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魂レベルが高いと人生は辛い?魂レベルが低いと人生は楽なの?

ペドロ

魂のレベルと人生について

辛いことが多いのは辛いって思っているからです。

まめたろう(僕)

※この記事は、「魂レベルが高い人は、辛いこと、大変なことが多い。」という主張に関してペドロさんとまめたろうがちょこっとだけいじわるなことを言及してしまう内容になります。(笑)

魂が成長する過程で、もっというと、人間的に成長する過程で、辛いこと・嫌なことは経験しているでしょうか?辛いことや嫌なことを経験すればぼくらは成長できるのでしょうか?

人生がツライのは、魂レベルが高い人に定められた、いわば、運命のようなもので、設定してきたハードルだ。なんて文脈はわりと、スピリチュアルの日の丸弁当的な存在のような気がしています。

みなさんはどう感じていますか?

魂レベルが高いと人生は辛いのか?

どうもペドロです。

今回はスピリチュアルにある定番の考え、魂のレベルが高い人の境遇についてです。しかも負の側面、有り体に言ってしまえば人生ハードモードではないか?という話です。

皆さんは直感的にどう感じますか?

魂レベルが高いと人生は辛いはそれっぽい

僕の印象では頷きかけるも、上手いな…って感じです。この上手いは何が上手いのか。その前にネットで拾ったある統計を見てみましょう。

アメリカの調査結果により、パンはとても危険な食べ物だということがわかった 。以下がその理由である。

  1.  犯罪者の98%はパンを食べている。
  2. パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
  3. 暴力的犯罪の90%は、 パンを食べてから24時間以内に起きている。
  4. パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを異常にほしがる。
  5. 新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる。
  6. 18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった。
  7. パンを食べるアメリカ人のほとんどは、重大な科学的事実と無意味な統計の区別がつかない 。
  8. 被験者100人に、1人につきパンをひとつだけ与えて一か月間生活させると、一人だけしか生き残らなかった。

というものです。つまり、それっぽいってことです(笑)それっぽいことが書いてある。

魂レベルが低いと人生は楽なの?

エゴをくすぐる「魂レベル」の話

魂のレベルが高いと人生ハードモードは全然嘘なんかではないですね。ありえる話です。ただ、1つ思い出さなければいけないことがあります。今日日小学生でも知っているある真理…

みんなつらい……

これです。これを小学生がうつむき加減で言ってたら切なくなりますけど、これが現実だと思いますね。逆に言ってしまえば魂のレベルが低いと人生イージーモードなん?って疑問も出てきますよね。

人生の辛さというのは色々な要因がありますが、その頭取にあたるものが『エゴ』だと思います。集団生活での苦労は競争や比較、排斥など多岐にわたりますがそれらを司るのがエゴなんですね。

なぜエゴというワードを出したかと言うと魂のレベルが高いと人生が辛くなりがち、という価値観はめちゃくちゃエゴをくすぐるんです。苦しんでる人が見たら瞬殺だと思いますね。

だからこういった記事は人気があったりコメントも多くつくのではと推測します。そのアンチテーゼでもある僕の記事は不人気でしょう(笑)

魂レベルが高いと人生は・・

先程苦しみの頭取はエゴだと言いましたよね。この類いの記事から得られるのはエゴの養分ということになります。エゴ育てってやつですね。誰でもエゴを優しく撫でられたら気持ちがいいものです。

でもそれで苦しんでいる人が楽になったかというとそうではない、かもしれない。ここは人によるので。苦しんでいる人への正解って人それぞれなのでなんとも言えないところではありますが、ああいった考えが蔓延しているのは方向性として違うと個人的には思いますね。

魂のレベルが高い例に良く出る、身体的、知的障害者の方達にも触れましょう。彼らはとても大変な生活を強いられていると思います。これは健常者の僕には全く分からないゾーンの苦労です。

そういった方達は強靭な精神で試練を乗り越えて行けると、なぜなら魂のレベルが高いから。うん。何も間違っていない。人の苦労というのは不可侵なところがあって、想像に頼るしかないですよね。ですから誰々が高いから辛い、辛くないというのはかなり不毛です

そして最後にこの問いかけで終えようと思います。魂のレベルが高い人は人生ハードモード。この考えは誰が思い付いたと思います?本人でしょうか?魂のレベルが低い人でしょうか?

