今回のテーマは「思い通りにならない」です。
完璧らしいで!
※この記事は、「人生が思い通りにならないとき」に、その状態や状況を切り抜けるのではなく、どんな視点から切り取れるのかぼくなりの感覚で共有していく内容になります。
スピリチュアルっぽい視点から言えば、人生が思い通りにいかないこと。ということはありません。これは例外なく1つもです。
ただ、生きていれば、例えば、大切な人の死だとか、愛する人との別れだとか、仕事での失敗だとか、報われない努力だとか、いろんな崖や壁が登場します。
そのたびに、ぼくらは絶望や不安、恐怖がアップデートされていきますね。もちろんぼくもおんなじです。
こちらとらアヤシイスピリチュアルっぽい視点をもって、人生が思い通りにならない「状態」は案外、切り取り方の違いということを今回はお伝えしちゃおうという魂胆です。
人生が思い通りにならないとき・思い通りになるときの違い
スピリチュアルっぽい視点では、実感しているかどうかは別にして、(自由意志ではない部分の)人生が思い通りになっていないことはないというのが通説です。まずはその違いをシンプルに表現してみます。
人生は解釈次第?
人生で起こることは、すべて中立である。とメタフィジックスな世界では通説になっています。仏教でいうところのタタータです。
要するに、自分の解釈が現実となって目の前に現れているように見える。ということです。
この説が真か偽かは一旦蚊帳の外で考えてもらって、そう思えるようなことってたくさんありませんかね?
例えば、大切な人との別れを経験したとしましょう。この「別れ」自体は中立で、いわばゼロポイントにあるとします。
もし、あなたがもっと○○すればよかった。という後悔の念が強いとき、その別れは寂しく、そして傷付くような別れになります。
一方で、もしあなたが、ようやく別れられたわ!オーイエス!と晴れ晴れした気持ちが全面にあるとき、その別れは、次のステップに進む礎のような別れになります。
試しに、この別れをあらゆる名詞や出来事に変換してみてください。なんとなくはわかっちゃうのではないでしょうか?
人生が思い通りになるときとならないとき
このよくわからない説を適用させるとすれば、思い通りになるときとならないときの違いは単純明快シンプル過ぎます。
つまり、思い通りになっていると思い込んでいるか、思い通りにならないと解釈しているか。それだけです。
思い通りになっているスピリチュアルっぽい例をわかりやすく上げるとしたら、エンジェルナンバーですかね。ゾロ目をみるとラッキーとか、人生が好転するサインとか、目覚めを体験しているとか。そんな風に言われています。
ゾロ目が良いモノと思い込んで、偶然みかけたと勘違いして、やっぱり自分は最強だと。なるアレです。エンジェルナンバーが凄いヤツかは別にして、思い込みと勘違いが強くなればそれはやっぱり現実になります。
反対に、何があっても上手くいかない。と解釈しているうちは、そういう現実世界が待っているのではないでしょうか。
どちらの場合もそうである。と根拠のない確信をもっているのでもちろん正解であり、現実になるんでしょうね。
思い通り
- 都合の良い解釈
思い通りではない
- 都合の悪い思い込み
人生が思い通りになると人生を思い通りにするは違う?
