我々は想像し創造する。
時に、その得意分野である想像に裏切られることがある。
想像を絶するとは、それはその人にとって存在しないということだ。
人が想像を絶すると言うとき、大抵は想像を絶する悲惨な光景を思い浮かべる。
平和な国が紛争国を理解するのは難しい。
想像に関して基本的に努力では解決しない。
生来の卓越した想像力か紛争地に身を置く決断力しかない。
映画やジャーナリストが実情を訴えても想像力が及ばない。
ドラマ的だったり悲劇的だったり焦点が定まらず、どこか掴み所がないものに感じる。
理解より先に誤解がやってくる。
紛争国にとって銃声にドラマ性などなく、悲劇というにはそれは恒常的過ぎた。
平和な国と紛争国にも共通点はある。
圧倒的現実感だ。
血飛沫や爆発音が夢ではないことを意味し、自覚的でないと生き延びられない。
平和な国はその無刺激さから、一の次は二が来るような当たり前さから夢だとは微塵も思わない。
無刺激と自覚的の邂逅はありえるのだろうか。
希望はある。たった一つの希望が。
目覚めよ。
ペドロ