いつも読んでいただきありがとうございます。

魂レベルの段階によって人生の辛さが変わるのか?

いやあ、エゴいですね。

まめたろう(僕)

魂の成長、魂レベル、ぼくらはなぜ生まれたのか?試練が多い。乗り越えるべき試練を設定してきた。この類の話、みなさん好きですか?どう感じているでしょうか?人間って面白いですよね。

ここからはぼくが人生の辛さと魂レベルに相関関係あるかもしれないし、ないかもね。という話をペドロさんと同様塗り重ねつつ、魂のレベルについてぼくの感覚を少し言及させてもらいます。

神様は乗り越えられない試練は与えない

魂のレベルが高いと人生ハードやで。という考えを提唱した人が誰かは知りませんが、苦労・心労、試練の類、ぼくら乗り越えるべきものとして捉えるのが好きだし、ハードルクリアすると成長する気分になれるから不思議です(笑)

そして、このキラーフレーズ「神様は乗り越えられない試練は与えない。」熱血教師、人情くすぐるドラマに登場してきますよね。これ、もともと実は新約聖書からきているんです。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

新約聖書:コリントの信徒への手紙第一・第10章・第13節

如何にも・・な内容ですよね。神は真実。試練は乗り越えられる。乗り越えることで成長できる。その試練が高いほど、ぼくらの魂のレベルは高いんです。ペドロさんも言っていましたが、もちろん間違いではないです。そうやって来ている人もいると思いますよ。

ただ、これ、一義的なんですよね。

ぼくらの子供は生まれつき耳が聞こえない(難聴)です。じゃあ、難聴だから他の子供と比べて、魂のレベルが高いの?ってなると、正直ぼくはうーん。と首を傾げちゃいます。

また、例えば、日本に住んでいる人とアフリカの村に住んでいる人を比べてみましょう。ぼくら日本に生まれた時点で、相対的にみてアフリカの村に生まれた人たちよりは、物理的に「経済的豊かさ」があります。

じゃあ、日本に生まれた人とアフリカに生まれた人を比べると、アフリカ人の方が魂レベルが高いの?って言われると、アフリカ行ったことある方ならわかると思いますけど、彼らまあまあ幼稚ですよ?(笑)そして、言わずもがな、めっちゃ人によります。

みなさんはどう感じますか?

魂レベルと人生の辛さは解釈かも。

結局、ぼくの感覚としては人生が辛くて苦しくて、どうして生まれてきたんだ?私なんて・・と思う方は、それ魂レベルが高いからやで。神様っぽいやつが試練与えてレベルアップするためやで。

って言われて、おお!なるほど!ちょっと頑張ってみるか!とストンって落ちる人はそういう解釈をすればいいんです。

逆に、人生辛いのにそういう設定してきた神様を恨むぜちくしょー。という方はその考え、たぶん嘘やで。って解釈すればいいんです。

だって、辛い、苦しいの類に絶対的な価値観は存在していないし、逆に楽しいことも人それぞれですよね。そして魂のレベルが高ければ万事OK最高潮。というのも、魂のレベルが低ければ、サイアク&ダメ。ということも絶対的な尺度はまったくないです。

それ、神がこいつらおもろいからこういう考え投げたらどうなるかな?って試しているだけですからね、たぶん。なので、自由に自分が楽になれる解釈論を採用することを絶対的にめちゃくちゃおススメしておきます。

そもそも魂にレベルはあるのか?

終わりに、そもそも、魂にレベルがあるのかっていう話をしておきます。そもそも論として、ぼくの感覚だと、魂にRPGのようなレベルはありません。輪廻転生を繰り返しているから、めちゃくちゃ生まれ変わっているから魂のレベル高いで!

