今回のテーマは「自分がわからないとき」です。
けっこう救ってくれることもあるで!
※この記事は、自分がわからないとき、分からなくなった時、心の奥底とか、魂のどこかで、何かしら覚えているかもしれないスピリチュアルっぽいコンセプトを共有する内容になります。
改めて、スピリチュアルって何かと言われるとそれこそ、よくわからないし怪しいし、わけわかめですよね。ぼくも正直よくわかりません。
ただ、なんとなく自分が迷子になったり、よくわからん状態に陥ったときに、うまく”利用する”と、心や魂が反応することがあるかもしれません。もしかしたら、そんなことまやかしかもしれません笑
今回は、もし自分がわけわかめ状態のときにちょっと思い出してみるといいかもというぼくの自分勝手な提案になります。
- 本当の自分がわからないとき
- 迷子のときに思い出したいスピリチュアルっぽい考え
- 上手くバランスよくスピリチュアルを入れるといいかも
本当の自分が分からないとき、忘れちゃうとき
まずは、自分がわけわかめってなっちゃうときをいくつかご紹介していきます。
①身体と心がアンバランスなとき
総じて言えば、余裕がないとき、ケアする暇がないときですね。ゆとり大事です。
心がイケイケだけど、身体はぐったり疲れているときとか、逆に身体は元気だけど、心が疲弊しまくっているとき、迷子になるような経験があると思います。(少なくともぼくはそうです。)
②環境・コミュニティが合わない
自分がわからなくなるとき、モヤモヤが続くとき、もしかしたら、今いる場所、人、選んだ選択肢がじゃっかんズレていた可能性があります。
あくまでそれがダメだとか悪いとかそういう意味合いでなくて、自分に合わないところに居すぎるとよくわからなくなるんでしょうね。
ぼくは以前、出版社で働いていたんですが、身体の調子が悪くなって自分なにやってんだろ。って思うことが多々あったとかないとか。
③生まれた時からわけわからん
こういう人も少なくないでしょう。
オギャー!と産声を上げた瞬間は覚えていた本当の自分は、防衛本能としてのエゴや家族との関わりでけっこう忘れがちです。
例えば、本来は自分をわりと肯定できる自分がいたのに、親や周りの影響で否定的な自分になってしまうとかですかね。
④欲が満たされていないとき
こんなこというとアヤシイですが、肉体として、人間として生きていますんので、欲求を満たすことはわりと大事だとぼくは感じます。
その欲がピュアな自分なのか、はたまたまやかしの自分なのかさえもわからなくなるときもありそうですけどね、人間というのは愛くるしい生き物で、心というのはさめざめしい何かかもしれません。
自分がわからないときって・・
めちゃくちゃ乱暴に言ってしまえば、本当の自分がわからないとき、そんな自分をわすれちゃうときは魂や自分の性質、性格、色、オーラ、表現はなんでもアリですが、そこにそぐわない人生を送っているときがほとんどです。
もちろん、その他のケースもたくさんあると感じます。
成功している、幸せが良くて、失敗している、不幸がダメとかそういうレベルのお話ではもちろんありません。
自分の実感として、肌感覚として、相いれないモノや人を常に押し付けられたら、最初は拒否反応がでるかもしれないのに、そこに浸りすぎたらそりゃあ迷子になりそうな勢いですね。
本来の自分がわかったら、それが素晴らしいとか幸せかは別にして、まあ、楽は楽でしょうね。水の流れに抵抗しない感覚に近いかもしれません。
まあ、そもそも何が本当で何が偽物って分けて考える必要があるかどうかも謎ですが。笑
- 心と身体がチグハグ状態
- 自分にフィットした場所にいないとき
- 後天的なナニカ
- ピュアな欲が不満足
- 魂の在りかにいないとき
本当の自分がわからないときに思い出したいスピリチュアルな考え5つ
本来の自分がわからなくなったら、ぼくが勝手におススメするスピリチュアルっぽい考えを寝る前とか寝ているときにちょっぴり想い馳せてみてください。
よくあるような、競わないとか心の声に従うとかそういう話ではないですが、ありがちなやつです。
①すべては愛である。
初っ端から飛ばしますね~
ここでいう愛というのは、いわゆる男女の愛情とか、人間としての愛情よりも、エネルギー的な構造、つながりとしての「愛」を意味しておきます。
愛がなければ、ぼくらは、そしてすべてのものは存在しえません。すべてというのは言わずもがなスベテです。
②ぼくらは存在している
本当とか本来とか、偽物とか、まやかしとか、そういう区別や判断は別にして、ぼくらは紛れもなく存在しています。
ここでいう存在は、在るってことですね。アリストテレスやハイデガーを登場させたいところですが、長くなるので今回はやめておきましょう。
