まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、「所有」をテーマに、ぼくが思う理想論をいろいろな角度から語っていく内容になります。手放すことで楽になれるのはぼくは事実だと感じていますが、これがなかなかムズかったりしています。
みなさんはいまこの時点で、何を「所有」しているでしょうか?家、お金、家族、パートナー、物理的なモノから、肩書、あらゆる感情、経験、感覚などのメタフィジックスなモノまでぼくらはたくさん所有しています。
今回は、物理的なモノからメタフィジックスなモノまで、この所有とはどこからきて、それとどう付き合っていくかで、幸福度や自由度に関係しているんじゃないのかな?っていう話をしていきます。
そりゃあ、わかっているけど・・・と突っ込まれる要素満載でお届けします。
所有とは?所有の概念はいつ生まれたのか?
所有に関しては、哲学的アプローチもできますが、今回はあくまで、スピリチュアルっぽい感覚で共有していきます。みなさんいつ頃から、これは私のもの。あれはあなたのもの。って感覚をおぼえましたかね?
ぼくら1歳未満の赤ちゃんと絶賛子育て格闘中なんですが、彼にはもちろん「所有」はありません。目に映るモノすべては、彼にとって口に入れてチェックする対象でしかないですね、素晴らしすぎると思います笑
所有は農耕文化から生まれた?
自分のモノ。私のモノ。って言うことに関しては、いろいろな起源がぼくはあると感じています。ちょっぴり壮大な話になりますが、わかりやすい1つの例が、日本で言えば弥生時代に伝わった(縄文時代の終わりころ、諸説アリ)と言われる稲作文化でしょう。
つまり、どこからどこまでが自分の土地で自分の米がどれだけ作れて、どれだけ蓄えられたかによって貧富の差が決定されていた時代ですね。結婚制度も歴史のことなので、もちろん諸説アリですが、古代には結婚はなかったと言われています。
スピリチュアルっぽい話になると、(古代の)縄文時代はレムリアにルーツがあり、彼らは精神性や波動が高く所有という概念はなく、もちろん貧富も結婚もない文化だったのではないか。と言われることもあります。
自由度の高い共有、共存をナチュラルにしていたそんなイメージかもしれません。このあたりの時代はかなり昔のことなので、スマホ片手に風切って歩き回るぼくらには知る由もないのですが、なんとなく感覚として残っている人もいるのではないでしょうか?
アフリカのちいさーーい村で争いもなく、暇でのんびりくらしている民族をみて、「ああ、なんか良いわ。」とか、都会よりも田舎の「平和」っぽい感じに憧れるあの時期とか。そんな暮らししたことないはずなのに、知っている。という人もいるかもしれませんね。
現代における所有がほぼすべての根源になっているかも?
現代っぽい時代だと、この「所有」がかなり多くの部分に適用されます。ある角度からみるとほぼすべてといっても過言ではないかもしれません。つまり、自分の肉体、家、家族、パートナー、恋人、お金、権利、モノ、etc。
もし、仮にこれが「みんなの。」とか、(権利を激しく主張しない形での)「それぞれの。」だとしたら、けっこうな悩み解消されませんかね?
私だけを見て欲しいというあの特有の嫉妬心とか、プライド。お金がめっちゃ欲しいという普遍にも感じるあの欠乏感とか。
自分の子を産んで育てなければならないという責任感とか、自分の親は大切にしなければいけない義務感とか、自分の力でやり遂げなければいけないとかとか。無限に出てきそうですよね。広く言っちゃえば争いとかもです。
そういう世界が良いとか悪いではなくて、一定数はそれがなければ心地いい理想郷っぽいなあ。と感じる人はいるのではないでしょうか。
もちろん、反対に「物足りなさ」とかを感じる人もいるとは思います。ただ、その物足りなささえも所有という概念から来るモノだったりしますけどね。
もちろん、ぼくはそんなに平和主義ではない部分があるので、例えば自分の子が誰かに取られたらヨシヨシ所有を無くすいい機会だなとかは思いませんけどね笑
そういう部分とは別にして、雁字搦めに自分のモノとしての独占ではなく、認め合う意味での所有ってなると、とにかく楽になりそうです。
宇宙に所有の概念はないかもしれない件
ぼくの勝手な感覚では、宇宙っぽいところや高次元っぽいところに「所有」はないです。自分のモノではなく、みんなのモノかというと、そういう一体感ではない部分で繋がっているように感じます。
1人が好きな人は1人で。ある程度グループでいたいひとはグループで。形よりもエネルギー的部分で繋がるので、どこに誰といるとか、何を持っているとかは関係なさそうですね。○○のもの。って言葉すらなさそうです。
宇宙人はペットも飼わないかも
こちらもぼくの勝手なイメージですが、宇宙人っぽいひとが、犬や猫をペットとして、自分のモノのように扱うことってしなさそうじゃないですかね。
犬や猫が宇宙っぽいところにいるかどうかは別にして(ぼくはいると思っているんですが)、所有としてペットにして従事していくとかはなさそうですよね。好きな時に遊びに来て、好きな時にバイバイしちゃう。みたいな。
すごーく楽ですね。人間関係においてもおんなじだと感じるし、おそらくモノやメタフィジックスな事柄に関しても一緒だと思いますよ。
所有概念のままのアセンション
所有がこびりついているぼくらがそのままアセンションするとめっちゃめんどくさいとぼくは思います。(アセンションできるかどうかは別にして)
自分の世界(だけが比較すると素晴らしい)。自分のモノ。を押し付けたまま、5次元っぽいところにいく人っているのか、まあ謎ですね。いるかもしれませんが。所有が派生して、決めつけや思い込み、光を求めるだけの味気ないアセンションにはなりそうですね笑
アセンションについては以下の関連記事でも触れているので興味がある方は読んでみてください。
所有を手放すと自由になれるの?覚醒するの?
