ヒーリングセッションやっています

スピリチュアルでみる許すことと思いやりの違い。エックハルト・トールかく語りき

まめたろう
まめたろう

今回のテーマは「許しと思いやり」です。

たっかぶり
たっかぶり

パイセン登場です。

※この記事は、エックハルト・トール(スピリチュアル系の作家、講演家)が語る思いやりと許しについて、一部抜粋、翻訳・編集し、僕なりの意見を共有する内容になります。

スピリチュアルの世界観では、「許し」(forgive)がいろんな場面で登場します。

例えば、ホ・オポノポノの手法、引き寄せマスターのエイブラハムの言葉、他にも許し感謝することで癒しが始まりますなどの言及はたくさんあります。

僕個人の意見としては、許すってそこ(怒りや悲しみ、重くネガティブめの感情)に留まって自分が辛くならくらいならやれば。程度にしか思っていません。

相手でも自分でも罪(と思い込んでいること)からの解放ツールというラフなイメージです。

(もちろん、辛すぎる時はどうしても感情が強いので迷子になりやすく、仕方ないんですけどね。)

一方で、今回この記事をピックアップした主な理由は、「思いやり」(compassion)にあります。

やっぱりエックハルト・トールは感覚的なことを珠玉の名言に変える天才なのかなと思います。

みなさんは許しと思いやりにどんなイメージの違いを持っているでしょうか。

今回のお話の流れ!

  • エックハルト・トールの語る「許し」
  • 「思いやり」とはなにか
  • 「許し」と「思いやり」のちょい補足
  • まとめ

エックハルト・トールの語る「許し」とは?

スピリチュアル。としましたが、厳密に言えばエックハルト・トールの語る。ですね。

早速いってみましょう。少し抽象的な表現が多く翻訳間違いあるかもですがお付き合いください。

あなたは何に・誰によっても傷つけられない

許しが生じるのは、誰かによって肉体レベルのあなた何かが起きたときです。

そのきっかけはあなたかもしれないし、他人から受ける痛み、喜び、あるいは罪かもしれません。

それゆえ、あなたの存在そのもの、深い次元にいるあなたと繋がった状態であれば許しは簡単になります。

本来のあなたと繋がったところからみると、その起きたものが何か、客観的な性質がわかります。

なぜなら、繋がった状態だと、あなたは決して傷つけられることのない内側の空間に触れているからです。

その次元にいるあなたは誰によっても、何によっても傷付くことはありません。「かたち」だけが傷つきます。そのかたちは肉体あるいは感情でしょう。

許しのステップ

許しの最初のステップは、それ(傷つける何か)が無意識に行われたことを認識することです。

そして、あなたは「相手がやったこと」と「その人が誰であるか(その人のパーソナリティ)」を同等にはしていない。と認識してください。

許すということは、不満(悲しみ)や怒り、他のネガティブな感情に居座り続けないことです。

そしてそれが唯一可能になるのは、「かたち」を超越したあなたそのものに触れているときです。

そしてその空間では、現実は恐るべきものには変容し得ないし、非現実も何も存在しません。(≒すべてパーフェクトです。)

そこには「神さまの平和」があるだけです。そして、神さまの平和は概念的な理解ではなく、あなたが深い存在で触れていると認識するだけでいいのです。

「傷」をつくるのは自分(判断と感情とエゴ)

あなたを傷つける人は、自分の育った環境やコンディションの下、限定的な思考(やエゴ)で動かされているだけです。

そして、彼らはその環境(や限定的思考)の犠牲者で在り続けます。

起こる状況に対してマインドによる「判断」が「傷」を形作ります。実際のところ、その判断を超越すると、起きたことは取るに足らないことだとわかります。

例えば、あなたが誰かと会う約束をしたとしましょう。その約束に彼は来ませんでした。

この時、マインドは、「彼はひどい。」「彼は私を裏切った。」と判断します。そしてこの判断が「傷つけられた」という感情を創造します。

事実だけを並べるのであれば、「彼は来ると言ったのに来なかった。」これだけです。

マインドがその事実に対して「裏切った。」などの判断(味付け)を加え、あなたに「傷つけられた」という感情(料理)をプレゼントします。

そしてその感情がエゴを強化します。

あなたに起こる物語はすべて中立です。

参考 The Nature of Forgiveness | Is it Different from Compassion?Youtube

エックハルト・トールの語る本当の「思いやり」とは?