人生が思い通りになっていないことはぼくはないと感じていますが、人生をコントロールする(思い通りにする)ことは非常に難しいこともあると思います。
自由意志があるのかないのか
人生をコントロールするという話の前に、自由意志の話をちょろっとします。
ぼくは自由意志はないけど、あると感じます。めっちゃケンカしてますけどね笑
つまり、当然のことを敢えて言葉にするなら、起こることは起きちゃうんですが(自由意志はない)、それをどう解釈するかはできる(自由に意図はできる)ということです。
生まれる前の契約と計画
もう少しだけ深堀します。
スピリチュアルっぽい世界では、ぼくらは生まれてくる前にある程度のこと(場所、環境、設定など)を決めてくると言われています。
生まれてくる前に、何を勉強しようかな?とか何を学んでいこうかな?という契約、そして計画があるイメージです。 魂のブループリントとかってやつですね。
その契約が一本の太い道だとして、生まれてからは自由意志により、その太い道を一直線で進むのか、わき道を自分で作るのか、他人の影響で新たな道があらわれるのか。
障害物を置くのか、見て見ぬふりをするのか、一時的なゴールを置くのか。などなど。そのあたりはおそらく自由意志が働きます。(働いているようにみることができると言えるのかもしれません。)
ただ、いくら自由意志が働いたところで、その太い道は消えるわけでも、細くなるわけでもなく、芯の通った道として確かにあるイメージです。
それが契約とか計画とか、いわゆる運命があるとか自由意志がないといわれる所以だとぼくは感じています。
人生をコントロールしたいから思い通りにならない?
ぼくらは、「人生が思い通りになる!」と聞くと、その太い道は完全完璧に抹消できて、他人や別の人の太い道にまで重機やハンマーで干渉できると思うのではないでしょうか?
その抹消する行為とか、他人の人生をコントロールできちゃうとするのがこの人生思い通りにならない説の根本にあるような気がします。
比喩を取っ払って表現するのであれば、他人を自分の思い通りに変えたい!世界を自分の思い通りにさせたいなど、エゴやその他の感情と仲良しな欲望ですかね。
欲望それ自体が良いとか悪いという話ではもちろんなく、どうにもできないこともあるし、予期せず起こることもたくさんあるで。ということです。
それっぽい表現をするのであれば、自分の契約や計画、あるいは他人や集合体の契約や計画はコントロール不可の部分もあります。
その突き詰めれば良い意味のコントロール不可の部分を人生思い通りにならないものである。と解釈するのか、それも学びや経験として勘違いしていくかに大きな差異が生まれるような気がします。
思い通りになるんだけど、コントロールできていない錯覚状態=人生は思い通りにならない説かも?!
人生が思い通りにならないときに学びに変えたいスピリチュアルマインド
さて、いつもながら前置きが長くなったところで、このコントロール不可のやり場のない、行き場のない気持ちや感情をどう落ち着けて学びに変えていけるかを共有してみます。
自分の予期せぬ計画や思い通りにならないことたくさんありますよね。でも、視点が変わることで、実は案外ちゃんと太い一本の道を通れていると気が付ける日がくるんでしょうね。
まあ、気が付かなくてもいいんですが笑
①起きることは起きる
起こることは起こるし、どうにもならないことはどうにもなりません。世知辛くうつりますがぼくはけっこう素敵だと思っています。
ここから理解できる学びは、例え自分が描いたこと、期待した結果にならなくても、自分を必要以上に責め立てたり、誰かのせいに責任を負荷させなくていいよ。ということです。
タタータです。
②マインドフルネス
例えば、欲しいモノが手に入らなかった、理想の現実が目の前にこなかった。そんなとき、やっぱりどっからどうみても要らないんでしょうね。
なぜ要らないかと言えば、それがピュアな欲求から来るモノではなくて、周りからみた自分の隙間を埋めたいとか、エゴの部分で誰かや周りに勝ちたいとかそういうところです。
自分の根本や剥き出しの部分に気が付く契機として転換させたいところです。ザ・マインドフルです!
