まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、「シンクロニシティ」について心理学的な意味合いとスピリチュアルな意味合いを比較しつつ、この世に偶然はない説についてぼくの思うところを共有するような内容になります。
シンクロニシティといえば、やっぱりバキですよね。死刑囚編は激アツですね。「意味のある偶然の一致」がシンクロニシティの定義されるところですが、みなさんはシンクロ感じていますか?
また、シンクロが偶然の一致とすれば、スピリチュアルで言われるこの世に偶然はなくてすべては必然だ。みたいなあの話はどう説明できるのか?ちょっとよくわからないですよね。運命や宿命とも関わってくるこのお話ですが、
なるべくわかりやすくぼくなりにお伝えできればうれしいです。シンクロってそんなにロマンス入るものじゃなくて、ぼくの中では単なる刷り合わせ作業に近いようなイメージもあります。みなさんはどのような必然と偶然をみつけていますか?
ユングの心理学とスピリチュアルにおけるシンクロニシティの意味とは?
まずは、「シンクロニシティ」意味において、スピリチュアルで言われること、ユングさんが提唱している共時性との違いを少しだけみてみましょう。
ぼくの中では、これは単なる視点や言い回しの違いだったりはしています。
ユングの超心理学とシンクロニシティの意味
ユングさんが提唱したシンクロニシティは以下のような意味合いを持っています。日本語だと「共時性」とも言われています。
シンクロニシティとは?
因果関係のない出来事が意味や関連性をおびて起こること
Aが起きてBが起こるみたいな原因と結果があれば世の中はそれは偶然ではない。と呼びますよね。
ユングさん曰く、シンクロニシティはいくつかの出来事の非因果性(因果関係のないこと)&意味における関連が帯びて起こることと言っていて、これが転じて、「意味のある偶然の一致」なんて言葉に解釈されています。
シンクロの例は、けっこうたくさんありますが、意味のある偶然の一致という観点でいえば、あなたがAさんとBくんの話をカフェでしていたら、たまたまBくんがカフェに来た。とかですかね。
これが「偶然」っぽくなくなると、あなたがAさんとBくんの話をカフェでしていて、ラインで呼び出したらカフェに来た。なんて風になります。
原因(ラインで呼び出して)→結果(Bくんカフェに来る)みたいなことがほとんどなのに、原因(話をしていた)→結果(Bくんカフェに来る。)に関してこの→が予測不可能だった場合を意味のある偶然の一致と呼んでいます。
ユングのシンクロニシティについていえば、これはユングさん大好き「集合的無意識」「元型」と関係がありますが、今回はその話は少し置いておきます。
興味のある方は以下の本がおすすめです。
スピリチュアルにおけるシンクロニシティとは?
スピリチュアル観点、宇宙観点におけるシンクロは、ユングさんやみなさんが理解しているところの「意味のある偶然の一致」とは若干異なります。何が異なるかと言えば、スピリチュアルや宇宙視点でいえば、そもそも「偶然」は存在しないからです。
ということは、すべては必然なのかといえば、ぼくはこれはそうではなくて、捉え方だと思います。もっと言うと、偶然が存在していないわけではなく、因果がイコールになっている状態です。
宇宙っぽい法則、次元になると、願えばすぐ現実になります。思ったこと=現実です。これをぼくらのシンクロに置き換えると先ほどの原因があって何かが起こる。みたいな前提が白紙になります。
だって、理由はないけど、それそうなっちゃうんだもん。ですね(笑)Bくんの話をしていたらBがカフェに来ることは当たりまえで、波動やエネルギーがBくんに同調していたからです。
そもそも、偶然という概念はなくなって、そして必然が強まるわけではなく、必然もぼくは消えると思っています。強いて言葉にするとするならば、出来事はすべてそうなる(そうなった)だけなんです。
なかなか面白いですね。
シンクロニシティと運命・宿命について
この世に偶然はなくてすべては必然だ。という文脈を色々な観点から解釈すると、1つ上がってくると思うのが人生運命論ですね。つまり、人生で起こることはすべて決まっている説です。
その決まっているは、「神」っぽいやつとかユングでいうところの「集合的無意識」とか、大いなる存在・意識・力が働いてぼくらの行動や出来事がそうなった、神のカリキュラム通りにいっているみたいな文脈がありますが、ぼくはこれは宇宙っぽくはないと感じています。
シンクロニシティと運命と神
シンクロニシティ→すべては必然なんて考え方をすると、運命決定論が必ずと言っていいほどでてきますが、これは、ぼくはなんとなく誤解されがちな印象があります。
ぼくらは生まれる前に人生のシナリオをすべて書いて、それ通りになるように設定されているとか、また、その道から外れそうになったとき、「神様」がコントロールしているで。みたいなやつです。
この神様は、霊的に言えば「守護霊」、スピリチュアルでいえば「ハイヤーマインドや創造主」、それっぽい言葉だと「潜在意識」なんてことにはなってくるのでしょうか?
