ヒーリング基礎講座10月後半開催予定

すべては親のエゴかも。親と子どものベストな距離感を考える

今回のテーマは親と子どもについて

まめたろう(僕)

たっかぶり(妻)

愛情の裏返しだったりしています。

※この記事は、親と子どもをテーマに新米パパのぼくが勝手に思い込んでいるすべては親のエゴ説と、子どもとの距離感覚についてぼくのイメージをシェアしていく内容になります。何か伝わるモノがあれば嬉しいです。

現在進行形で子育てをしている方、子離れした方、これからお子さんを授かるかもしれない方、色々な方がいると思います。みなさん、自分がどう育てられて、それがどのように子どもにそして自分に影響しているかを考えると何か発見があるかもしれません。

ぼくと妻も絶賛子育て中なので、偉そうに距離感は大事です!と、説くような意図はまったくありません(笑)なんとなく今、現時点で思っていることを共有できればうれしいです。そして、先輩ママパパには色々教わりたい気持ちでいっぱいです。

たぶん数日後には気持ちも変わっているかもしれません。(笑)

親と子どもの関係

親子ってなんか不思議な感覚ないですかね?

ぼくは、両親が小さい時に離婚していて、ほぼほぼ父親の記憶はないんですが、小さい頃から、母親は生物学上、間違いなくX染色体をくれた親ではあるんだけど、本当に「親」なのかは甚だ疑問でした(笑)

別に母親が嫌いだ、好きだとかそういう感じではなくて、なんとなく親って良くも悪くもやっかいなイメージがありました。小さいながらに片親ってことをなんとなく理解して、大変だからと決めつけて、模範的な子どもを演じる。

なんて部分もよくよく思い返すとあったかもわかりません。

人格形成と親子

年齢を重ねていくに連れて、たいていの人が、関わる人が親や家族から、学校、あるいは地域の人、その他、なんかにシフトしていきます。そんな中で人格形成とか価値判断基準を築いていったりします。

この人格形成や価値判断基準を築くモノとして、ぼくは親の価値観、あるいは学校のルールなんてものがかなり深く染み込むイメージがあります。

つまり、親がAといえば、Aは正しい。学校や先生がBといえば、Bは正しい。こんな価値観を子どもはわりとスムーズに引き継げちゃう気がしてなりません。とても柔軟なので。

そこに、子どもが、Aは正しくないと思っていても、それを言うことで、例えば親がこの子はおかしい。とか学校や先生があなたは変わっている。なんて親や学校・先生のエゴたっぷりの烙印を押し付ける部分さえあるかもしれません。極端な例ですけどね。

もちろん、受け入れてくれる部分もあるんですけど、結局は、学校の先生でも親でも、「大人が上、子どもが下」なんて方程式を何十年、何百年、何千年積み重ねてきた集約論的な部分だとぼくはけっこう感じています。

これが良いとか悪いとかそういうことではなくて、おそらく親の親、親の親の親、親の親の親の親・・・もそうしてきたはずで、それがいわゆる「習慣」なだけなんだと思います。

だからぼくらは積み上げたモノから外れた「例外」をすごく拒絶しがちになるし、歴史的かつ遺伝的に作り上げた「模範」を好みがちになります。なんておもしろいんでしょうね(笑)

子育ては親のエゴかもしれない件

子どもを育てることって、ぼくはとても学ぶことが多いなと感じています。まあ、正直、育てるっていう感覚はとても希薄で、一緒に生活しているだけ。って気持ちの方が大きいんですけどね。

赤ちゃんが泣くことに対する反応差

先日、妻と寝る前にプチ言い合いをしました。赤ちゃんってよく泣きますよね。原因は様々だと思いますが、ぼくらの子どもは最近だと意識が自分に向いてくれないとよく泣いています。その反応の違いでプチ論争が巻き起こりました(笑)

ぼくは、泣いていても、わりと放置するクセがあるんです。もちろん1時間とか2時間とかじゃないです。数分とか忙しい時には、10分とかそれ以上もあります。

一方で、妻は子どもが泣いたらすぐに抱っこしたり、泣き止む方向で対処する傾向にあるんです。

これって最初は男女の違いにあるのかなと思ったんですが、結局、親のエゴっていうところにぼくは勝手に落ち着いています。妻に怒られそうですけどね(笑)

