今回のテーマは「自己中心的」です。
私が世界の真ん中です。
※この記事は、「自己中心的」について、それが良い感じに働くときと、ネガティブな方向に働くときを分けて考えてみる内容の記事になります。
自分のことを一番に考え、他人を省みない言動をする人のことを主に日本語では自己中といいます。
この自分を世界の中心に考える人はしばしば、あまり良くない。みたいなニュアンスで使われがちです。
ただ、物事は表裏一体でコインの裏と表のように、それが良い感じに働くときと、そうでないときがあると僕は感じています。
「自己中心的な人だ。」と思われるか思われないかは、その判断が相手に委ねられるとして、これは建設的な自己中、これはちょっと健全ではない自己中かも。
みたいな僕の考えをシェアしていきます。みなさんは自己中心について良いイメージを持っていますか?それとも悪いイメージをもっているでしょうか?
今回のお話の流れ!
- 自己中心的な考えとは?
- 良い感じの自己中
- 波に乗れていない自己中
- まとめ
自己中心的な考えとは?
まずは、自己中心的な考えの定義について簡単にみてみましょう。
人っていうのは難しいですね。
「自己中」の定義
自己中心にも様々な意味合いがありますが、辞書や学問的な部分で定められている言葉の意味を少しみてみましょう。
- 自分勝手。利己的。
- 何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさま
- (利害は関係なしに)自分と他人が区別できないこと
- etc..
自己中と調べるとだいたいですが、こんな意味が載っています。
「あの人は自己中だ!」と少し否定ニュアンスを含むと、利己的なという意味合いがとても強くなります。つまり、ナルシシズム的な価値観です。
一方で、「あの人は自分の世界観が明確になっている!」と少し肯定ニュアンスを孕むと、③のような意味合いに近くなるイメージです。
自己中心性とナルシシズムの違い
20世紀において最も影響力をもったされる心理学者の1人、ジャン・ピアジェの研究の1つに、幼児期の自己中心性に関するものがあります。
彼の説く、自己中心性(egocentrism)とは、「自分以外の視点を持っていないこと」を指し、
自分以外の視点が存在することがわからないために、周囲の人間も自分と同じように世界を知覚していると思っている状態のことを言います。
いわゆる(自と他の区別が利害という概念抜きにないので、)自分だけの世界にある。ってやつです。
一方でナルシシズム、エゴイストは、自分だけの世界にある。という点は共通していますが、そこには、前提条件があります。
その前提条件というのが、他者からの賞賛があるかないかです。
言葉にするのであれば、他人からの賞賛を得るため(他者からの満足感を認識するがゆえ)に、自分の世界を広げたり、押し付けたりする人のことでしょう。
裏を返せば、ピアジェの言う「自己中」は、他人から満足感を得られない状態ともいえますね。
大雑把にいうなら、満足や安心感を自分から得る立場の人を自己中心といい、それを他人から得やすい心理状態の人をナルシストとかエゴイストというイメージです。
たいてい2歳前後から始まる子供の「イヤイヤ期」っていうのはまさにこれ(自己中心性)で、
自も他も区別がついていないがゆえに、よりどころを今の自分にしているのでしょう。
そういう意味からいうと、「イヤ」なのではなく、わからないとかむしろ反対に本人的には「イエス」と言いたいだけなのかもしれません。
(イヤイヤ期、めっちゃ激しい人もいるからそんな冷静に対処できないですけどね。笑)
ちなみに、ピアジェは、「子供は知識を注がれるのを待っている容器ではなく、周囲の世界について独自の理論をつくり、実験を繰り返す小さな科学者なのだ」
と言っていたそうです。イケメンです。
自と他の区別からくる中心イズム
少し話が逸れたので元に戻すと、今回取り上げる、自己中心的な考えは、色々な定義があるものの、とりあえず、自分と他者の区別はしつつも、中心的な考えを
しがちな価値観、言葉にすると、エゴイストやナルシシズム寄りの自己中心のメリット・デメリットをピックアップしてみようと思います。自己愛と置き換えてもいいかもしれません。
まあ、色々な立場や性質を持った人がいるのは大前提なので、万人当てはまることではないですが、ちょっと考えていきましょう。
自己中心的な考えの長所(いい感じに働くとき)
ではさっそく、自己中さんのメリットについて考えてみましょう。自己中心さんのメリットは大きく2つあると感じています。
①自分で自分の価値を認めることができる
先ほど、エゴイストを他者の賞賛、他人から満足感を得る人とといましたが、賞賛や満足、安心は自分から与えてあげてもなんら問題はありません。
あまりにも他人指標になりすぎている人は、自分の領域をぜひ確認してあげて、
自己中成分を取り入れると自分で自分の価値に気が付くという状態になるでしょう。
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②自分で自分(の表現や在り方)を許せる
もう一つのメリットは、自分で自分を許してあげることができることです。
ここでいう「許し」とは、自分が犯したらしい罪や罰についてももちろんですが、自分そのものの存在にOKサインを出すことがメインになります。
自己中=自分に素直になること?
