対処するかについてぼくの感覚を共有する内容です。
バシャール(ダリルアンカ氏)といえば、「ワクワク」ですね。follow your highest excitementの格言はスピリチュアルに関心がある人であれば一度は聞いたことあるでしょう。
「常に自分にとってのもっとも高い情熱に従い、ベストを尽くして行動に移す、そして起こることや結果は気にしない。」byバシャール
今回は、この意味を掘り下げつつ、変化がない、何も起こらない場合の「結果を気にしない」についてみていきましょう。
今回のポイント
- ワクワクする、ワクワクに従って生きるとは?
- ワクワクに従って行動したけど何も変わらないケース
- 起こることや結果は気にしない。とは?
- 「ワクワク」を再定義してみる?
ワクワクする、ワクワクに従って行動・生きるとは?
バシャールは、エササニという惑星(パラレルワールドにある)に住んでいる宇宙人です。チャネラーのダリルアンカさんというおじさまがいろんな情報を発信してくれています。
バシャールと言えばワクワクなんですが、このワクワクについて少しみていきましょう。
ワクワクに従って生きるとは?
ぼくはワクワクに従うというよりワクワクを追求する意味合いが強いと感じていますが、ワクワクに従うがポピュラーなので、そちらで今回は書き進めてみます。
ワクワクに従って行動あるいは生きるは、かなりシンプルですね。
ワクワク=興味・関心、好奇心、好きなこと、やりたいこと、興奮すること。そんな感じでしょうか。子どものときってなんか目に映るものすべてが新鮮でフレッシュだったじゃないですか、あの時の形容しがたい感覚だと思います。
この単純なワクワクに関して、言葉や頭、心を通じて、理解、そして感覚を受け取ることはさほど難しくないと思います。
ワクワクに従って生きるけど何も変化がない理由
バシャールは、ワクワクに従って生きれば「ポジティブな波動になり、ポジティブな現実を体感する。」と言います。
でも、ワクワクに従って、心の声を追求して行動したけど何も変化しねーで。って人いると思います。何が起きているのかぼくの思いつく限り、想像しうる理由を共有していきます。
①ワクワクできるほど元気じゃない
スピスピ言われていること全般に対して反映できることですが、そもそも「ワクワク」できるほど元気じゃないときってあります。
極端に視野が狭くなっていたり、落ち込み過ぎて思考回路がダークサイドに寄っていたりですね。
そんなときにワクワクできる人がいればそもそもワクワクする必要があるかは甚だ疑問です。ぼくも闇っぽいときにある時は無理ですね。
②ワクワクではなく義務?
子ども頃のあのワクワク感ってたぶん取り戻すのムズイと思うんですよね。
初めてリンゴ食べた時の感動を、おんなじリンゴを再び食べても思い起こすことはないかもしれません。
ワクワク→幸せを引き寄せる秘訣・秘密→ワクワクしなきゃになっちゃうと思うんです。そうです、無理矢理ワクワクしたり、頑張りまくってワクワクしてはいませんか?ってところですね。
③ワクワクではなく期待?
ポジティブな現実=幸せ=お金があって、素敵なパートナーに出会えて、地位も名誉もありまくり。みたいなところをゴールにしていないですかね。
(スピリチュアルっぽい人がそういうふうにしている風潮は大いにあると感じています。)
もちろん、ゴールは装飾気味でもなんでもアリですが、それ、本当に自分にとって得たい現実なん?って突っ込みができるときがあります。
期待はエゴの自分をまざまざと見せつけられて、さらには「そうならなかったときに」がっかりすることもある気がしています。
④他人からみた自分
②と付随するところですが、結局、外側(見た目、経済的豊かさ、地位名誉)は比較対象があってこそのものです。
外側に重きを置くことが良いとか悪いとかじゃなく、物欲なくして悟りなさいとかじゃなくて、
他人からみた自分じゃなくて、自分のピュアっぽい感じからくるワクワクですか?という部分を確認したいところです。
⑤ワクワクと不安の混同
ぼくはワクワクと不安は表裏一体だと感じています。
「不幸な今」は嫌だからワクワクした方がいい。ワクワクしなければいけない。
不安を打破するための改善策としてのワクワクは、そこにピュアな自分が入り込む余地のない場合、結果不安を増幅させたり、義務を付与したりする可能性はあります。
⑥直感ではなくエゴ
