今回のテーマは「執着」です。
執着パラダイス!
※この記事は、いわゆる「執着を手放す」についてスピリチュアル的に言われていることをわかりやすく説明しつつ、手放す方法なんかをシェアする内容になります。
「執着を手放したら、引き寄せが叶います!新しいものが入ってきます!」
こんなフレーズ聞いたことありませんか?ぼくはあります。
毎度ながら、この「執着」にも「手放す」にもいろいろな解釈や定義があります。ぼくのおススメとしては、先に手放す方法ではなく、まず、何に執着するのか?そして「手放す」とは何かという部分の探求です。
理由としては、別に執着なんかしてもしなくても、自分の本音がわかっていればどちらでも自由に選択があることがわかるからです。
みんなが執着手放したら、それこそ「全世界80億総ブッダ」みたいになってなんか違和感ありますし笑
みなさんはこの執着、どう扱って、どう手放しをとらえているでしょうか?
- 執着とは何か?
- 手放すと捨てるの違い
- ポジティブな執着とネガティブな執着
- 執着を手放す方法
- 執着のスピリチュアルレッスン
- まとめ
執着とは何か?
まず、この「執着」について考えていきましょう。
執着の意味
一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。
辞書を引くとこんな意味合いが載っています。
ちなみに、執着の反対は、無着、無執と言い、英語でいうと、ノン・アタッチメントとかディタッチメントなんていわれます。
いわゆるマインドフルネスのベーシックなところにつながる部分です。
タイプ別執着
肉体や個性のあるぼくらなので、執着は当然抱きうる感情の1つです。
ぼくの勝手な感覚では、執着は敢えて区別すれば、以下の2種類あると思います。
- 苦しい執着
- 心地いい執着
前者の苦しいと感じる執着は、対象しているモノ・人・事が、そうならなかった場合の喪失感や焦燥感、不安などから来ることが多いです。
一方で、後者の心地いい執着は、対象物に入り浸りすぎて、そこが自分の拠り所になっている場合、錯覚的にかつ、無意識的に執着していることが多いです。
例を挙げると、苦しい執着は、愛する人が自分と一緒になってくれないからつらい。とか、他人と比べて、裕福ではないからダメだとかです。
心地いいそれでいうと、「デキる男」でいればモテるとか、「都合のいい女」を演じれば、世渡り上手でいられるとかでしょうか。いわゆる「病気」にも通じる部分があるかもしれません。
もちろん状況や人それぞれですが、ぼくは後者の執着の方がけっこう厄介だと感じます。
執着はエゴの養分
結局、執着は突き詰めるとエゴに行きつく気がしています。
○○にこだわらないと、自分がなくなっちゃうかも。とか。××に執着していないと不安だよね~。みたいに、
執着する対象がなんであれ、そこに気づいているか否かは関係なく、
「執着」がだだっ広い海に浮いていて、エゴが
「ほら、あそこにあなたが好きな浮き輪あるよ。」
って語りかけてくるんです。
その浮き輪にしがみついているうちは、溺れないから安心で、かりそめの安定を抱いていることに気が付かないんですよね。
溺れないけど、周り海だから潮水がぶ飲みしちゃったり笑
その浮き輪外しても放り投げてもぼくら案外沈まないし泳げちゃうんですけどね。
エゴはかまってちゃん。で、ぼくらの感覚器官や脳は、強調ツールなので、麻痺っちゃうのもけっこう納得です。
執着を手放すと捨てるの違い
「執着を手放す」をこだわりをなくすとか、投げやりになるって捉えている人もいるのでそこに突っ込んでみます。
執着を捨てるとは
執着もぼくは大事な感情の1つだと感じます。
これを捨てると、おそらく多くの人は、自分が消えてブッダになります。笑
嘘ですが、捨てるってことは、感情に囚われていることの再認識とほぼイコールでそんなに健全ではない気がします。
理由は、ぼくらは個性があるし、現時点では肉体があるからです。「捨てる」が行き過ぎると、無関心とか投げやりに絶妙に切り替わりやすくなるんでしょうね。
執着を手放すとは
一方で、捨てるんじゃなくて、手放すは、感情に囚われている自分を認識する、いわば感情があること。そして、選択肢があることの確認作業です。
細かいので頭で考える必要はまったくないんですが、ぼくはこういうことを考える作業が案外好きという執着があります。
執着を手放す
- 感情の確認
- 選択肢の認識
執着を捨てる
- 感情にすがる
- 選択肢の一義化
絶妙です。
ポジティブな執着とネガティブな執着
広い視点でみればポジティブもネガティブもアメもムチもないんですが、あえて区別できるとしたら、いろんな「執着」があります。
ポジティブ執着の代表
ポジティブな執着って言葉がアレですが、
ピュアな欲求は、ぼくはポジティブな執着と言えるかなと感じます。
この場合の、ピュアな欲求は、いわゆるエゴではない素の自分から来るものです。
まあ、そもそもエゴではない部分の欲求が視野が狭まるほど執拗なこだわりをみせるのかはけっこう謎ですが笑
あくまでイメージですね。
ネガティブな執着
ネガティブな執着は挙げるとキリがなさそうなので、簡潔にしてみます。
「視野が狭まる欲求」なんて言葉がいいでしょうか。
要するにそれしかない。とか、それだけが全て。とかもう自分は天命をかけて。みたいに力が入りすぎる欲求ってけっこうあります。
それ、執着だからいろんな視点から見た方が案外、面白さを発見できるのかもしれません。
執着を手放す方法:観察と宇宙にお任せ
ここからは執着を手放す、方法を提案してみます。言わずもがなこの世にこの類はめちゃくちゃあります。
今回は、同じことを違う角度からやっている方法をご紹介してみましょう。