っていう人ももちろんいなくはないと思うんですけど、それは大枠の魂、感情、精神、心の部分であって、本質っぽい魂とはちょっと違います。なので、あくまでこれは地球的な人間的な価値観なのかも・・と感じていると楽になるかもしれません。

ぼくらは、比較しちゃう生き物なんです。魂レベルが高いとか低いとか、人生は辛いほど良いモノ。苦しいほどハードルがあって成長できるモノ。その他もろもろ全てですね。

本当は魂に高いも低いも、人生にハードもイージーもないっていうのがぼくの本音にはなって、そういう比較を抜けて、自分尺度に来ると、けっこう面白く、肩の力は抜けてくるのかなと感じているんですけどね。

なので、魂レベルのお話、人生イージー&ハードのお話は完全に好みなのかなと感じています。必ずしもそう思う必要はなくて、ぼくら順調に完璧に、わりと成長しているんじゃないですかね?よくわかんないですけど(笑)

魂レベルの高いみなさんならたぶんきっと、わかるはずです。

魂レベルに高いも低いもないと言ったばかりなのに以下のような記事を書いちゃうぼくはきっと、魂のレベルが低いんだと思います。

いつもありがとうございます!

5 COMMENTS

びわ

「与えられた試練は支援なしで乗り越えなければならない」と誰にも言われなかったので、支援受けまくりで軽く越えてます。

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まめたろう

びわさん、コメントありがとうございます!

おー、ぼくもその恩恵にあやかりたいと思います(笑)

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びわ

まめたろうさんも私を支援してくれる人の一人ですよー。
いつもヒントになる面白い記事をありがとうございます。

返信する
みにょん♪

まめたろうさんこんにちは(^人^)
以前の記事を見かけて、思わずコメントを(  ̄▽ ̄)タメになる記事をいつもありがとうございます!

その魂レベルとか、霊格が高いとかって、めちゃ変な概念ですよね?物質世界での比較競争が、スピに舞台が変わっただけやん。

・過酷な人生だった人は霊格が高い!
→いや、その概念おかしいやろ(爆)。そしてこの概念に、お気楽人生だったヒーラーが嫉妬したあげく、

・過酷な人はそれだけカルマが重いのよ、それだけ苦労しなきゃ目覚められないのよ!レベル高い人は苦労せずとも覚醒している!
→という逆転しただけの反論が(爆)

最近、こんなしょーもない争いをスピ界隈で目にして、関わりたくない世界に感じました( ̄▽ ̄;)

それこそ、波動やら軽くなれば、比較に関心なくなると思うんですけど、ここが変だよスピリチュアル、の典型ですかね(笑)

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匿名

皆様にもう少しお考えを進めていただいて。

たとえば認知症老人の妄言を精査したり鬼の首を取ったように指摘したりする人がいない理由は妄想するしかない彼らの置かれた状況を我々がおおむね想像し理解できるからとも言えましょう。

この思いやり深い習性を我々だとするならば指摘されるべき我々の問題は妄言そのものではなく今の瞬間に我々が妄想をせねばならない状況に置かれていると理解する想像力が我々自身に足りていないことであると思われます。(足りていれば認知症老人と同様の思いやりを示すでしょう)

ついでに、我々自身どころか認知症老人に対してまでも妄言を精査し嬉々と指摘する殊更に想像力のない人間こそが一般に程度(魂レベル)が低いと呼ばれてしまう(どうしてもそう感じられてしまう)ことは論を待たないでしょう。

しかしながら、もしどのような現実に相対してもいかなる時も自分は愛であるという決意を持てば我々人類には妄想と妄言以外のものはなにも与えられておらずその中身に意味などないとの気づきが得られるでしょう。
そうなれば我々は思いやり深い自身の本当の習性を開花させ、我々自身を誇って生きることができます。

ちょっと冗長すぎましたね。失礼

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