③すべては魂の学び・気づきである
人生が計画破綻しても、自分のプランがおしゃかさまになってしまっても、このコンセプトは強いですよね。
言い換えてしまえば、過去にあった失敗も、未来に起こり得る失敗も幻想です。じゃあ成功が真相なのかと言われたら謎ですが笑
ただ、この学びや気付きですが、例えば、身近な大切な人の「死」だとか、自分の偶発的な病だとかに適用させない方が良いと思います。こちらも自分を責めるのに十分なエサと養分になるからです。
④すべてパーフェクトである
もし、ぼくらが綿密にかつ緻密にしっかりと太い一本の道を予めつくっているのであれば、あとは物知り顔で歩いていくだけです。
一見辛いであろう出来事も、刹那的に訪れる恐怖や不安も、ぜんぶ自分にとってパーフェクトである。と信じ切る日があってもいいのかもしれません。
このパーフェクトであるというのは、思い通りにならないことで、遠回りのようで案外目に見えない近道ができちゃうという裏技要素ももちろん含みます。
思い通りにならなくても・・
人生が計画通りです!という人はわりとぼくはレアだと感じます。計画通りいっていると思い込んでいる人や、意志が強い人ももちろんいます。
ただ、その計画や「思い」が本当に自分の本音なのか。って案外その渦中にいるときって気が付かないことがほとんどではないでしょうか。
手に入れたいモノが入らなかったり、欲しい現実が目の前に来なかったとき、どんな気持ちやマインドでいるかは本当に自由で正解も不正解もないんですが、そして後悔や自責はとても大切な感情の1つですが、
その経験や状態をさらに自分にとっての大きな何かを得るチャンスととらえるのか、繰り返すルーティンのピンチとして捉えるかでおそらく世界の色は異なってくるんでしょうね。
みなさんはどう感じていますか?
- 起きることは起きる(必然)
- 要らないモノ捨てちゃえば?
- 全ては魂の気づきで学び!
- 太い一本の道は揺らぎません。
- すべてはパーフェクトである。
まとめ:人生が思い通りにならなくてよかったって思えることもあるかもね
人生が本質的には、解釈論に委ねられるとするならば、やっぱりぼくらの意識はけっこうな割合をしめちゃうんだと思います。
以前、ペドロさんが思考の現実化と引き寄せの法則における解釈論についてという記事で、
この良くも悪くも厄介な解釈なんですが、ごく稀に非解釈状態になることがあります。今日たまたま窓を開け放っていたら、風が吹いて僕の全身を撫でていったんですね。
この風に吹かれる為に僕は生まれてきたんだなって感じました。
とおっしゃっていました。
人生が思い通りにならないと感じるときこそ、ぼくはこの非解釈状態が起こるチャンスが増えるような気がしています。
例えて言うなら、ものすごく執着していた人やモノに対して、ま、いっか。なるようになるか。って感じたら、いきなり自分の目の前でどうとでもなるような状況がつくれちゃったとか。
得た得たいと思い込んでいた現実を。まあ、起きることは起きるんやで。と肩の荷を降ろしたら、興味関心が他のもっと実は本来得たかった現実にシフトしちゃうとか。
思い通りにならない人生って、思い通りにコントロールさせたい自分に決別告げたり、実は思い通りになっちゃう世界にこんにちはする境目だったりするのかもしれません。
まあ、思い通りにならないことは本当に誰のせいでもないので、抵抗せず、ゆっくり休んだり、ちょっと普段では買わなさそうな高級感あふれる牛乳でも飲んでリラックスしましょう。
ちゃんとそれぞれが自分の道を突き進んでいるので。
みなさんは自分の人生思い通りになっているでしょうか?なっていないでしょうか?
質問や意見などありましたらコメントやSNSまでくださいませ、シェアも喜びます。
いつも読んでくださってありがとうございます。
すごくタイムリーで、このメッセージがストンと腹に落ちました。ありがとうございます!
Sueさん、こちらこそありがとうございます!
こんな時間ですが、たくさん記事を読ませていただいて、本当に救われました。
近々セッションをお願いするかもしれません。
ありがとうございます!
sofyさん、
こちらこそありがとうございます!
ピンと来たらおっしゃってくださいませ~
いつも楽しく分かりやすい記事をありがとうございます。
まめたろうさんや、たっかぶりさんのおかげで、自分が本当に望んでいたことをきのう思い出しました。
日々少しずつ自由になっていく感覚はいいものです。
いつも本当にありがとうございます☺️
こみちさん、こちらこそいつもありがとうございます^^
嬉しいです~