執着を手放す方法①
まずは、「自分」が行う方法です。
例:自分には○○にしがみつく癖がある
例:執着のある自分おるわ
例:執着のない自分も確かにいるんだろうなあ。とか
何かにしがみついている自分を一旦クールに見つめ直す作業ですね。
結局、執着のある自分がいるってことは、執着のない自分もいないと、そもそも執着自体が成立しませんからね、トンチみたいですが笑
このあたりはペインボディで説明しておりますので、以下の記事を参考にして深めてみることをおススメします。
いわゆるほんとうの自分ってやつです。
執着を手放す方法②
次に、「誰かに」頼む方法です。
例:自分はお金がないとダメだ。
例:自分の好みでどこかの誰かにつながってみましょう。
例:執着のない自分をダウンロードなど。
例:そのあとはとりあえず呑気に過ごしましょう
ポイントはそこまで考えないことですかね。
繋がれないとか思うならやめたほうがいいですし、宇宙に任せたのに全然ダメじゃないかってなるなら別の方法にシフトしましょう。
どっちも同じ手放し
ぼくの感覚では方法①も②もまったくおんなじことをやっていると感じます。プロセスが違うだけなのかもしれません。
①は、執着を観察するたびに、ぼくらはナチュラルに、執着(エゴ)ではないほんとうの自分に巡り合う(=マインドフルネスや、宇宙とつながる)
だろうし、
②は、マインドフルネスや宇宙っぽいところと繋がってから、観察するみたいなイメージだと思います。
言わずもがな、この「繋がる」は、もっと柔軟にとらえて、温泉に入る。とか、暴飲暴食しまくるとかでもいい気もします。笑
もし、それで、自分のより深い部分とコンタクトできるのであればですね。
執着のスピリチュアルレッスン
せっかくなので執着にどんなレッスンが含まれていそうなのか文字にしてみます。
まあ、こんなことどちらでも良いっちゃあいいんでしょうけど。
①喪失の幻想
執着の対象がなんであれ、しがみついている間は気づかないことの1つは、この喪失感が一生ぬぐえないんではないか。という錯覚です。
喪失感に良いも悪いもないんですが、そこから派生して、○○のせいで、とか××がダメだからとか、ネガティブな部分に意識がフォーカスされがちなところがやっかいです。
好きな人が頭から離れないとかは、もちろんピュアに相手が好きってこともあるんでしょうけど、違う側面から切り取れば、その人がいないと自分は空っぽだとか、
その人なしの人生とありの人生では自分の相対的な価値が下がるとかですかね。もちろん、これだけでなくて色々あると思います。
②信頼する
執着が苦しいものであれ、心地いいものであれ、それがまとわりついている間は、
ピュアな自分とか奥の奥にある自分を信頼できないレッテルを貼っている状態に限りなく近い印象があります。
限定的な自分だったり、条件付きとしての自分ではなく、ただの自分の存在に気が付かないうちは、結局やんやしちゃうんでしょうね。
もちろんそういう人ばかりではないのが、この世界のおもしろさではあります。
③自分のバランスポイントがわかる
執着をしている状態は、バランスが右にも左にも繊細になっていて、偏りやすいです。
それが心地いい境遇はたくさんあるし、もちろん好みですが、やっぱりバランスポイントにいた方が安心感は半端ない気がぼくはしています。
なぜ安心できるかと言えば、自分に舵取りができる責任をもてるからです。
まとめ:執着もエネルギーの1つです
今回は、執着について、よく言われていることなんかを参考にしつつ、ぼくなりの考えをまとめてみました。
ぼく自身、執着しないです。ブッダです。と言われればたぶん嘘になるし、偉そうなこと言ってという感じですが、1つのことに囚われないでいる状態がなんなのか。
っていう自分なりの定義は常にナチュラルにしているつもりです。ただのつもりかもしれません笑
息子に焼き魚の身を食べられたり、妻からの1番を取られたり執着の塊が顔を出すので、ブッダパイセンにはまだまだ顔向けできなさそうです。
みなさんは、自分の中の「執着」どう扱っているでしょうか?
質問や意見があればコメントやSNSでお待ちしております。
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
まめたろうさん、いつも分かりやすく腑に落ちる記事を、本当にありがとうございます。
今、まさに執着を手放せるかどうかが課題になっていたところだったので、ドンピシャでした。
思ったより手放せてますね。自分。ポジティブな勘違いかもしれないけど。(笑)
①の方法も②の方法も、もう自然とやってました。よかったー!ありがとうございましたー
こみちさん、いつもありがとうございます!
おお、さすがです^^
はじめまして!
今、彼氏と別れそうでジタバタ足掻く自分がいて、友人から執着だと言われ、色々とネットサーフィンをしてる中でたどり着きました。
友人からは執着と言われますが…なんとなくですが、違う部分もフワッと感じていて…
確かに、足掻いて今すぐ何とか収まれば幸せなんです。正直そうしたいです。そうしたいがために色々考えます(笑)
でも…私が足掻いたとしてもイメージできるのは「軽蔑したような冷めた目の彼氏」で…
ただ、彼氏と縁が切れてしまうような気はしないんです。
ここで離れたら今生の別れにはならないような…
今は私が成長しないと向き合えない関係ですが…
その時が来たら「ただいま」「おかえり」で笑顔で再会できそうな…
今すぐ仲直りするより、そっちのほうがしっくりくるような…
漠然と思いました。
この気持ちは執着からくるものなのでしょうか?
長々すみません。
教えていただけたら嬉しいです。