今回のテーマは「本来の自分」です。
あなたはあなたです!
※この記事は、「本来の自分」を生きているっぽい人が聞くと、わりとしっくり来るんじゃないかなと思う7つのメッセージをピックアップした内容になります。
スピリチュアル的な文脈でいう本来の自分とは、いわゆるエゴフリーな自分、ハイヤーセルフです。
日常的なあれこれ、ネガティブな声や(無理やりつくった)ポジティブな鎧を着ていうちは迷路の中にいるような感覚が大きいですが、
「本来の自分」は自分を温かく包むような存在です。(もちろんそうでない人もいるかもしれませんが。笑)
本来の自分でいると、めちゃくちゃ調子いい!!とは少しニュアンスが異なりますが、穏やかな自分に近づくという人もいます。(人それぞれですね。)
ちなみに、今回ご紹介する言葉がしっくりこない人は、何かしらのエゴや思い込みが突き刺さっている人もいるかもしれないので、
何かしらの参考になれば嬉しいです。
今回のお話の流れ!
- 本来の自分とは?
- 本来の自分を生きている人用の9つの言葉
- 本来の自分と溶け合う感覚
- まとめ
本来の自分を生きるとは?
本来の自分がなんなのか。っていうのは正直ぼくもわかりませんが(わかったら悟りピープルです。)、他の言葉で置き換えてみます。
本来の自分って?
人生の意味は色々ありますが、1つの切り取り方に本来の自分を思い出すプロセスというものがあります。
ここでいう本来の自分とは、無の自分とか、エゴがない自分とかです。
誤解してほしくないのは、無欲であるとか、私利私欲がなくなるとかそういう文脈ではありません。(そういう人も一部にはいるかもですが。)
自分以外で形成された価値観、思考回路、人格などを脱ぎ捨てたり、あるいは反対に着ていく作業の中でみつけていくものです。
ここでいう、自分以外で形成された価値観は3次元的に言えば、社会、生まれた場所のルール、親や友人などと溶け合う中で生まれたものです。
5次元的に言えば、その範囲が広がって、前世から引き継いだ価値観、並行世界の自分が生み出すもの。なんて感じです。
なので、本来の自分を敢えて違う言葉で表現するなら、
- ハイヤーセルフ
- 魂の自分
- 今ここの自分
- エゴフリーな自分
- 創造主(神)としての自分
- etc..
みたいな感じです。好きな言葉をぜひ探しておきましょう。
簡単に言えば、自分の純粋な欲求、願望のまま、好きなように生きるイメージです。
本来の自分を生きている人がなぜかしっくりくる9つの言葉
そんな自分に素直な状態であるとき、どんな言葉がしっくりくるでしょう。
ちなみに、このしっくりくるは、ナチュラルにそうかもなあ。というニュアンスを大いに含みます。
①あなたはいるべきまさにその場所にいます
人生で間違った道を歩んだり、間違いを犯したと感じたり、時間を戻したいと思うこと。あります。
ただ、あなたはいつどんなときもいるべき場所にいます。「失敗や間違い」を自分を責め立てる材料として捉えず、
レッスンあるいは、あなたの旅路をいくのに欠かすことのできないステップとしてみましょう。
その選択と経験が今のあなたをつくっています。そして、失敗や間違いからは思いやりや許しを習得します。
あなたはいつどんなときもベストを尽くしています。
②「今」だけを変えられます
エゴは過去に居座るのが好きで、そこで起きた出来事を反芻させます。未来についても同様です。
しかし、実際にはそのどちらの場所も変えられません。
過去を責めず、未来を不安視せず、バランスポイントをつくりながら、今ここをみつめていきましょう。
③必要なものはすべてあなたの内側にあります
エゴや恐れの声が沈黙していると、内側に輝かしいリソースをもっていることに気が付きます。
強さ、勇気、思いやりや愛、あなたが必要だと思うものをあなたはすべてもっています。
あなた自身を知ることで、ひとの痛みを共有し、自分の価値やパッションに気が付きます。あなたが本当になりたいと思う人になります。
内なる平和にタッチすると、あなたが経験する人生は穏やかに流れていくでしょう。(イージーモードになります。)
④あなたの価値を本当にわかるのはあなたです
エゴは承認欲求を探し求め、比較競争による防衛本能を育むのが得意です。
お金、地位・名声のような「成功」は、物理次元では一定の価値を持つ可能性はあるものの、あなたの本当の価値を反映するものではありません。
あなたの魂の目的や旅路を理解できる人はいません。つまり、あなたの本当の価値がわかるのはあなただけなのです。
(承認欲求を前提として)他人を喜ばせたり、実績を残すことを目的として創造性を使いがちがですが、あなたの本当の価値は光そのものです。
⑤あなたのガイドは恐れではなく愛です
エゴが強い時、ガイドが恐れになっているでしょう。
不足している、不十分であるという感覚はエゴの得意分野です。
恐れに基づいた決意と価値判断は幸福や平和とはかけ離れます。純粋で本来の自分であるとき、ガイドは愛になります。
本当の愛とは何か?愛の種類とスピリチュアルにおける愛の存在とは?