ただ、これ、シンクロとは関係ないですね。ぼくのイメージや考えだと、神は常に自分ですので、ぼくらがサポートされたり、人生の舵取りをしてくれる大いなるやつなんてのは存在していなくて、全部自分で決めています。
運命なんてものはコロコロ変わると思いますよ。「人生の節目」、転機で起こる出来事なんかも定められていたわけではなくて、自分がそのエネルギーや波動に近いづいただけですね。
まあ、この考えは本当に好みだと思います。守護霊好きなら味方してくれてありがとう。人生うまくいっているよ。と言ってあげるのはとても素敵だと思います。
これ、危険なのが、人生うまくいっていないときとか、不慮の事故、不幸の連続にあるときですよね。守護霊や見えない大きな力(神)的な存在があったり、すべて必然とか言われたら、それ傷付くだけですね。
そういうときはスピリチュアルな考えとか、見えない力のこと忘れた方が健全です。
だって、例えば過去あった戦争とかジェノサイドとかで「たまたま」亡くなった人の家族にそれ全部必然だから!自分の行いの結果だからよろしく。自分で設定しているから。とかスピリチュアルな概念を塗り薬でつけるとめちゃくちゃしみるので要注意です。
まずは傷付いた心とか苦しみを癒す方が先ですよね。当然です。
とにもかくにも運命や宿命については以下の記事でも書いているので興味があれば読んでみてください。
シンクロニシティは引き寄せのサインや前兆なの?
少し話題が逸れましたが、話をシンクロニシティに戻します。スピリチュアルなシンクロニシティについて勉強するとけっこうな文脈で登場するのがみなさん大好き引き寄せのなんちゃらですね。
シンクロが凄い!波動が上がって引き寄せまくり~。みたいなときにもちろん登場します。ここをもう少し冷静にみていきます。
シンクロニシティと引き寄せの基本的考え方
引き寄せの法則は、想ったり願ったりすればそれが現実になるみたいな法則やツールの1つです。もちろん、宇宙的なやつですね。シンクロは、偶然の一致。たまたま。ラッキーパンチでみたいなことです。
この基本的な考えについて整理していきます。
例えば、ケーキ食べたいって思ったとしましょう。もちろん、シンクロを気にしないのであればそれケーキ屋さんにダッシュすれば手に入るで。ってことになるので、今回は引き寄せの法則でケーキを手に入れるケースを想定します。
引き寄せの法則では、ケーキ食べたいと思ったら、ケーキが手に入って堪能している自分が生まれます。
現実→ケーキ食べたい自分
理想→ケーキを偶然手に入れて食べている自分
こんな2人のあなたが登場するっていうイメージです。「現実」を「理想」に重ねる、引き寄せるのが引き寄せの法則です。これには、波動がキーポイントになってきます。
つまり、「理想状態の波動」=ケーキを食べて美味い、幸せという感情。を現実にいる自分がリアルに再現(ダウンロード)できればそれが叶うとされています。(理想状態の波動に現実の波動が引き寄せられる、重なる、磁石で吸い寄せられるなんでもいいです。)
ここで気になるのがシンクロの存在ですね。ぼくらがシンクロっぽいことが起きていると思うときは、例えば、ケーキを食べたいって思ったらお土産で友人が届けてくれた。みたいなそんなことをシンクロって呼んでいます。
シンクロが起きるのは引き寄せのサインなのかと言われれば確かにそれイエスなんですけど、そもそも偶然はないので、エネルギー的にみれば、理想に現実が近づいている過程で起きている現象にすぎません。
現実が理想に共鳴して融合しちゃう。そんなイメージかもしれません。
シンクロニシティが起こるときと波動の関係
シンクロっぽいことが起こるとぼくらは、偶然の一致にロマンスを感じて絶好調だ。なんて感じる人が多いと思いますが、これ波動でみるとけっこう当然の結果みたいなことになるかもしれません。
もちろん、ウキウキやっほ~。という人はシンクロ=絶好調の証と思っておいていいですよ、間違いはないので。
偶然的な運命の出会いとシンクロ
すべては波動なので、シンクロっぽいこともこの波動で理解ができます。
ぼくら生きていると色々な人に出会います。これも波長や波動と一緒です。中には人生のキーマンや運命の人と出会ってまさにシンクロ!なんて感じたことのある人もいるかもしれません。これ波動が変わった。で説明できます。
