まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、「天国」と「地獄」をテーマに、どんな説があるのか。どういう「考え」があるのかを紹介しつつ、ぼくの感覚を共有する内容になります。みなさんは「あの世」にどんなイメージをもっているでしょうか?
「あの世」ってロマンですよね。古来からいわゆるダメなことをすれば、地獄に行きます!とか良いことをすれば天国にいけます!みたいな考えってぼくらを魅了してやまないです。死んでまで苦労したくないわあ。現世で徳積んでがんばろ。みたいなやつとかですね。
スピリチュアルも色々な視点から、このあの世について、天国や地獄について、あーでもない。こーでもないと言っている人たちがいるんですが、ぼくは天国も地獄も存在しない、つまり地獄行きとか周りを幸せにすれば天国行けるって考えはあまり共感できません。
そもそも善悪、ひいては天国と地獄って考え自体が生きている人間から出てくるニオイがプンプンしますね。
あの世はどんな世界?アストラル界・幽界とは?
まず、天国と地獄という概念にアプローチする前に、少しだけ、死んだら行く場所としてわりとポピュラーな場所を紹介します。この日本語めちゃくちゃ違和感ありますね笑
あの世=アストラル界?幽界?
死んだらどこにいくかっていうのは、まあそれこそ死んでみなければなんともわかりませんね。だから今回のテーマは、とりあえず、こんな話もあるっぽいよ。という程度に捉えてみてください。
スピリチュアルっぽい世界では、あの世をアストラル界という表現をします。他にも幽界、天国・地獄、スピリットの世界、魂の行く場所、霊界いろいろ言い方はありますが、全部一緒です。
次元的には4次元と表現する人もいれば、5次元という人もいますね。ぼくはアストラル界に関しては、4次元っぽいイメージで捉えています。まあ、パラレルワールドなんで、強いて分けるとすればという前提はもろに付きまといます。
あの世の特徴とは?
こちらもよく言われることなので、さらっといきましょう。
- 時間がない
- 肉体がない
- 特定の場所がない
- 光やエネルギーでできている
ぼくらには感知できない音や光、色で構成されているのがいわゆる「あの世」と呼ばれる場所というのが、ぼくの感覚に近いあの世です。特に、場所や空間的制約がないという感覚、エネルギーで構成されているという感覚はとても理解できる気がします。
たまに、なんで肉体もっちゃったんだろう、煩わしいなあ。って思う感覚だれしも経験しているでしょう、たぶんね。
すべてがエネルギーで構成されているという感覚については、ぼくらがすべては波動でエネルギーです。っていう感覚とは少しニュアンスが異なるかもしれません。
言葉にするとその差は難しいんですが、あの世のほうがより(エネルギー的に)リアルなのかなというイメージです。
だから、例えば、この世で、ギターを弾くことが好きならあの世でも、好きなだけ弾けるし、本やブログを読むことが好きなら好きなだけ読めると思います。ただ、指を使って弾くとか、目を使って読むとかっていう感覚ではないでしょうね。エネルギーなので。
こういう感覚わかるけど、言葉にできないって人はわりといるんじゃないでしょうか。
天国と地獄に分かれる概念は古くさい?
冒頭の「あの世」の感覚が腑に落ちる人にとっては、そりゃあそうだろ。っていう話ですね。天国と地獄って大雑把に言ってしまえば宗教観に基づく概念ですよね。
キリスト教であればイエスの教えに、仏教であれば極楽浄土っぽいところにいくため。イスラム教であればそれがアッラーに切り替わるだけの話です。人間がつくったっぽい「上手くて巧み」な話だなと思います。
天国とは?
冒頭で話した、「あの世」とは少し離れて、天国についてみていきましょう。みなさんがイメージするところの天国って、たぶん、神様仏様の教えに従って、周りを幸せにして、楽しく生きて現世で徳を積んだ人が行けるようなお花畑って感じが近いのではないでしょうか。
仏教的に言えば、極楽浄土ですね。死んだ後ハッピーになれるには、この世で頑張らなければならない。っていうちょっと窮屈な天国だなあ。と子ども頃からぼくは思っていたと誰かが言っていた気がします。
地獄とは?