⑥支配ではなく、受け入れることで安心します
私たちは(不安なので)人生や他人をコントロールしようとします。しかし、人生におけるすべてをコントロールできるわけではありません。
「こうあるべきだ」という考えは、コントロール不可のとき苦しみをもたらします。時には人生の流れに身を任せることで、ありのままを受容しましょう。
他人をジャッジしたり、コントロールするために生まれてきたわけではなく、常にベストを尽くすために生まれてきたことを思い出してみてください。
ありのままの人生を受容していくことで、外側の要素をコントロールする必要ないことがわかり、内側の平和にタッチします。
⑦ありのままのあなたは完璧です
家族、学校や社会からどんな価値観を教わったとしても、あなたはそこにがんじがらめになる必要はありません。
ありのままのあなたは完璧な存在です。ありのままのあなたを愛し、受け入れることであなたのユニークな才能や感覚が花開くでしょう。
ありのまま受け入れるマインドフルネスとジャッジする生き方を比較してみた
⑧あなたの存在は唯一無二です
エゴの声が大きくなると、自分の存在がネガティブな意味合いで、あやふやに感じられる領域が増える感覚になります。
忘れてほしくないのは、あなたの存在は唯一無二です。他の誰にも取って代わる必要などありません。
そして、それは何があっても、いつどんなときも、変わることのない真実なのです。
⑨奇跡は起きるのではなくあなたが奇跡です
自分のエゴが騒いでいるとき、無理やりにポジティブな風潮を創ろうとすると、すごい!!これは奇跡だ!!という感覚が強くなり、
気が付いたら、本来自分がなりたい人、やりたいことを見失うことがあります。
奇跡とは、「人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごと」と思われがちですが、
今ここにいるあなたそのものが奇跡ということを思い出していくプロセスが人生なのかもしれません。
シンクロニシティの意味とは?この世は偶然ではなく必然、シンクロの連続かも
本来の自分を生きるVSエゴで生きる
ここからはぼくの感想的な部分を少し羅列してみます。
どっちがいい?
本来の自分を生きるとは、簡単に言えば、必要以上に背負いがちな3次元的な価値観・ルール、責任感などを脱いで、
本当に自分がやりたいことや目指したい方向性に焦点を充てながら生きていくことだと思います。誰もあなたにはなれませんからね。
ぼくは全員が全員、本来の自分を生きろ!とは思いません、好みですから。
よく、地球にいる限りはエゴ大事だよ。と言う人もいますが、好きならそりゃそうね。という感じでどちらでもいいです。
スピリチュアルの面白いところのひとつとして、
僕は5次元的なメタフィジックスだったり、空想的な世界観を3次元で表現したり、体現していくことだと思います。
だから、どっちも面白いんですよ。だとしたら地球に生まれてくる必要なくて、意識体やエネルギーとして浮いているだけで十分ですから。
最終的には、わかりやすくいうところの3次元(物理次元)と5次元の境目が消えて、
本来の自分とエゴの自分がイコールで結びついちゃうみたいな言葉にできないような状態になっていきたいところですよね。
思考は現実化すると言われていますが、逆で、現実が思考化する。とかね。
そして、目覚めのプロセス的に言えば、このエゴを脱ぐような作業は繰り返し訪れてはちょっとずつその振り幅がゼロに戻っていくイメージがあります。
何度もトライできるっていうのは、失敗や間違いがない点で言えば最高です。人間最高です。
今世でできなかったら来世とか並行世の自分がやってくれるんで大丈夫です。安心して挑戦していきましょう。
5次元世界に意識シフトしたことがわかるサイン。アセンション概念と新しい地球
まとめ:本来の自分を生きていますか?
ちなみに、今回原文は「ハイヤーセルフがあなたに覚えておいて欲しい7つのこと(エゴがなんと叫ぼうとも。)」って感じでした。
かみ砕いて本来の自分にした感じです。
本来の自分がなんなのか。っていうのはぼく自身もよくわかりません。言葉にしたら消えちゃいそうですし。
ただ、なんとなく共通項はあると思っていて、それが僕らの根源がスピリットであること、エネルギーでゆるくつながっていることだと思います。
だからなんなのか。と言われたら、別に何もないんですが、妙にピースフルな予感です。
みなさんは本来の自分を生きているっぽいとき、どういう感覚になりますか?
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
なんで特別な何かに成りたがるんでしょうね。スピリチュアル系や霊能者系の人たちって。
そんな人たちを見たり読んだりしていると、特別な能力を競うかのようにどんどん過激になってこちらとしては面白いんだけど、関わるのはイラっとするのでイヤです。
最近読んだ霊能者系の話では、生き霊が憑いて悪さをされたからライン(?)みたいなものをカットして悪さされないようにした、とのこと。中2病みたいですよね。私は信じていませんが読み物として面白いので読んでます。そんな私も私として認めても良いのでしょうか?決して捻くれてはいません。自らも幼少期から不思議な体験をしています。ただ、優先順位が現実の生活が上なだけです。
不思議話は好きですが、とんでもない人だとか話はへへっって感じで避けてきましたが、ここはマイルドな感じがして長く読んでいました。
時々心が安らぐのでありがたいです。
コメントありがとうございます。
スピリチュアル系や霊能者さんに限らず、特別な何かになりたがるのが人間なのでふつうです。笑
目に見えない。と言われているからこそ浮き彫りになりやすいだけなのかなと僕は感じています。
自分を認めるのは、とても最高です!
時々また遊びにきてください^^
はーい!そうします。
返信ありがとうございました。
ありがたやです