ワクワクは、ピュアな好奇心とほぼイコールですので、直感という言葉に置き換えられると感じています。
ワクワクに従う=直感をきく。みたいなところに通じるんですが、その直感がエゴの場合はあります。エゴは、ぼくらが成長して、大人になるうえで獲得する自己防衛の手段のひとつです。
社会的価値からみた自分、自分の属するコミュニティからみた自分と置き換えてもいいかもしれません。
なので、そこからくる自分の心はワクワクではなくエゴやで。ってことになりえます。
実はワクワクしていないかも
ワクワクしてても変化起きないで。という理由を大雑把にまとめるとこんな感じです。
せっかくなので、簡略化してみます。
- 他人や社会的価値観に重点があるから
- エゴの自分からつくったワクワクだから
- 根本にネガティブがあるから
簡単にいえば、エゴで作ったワクワクとか、あくまで自分のピュアなところから来るようなワクワクではなく、他人の視点、社会(親)の視点からくるワクワクだから、変化していないように見えることが多いのかもしれません。
起こることや結果は気にしない(期待しない)
バシャールによれば「ワクワクに従って生きる」には続きがあって、「起こることや結果は気にしない」とも言っています。
なのでこの気にしないの解釈をみていきましょう。なぜ気にしないのかについての深堀りです。
結果を期待しちゃダメ?
バシャールがいう起こることや結果を気にしない、期待しないというのは気にしちゃいけないとか求めるなとか、禁止しているわけではないとぼくは思います。
つまり、起こることや結果を、他人ベースで、社会ベースで、そしてエゴベースで思考するクセのあるぼくらに対するメッセージですね。
例えば、恋人がいる現実を創造したくて、行動したけど、うまくいかないとき。あります。ワクワクしているのになんでや。って思います。
でも、視野をめちゃくちゃ広くしたら今の自分にとっての「結果」は恋人のいない現実がベストで、その現実は恋人がいる現実を作るためのプロセス、基礎作りだと捉えることもできるかもしれません。
簡単に言っちゃえば、起こることや結果を気にしない・期待しない=特定の結果のことをさしているんでしょうね。
常にベストな結果を期待する
どんなことが起きようが、どんな結末・結果になろうが、ワクワクしていれば、常に自分にとってはベストな結果がきている感覚に自然と感じられる。
そんなイメージです。特定の結果を求めることのリスクは、たまたまそうならなかったときの喪失感や自己否定、嫌悪に繋がることです。
ベストな結果は期待しまくっていいんだと思います。
そもそも、もっと言ってしまえば、何かに夢中になっているとき、ワクワクしているとき、起こることや結果は気にはならないんだという感覚がぼくにはあるんですけどね。
それどころじゃないというか笑
- 特定の結果は「毒」になりうる。
- ベストな結果が起きているかも。
- 最終的には自然と結果は気にならないかも。
ワクワクに従って行動する=ベストな結果がきていると実感すること
ワクワクって特定の結果を大前提としてゴールとして据えた場合、けっこう空回りしちゃうんだとぼくは思います。
なので、ワクワクに従って生きるはほぼベストな結果がきていると実感することイコールになるときがあるんじゃないかなとも感じています。ここからはワクワクに従って生きるをどう捉えるかを再確認していきます。
つまり、自分オリジナルの「ワクワクに従って生きる」を定義づけしてみましょうという提案です。
①めっちゃ落ち込み気味な人は・・
めちゃくちゃにダークサイドに思考もマインドも心も寄っている人は、いきなりワクワク=好奇心、興味関心と捉えるんじゃなくて、まずは、現状にちょい足しすることorちょい引き算=ワクワクと捉えてみてもいいでしょう。
現状に満足して、(不安とか恐怖に逃げ腰になりがちで)なかなか身動き取れない場合は、ちょい足し算を。
反対に、忙しすぎて思考やマインドがパンパンで将来への漠然とした不安を感じまくって無理に頑張りすぎている人は引き算を。
こんなイメージです。
②エゴパンパンな人は・・
落ち込み過ぎてはないけど、社会的価値観や他人との比較でエゴがめちゃくちゃに主張しているときは、ワクワク=好きなこと。と捉えると空回りする可能性が高いです。(もちろんそれでうまく回るときもありますけどね。)
