目の前に佇む人はタンパク質の塊ではない
かと言って安易に魂だとかを持ち出すのはどうか
人は経験をどう解釈したかで放つものが変わると思う
一つの経験を臆病な目で見て、慈悲の顎で砕き
機知の食道を通ったら、憤怒の胃が消化し
大胆な腸が吸収して血液が巡る頃には
名のつかない匂いや雰囲気になっていて
その人を構築する何かに変貌している
人は第六感的五感を駆使して
そういう機微を感じとるものだと思う
混沌の格納庫が犇めき合って暮らしてる
そんな人同士が本当に分かり合える可能性は如何程か
信用し裏切られ失意のなか墓石に刻む言葉は
人と人とは分かり合えない、だろうか
千の言葉を壁に打ち付けているかのような時もあれば
一筋の涙で理解を示してしまうこともある
深い悲しみが混沌を彼岸へ連れていってしまったら
そうなったら共にいて共にいない
此岸からは触れる事が出来ない
悲しみが積み上がって
死に届きそうになるけれど
同じ質を持った人がその裾野を広げてくれるから
大地に留まって、もう少しこの世にお世話になる
言葉を重ねず知己に遭遇することもある
混沌にも法則があるというのか
人に融和はありえないと断じるのは早いようだ
それにそれは寂し過ぎるだろう
分かろうとする在り方こそ
愛ではないか
それを可能にするのが、愛ではないか
ペドロ
涙がにじみました。
これほどリアルに愛を歌い上げた文章に出会えてよかったです。