徳を積むですね。
徳積みすぎてもはや神様レベルだわ。
※この記事は、「徳」・「徳を積む」をテーマにその方法と徳を積むことで幸せになったり、お金が増えたり自由になったりするかについてぼくの感覚を共有していく内容になります。みなさん徳を積んでいますか?
「徳」ってけっこう曖昧な概念のような気がしています。美徳、人徳、仁徳、功徳、不徳、知徳、利徳なんとなく字面や語感で意味や感覚はイメージできるし、しかもその徳を積むという行為の意味もなんとなく想像できると思います。
そもそも徳とは何か?徳を積むと本当に幸せになったり、お金が増えたりするのかどうかぼくの所感と体感をお伝えしていきます。みなさんはいままでの経験上どうでしょうか?
「徳」と「徳を積む」意味とは?
まず、「徳」の定義とされているところをみていきましょう。
徳はもともと哲学的な言葉で登場しているので、哲学&辞書的要素に分けてみます。
「徳」とは何か?
まず辞書的な意味合い、おそらくみなさんが、イメージしてあるようなことは以下になります。
- りっぱな行いや品性
- めぐみ。恩恵。神仏などの加護
- 生まれつき備わった能力・性質。天性。
- 富。財産。 コトバンクより
とりわけ、「徳を積む」の文脈でおそらく想起できるのは、1の意味合いが強そうですね。人徳の高い人だ。なんて言葉ももしかしたら使ったことあるかもしれません。
次に、哲学的要素で使われている「徳」についてみていきましょう。こちら、東洋哲学、西洋哲学(ギリシャ哲学)、守備範囲を幅広くしてしまうと、それだけで記事が出来上がるので、簡潔にいってみましょう。
- 倫理的、道徳的善に対する意志の恒常的志向性,ないしは「善」を実現する恒常的能力。
- その志向性・能力は、みずからの修練によるものであるか否かを問わず身についたもの。
ちょっとカタイですね。直感的にかつ乱暴にほぐすと、徳とは「自分の気質や能力を外に向けて、社会性とか倫理性を出しちゃう感じ。」こんな感じでOKでしょう。
それが、儒教では、仁・義・礼・智・信の五徳とか、プラトンで言えば、知恵、勇気、節制、正義あたりの徳とか、アリストテレスでいうヘクシス(行為の習慣化・在り方)なんて風になっていきます。
なんとなくイメージできて来たでしょうか?
徳を積むとはなにか?
「徳」がりっぱな行いや品性の場合は、徳を積むってことは、立派なことをやっていくとかって意味になりますよね。また哲学的っぽい観点から言えば、自分の能力・気質を活かして「善」っぽいことをやっていくなんてイメージでしょうか。
社会性、倫理性、善、立派なこと、このイメージが付きにくいので、ここを今度は明確にしていきましょう。例えば、徳を積むって文脈であれば、犯罪や人が嫌がること、いじめとかそういうことは正反対に位置してくるでしょう。
実例を出すと、いわゆるダメっぽいこと、不倫・浮気、窃盗、傷害などなど、徳とはかけ離れていそうです。じゃあ、反対に徳っぽい実例を出すと、平和活動、社会貢献、無償の愛、ボランティア、そんなイメージですかね。
なかなかそれっぽくなってきましたね(笑)ただ、ぼくのイメージだと、どちらも「徳」には近くなっていて、行為自体の善悪をつけないところが本質っぽく「徳を積むこと」に繋がるのかなと勝手に思っています。
誰かにとっての「絶対善」は誰かにとっての「絶対悪」なので、徳を積むっていうのは文字通り汲み取るのであれば、「善」を行うことにはなるのですが、この善については本質的に善も悪もないんじゃないんでしょうか。
つまり、スピリチュアル的に言ってしまえば、「良きことを行って無償の愛でそれを周りに振りまく!」これでOK。って話ではないという意味です。
良き事、悪しき事、それ以外のことも学ぶために、ぼくらは遊びに来たんで、「良き事を無償の愛で光、周りに感謝して・・」それは誰かの判断なので、そこに重きをおくのではなく、自分自身に従う。
乱暴に言えば、好きなことを好きなときに好きなように好きなだけしていく。言うまでもなく、エゴとか損得勘定、他人をどうこう。みたいなやつらは微塵の隙もなく、入らないことは大前提です。
これがぼくもイメージするような徳を積むって感じにはなってきますね。
だからと言って、他人の不幸が大好きだから、他人に意地悪しまくろうと思えば、たぶん、自分も意地悪されて、幸福感なくなりますよ?だって、他人の不幸が大好きな人、自分が不幸になるの一番嫌いなはずですから(笑)
みなさんはどう思いますか?
徳を積むと魂レベルが上がる?魂は成長するの?
