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おばけや霊に取り憑かれる憑依現象はある?悪魔や悪霊はいるの?

今回のテーマは「おばけや幽霊の憑依」です。

まめたろう(僕)

たっかぶり(妻)

私がおばけであり憑依するのです。

※この記事は、「憑依現象」について、憑りつかれることがある派の意見とない派の意見をまとめつつ、ぼくが思うところを共有する内容になります。憑りつかれて憑依されるような経験ってみなさんありますか?

憑依現象について、メタフィジックスな立場からは意見が分かれているところです。結論を言ってしまうと、あると考える方がマジョリティで、ないという立場はわりとマイノリティですね。スピリチュアルも色々なせかいがあります。

憑依現象あるでという立場にも様々な意見があり、ないという意見にも色々なバリエーションがあったりするのでなるべくわかりやすくお伝えできればと思います。悪霊や悪魔はまあいるっちゃあいると思うんですけど、解釈論にはなってくるんだと思います。

悪霊やおばけに取り憑かれる憑依現象とは?

まず憑依現象について、信仰面などからみていきましょう。取り憑かれるって感覚は、悪く捉えればおばけとか悪魔をイメージするし、よく見れば、神降ろしとか、神懸かりとかって言葉で表現されていますね。

憑依とは?

[safe title=”憑依の定義”]

人の生霊・死霊,動物霊などが人間の体内に入ることによって,その人が精神的,肉体的に影響を受ける現象をいう。コトバンクより

[/safe]

憑依は上記のように定義されていて、起源を辿ると、肉体と霊体が別個に存在するのではないか。っていう信仰っぽい概念に行きつきます。シャーマンとか霊媒師さんをイメージしてもらえればわかりやすいですね。

世界における憑依信仰

憑依信仰、つまり憑依現象あるでという考えは歴史が古く、シャーマニズムや(悪魔や悪霊などの意味合いで登場したりする)キリスト教、日本の霊媒、古代ギリシャにおける(精霊や神霊などを意味する)ダイモーンにも登場します。

シャーマンやいわゆるイタコさんなんかは自ら霊や精霊と繋がったり、おろしたりすることで、それっぽいことをするし、大昔の原因不明な病気に関してもこの「憑依信仰」はあったようです(神の祟りとかね。)

まあ、現代でも、二重人格とか多重人格を憑依面から捉える人もいるし、なんか自分じゃないっぽい考えや言動しちゃうとき、それは悪霊とか悪魔にカラダを乗っ取られたんです。なんてことを言う人もいますよね。

憑依の種類

憑依に関していうと、ざっくり分けて2種類みなさんがイメージしやすいところがあると思います。

1つはコントロールできる憑依ですね。前述したシャーマンやイタコさん、現代でいうとチャネラーさんは自らの身体や意識を別の誰かに憑依させコントロールして、メッセージっぽいことを降ろしたり、死者や宇宙人とコンタクトをとるのではないでしょうか。

もう1つは、コントロール不可の憑依です。こちらは、悪魔や悪霊・生霊、ネガティブなスピリットの存在に自らの身体や意識が乗っ取られるなんて言葉がぴったりだと思います。

今回のテーマは、霊やおばけに取り憑かれる憑依現象(コントロール不可っぽい憑依)なので、そこを主にピックアップしてどんな意見があるかを見ていきたい所存でございます。

悪霊や悪魔に取り憑かれる憑依現象ある派

スピリチュアルな世界では、憑依現象ある派の人がほとんどではないでしょうか?日本だとお祓いがあるくらいですからね。キリスト教にも悪魔って概念ありますしね。エクソシスト的な。

