まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、「欲」をテーマにスピリチュアル的にみてそれは良いモノなのか、悪いモノなのかを議論してみる内容になります。スピリチュアルな話になると質素倹約派と強欲派だと、おそらく質素倹約派に分がありそうですがどうなんでしょうね?
悟りの道には欲は悪いモノ、欲を捨てなさいという概念はわりとポピュラーな気がします。一方で、欲は必要です。欲を出さないと宇宙由来の魂は活躍できません。なんて声もぼくはわりと聞いたことがあります。
ぼくの意見がスピリチュアルなのかどうかはわかりませんが、スピリチュアルっぽい観点から結論を先回りして言ってしまうと、欲は良くも悪くもないですね。お馴染みの好きにしたらいいで。になるとぼくは感じています。
みなさんは欲をどう捉えているでしょうか?
今回お伝えしたいこと
- 欲は良いの?悪いの?
- 欲のトラップとエゴ
- 質素倹約派?強欲派?
- 欲がなくなれば波動が上がる?
欲は良いの悪いの?スピリチュアルからみた欲とは?
欲は簡略化して表現すれば、○○欲しい、××したい。などの欲望の部分ですね。スピリチュアルっぽい視点からみれば善悪なんてものはないんですが、今回はわかりやすく、(エネルギー的に)「良い欲」と「悪い欲」に敢えて分けてみたいと思います。
もちろん、便宜上分けただけで、良い欲も悪い欲も突き詰めればそんなものはありません。
悪い欲
スピリチュアルっぽい視点(エネルギー)からみて「悪い欲」は、それが純粋な欲求とは異なるところから来るモノがほとんどだとぼくは思います。
「異なるところ」はどこかと言えば、毎度お馴染みの『比較』による優劣のお話やエゴがほぼ大半を占めるでしょう。また、私だけのモノにしたい。なんていう所有のコンセプトもかなりの部分でそんな欲をもつ自分を刺激するには十分です。
ネガティブっぽい欲の一例
- エゴから来るモノ
- 所有から来るモノ
良い欲
反対に敢えてエネルギー的にみる良いとされそうな欲をみてみます。こちらもぼくの答えはめちゃくちゃ簡単で、本当にそれ欲しいか?本当にそれしたいか?純粋なピュアな部分から来る欲ですね。
お腹が空いたからご飯が食べたい。とか、アフリカでキリンを見てみたいとか、(エゴじゃなくて)お金欲しいとか。
なんでもいいんですが、そんな本当に純度の高い欲はピュアなエネルギーがあるので新たな欲の養分にはならないし、欲を追い続けることで一生エンディング曲が流れないゲームに参加することにはなりません。だってお腹空いて食べたら満足するじゃないですかね。
純粋に求めること、誰かによって求められるように仕向けれらたかの差がエネルギー的観点から言えば善し悪しに繋がってくるんでしょうね。
欲でハマりやすい罠。欲とエゴの関係
ここからは前述した「悪い欲」を少し深堀して紐といていく作業になります。つまりどの状態の欲が、なぜ深みにハマるトラップになるのか。についてです。
結論から言えば、エゴと現実のギャップの2点が大きいです。
なぜ比較や所有がリスキーなのか?
エゴから来る欲求、所有というコンセプトから来る欲求がなぜ「ネガティブ」かと言えば、答えは超絶シンプルで、また新たな欲求をつくる養分でしかないからです。すべてはかりそめなんでしょうね。
つまり、他人との比較からできた欲を満たすために、何かをしてもまた更なる欲望駆り立てる原動力となります。一生クリアすることのできないゲームを回転木馬みたくグルグルしているイメージです。
そうなると、自分は満たされていない状態が慢性化してくるかもしれません。つまり自分は豊かじゃないんじゃないか。という幻想と霧の中を粛々とかつ堂々と歩いている状態に近いかもしれません。
(まあ、こんなこと言われなくてもめちゃくちゃわかっちゃあいるで。かもしれません・・)
それが自分の欲であればもちろんいいですし、そういうゲームの方が好きであれば100%そっちに参加した方がいいです。すべては主観で作られた幻想に過ぎないので。
突き詰めてしまえば悪いとかいう概念ですらありません。
エゴや所有から来る欲は新たな欲への片道切符かも。
欲と現実とのギャップ
欲の微妙な点のもう1つは、現実と理想のギャップです。それによって、自己否定、他人への妬み、不毛な議論などにつながるところです。
例えば、お金が欲しい。パートナーが欲しい。という欲望がピュアにあったとします。でも「理想」のお金は手に入らなかった。とか、「理想」の現実はなかった。など、感情感覚の方が勝っちゃう場合、欲が起因でこじらせることにはなりそうです。
それがまたまた比較論争に巻き込まれると、「ふつう」でありたい自分をさらに遠ざけてもうわけわからん。なんて状況も産みかねないですかね。
突き詰めれば、理想と現実にギャップはないんですが、そう思えないし、そう感じられないときもめちゃくちゃあります、人間なので至極当然です。欲やエゴの自分はちょっと静かにしておいて欲しいところではあるんですが。
どうにもならないことはどうにもならないかも。
欲深いのは悪い?質素倹約が良いの?