つまり、ぼくは親にどうやって育てられて、妻は親にどうやって育てられてきたかの違いなんですよね。どっちが良いとかそういう文脈ではもちろんなくて、どのエゴと価値観で生きてきたかだけの差です。

赤ちゃんが泣く。ってことに対するリアクションの差を例に出しましたが、これ、置き換えれば子育てって全部一緒なのかもしれません。例えば、子どもに習い事をさせる。Bというモノの善悪の判断、言葉遣いから表現行動に至るまで。すべてです

自分は親にこうされてきて、大人になって満足だからこうする。反対に、親にそうされてきて、不幸だと思っているから子どもに対してこういう行動は絶対にしない

変化球投げ続けられたら、直球投げたくなるし、直球投げ続けられるのが楽だったら直球投げるし。直球ばっかりだったら変化球の方がいいかも。

なんていうイメージです。人それぞれ背景は違いますね。

子どもは例外なく天才

ぼくは、ぼくらの子どもだけでなくて、例外なく全員が天才で在ることは間違いないと変な確信があります。そこに身体的あれこれ、ルックス的あれこれは関係ありません。

もちろん、赤ちゃんだから、自分で対処できない部分はまだまだあります。お腹空いても料理を作ることは、まだできないし、トイレにはまだ自分でいくことはできないです。

そういう部分においてだけ、圧倒的に誰かの手助けが欲しい時だけ、ぼくらは手を差し伸べる存在であれば親ってけっこうすごい役割として大きいんじゃないかなって思っています。

天才すぎる子どもに、何かしてあげる。とかこれはやらないようにしよう。とかそういうぼくらがしつこく引っ張り続けているルールや価値観は天才すぎる子どもにとっては、キツイ表現をするなら、もしかしたら全部ムダなのかもしれません。

まあ、無駄にもとても良い役割があるんですけどね(笑)

エゴの線引きをしてあげる

ぼくの中では、子どもに何かしてあげるとか育てている感覚はほぼゼロなんで、なんともアレなところはあるんですが、少しだけ子どもと触れ合ってみて今までわかったことは、エゴの線引きはけっこう大切かもしれないということです。

子どもにはこうしてあげるべきだ。こうしてあげないと可哀想。なんて価値観はやっぱりエゴに落ち着いちゃうんだと思っています。そういうものは、今だったらネット拾い上げた「統計」だったり、親の親が作り上げた「歴史」に過ぎないかもしれません。

そして、これはぼくも今からたくさん学んでいくことではありますが、これはエゴかも?とか、ん?これって結局自分を特別視したり褒められたいからやっていないかな?ってたまに聞いてあげるとエゴとの線引きができるかもしれません。

もちろん、子どもは勝手に放っておけば大きくなるからそうしておけ!とかしつこくお世話するのは邪魔だからやめとけ!とか、そういう文脈ではないです(笑)

ぼくらもある意味ではまだまだ子どもなので、「自分が楽しめる範囲」でエゴを見つめ直すと案外おもろい発見があるかもしれませんね。

親と子どものベストな距離感って?

子どもと関わっていくことって、日々発見とトライ&エラーに満ちていてぼくはとても楽しいです。別に、何をしているっていうわけではないんですけど、強いて言うならストーカーみたく観察していることの方が多そうです。(笑)

親と子どもはとりわけ、ぼくらが血が繋がっているとか、遺伝とか、そういう見えない部分での繋がりが強いと感じる傾向にあるので、とても難しいイメージがぼくにはあります。

ベストな距離感なんていうモノは存在していなくて、自分が思う距離感覚がそれこそベストにはなってくるのは当然として、ちょこっとだけ今までの発見をシェアしておきます。

距離を詰めすぎず、離れすぎず

今のところ、ぼくはこの離れすぎず、詰めすぎず、やんわり見守る距離感が心地いいと感じています。ぼくが楽ってことはたぶん子どもも、楽なんだと思います。勝手にそう思っています(笑)