こちらはthe power of nowからの抜粋です。

彼は本当の思いやり(true compassion)といいますね。

①弱さや儚さの共有

思いやりとは、あなたと万物を結ぶ深い絆への気づきです。ただ、この思いやり(=絆)には2つの側面があります。

1つの側面は、肉体として「かたち」のあるあなたが持つ弱さや儚さを他のすべての人間、そして万物と共有することです。あなたはまだここに肉体として存在することを理解してみましょう。

「私はこの人と共通する点がありません。」という時、あなた(私たち)は多くの共通点を持っていることを思い出してみましょう。

あなたと「その他すべて」はまったく同じです。

②不死の次元と本来の自分

思いやりのもつもう一つの側面は、不死(永遠)の次元、あなたの本来の性質を理解することです。

深い感情レベルのあなたは、自分自身の儚さだけでなく、万物の儚さも認識します。

「かたち」(肉体)レベルのあなたは、死は避けられず(刹那)、存在の不安定さを共有しています。

存在そのもののレベルのあなたは、永遠であり、光輝く命を共有しています。

これが思いやりのもつ2つの側面です。

思いやりとは、悲しみや喜びという一見すると反対の性質を帯びているものが溶け合い、混ざり合い、やがて1つになり、深い内側の平和に変容することです。

これが「神さまの平和」です。

「本当の思いやり」がいる場所は、共感(エンパシー)と同情(シンパシー)を超越し、悲しみと喜び、「かたち」をなくした喜び、光輝く命の喜びと溶け合い、混ざり合うことです。

エックハルト・トールの「今」とバシャールの並行現実世界「パラレルワールド」

スピリチュアル視点での「自分を許す」とは?

いやあ、珠玉の名言オンパレードでした。「許し」の方は彼の家族の話しとか面白くて、もうちょい訳したかった部分もありますが。

そして、ぼくなんぞが加えることはもうないんですが、ちょっとだけ、かみ砕いてみたいと思います。

許しとは?

Youtube内でエックハルト・トールが言いたいことは大きく分ければ2つです。

「あなたに起こる物語は中立」そして「本来の自分は傷つかない」

裏を返すと、家族や人間関係のトラブル、日常で起こること、暗いニュースや自分に浴びせられる罵詈雑言などでできた「トラウマ」の類。

これらは、「神さまの平和」に触れるためのツールと言えます。

例えば、親にひどいことをされた。彼・彼女に傷つけられた。赤の他人にひどいことを言われた。判断⇔感情⇔エゴが作られます。

僕らちゃんと人間なので感情があるので、傷つけられたと感じたら心に痛みが登場します。

心の痛みに居座るのも和らげるのも本当はどっちでも選べるしどっちでもいいんですが、辛いなら和らげてみましょうというニュアンスが彼がYoutube内で言っている許しです。

そのプロセスでの気づきが神さまの平和になるイメージです。

痛みの階層

あなたは何者によっても傷つけられません。」ってフレーズはすごく素敵です。

トール氏の動画をみて、ふと思ったんですが、トラウマ的な何かが影響するであろう、潜在意識や深層心理は「1つ」ではないのかもしれません。

実際にはいくつもの無限の層に分かれていて、痛みのレベルがどの段階に作用しているかによって、アプローチを把握してもいいのかなと。

例えば、潜在意識が3つの層に分かれていて、

1の層→感情・感覚に作用、2の層→エネルギーフィールド、3の層→スピリットみたいな。

たぶん、メインでやっていくのは感情感覚にいる層でしょうけどね。

傷つける相手を理解する

なかなか許すことができない。っていう人はわりといると思います。

すぐに許そうとするよりも、相手を理解すると有効になることがあるんじゃない?っていう提案が、

「あなたを傷つける人は、自分の育った環境やコンディションの下、限定的な思考(やエゴ)で動かされているだけです。そして、彼らはその環境(や限定的思考)の犠牲者で在り続けます。」という部分です。