そんなとき、ワクワクに従う=無理せず、自分の心で感じたままを大切にしてみる。など引き算を心がけるといいかもしれません。
童心にかえって、遊べることはなんなのか。内側を少し見つめ直す機会になりそうです。
③飽き性な人は・・
ワクワクに従うと、それが永遠に続ける、情熱をもってできることと勘違いしがちな人は多いかもしれません。終身雇用が美徳とされているのがメジャーなお国柄・土地柄もありますし。
情熱なんてものは熱するときもあれば冷めるときもあります。バシャールは、毎瞬毎瞬、ワクワクをキーワードにしているので、変わったらそれはダメとか、楽しくなるまで突き詰めろ。なんてことは言っていませんね。
自分のワクワクにバリエーションが増える方向であればなんでもアリだと思いますよ。
「ワクワク」の幅を広げるといいかも
ぼく自身、人生はわりとゲームみたいな感覚で捉えています。いま、自分のパッションはこのブログとヒーリングにありますが、飽きたりおもろくないわ。と感じたらすぐやめます。
厳密に言えば、辞める前には、とりあえず発信方法を変えてみたり、ヒーリングを深化する方向は模索するとは思うんですが、面白くなくなったらやめてもいいでというサインだと感じています。先のことはわからないですし。
「ワクワクに従って生きる」は一見難しいようですが、単一的に受け取る必要はなくて、自分オリジナルの「ワクワクに従って生きる」方法論をみつけていくのが健全だとぼくは感じています。
まとめ:ワクワクに従って生きても行動していなくても現実は選べる
今回は、ワクワクについて感じているところを羅列していきました。
ワクワクって言葉自体ぼくはそこまで好きではなくて、もっとラフに捉えています。人それぞれ性質がありますからね。
意識が現実をつくるというコンセプトの下、「ワクワク」が再定義できるまで復活すると、ぼくは「現実」を選べるという謎の革命がノックするところがめちゃくちゃ面白いと思います。
厳密に言えば、突き詰めると、どんな現実でも現実を選んでいるんですが、より能動的に自分のピュアさを追求した形の現実を選んでいる感覚に触れられる。という革命ですよね。
まあ、ワクワクに従いまくっても、ダークサイドな自分もあるところが人間の奇奇怪怪なところではあって、ぼくはそこがかなり好きなんですけどね。
みなさんはどんなワクワクをもっていて、ワクワクを表現して、現実を選べる革命に触れているでしょうか?
質問や意見などありましたらコメントやSNSにぜひ。
いつも読んでくださってありがとうございます!
あの、質問というか、不思議に感じていること、なんてすが、宇宙の自我のデータ集めの為の、人類ならですね、なぜにこんなパワーバランス?なのか。人類史もっとも多才(才能)だったというのは、ダビンチらしいのですが(不勉強でもうしわけございません)宇宙は、21世紀の、レオナルド.ダビンチを求めていないのか(?)何でもできるデータは、もういらないのか(?)つまり、もんのすごい、何をやらせても出来てしまう天才(多才)の人生(データは)いらないのか(?)例えば、絵がうまくて10代で画家で大成功して、20代で映画監督に挑戦したら 初監督作品が、アカデミー賞9部門受賞で、映画監督でも大成功。30代は、小説家に転向して、初めて書いた本が、超大ヒット400万部売れて、ノーベル文学賞まで、頂いて、40代は俳優業に転向し、これまた今度は、役者でアカデミー賞を取り、50代は、ために貯めた
資産で、会社を立ち上げ、年商、何千億とかに起業からわずか10年以内でなるとか(?)そういう人は、今のところ
出てきてないので、今からそういう人が、ある日 神童現る、的に誕生してくるのでしょうか? 天は二物は与えずは
例外なのは、ダビンチ だけだったのでしょうか。
1025さん、コメントありがとうございます!
質問の意図に沿えるかわかりませんが、、
>なぜにこんなパワーバランス?
ここに関しては宇宙の自我とは関係ない気がします。
1025さんの思考回路だと、パワーバランスが整う→データ集めを終える?豊富なデータが成ると推測します。
データ集めをやっているのは人類だけではない気もしますし。
成功も失敗も天才も多才も宇宙っぽい視点ではないんではないでしょうか。
だから21世紀のダビンチ的な人が生まれようが生まれまいがあんまり宇宙の自我のお話とは関わってこないんでは・・・
意図が汲み取れていなかったらすみません><
質問ありがとうございました!