例えば、あなたが生涯を共にできるような運命の人を探しているとしましょう。少し雑に言ってしまえば、あなたの波動やエネルギーが理想の運命の人に出会えた状態になればそうなります。
その過程で、例えば、なにもしていないのに、紹介してくれる友人がいたとか、全然興味のない飲み会に参加したら、たまたま出会ったとか、出会った後も、とんとん拍子で後押しされているようなシンクロがいっぱい起きたで。みたいな感じですかね。
図にすると、こんなイメージですね。現実の波動が変わることで(理想の波動に引き寄せられることで)シンクロっぽいことが起こるという感じです。
しつこいようですが、シンクロニシティは、ただ波動が変わっているときに起きている現象や出来事です。だから一番初めのユング的説明になると、それは波動が変わったから起きた。という感じですね。
偶然の一致というよりかは、やっぱり必然、ただ起きただけのことにすぎないかもしれません。ぼくらはまだまだ思えば叶うという次元の世界に不慣れでいるため、偶然という概念、シンクロはラッキーの連続だという感動を覚えていますが、
そういう世界にけっこう慣れ親しんだりよくよく冷静に観察すると、お!なるほどね。今日も自分よしよしってなっていくんだと思いますよ。
シンクロニシティを頻繁に起こす方法はあるか?
シンクロが起これば引き寄せ状態にとか、シンクロを頻繁に感じられればそれ絶好調やで。という人が次に思いつくのがこの方法論でしょう。
もう一度、言っておきますが、シンクロは頻繁に起きたり、偶発的に幸運が舞い込んでいるということは宇宙っぽい感覚とは少しずれているようなイメージがあります。
起こるべくしてすべてが起きているし、そういう観点で言えば、むしろ、人生の出来事はすべてシンクロでしかないです。だから頻繁にシンクロを起こす方法を探す前に、実は全部シンクロ(共鳴や共調)している感覚をつかむと面白いかもしれません。
あなたの波動に、だれかが共鳴して、あなたの波動に、なにかが共調して、目の前に現れているのが、この世はすべて偶然ではなくて必然であるの終着点になるのかもしれませんね。
だから、けっこうニュアンスや言い回しでロマンスを削いでしまうかもしれませんが、「奇跡的な」「偶然的な」とかそういう現象や出来事は連発して当然といえば当然です。すべてあなたの波動にバイブレーションに呼応した現実なので。
まとめ:この世はシンクロニシティかも
シンクロという考えはけっこう面白いですよね。偶然みかけた文字とか偶然入ってきた情報がたまたま一致しちゃうとか、本当に色々あると思います。
ただ、波動的なエネルギー的な観点からいうと、今のあなたの状態はそこにアンテナが立っていますという状況の反射だったりする意味合いも大いにあります。
ぼく自身は、すべてはぼくらの世界はエネルギーやバイブレーションで微妙に成立しちゃっている説が好きなので、シンクロもそんな文脈で捉えています。
シンクロが起きていないと思うのもシンクロが起きていると思うのもけっこう自由ですが、案外すべては錯覚で、実は自分の波動に共鳴、共調を繰り返して人生は流れているだけなのかもしれませんね。
自分のことや出来事・物事って本当にいろいろ分析できたり、観察できるのでぼくはやっぱりこの世はおもろいなあ。と感じています。みなさんはどう思いますか?
いつもありがとうございます!
まめたろうさん、こんにちは。毎回ゆるいなかにも、切れ味抜群です。このシンクロ記事もわかりやすく素晴らしいです。ありがとうございます。
すべてあなたの波動にバイブレーションに呼応した現実なのでの箇所ですが…
私が思ったことは、自分が心地良い感覚の時はとてもそれを感じます。
逆にそうでない時は、心ここにあらずの時は。
はいあらそうですかって、かなりドライな感覚ですね(^-^;
日々いろいろと発見だらけですよね。
起きてる時もそうですが、眠ってからも面白いですね。夢?現実?なんだこれは!って時あります。起きてる時にみたことの断片が眠ってから散りばめられてたり、その逆も然りです。
Naviさん
コメントありがとうございます。
そうですね、すべてはエネルギーで、ぼくらは意識で繋がる存在だとひしひしと感じています!
色々な経験できて楽しいですよね!