一方で地獄に関しては、いわゆる犯罪者、悪いことをした人が行く場所。行ったら、死後も苦しんで、もがいて、悪魔と対峙しながら罰を受ける。そんなイメージでしょう。
芥川龍之介の蜘蛛の糸がめちゃくちゃイメージしやすいですよね。まあ、もし、本当に地獄があって、もし本当に、犯罪者やいわゆる「悪いこと」をした人が行く場所が地獄だとしたら、もう地獄って定員オーバーな気がします(まあ、天国もですけどね笑)
ぼくらは、有史以来、人間同士で争い、生きるために、他の生物を殺生してしかも喰らいつくしていますからね。それなのに、まだ生き延びようとしてやがります、言いすぎですけどね笑
天国と地獄。善と悪。
要するに何が言いたいかというと、天国があっても地獄があってもどちらでもいいんですが、わりと古くさいなあ。って感じます。
学校や会社で「皆勤賞」って表彰されるじゃないですか。仕事や勉強ができれば表彰されるじゃないですか。それと一緒で、ぼくら、指標や良いモノをつくると、悪いモノをつくって攻撃できます。あるいは戒めにもできます。
「悪いことすると、神様に制裁受けるで。」っていう概念はめちゃくちゃ便利に使えますからね。
あの世における地獄って考えも、天国って考えもその程度じゃないですかね。悪いことしたらオバケがくるよ。って親に言われているようなものです。信憑性ないですよね、おばけはいるっぽいんですけどね笑
スピリチュアルの好きな考えの1つに、善悪の脱却、方向性の多様化があります。それはあの世のコンセプトにおいてもおんなじで、
天国=いい場所
地獄=サイアクな場所
こういう考えからアセンションしちゃったほうがけっこう楽しいかもしれませんね。
天国に行く人、地獄に落ちる人は古い概念かもしれない件
天国や地獄については、ぼく自身の感覚では、「ない。」で完結しちゃうんですが、せっかくなので、敢えて文字にしてみます。
古くさい天国に行ける人
天国に行ける人は、幸せに楽しく生きた人、周りを幸せにした人、徳を積んだ人。などなどいろいろあると思うんですが、共通しているのは「良いこと」をしたってところですね。
こちらはもうやっぱり善も悪もぼくらが生きていくうえで切り替わること必須なので、特に気にしなくても良いと思いますよ。
例えば、身近な感覚で言えば、ドケチで人間には意地悪ばかりするマダムが飼い猫をとても大事にしていたら、そのマダムは善人なの?悪人なの?って話ですよね。猫目線で言えばめちゃくちゃ善人で、人目線で言えば、めちゃくちゃ悪人です。
古くさい地獄に落ちる人
地獄に落ちる人で言われることは、嘘をつく、不平不満を言う人、犯罪者、猜疑的な人、こちらも色々ですが、要するにNGをしちゃったひとですね。
こちらに関しては、ぼく自身、前世っぽい感覚があるのでわかりますが、窃盗とか、殺生とか、たぶんけっこうNGやっちゃっているんで、もし地獄に行っていたとしたら逆イエス・キリストとしてけっこう誇らしいと勝手に思います笑
地獄も天国も想像すれば在るかも。
ぼくの勝手なイメージでは、死後は、みんな同じところに還っていきます。今世でどんなことをしたのかは一切関係ありません。そして、どう生きたかが関係ないってことは、もちろんですが、どう死んだかも関係ありません。
ただ、もし、地獄や天国があるとすれば、自分がそう信じていたらそれっぽい世界ができてそれっぽい世界に行けちゃうと思います。なんせ、物理次元ではない次元はめちゃくちゃエネルギー的で、すべて自由なので。
地獄行きやわあ。と思ったらたぶん自由に好きなだけ苦しめるステージが盛大に用意されているでしょうね。おあつらえ向きです笑
あの世では天国でも地獄でもなくみんな特別かも。
