今回のテーマは「ポジティブとネガティブな思い込み」です。
どちらもあちらです!
※この記事は、ネガティブな心の作用とポジティブな心の動きが、反比例的に表れるかもしれないことを改めて共有する内容になります。
スピリチュアル界隈では、ネガティブな言動をやめてポジティブでいましょうなんてことは耳にタコができるほど聞いたことのあるセリフでしょう。
もう少し俯瞰した、広い視点からみれば、そもそもネガティブな感情もポジティブな価値観もすべては幻想で、ニュートラルな世界があるだけとも言われます。
今回は、心の声(意思・思い)と感情がネガティブなときと、ポジティブになるとき、もしかしたら、それ反比例的に動いていて気付かない人もいるかもね。
という当たり前のことを当たり前に文章にしてみるという内容です。
ものすごく稚拙な図で表わすとこんな感じです。
- ネガティブな思い込みってなに?
- ポジティブな価値観ってなに?
- ネガティブな声とポジティブな声が反比例?
- まとめ
ネガティブな思い込みの定義
ネガティブな思い込みって定義が(人それぞれなので)めちゃくちゃ難しいですよね。
そして、もちろん一括りにできるものではないんですが、ここでは敢えて、以下の二つを「ネガティブな思い込み」と表現してみます。
- 自分の否定的な感情
- 旧式の価値観
①否定的な感情
ネガティブ。という言葉を日本語に置き換えると否定的とか、消極的という意味合いがあります。
なので「ネガティブな思い込み(感情)」というのは、自分のなかにある否定的な感情をもちろん含むでしょう。
具体的な感情をちょっと挙げるなら、嫌悪、怒り、悲しみ、うらみ、辛い、不安、焦燥、無関心、退屈なんてところでしょうか?
②古い価値観
定義その2は、ここでは古い価値観を指すとします。
ここでいう、【古い】は、時間が経過してそれがあまりに自分に染み付きすぎて、本当の声とはかけ離れているもの。としてみましょう。
言葉にするのであれば、なかなか抜けきれない思考上の習慣とか、固執してしまいがちな考えとか、マインドとかエゴとかですかね。
ポジティブな感情と価値観の定義
一方で、こちらポジティブも人それぞれなので、なんとも定義がムズイんですが、ここでは敢えて以下の2つの定義にしてみます。
さっきと逆なのでちょろいです。
- 自分の肯定的な感情
- 新しい価値観
①肯定的な感情
肯定的な感情の代表例を挙げるとしたら、
楽しい、喜び、安心、安らぎ、興味、希望、情熱、満足。
なんてところでしょうか?
②新しい価値観
ポジティブな価値観を少し別の視点で切り取るのであれば、新しい価値観と言ってもいいかもしれません。
例えば、自分が執着していた感情や思考パターンから離れようとするとき、「新たに」芽生える思考パターン、マインドなど。
殻を破るときにでてくるものと言ってもいいかもしれません。
ネガティブな思い込みとポジティブな価値観は反比例する?
ここでいう「ネガティブ」と「ポジティブ」がなんとなく決まったところで本題の「反比例」を説明してみます。
ネガティブな思い込みがポジティブに変わるとき、それがあまりにも小さいから発見できないときもあるかもってやつです。
ネガティブな思い込みを手放すとき
ネガティブな思い込みや信念、価値観、感情が、自分から離れようとするとき、そのエネルギー(心の声)が大きくなる時があります。
例えば、ぼくが「自分に自信を持つことが出来ない」という思い込みや信念があったとしましょう。(これを仮にAくんとしましょう。)
その原因や理由がなんとなくわかっちゃって、そして、なんとか自分に自信をもつ自分をつくろうと頑張ります。(そしてこれをBくんとします。)
Aくんとバイバイしようとするとき、Bくんがこんにちは。して欲しいんですが、Aくんの主張がめちゃくちゃ強くなるかもしれません。
今まで仲良くやってきたじゃないか。まあまあ、まだ座ってこっちにいなよ。いろよ。的なね。
ポジティブな価値観のエネルギーは弱い?
反対に、ポジティブな感情、価値観、信念が芽生える(すでにある)とき、そのエネルギーが小さく弱く気が付けない時があります。
ポジティブなモノが小さくて弱いと錯覚するのは、ぼくなりの明確な理由があって、
それは、おニューな価値観は気を張らなくともめちゃくちゃパワフルだからです。
Bくんはすでに芽生えているのも気が付かないくらい相当スマートで、謙虚なときもあるんでしょうね。そのくらいか弱くても存在感がすごいのかもしれません。
ポジティブとネガティブの反比例
自分の中の心のネガティブな部分が消えそうなときを簡単にまとめてみましょう。
ネガティブな部分に気が付く!
ネガティブなエネルギーや心の声が反発するかも?
ポジティブなエネルギーや心の声が主張しないからわからん?
なんとなくこういうときありませんかね?
例えて言うなら、本当に強い人って、暴力や言動で強さをアピールしないみたいなやつですかね?(ちょうてきとう)
ネガティブ思考をポジティブ思考に変えるべき?
スピリチュアルっぽい世界でよく言われるのは、ネガティブなエネルギーはネガティブな現実を引き寄せます。ポジティブでいましょう。ってやつですね。
でも、案外無理にポジティブ思考に変える必要ってないひとも、ないシチュエーションもありますよね。
ポジティブになるのは義務ではないかも?
ネガティブな部分を手放そうと無理に格闘して、カラ元気でいるのって人によっては、案外、要らないところなのかもしれません。
こうでなくては。こうしなきゃ。って時はだいたい、それネガティブな自分の方が強いですからね。
ネガティブな自分を手放すときに生まれる抵抗
そして、ネガティブな自分にバイバイをしようとするとき、元サヤから剥がされたくなくて、必死に抵抗するときがあるかもしれません。
たいていの場合、ぼくの感覚では、ネガティブなエネルギーが消えちゃいそうなとき、
自分がマイナスからゼロに浮上しようとするので、どこが水面か思い出すための必然的なプロセスとしてみています。
そんなときは、ポジティブな自分がこんにちはする「直前」だと捉え直すこともできるでしょう。
自分のバランスがゼロの場所
これまたぼくの勝手な価値観ですが、ネガティブなエネルギーを無理にポジティブに変えなくてもいいときがある理由としては、ぼくらはけっこうな文脈で、
ゼロになれる場所、いわゆるニュートラルポイントに立ち返ると、ぼくらは自然とかつ優雅にポジティブなエネルギーに馴染んでいける性質があるからです。
これがいわゆる神っぽい自己回復力とか、自然修復力とかってやつだとぼくのポジティブな思い込みが言っております。
まとめ:ネガティブとポジティブのバランス感覚
トラウマとか闇とかネガティブな部分にぼくらが過剰に反応しやすくなっているのかもしれません。
だって、それ強いですからね。
反対に、良い状態、ポジティブな部分にぼくらが気が付きにくく反応が曖昧過ぎてわからんなんてときもあるでしょう。
だって、それ弱めですからね。
穏やかで静かな確信と静謐で優雅な自信は、微弱にみえて案外めちゃくちゃパワフルなエネルギーなんでしょうね。
ブッダとか仏さんってすごい穏やかで内側がパワフルそうですもんね。反対に、不動明王って、なんか表側だけは強そうにみえます。
たぶんそんな感じです。わかんないんですけど。
みなさんも自分の内側にはびこる、静かだけど確固たる革命に気が付いているでしょうか?
いつも読んでくださってありがとうございます。
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