ここから少しだけ、精神世界に通じる部分の話をしていきます。スピリチュアルな世界では、魂を成長させるために、とか、アセンションをうんぬんとか、いわゆる悟る系の話になると、他人を重んじて、幸せにしていく。みたいな話になる場合も多いでしょう。
事実、スピ系の話になると、引き寄せの法則を始めとして、光とか愛とか溢れまくっていますからね。もうたぶんみなさんお腹いっぱいだと思います。
徳を積む=魂レベルが上がる?
もちろん間違いとか正解とかはないので人それぞれの価値観がある。ということは大前提ですが、光とか愛を他人に、無償の愛で、とかってなると、徳を積むっぽいことにはなりそうなんですけど、ぼくのイメージだと、魂レベルとは関係ないです。
そもそも、魂レベルって別に上げたり、成長したりするって時点で捉え方がRPGっぽくはなってくるので、高かろうよかろう。みたいな観点に落とし込みがちですが、そういうことではないです。
魂が成長したり、魂レベルが上がるっていうのは、意味合いも色々ありますが、簡単にいうと、エネルギーが軽くなったり、波動が上がったりすることです。そして、波動を上げるのに辞書通りのりっぱな徳を積むってことはあんまり関係ないです。
理由はけっこう明快で、ぼくらは、そういう善悪の価値観を抜けた先を知っているからです。天秤にかけている時点で、それってスピリチュアル的に言えば、二元論&3次元ガッチガチのエゴパンパンやで。って感じですね。
徳を積む、魂レベルが上がる、魂が成長する、一見すると確かにその通り!ってなりそうですが、一旦ストップかけて俯瞰してみると、トラップに気が付くかもしれません。
徳を積むと人生は豊かに幸せになれるの?
徳を積むと人生は自由にうまくいったり、幸せになったり、豊かになっていくのかについて、ぼくの思っているところを共有していきます。まあ、おわかりかもしれませんが、徳を積まなくてもぼくら楽しくやっていけるので安心してください。っていうのが結論ですよ。
徳を積むと幸せになるか?
良いことをする。他人に感謝されるようなことをするとお金が増えて、仲間も増えて、人生うまくいくで!って自己啓発の本に書いてあると思うんですけど(よく知らないんですけど)、それ前提があります。
もちろん、ぼくも誰かに感謝されたり、したりの関係や循環はめちゃくちゃエネルギーが回っている状態です。これは現在進行形で実感中です。
1つ注意して欲しいのは、大前提として、本当にそれ、自分のやりたいこと?本当にそれ、誰かのために自分がしたいこと?です。
自己犠牲を伴う徳を積む行為、自己満足を満たす徳を積む行為、エゴを満たす徳を積む行為。だったらたぶん一生満たされないし、逆に常に何かのために誰かのためにそうしなきゃ不幸になっちゃうって自分で自分にナイフを突き立てているのとイコールですからね(笑)
もちろん、ちょっとだけ言いすぎですけどね。
徳を積むのは義務じゃないですよ。
至極当然ですが、徳を積めば幸せになれる!誰かのために無償の愛を提供すれば、お金が増える!もしこれが真実だとしても、ぼくだったら、そんなことする前に、自分が好きなことしちゃいます。お金が欲しかったら、お給料出してくれるところで働きます。
だって幸せになれる方法だったら自分が一番よくわかっているので(笑)
要するに、方法論や在り方ではないんです。究極に言ってしまえば、本当に本当に徳を積んでいる人っていうのは、そんな自覚すらないんじゃないですかね。
この間、妻と子供と散歩していたら、ごみ拾いしているダンディーなおじいさまがいたんです。別に頼まれたわけでもないし、ただ単に暇だったから拾っていただけかもしれないし、掃除がめっちゃ好きなだけかもしれません。
そのおじいさまのこと知らないんですけど、ぼくは、徳高めええ。波動高めええって。思っちゃったんですよね。なんか徳を積むってこういう感覚にぼくのイメージだと、近いです。
ゴミ拾いしていて「素晴らしいな」って感想抱くのは、あくまでその周りで、そのダンディーじいさまは、めっちゃ暇だったからゴミ拾いしてただけなんですよね。徳を積むとか、善とか悪とかどうでもいいんですよね。義務ではないので。
そういう行為を無意識的にしていると、自分が楽しいし、そして、なぜかわからないけど、他人や周りからは勝手に感謝されちゃうんですよね。それすら本人はどっちでもいいんでしょうね。好きなだけなので。
徳を積むってそういうことなんじゃないかなとぼくは思っています。
人生を豊かにするっぽい幸せになれる「徳を積む」方法
ここからはいわゆる良いことっぽいことをする系の徳を積む方法ではくて自分が強迫観念なしに徳を積んじゃう方法をぼくなりのイメージで共有していきます。
もちろんですが、人それぞれの思う徳を積む方法を実践したり、やりたいときにやってればそれは万事OKです。
自分の本音と向き合う