肉体としても、肉体が朽ちて、意識体としても、ぼくらの存在は消えちゃわないらしいですよ、スピリチュアル万歳!笑
③ぼくらのソースは神
宇宙人にもわけわからんらしい、神や宇宙ですが、どうやらぼくらの起源や元は、おんなじらしいです。
神のいたずらか、宇宙のお遊戯かどうかは知る由もないですが、ぼくらはけっこうおふざけしているのかもしれません。そして肉体としての「死」を迎えたらもしかしたらおんなじ場所にいくのかもしれません。
このコンセプトで、ぼくの好きな点は、神ゆえに自己回復力・修繕能力がめちゃくちゃすげーぜ。という点と、みんなおんなじ。(孤独は幻想である)という点です。
④ザ・ワンネス
③とほぼほぼ、ぼくは変わらないという解釈をしているワンネスです。
ワンネスって言葉にすると、よくわからなくなると思うんですけど、めちゃくちゃてきとうに要約してしまえば、ぼくらはひとつとして存在している。って感じですかね。
なぜひとつなのかの解釈論が人それぞれでおもしろいところではあるんですけど、すべては個別でありつつ、大元に繋がっているってなんか勝手に心強さを感じます。
⑤フラクタルである
いわゆる自己相似的といわれるのがフラクタルです。
いわゆるフラクタルな宇宙も解釈はそれぞれ分かれるところはあるんですが、平たく言えば、みんな違う。そしてみんな特別である。って感じでしょうね。それっぽく言えば、自分の宇宙をちゃんともってるで。になります。(てきとう)
自分がわからないとき、本当の自分を忘れちゃうとき、なんか寄り添ってある概念のなかで一番パンチがあるのは個人的にはこのコンセプトだと感じています。
本当の自分って案外・・
自分の中で、バランスを崩してしまうとき、どうしても立て直しがきかないようなことは多々あります。人生だもの。ですね。
原因や理由はさまざまです。
ただ、やっぱり、ぼくらの存在は消えることはないし、儚くも美しいフラクタルな自己宇宙がどんな状態になっても在るってのはやっぱり思い出しておきたいところですよね。
あらゆる観点や尺度から自分をみたとき、案外、本来の自分というのはどこにも行かずすぐそばにあったりするのかもしれません。
- ぼくらは存在している
- 神である
- つなぎ目は愛かも
- ザ・ワンネス
- そしてフラクタルな宇宙
まとめ:本当の自分がわからないとき何していますか?
スピリチュアルっぽい考えって、めちゃくちゃ不幸です!とかもうやばいです、どん底です!というときとかは、ぼくはかなりリスキーで毒になる可能性を秘めていると思うんです。
自分がよくわからないときとか特にですよね。
めちゃくちゃ辛いのに、それ学びですからね。あなたの意識が現実作ってますからね。波動が・・とかって言われても自分を責めたてたり、他人と比較する部分を余計刺激しちゃうこともあるでしょう。
そんなときは、もっとわけわかめなスピリチュアルっぽい考えをどこかの机のポケットから引っ張り出してきて、自分の確固たる存在に根拠のない証拠を突き立ててあげましょう。
そもそもですが、本来の自分が、本当の自分がわかったらわざわざ意識体として在る状態から肉体としてきちゃうようなめんどくさいことぼくだったらしませんけどね笑
分からないがゆえに、身体をデバイスとして、感情や経験、知識、出会い、その他もろもろを認識orダウンロードして探していくんでしょうし。
スピリチュアルっぽい考えをわざわざ持ち出しなくても、本当にやばくて自分迷子です。ってときは、どこかの国で、誰も知らないところにトリップしちゃえば良いんだと思います(めちゃくちゃ無責任な発言)
ぼくらは存在してつなぎ目を愛として神でフラクタルでワンネスだったら最強な気がします。(ちょうてきとう)
みなさんはよくわからなくなったとき、どんな考え概念を適用させているでしょうか?また何をしているでしょうか?
いつも読んでくださってありがとうございます。
質問や意見があれば、コメントやSNSにくださいませ。
自分が分からなくなった で検索。
2日前から検索し読み 読めば読むほどわかるような分からんような
混乱に陥り 最後にこちらに出会いました。
真剣に読むと 解読が困難。
疲労状態心身の流れで 視覚 心ではなく 魂で読む状態で読んでいた。
すると 何か斬新な まめたろうさんのセンスがいい感じで
楽になりました。
何が?
何が?かは見えないけど 楽に生きていいのかなと 見えた気がします。
まめたろうさんは それなりに若くて男性ですか?
私は50代の女性。
このおばさんにも このページは効果あり有効ですか?
私はつぶやいています。
嬉しいコメントありがとうございます~!
男性です^^
楽しく読んでいただければ効果というのはわかりませんが、
何かしら良い感じだと思います~