ここからは話をスピリチュアルっぽくしていきます。主に悟り的なコンセプトで欲は良くないモノ。欲を捨て自を取り戻せ。的なところを今度は探ってみましょう。
欲深いのはダメで質素倹約がいいと言ったのは?
欲を捨てよ。自分の為ではなく他の為の人生であれ。そうすれば徳が積まれてうんちゃら。みたいな話は、ぼくらの親、親の親、親のそのまた親の得意分野や美徳です。
突き詰めれば、宗教的コンセプトに寄るものがめちゃくちゃ強いかもしれません。ぼくらはこちら側の方が強そうですね。
反対に欲があれば成功できるとか、欲は持つべきという考えもあります。
欲深いのがダメとか、欲は持つべき。そうしないと・・というのはめちゃくちゃ広い視点から言えばすべて幻想です。そんなものはありません。
質素倹約的な概念についてもすべて一緒です。
捨ててもいい欲、捨てなくてもいい欲
なので、前述した、あくまで自分基準で自分の尺度でいいので、純粋な自分からくるpassionなのか、それともそれが誰かの価値観や、社会などの倫理観によってつくられ、駆り立てられたdesireなのかを吟味しておきたいところです。
まあ、別にそこまで深く考えなくても、(誰かや何かと比べて)お金欲しいとか、恋人欲しいとか、社会から認められたい。高級車よこせ!って欲深くなってもいいんでしょうけどね。
もしかしたらそれが情熱に切り替わる可能性も低いかもしれませんがゼロではないですし。
この辺りは、人それぞれの好みやつくってきたパーソナリティやアイデンティティによるところがめちゃくちゃあるとは思います。
ぼくの場合は、おもろければ良い派かつ結構アホなのでとくに考えないですかね笑
欲しいモノ・こと、やりたいことは自分に聞きながらちゃんと欲しいと言いつつあとは目の前のことをごにょごにょしているときが多いです。
波動が上がると欲がなくなるの?欲を捨てると悟りの状態?
ここからは悟りに触れつつ、欲がなくなると波動が上がる説があるのでそこを議論していきます。
結論から言えば、人それぞれですかね。波動が上がっても欲はなくなるorなくならない人もいるし、欲がなくなっても波動が上がるor下がる人もいます。
欲とエネルギーの関係
欲と波動は、元も子もない表現かつ乱雑に言うと、ぶっちゃけ関係ないとぼくは感じます。
理由としては、波動や周波数は、欲を指標に変わる部分とそうでない部分があるから。そして、欲は、あってもなくても波動や周波数は変わっちゃうからです。
そこに相関関係が見いだせるとすれば、ぼくらの思い込みやエゴなんじゃないでしょうか。
魂レベルが高いと人生辛いで。とか徳を積めば幸せになれるで。とか波動が上がればめっちゃ幸運舞い降りるで。という議論とまったく一緒ですね。
悟りと欲の関係
悟りと欲に関しては、悟りの定義によるところがめちゃくちゃ大きいんですが、強いて言うなら、前述した滞りの多い「欲」があると悟れないんだと感じます。
悟りの状態は、それこそ肉体的な死を体感してあちら側にトリップしないとわからないんでしょうけど、要するにめっちゃわかった人。あるいは、すべて完璧だなあ。と感じる状態だと思います。
なので厳密に表現すると、悟りは「今ここ」しか存在しえないので、欲とは成立しない世界観がありそうです。
まとめ:欲もエゴも自分のバランスと声を大事にすればいいかも
今回は、欲を扱ってみました。
欲そのもの自体に良いとか悪いとかはないです。そして肉体として生きているぼくらなので、欲は在ります。
ぼくからの提案としては、エゴとか所有とかピュアな部分が薄い欲は必要に応じて捨てれば、めっちゃ楽です。だって一生終わらない可能性めちゃくちゃありますからね。
完全に無欲でいなさいとか、エゴを捨てなさいとかそういう話ではもちろんありません。あくまで、(何かや誰かが起因で)こだわっとるわ。という自分がいたらそれゴミ箱&再インストール案件かも。というお話です。
ただ、エゴや所有で自分完璧だなあ。とかめっちゃイイ感じやわ。と言える人もゼロではないかもしれないので、やっぱり自分に聞くことをめちゃくちゃおすすめします。
ぼく自身、欲についてはけっこう扱い的に正直どちらでもよくて、欲しければ欲しいんやろ。という感じではありますかね。
お金とか人間関係充実してたら嬉しいのはやましいことでもなんでもないですからね。その人にとってはそれが指標になるんでしょうし。
欲を突き詰めると、常に自分のピュアな部分を認識するためのツールの1つなのかもしれません。
みなさんは、欲をどう感じているでしょうか?質問や意見などありましたらコメントやSNSでご連絡くださいませ~
いつも読んでくださってありがとうございます。