まずは、準備段階で、誰かにとか何かにという前に、ぜひ自分の心や本音と十分に向き合ってください。この段階で自分のやりたいこと。好きなこと。自分ってなにか?みたいなことがポンって浮かんでこない人は安心してください(笑)
ぼくもそうなので。徳を積む、究極的かつシンプルな方法は、やっぱり自分に軸をもってくること、自分の性質・気質を知ること、そして何より自分がオーイエス!ということだとは思いますよ。ゴミ拾いしていたダンディーなおじさまみたいに。
自分の本音と向き合うと言っても、そこまでシリアスになる必要はなくて、今日はこれしたい気分だからこうしちゃおう。というラフな感じで十分でしょう。
自分の心に従ったことをしてみる
自分の本音と向き合うことができたら、とりあえず、何事もやってみることをおすすめします。それが良いこと、悪いこと。その判断はまったくもって必要ありません。
ぼくがヒーリングをやったり、ブログを書いたりしているプロセスを例に出してみましょう。(ぼくが良いことをしている意味での徳を積んでいるとは正直よくわかりません。
なんかブログ書きたいなあ。→書く。
ヒーリングやってみようかな。→やってみる。
非常にわかりやすいですね。そこに、「でも」とか「だって」とか、「将来は・・」みたいな余計な雑念は必要ありません。徳を積もうとしている人がそんな余計ことを考える必要まったくないですよね。
暇だからゴミ拾いしちゃおうかな?って感じですね。ベリーイージーです。
確認する
確認作業はたまにすればぼくは十分だと感じています。この確認で気を付けるべき点は、他人や周りに「良いこと」をしているなあ。という優越感に浸るとか、徳を積んでいるっぽいなあ。よしよし。という感じ。というよりは、
自分、ちゃんとやりたいことできているな。とか自分軸で動けているな。とかそういう意味です。他人のために、誰かのために、世のため人のためなんて、そんなことは仏陀かイエスか菩薩あたりに任せておけば万事OKだとぼくはかなり真面目におもっています。
だって、ぼくらそんなに偉くないので、楽しく行ったほうがめちゃくちゃコスパがいいです。
輪廻転生・次元上昇と徳を積むというスピリチュアルなお話
ここまで、徳を積むって言葉を般若心経みたく連呼してきたわけですけど、ぼくそもそも徳を積むって言葉あんまり好きじゃなくて、だってそれって、前提に誰かのために。とか何かをしなくちゃ。人のためだったら。
みたいなラベルが貼られて、そのあとに、幸せになれる。豊かになる。お金が増える。とかなるじゃないですか。めちゃくちゃ不便です。
徳を積む。って概念はもともと、仏教的に言えば、今世で徳を積んで(誰かのためになる良いことをして)、来世は幸せに極楽浄土・天国へ。みたいなガッチガチの3次元的な話になってきませんかね。
ぼくの知る宇宙はもっと自由で、変態なので、そういう善悪なくても楽勝で、わざわざ課題とか使命っぽいこと課さなくてこなさくなくても楽勝で極楽浄土いっちゃっているし、徳もようわからんけど積んじゃっているっぽいんですけどなにか問題でも?って感じです(
そもそも、良いことをしなきゃダメやで。っていう思い込みをつくるため、スピリチュアル的に言ってしまえば、次元上昇を阻む、3次元に閉じ込めるために、
「徳を積む」っていう言葉を「宗教」が蔓延させたんじゃないかなとすら、ぼくの中の関暁夫ちゃんは言っています(笑)
つまり、徳を積まなきゃあんたら、生まれ変わっても不幸になるよ。ってこと。一生、回転木馬に乗っていてがんばれよ。ってことなんだよね。
少し言いすぎですけどね
まとめ:徳を積むベストな方法はたった1つ
みなさんはどうでしょうか?「徳」を積んじゃってますか?なんかわからないけど、人徳高い人って言われていますか?
ぼく自身、善き事しないと幸せになれないで。良いことすれば豊かになれるで。って、誰かに言われていて、本当にそれが事実だとしたら、そんな安直な「徳」はダンディーなおじさまにゴミとして拾ってもらうため、
道端にそーーっと置いておいて、自分の好きなことにフォーカスします。
他人を陥れろとか、オレオレ詐欺がんばれ。とか犯罪せよとかそういう話にはもちろんならないんですけどね。まあこれは、完全に好みだとは思っているし、ぼくみたいなこと言っていると誰かに批判されます。でも誰かは賛同も勝手にしてくれます、たぶん。
誰かのために無償の愛を提供することが徳を積む行為で間違いないです。わたしもそう思います。とかね。
まあ、それもあれもこれも、どこかの誰かの文脈や歴史では、徳を積んじゃっていることに勝手になっちゃうんで気にしないです。
みなさんは、どんな風に「徳」を積んじゃっているでしょうか?ぜひぜひ、自分と向き合ってみることをおすすめします。
いつもありがとうございます!
こんにちは。
徳積みせぇよ…ばあちゃんの口ぐせでした。
未だに意味はわかってませんが、よく覚えてます。
今日もありがとうございます
ななさん
ばあちゃんの言葉はありがたいです(笑)
こちらこそ、いつもありがとうございます!