子育てに疲れているんだったら、たぶんそれはエゴの押し付けやエゴとの付き合い方がうまく循環していない印になるし、子育てが大切すぎるって思うのも、これまたエゴのニオイをプンプンに感じちゃいます。(笑)

もちろん、初めての体験だし、体力的にもエネルギーをたくさん使って、疲れているだけの人もいますよね。夜泣きが多いと純粋に眠れないですし。

子どもって言語を獲得するまで、意思表示や表現をできないと思っている人が多いかもしれませんが、ぼくはかなり子どもって正確にシンプルに言語以外で意思表示をしてくれていると感じています。

ある意味では、大人よりもわかりやすくてぼくはすごく助かっている部分があります(笑)表現が言葉ではない、ただそれだけですね。

もう一度、どの距離感でいるのが、自分にとって、夫婦にとって心地いいかを見つめ直すと面白いことに気が付くかもしれません。

エックハルト・トール氏が監修を務めている以下の本が面白そうです。

まとめ:子育ては自分育てかも。

ぼくらは、子どもを育てることって勘違いしているかもしれませんが、ぼくの勝手な感覚だと、間違いなく、自分、そして夫婦関係を育てています。

子どもと一緒に生活していく中で、あ、自分ってこういう部分があるかも。ああいう部分は親から引き継いでいたのか。などなど、掘れば掘るほど、たくさん出てきますね。

だから、好むと好まざるとにかかわらず、究極、子どもに教わるっていう姿勢になっちゃうと思います。

そして、これはもしかしたらぼくだけかもしれませんが、とりわけ2000年代以降に生まれた子どもはなんというか、すごく洗練されています(笑)エネルギー的に言ってしまえば、ぼくより遥かに力強さを感じます。

だから、ぼくら大人っぽい人たちは、たくさんのギャップに出くわすかもしれないですね。だからこそ、思い込みとか価値判断は四角よりは丸くしていた方がより一層楽しめるし、様々な発見もあるとはぼくは思います。

ぼくの中では、子育ても1つの実験というか、遊びのような良い意味でふざけた感覚でいるので、これからも本当に楽しみです。子どもが毎日どんなミラクル起こすかそわそわしています。もちろん、妻とバトルこともあるんでしょうけどね。(笑)

みなさんはどんな風にして、育てられてきましたか?そして、子どもがいらっしゃる方もいらっしゃらない方もどんなイメージで子育てをしていますか?

もし何かあればコメントもらえると嬉しいです。記事もシェアしてもらえるとたぶん喜びます。

いつも本当にありがとうございます。

4 COMMENTS

Navi

絶賛センター試験中の子どもの親です。
先日、子どもが3歳くらいの時に自分の家族は世界中の人が知っていると、想っていた。あーそうよと言いました(*^^*)もう一人の子どもは世の中から計算、数字というものが、なくなって欲しい。理由は面倒くさく、あれいらなくない?でした。
子育てはお互いが自分育てかな。
私達の場合はあまり親子って言うよりは、仲間みたいな感覚に近いです。名前で呼んでたりしてます。まぁ、一緒に暮らしていて、未だにおもしろいし、あきません!

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まめたろう

Naviさん

コメントありがとうございます!
おもしろい感性ですね。
そうですね、「お互いが自分育て」ですね。本当に。

ぼくも、親子っていうよりは、相棒に近いです。たぶん、飽きないんだろうなって思います。
いつもありがとうございます^^

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Navi

こちらこそありがとうございます!
2018年11月から、まめたろうさん&たっかぶりさんをあー!って感覚で見つけてしまいました。なぜに、たどり着いたのか不明です。読むのとても嬉しくて楽しいです。

↓大好きは記事!めちゃくちゃ同感です!
何で運を上げる簡単な方法。金運・仕事運・恋愛運はコントロールできる件

あーこれからも楽しみ、嬉しみー^o^

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まめたろう

Naviさん

ありがとうございます!
おお、とても嬉しいです。
運コントロールできますよね、ぼくもそう感じています。
引き続きエンターテインメントとしてお楽しみいただければ嬉しいです◎

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