極論、所有の概念がなくなれば、ぼくらは自由になれるし、アウェイクニングっぽくなれるとは感じています。ただ、ぼくらは弱い生き物ですので、お金をもたないで、家をもたないで、服ももたずに原始人になれるかと言われればそうではないでしょう。
ぼくはそういう生活も好きですけどね。南米のアマゾンの民族に来世あたりは生まれ変わってもいいかなと思っています笑
もう少し、イージーモードで所有を置き換えるとぼくはラフな意味合いでの所有からの解放になるのかなと感じています。
必要なものはすべて在るという感覚
幸福の尺度は人それぞれとても異なるので、人生に何を求めて、何が必要なのかは全く違うと感じます。何事も求めるなとか、お金やモノに求める幸せはダメとかそういう単純な話ではもちろんありません。
先日つくったスピリチュアルお悩み掲示板の「やぎのせかい」に「私のアウェイクニング体験」というトピックをつくってみたのですが、書き込みは少ないものの、2人の方が、スピ能力っぽいやつがでてくるのは、
「本当に愛と平和と感謝と感動したとき」って言っていたのはけっこう面白かったです笑
ぼくもセッションで誰かのヒーリングするときはなるべく自分のフィルターを抑えるので余計なことは考えないです。愛とか平和とか感謝とか感動っていうと大げさですが、要するにめっちゃ「今」に集中します。
ぼくらは所有を手放すとかいうと、飛躍してお金を捨てなきゃとかモノを捨てなきゃとか執着をやめなきゃとか、いきなり極論を取りがちですが、書き込みしてくれたお二方の感覚は覚醒っぽい感覚だなあ。
と思ってて、所有とは反対の必要なモノって全部ここにあるやん。って感覚に通じるところがあるんじゃないかなと感じています。
ぼくらは瞬間瞬間にはこういう感覚はわりと掴めているんじゃないかなって思いますよ。持続させるには何が必要かって言われたら正直、その感覚に浸るだけとかいう曖昧な答えしかみつかりませんけどね。苦笑
でも、その感覚を知っていることがぼくらがぼくらたる所以になってくると本当に常々再確認しています。所有を手放すって言葉だけをとると一大イベントのように感じますが、本当にそんなもんです。
慎ましく、徳を積んで生きるとかそういうことではなく、わりと必要なこと揃っとるわあ。って感性を思い出すことが入り口になってくるかもしれません。
まとめ:所有という概念から抜け出す入り口を探してみるといいかも
今回は、「所有」をテーマに書いてみました。
人それぞれ好みはいろいろあると思うので、所有がダメなやつとか、所有の概念あったら不幸になるとかそういう意味ではもちろんなくて、あらゆる感情や感覚はぼくらが本来持っているところではなく、「所有」からきているかもねえ。
とやんわり捉えてあげてみてください。誰かを認めることがどうしてもできなかったり、何かしっくりこない感覚のヒントがもしかしたらこのよくわからん「所有」にあるかもしれません。
この所有について書いてて、自分の交友関係を振り返ってみたんですけど、私のもの。とか誰かのもの。って分けているひとたちとは深堀りするほど仲良くなっていなかったぽいです。
じゃあ、友人の彼らが徳が高かったり、スピリチュアルっぽい能力あるかというとそうではないんですけど、少なくともぼくがこうやって目に見えない怪しい世界に携わっていることについては否定はしないですね。
(たぶん良い意味で)やっぱりキモイね。と言ってくるくらいでしょうか笑
少し話が逸れましたが、ぼくは全人類がみんなジャイアンみたいだったらけっこういい感じになるのではとたまに妄想しています。
みなさんは、今なにを持っていて、なにが足りないと感じていますか?月と太陽と地球があればわりと生きていけるっぽい感覚はどこかに残っていたりしませんかね?ぜひぜひ、所有について答えのない自問をしてみてください。
いつもありがとうございます!