ぼくは感覚としてあの世を語れないので、なんとものところはもちろんありますが、ぼくがイメージしているあの世は天国でも地獄でもなくてけっこうみんな特別やな。って自然に思えるところなのかなあ。と感じています。
この「特別」ってわりと大事じゃないですかね。ぼくら何者かになれなくて苦しんだり、何者かになりたくてあくせくサクセスストーリーを描くので。
あの世での感情とエゴ
ぼくらが生きている上で、めちゃくちゃ左右されるのは感情とエゴです。うまくいかないから落ち込む、不幸だからそこに浸る。うまくいきすぎて傲慢になる。俺様思考や支配欲が芽生える。方向性が右に突っ走ったり、左に突っ走ったりするぼくらですが、
そこには感情がとても巧みに作用しています。
たぶんですが、あの世の世界っていうのは、一歩俯瞰した自分、肉体とか余計なものを取っ払った自分にぴったり重なり合うので、そこでは自由な意思と自由な選択って感覚がスっと腑に落ちるんだと思います。
だから、誰かをどうこうしなくちゃとか、誰かが気になる。とかって感覚ではなく、おお、みんな特別だなあ。って面白いなあ。となる魂やエネルギーがほとんどなんじゃないかなって感じています。
もちろん、この世とあの世に厳密なラインは本当には存在していないので、こういう感覚がなんとなく文字にしても、言葉にしても、わかっちゃうっていうぼくらが今の時点で一番特別なのは間違いないんでしょうけどね。
まとめ:あなたの中に天国や地獄は存在していますか?存在しないですか?
今回は、ちょっと古くさい天国&地獄に関する説を揶揄しちゃうような内容になってしまいしたね。
死んだらどうなるの?って本当に色々な考えがあって、絶対論はないんですけど、生きているうちに色々妄想&思いを巡らせる過程は大事にしていいと感じています。そして、自分の中でしっくりくるコンセプトを少しずつ取り入れてみてください。
もちろん、良いことしたら天国に行けるし、悪いことしたら地獄に行っちゃうから。って考えでなんか自分っぽい感覚がつかめるっていうひとはそれを大切にしてあげてください。
ただ、大前提として、いまぼくらがあの世についてやんや言っているのは、この世において。ってことですよね。死生観については、以下の関連記事でも言及しています。
いつも読んでくださってありがとうございます!
まめたろうさんの前世に触れられている記事で面白かったです。
個人的にはまめたろうさんがどうやって因縁を解消されたのか、あるいは現在進行中なのかが知りたいです。
この記事のとおり皆同じ「あの世」に行くとしたら、因縁しかまとわりついているものがなさそうで、それがちょっとした識別になるのかな?って想像しました。
びわさん、コメントありがとうございます!
因縁は自然と解消していくと勝手に思っているし、もし、深いモノに直面したらぜったい気が付くので放置プレイですね~
放置プレイの言葉に拍子抜けしました(笑)
私はどこかスピリチュアルを重く捉えていたようだと、まめたろうさんの言葉でよく気がつきます。
最近まで絵本で見たような地獄はあると思ってました、、徳を積むと天国!みたいな
でも善と悪の境界線も人それぞれ見る角度を変えれば変化すると思うから、今は今ここで感じている死後の世界がエネルギーの舞台として用意されてる気がする…地獄行くなぁと思ってたら創造した通りの地獄がエンターテーメントみたいに繰り広げられたりして 苦しむんやろうなと思った通り希望した苦しみの世界笑
発注通り!ある意味望んだ死後笑
創造の世界を全力をあげてエネルギーが作り上げてたりして…そんなん思うくらいならハワイみたいなすんばらしい死後をめいいっぱい創造しとこ笑笑
あいおさん、コメントありがとうございます!
>善と悪の境界線も人それぞれ見る角度を変えれば変化する
これは本当にそうですよね~
ハワイいいですね~