『少し遅かったか…』
近所にある桜並木を訪れていた男は春の陽気とは裏腹に、暗いものを抱えたまま散りゆく桜を見てそう思った。
男は定年を迎え、ある感覚に苛まれていた。それは自分の人生はこれで良かったのか、といういささか手垢にまみれた虚しさであった。
きっかけは無事定年を迎え、内心安堵していた時の事である。それは何気ない人生回顧だった。
『人間生きていたら色々ある。当然だろう。山あり、谷ありだ。なのにこの渇きはなんなのだ。この人生のゲームに勝者はいるのか…。いやいないだろう。死がすべて奪い去る。変化しないものなどない。私が何をしたというのか。この場合はしなかったせいなのかもしれない。それが何かは分からないが…』
こんな私を肌で感じ取ったのか、妻との関係も緊張を帯びていた。ただ、今はそんなことどうでもいいと思える程この虚しさを払拭したかった。
ふと男は自分の人生をおおよそ山と谷としか表現出来なかった事に気付いた。ボキャブラリーの貧しさを嘆いて密かに小説でも読もうと決意した。
それから体を動かしたり、何か没頭できる趣味を模索してみたが虚しさという青く冷たい手からは一向に逃れられないでいた。
そんな折、妻から桜でも見て気分転換してきたらどうか、という提案があった。
体の良い厄介払いだろうという本音は出かかるも飲み込んだ。私は良い案だと言わんばかりに外出の支度をするのだった。
通りを歩いていると向かいからにぎやかな大学生くらいの集団が通り過ぎていった。
普段なら気にも留めない事柄も自分の状態如何で変わるものだ。体は老い、姿だけは老練な職人のようでいて、悩みときたら青臭ささえある。
そんなグロテスクなまでの乖離に、自分が化け物である免罪符を得たように、『いずれお前らも私のようになる…』と呪詛めいた言葉を呟くのだった。
なんの罪も無い若者を自分に余裕が無いからと誹謗していい理由にはならないと自責の念に駆られた。
やり場の無い気まずさを感じて近くにあったベンチに腰を落ち着けることにした。
ぼんやり桜を見ていると桜に対してとってもつかぬ感情移入をしている自分がいた。
『お前はせっかく咲いたのに花を散らすことになんの後悔も無いのか…』桜の木が自分の散る花びらを必死に拾う姿を想像して失笑した。我ながら稚拙な想像に今度は苦笑した。
得てして精神の弛緩というのは閃きを授かりやすいものである。だが男が得た閃きはそれ以上の何かだった。
男は一体自分に何が起きたのか分からないでいた。段々事態が把握できてくると、私は桜のエネルギーのようなものに貫かれていることが分かった。それを受け入れるとメッセージが全身に流入し、満たされ、存在で理解した。
それは全き潔さであり、無執着であり、これでいいのだという絶対の肯定感であった。濃密な体験にも関わらず刹那的な出来事で、混乱を招くものと思われたが寧ろそれは明晰さを与えるものだった。
『そうか…私は積み上げてきたものに否定的であるのにそれにしがみついていたのか。自分にはそれしかないと言わんばかりに。なんという…なんという愚かさだ』
その聖なる理解は問題が問題としてあるのを許さなかった。人生の是非が消え、桜によるギフトは男の内部で結晶化していった。春の陽気に溶け込んだ男はそれと共に帰路についた。
翌朝、天候はすぐれなかったが却って読書日和だと晴れやかになった内でそう思った。
昨日の体験以降男のあり方は変わった。この世の全ては移ろいゆくもの。そこで変化を拒み、執着するのは激流の中で棒立ちし続ける努力に似ている。その戦いは未だかつて敗残者以外のものを生んではいない。
男は迷ったが結局コーヒーを二人分入れた。内で起こった変化を表へ出すのはまた別な資質がいるらしい。妻の訝しむ視線を無視して小説を手に取り、ページの感触を楽しむことにした…。
色は匂へど散りぬるを
(匂い立つ程咲きほころうとも全ての花は散ってしまう)
わが世誰ぞ常ならむ
(この世でいったい誰が勝ち続ける?常なるものはなに一つない)
有為の奥山今日越えて
(だから私は有為転変、人生の機微を今越えて行く)
浅き夢見じ酔ひもせず
(儚き夢で踊り、酔いも楽しめ)
ペドロ。