このある派の中でも、それ悪霊やで。っていう人もいれば、悪霊なんていないけど・・というところを少しだけ掘り下げてみます。

悪霊や悪魔はいる「ある派」

悪霊や悪魔の類に意識を乗っ取られて、それが原因で身体の不調、精神の不安定さを導き出す憑依現象ある派さんたちはわりと多いかもしれません。

日本のいわゆる霊媒師さんとかはここにほぼ分類されるのではないでしょうか。地縛霊、因縁霊などなどの考えもありますよね。

ちょっと怖いですよね。もしぼくが、悪魔や悪霊に意識乗っ取られたらそれこそ、変なことしまくりそうです。

悪霊や悪魔はいないけど「ある派」

悪霊や悪魔の存在に関して、否定というよりは、捉え方がいわゆるぼくらがイメージするような「悪」ではない。憑依現象ある派の意見もあります。

ここで、「悪」ではないというのは、ぼくらは聖人君子みたいな目に見えない存在に関しては天使や神、精霊なんて良さげなネーミングをつけますが、犯罪者や怨念ありまくりな見えない存在に対しては、悪魔や悪霊と名付けします。

そういう地球っぽい概念ではなく、敢えて言葉にするならただそういう存在なだけ。っていう感覚で悪魔や悪霊を捉えている意見ですね。

イタズラ大好きなおばけか、人助けが好きなおばけかっていうくらいな差ですかね。個性として捉えているイメージです。ぼくもこの意見で、苦しめるような意図、痛めつけるような憎しみをもった悪霊や悪魔はいないかなっていう印象が強いです。

憑依現象ある派の意見
  1. 悪霊や悪魔が存在しているという考え
  2. 悪霊や悪魔はいるけど善悪の「悪」ではないという考え

悪霊や悪魔に取り憑かれる憑依現象ない派

憑依現象っていうのはないかなっていう考えはスピリチュアルっぽい世界ではマイノリティなイメージがぼくにはありますが、もちろんいます。

憑依現象がない理由

憑依現象がないと考えるスピリチュアルっぽい方々の理由意見としては、意識が現実をつくる。これに尽きるのではないでしょうか?

つまり、悪霊や悪魔の類がいると思えばそっちの現実にシフトするし、いないと思えばそっちの現実にシフトするって考えです。日本の寿司をみたことないアマゾン原住民族からしたら「寿司」はこの世に存在しないのも同然ですよね。そんな感覚だと思います。

また、こちらでポピュラーな意見としては、悪霊や悪魔はいるかもしれないけど、それが外側からコントロールするようなことはせずすべては本人の意識の表れ(共鳴)という考えですかね。自分を全開に信じ切っていたらこの立場に立ってもよさそうですね。

おばけや霊の憑依現象に対するスピリチュアルっぽい見解まとめ

スピリチュアルっぽい世界で言われている憑依現象に対する意見はざっくりですが、こんな感じですね。もちろん、どの立場も正解だし、どの立場もぼくは不正解だと思います。だって、たぶん視点や切り口でぼくらは変わってしまうので。

少しだけぼくの見解をお伝えしていきます。

悪魔や悪霊っぽい存在はいるかも

ぼくも憑依現象ある派の一部がいうように、悪霊やおばけ、悪魔っぽい存在はいることはいると思います。ちょっと闇っぽい存在ですね。ただ、その子たちを悪霊や悪魔と総称するのは人間っぽい考え方だなあと感じています。善悪の「悪」ではないっぽいですね。

天使やいい感じの精霊を光100%の存在としたら、悪霊や悪魔の類は、光の純度が100%未満なのかなという程度です。24.2%くらいですかね、知らんけど(笑)

完全完璧な憑依現象はないかも

それを踏まえた上で、意識や身体の隅々までコントロールするような憑依現象はまずないかなあ。というのがぼくの印象です。(ぼくが今までみたことがないだけかもしれません。)

ただ、自分の中の卑しい部分とか、落ち込んだ時に出ちゃう自我の強さ、ネガティブさを強調させるような憑依現象っぽいやつはあると感じています。

魂に完全に憑依されるっていうよりは、自分の外側のオーラっぽいところにそういう存在が引っ付くイメージとして捉えることが多いです。

これも個人差があって、完全完璧に魂に憑依されるっていう人はみたことはないんですが、めっちゃ魂っぽいところに寄ってるなあ。って言う人はみたことあります。だからあるようでないし、ないようであるみたいな曖昧な回答になっちゃいますかね。

闇をみることで光がわかる件

ぼくは、悪霊や悪魔、おばけの類が憑依っぽいことをする理由はこれに尽きる気がしています。つまり、自分の覚醒やアウェイクニングにたまたま必要だった。ってイメージですね。

悪霊や悪魔の類が取り憑いてくれたおかげで、自分の闇っぽい部分が深く知れたとか、こんなに卑しい自分がいたんだって気付く人もいるんじゃないでしょうか。まあ、そんな風に昇華できるのは、そこで苦しむ自分を抜けてからのことですが。

憑依体質っぽい人もまったく一緒で、それを繰り返すことに意味がある人もいるかもしれません。自分の魂やエネルギーのブレの修正・補正の類なんでしょうね。もちろん色々なパターンがあって、決まったものはないんでしょうけどね。

ぼくは起こることは起こるべくして完璧に起こるという考えがわりと好きなのでそう考えますが、これは完全に好みの範囲を抜けないでしょうね。

まとめ:フォーカスする現実でおばけも悪霊も憑依現象も変わる?

今回は、「憑依現象」に対するスピリチュアルっぽい世界で言われていることを取り上げてみました。

みなさんは憑依現象についてどんな考えをもっているでしょうか。どの説明も完璧たるものはないとぼくは感じているんですけど、自分がどの現実に焦点を充てたいかによって決めちゃえばいいことだとは思います。

個人的には、思い込みかもしれませんが、おばけよりも人の念とか、人間のエグイあの感じの方が怖いし、そこもたまらなく好きなんですけどね(笑)

無意識の範囲を越えないでしょうが、悪魔とコントラクト結ぶ人もいるのがぼくらなので、わりとおばけや悪霊からしても、ぼくら人間の方がこわいのかもしれませんね。

ちなみに、ぼくはおばけの類はそんなに気に留めないのでふだんたくさん取り憑かれまくっているのかもしれません。

いつも読んでくださってありがとうございます!

まめたろう(僕)

4 COMMENTS

にゃん吉

どもども、通りすがりにコメ残していくであります。

にゃん吉は、ふつーの人が見えないものを見たり感じたりするのであります。
でもでも、それって何かしらのモノがそこにあるのじゃなくって、ある種のデータがあるだけだと思うです。
感度の良い人は、意識するしないは別にして、ある時は自分の中で、ある時は自分を投影機にして外に出しちゃったり……。

自分の周りで起こる現状をしっかり観察すると、スピリチュアルの思い込みな世界は、実はとっても科学だったりします。
あまり不思議なものに依存しない方が、真実が良く見えると思うです。

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まめたろう

にゃん吉さん、コメントありがとうございます!
>ある種のデータがあるだけだと思うです。
これは確かにそうですよね、ぼくもそう感じるときがあります。

>自分の周りで起こる現状をしっかり観察すると、スピリチュアルの思い込みな世界は、実はとっても科学だったりします。
科学かどうかまではぼくはわかんないですけど、確かに「自分」を観察することから始まりますよね~

面白いコメントありがとうございます!

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びわ

お久しぶりでーす。

生き霊にとりつかれたとして、
例えば塩で清めたら洗い流されたものはどこに行くんだろう?って思います。
また持ち主のところに帰る?
そうだとしたら、とりつかれたこっちだけ不快な思いをして持ち主は元どおり元気って腹立たしすぎる( :゚皿゚)って思います。人間だもの(笑)

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まめたろう

いつもありがとうございます!
どうなんでしょうね~。生霊次第だとぼくは感じています!

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