自己中的な価値観が良い感じに働くときは、自分で自分にOKサインが出せます。
言い換えれば、自分を抑圧している感情や他人から感じる制限、思い込みなどを解放し、自分の素直さや正直さを大切に人生を過ごせるでしょう。
ヒーリングやスピリチュアルっぽい言い回しを使うなら以下のような恩恵があります。
- 言いたいことを素直に言う
- 気持ちを表現することをはばからない
- 失敗や間違いを引きずることなく、プロセスに感じられる
- 自分のためにお金や時間を使う
- 他人や過去の自分と比較せず、ありのままでいられる
- 相手のありのままを素直に受け止められる
- etc..
建設的に自己中が働いているとき、自分で自分に満足感が与えられるため、相手の自己中心的な考えもオールOKになるようなイメージが僕にはあります。
これは、サイドエフェクトでポジティブに考えるならですね。
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自己中心的な考えの短所(良くない感じに働くとき)
自己中心的な考えがあまり良くない波で派生するときも、大きくわけて2つピックアップしてみます。
①自分の都合で他人をコントロールする
自己中心の厄介なところの1つは、自分の正しさを正当化する過程で、相手の価値観や存在を排除・否定しがちになることです。
否定するだけならまだしも、そこを引き合い出して、他人をコントロールしなければ気が済まない!みたいな状況さえあります。
まあ、敢えて極端な表現をすればですが。
②自分好みに相手を変えようとする
もう一方で、自分の価値観や基準がすべてなので、それらを適用させるために、相手の不可侵の領域に土足で踏み込む側面もあります。
自分は良いけど、相手はダメである!あるいは、自分はダメだけど、相手は良きである!というのは、
お互いを認め合う方向にエネルギーを使えていないときなのかもしれません。
相手を支配する動きのデメリット
相手をコントロールしたり、変えようとしすぎるのはもちろん良い点もあるとは思いますが、
デメリットとしては(相手を支配するうえで)自分を損なうしんどさに気が付けないところなのかなというイメージがあります。
こちらも、スピリチュアルやヒーリングっぽい言い回しを並べてみます。
- 相手の領域を越え多くを求める、要求する
- 相手の価値観・言動を制限、排除、限定化する
- 自分の気持ちを認めさせる
- 相手を自分の都合のよきものに変換する
- 相手(自分)を試す(≒条件づけをする)
- 相手を排除する形で、自分の正しさを押し付ける
- etc…
こちらは行き過ぎた自己愛ともいえます。
また、相手に迷惑をかけず、親切にしましょう!という価値観は本当に幼いころから両親や地域社会で教わるものの1つですが、
「迷惑がダメだ!悪いことは罪だ!」という価値観も行き過ぎたら、誰かにとっては首輪やがんじがらめの縄になるのかもしれません。
ダメなのが人間ですから。笑
焦らず柔らかい世界にいたいですよね。
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他人のためか、自分のための人生か?相反するものからの学び
自己中心的な考えは、しばしば、相手を省みないからダメだ!もっと世のために尽くしなさい。という立場から反論の的にされます。
なので、最後に相反するものから自分がピックアップしたいと思える方を取り入れるといいかも。という示唆をしてみます。
他人のため?自分のため?どっち?
自分のために生きなさい。人生一度きりだから。という教えがある一方で、常に他人のためを思って、誰かの役に立つ人になりなさい。
という教えも存在します。
僕はこのどちらの考えも正しいと思うし、どちらも間違いだと思います。理由としては、当たり前ですが、人それぞれ個性やテーマが違うからです。
言い換えれば、自分のバランス感覚を調整するバロメーターみたいなもんで、偏りすぎずに人生を面白くするスパイスです。
スピリチュアルな考えや、それっぽい教え、自分の人生全てに共通すると思いますが、正解や不正解でくくれるものではありません。
やっぱりどちらかの世界観や価値観を押し付ける方向にパワーを使うんじゃなくて、
色々知ったうえで、自分はどっちが好きかを軸にしてみたいですね。
ピアジェ氏のいうように、もしかしたらぼくらは子供のころから、周囲の世界について独自の理論を展開する、小さな科学者なのかもしれません。
世のため人のために尽くす生き方こそが価値があり幸せな人生なのか?
まとめ:自己中心的なあなたをどう活かしますか?
先日、友人とやりとりをしたり、自分で自問自答する中で、自分は自己中なのかどうかについて考えてみる時間ができたので、
今回記事にしてみた次第です。
結論は出なかったのですが、仲良い友人に言われたのは、
「お前は、どうでもいいことはどうでもいいが、譲らないものは譲らない。」と刺さるワードをいただきました。笑
確かに、僕は自分をわりと柔軟性がある人と思いたかった、「良い人」に見せたい欲がプンプン香る日もありますよね。
頑固、自己中ってなんとなくネガティブなイメージが強いですから。
人の言うことを聞かない、素直に受け止めるもどう切り取るか相手に委ねられる部分もありますよね。
例えば、前者は頑固とも言えるし、自己中心性をもつ人。後者は、素直で柔軟とも言えるし、自分の世界観がない人。バランスって本当に難しいです。
ぼくが自己中か自己中でないかはどうでもいい(多分本当は逃げちゃダメなやつ)として、やっぱり人間観察は飽きがきません。
ぼく調べによると、自分自己中かも。。って悩む人はほぼ自己中じゃないので安心して大丈夫だと思います。説得力があるかどうかは謎ですが。笑
みなさんは自分の中心的な部分どうつかっていますか?そして、相手に自分をみる自分は好きですか?
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。