なんでひどいことをしたんだろう。と思って傷にステイし続けるのは自分なんですが、

なぜ相手はそうしたのかを深いレベルかつ広い視野をもって考えてみるのは何か発見があるかもしれません。

例えば、ぼくが父親から怒りの感情を小さい時から浴びせられ続けていて、そのうっぷんを晴らすために、僕も誰かに対して怒りっぽくなるとしましょう。

そのとき、なぜ、父はやたらめったら怒っていたのか。それは本当に彼のパーソナリティなのか。彼も彼の父にそうしてきたから「当たり前」ではないのか。

などなどですね。

いずれにせよ、許しは、その感情の渦、その出来事の中にいるときはとてもとても難しい部分もあると思いますが、

リラックスして、落ち着いてから色々な方向でみていくと、すごく素敵な個性に出会えると思います。

ペインボディとはなにか?心の痛みの解放と溶かし方の基礎的考え

スピリチュアルにおける思いやりとは?

いやあ、the power of nowは本当にいいですね。

ここはそんなにいうことがないんですが、とりあえず彼の思いやりの解釈がイケメンすぎますね。

感情と心と精神を使う

トール氏のいう思いやりは繰り返しですが、2つです。

  1. 弱さや儚さを万物と共有すること
  2. スピリットの次元、本来の自分がいるところを理解すること

僕らは肉体をもち、感情をもっている生き物ですので、弱さや儚さを実感し認識し、そしてすべてのものと共通項としてそれを絆にできます。

いわゆるシンパシーというやつです。

一方で、スピリットレベルのぼくらも確かにいると思えばいます。弱さや儚さを認識しているがゆえに、ないものとされがちですが、その刹那があるから、

永遠の美しさも理解できます。みえなくてもきこえなくても感じなくても魂ってやつですね。

思いやりに触れる瞬間

思いやりとは、悲しみや喜びという一見すると反対の性質を帯びているものが溶け合い、混ざり合い、やがて1つになり、深い内側の平和に変容することです。

これが「神さまの平和」です。

これはもう名言中の名言ですな。思いやりを言葉と感覚でここまで昇華できる人間はいないのかもしれませんね。知りませんが。

ぼくらはしばしばすべてを「白」と「黒」に分けがちです。

「思いやり」の領域が増えると、この白と黒、相反する2つの性質が、溶け合い、混ざり合う瞬間があります。

白の中に黒をみて、黒の中に白をみる瞬間ですね。そうなると、どっちも白でどっちも黒みたいななぞの世界観がこんにちはしてきます。

この本当の思いやりに触れられるからこそ、僕らは悲しみを深く理解し、共有し、喜びを認識し、分かち合うのかもしれません。愛ですな。

本当の愛とは何か?愛の種類とスピリチュアルにおける愛の存在とは?

まとめ:許しも思いやりも素敵です

一見すると相反する、矛盾する性質が溶け合うという世界観はぼくの中では、実は、反対のものなんてなかったと気がつくことによく似ています。

最近よく近所を散歩するのですが、流れている川の中にもぼくがいて、ぼくの中にも川がいます。

イヤフォンを付けて歩いている人の中にもぼくがいて、ぼくの中にもイヤフォン付けて歩いている人がいることを思い出すことがあります。

頭の中読み取られていたら、絶対不審者なので、ここにしか書き留めませんけどね。

みなさんは「許すこと」そして「思いやり」をどう表現しているでしょうか?

いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください