今回のテーマは「セルフコンパッション」です。
あなたは誰にもならなくていいのです。
この記事は、自分を責める自責グセのある人が、どうやってセルフコンパッション(自分を認める)していくかについて僕なりの提案をシェアした内容です。
自分が悪い。どうせ自分なんて。という感情がどこから来るのかと言われると人それぞれです。
心理学的なアプローチでは、幼少期の経験や価値観がそれを育むと言われますが、
スピリチュアルな側面からみたら、今の人生の経験だけでなく、先祖から受け継がれたもの(家系)、前世、並行世界まで話が壮大に広がります。
自分の何かしらの行為において、「悪いことをした。」と認識するのは健全な反応だと僕は思います。社会や自分の外堀の秩序を保つのに役立つので。
一方で、「悪いことをした自分がいけない。」と自分で自分を追い詰めるのは苦しさが募ると思います。
認識が責めに転じる境目は本当にあやふやですが、今回はそんな自分責めがちな人がいかにセルフコンパッション的な領域にいくかを考えてみます。
もちろん人それぞれなので、何かしら参考になれば嬉しいです。
今回のお話の流れ!
- 罪悪感と自分を責めるの違い
- 自分を責めてしまう要因
- 自分を責めるメリット&デメリット
- 自分を責めるのをやめる方法
- まとめ
自分を責めると「罪悪感」の違い
自分を責める。ことと、罪悪感は似ているようで違うと勝手に思っています。
罪悪感とは何か?
罪悪感は簡単に言えば、悪いことをやっちまった。という気持ちです。
つまり、「罪」を認識する段階です。この罪というのは、法律上のルールも含まれるかもしれませんが、罪悪感に関してはほぼ100%が主観です。
理由としては、同じ行為や現象でも悪いことをした気持ちになるかどうかはその人の価値判断基準に委ねられるからです。
要するにバックグラウンドにあるもの(趣味趣向、価値観など)が各々違います。
自分を責めるとは?
罪悪感は、悪いことをした気持ち。としましたが、「自分を責める」は、その気持ちで自分は○○だ。と決めつけること、あるいは、自分を非難することです。
イメージとしては、罪悪感(感情)が根本にあって、そこから自分はこういう人間です。とジャッジするようなものですね。
いずれにせよ、苦しそうな展開です。
自分を責めるパターンと罪悪感の4つの種類
ここからは、罪悪感がきっかけとなって、自分を責めちゃうパターンを考えてみましょう。
罪悪感の主な4種類
罪悪感の種類はたくさんありますが、本当に大雑把に大きく分けると4つの種類に分けられます。
- 道徳や社会性から来るルールを犯す罪悪感
- 加害者マインドから来る罪悪感
- 自分や他人がつくった基準に満たない罪悪感
- すべての責任を負う罪悪感
罪悪感とは?原因や意味、スピリチュアル的な視点からみて手放す方法
自分を責める7つのパターン
せっかくなので本からも引用してみます。
心理カウンセラーの根本裕幸さんは上のような罪悪感を7つのパターンにわけて説明しています。
- 誰かを傷つけた、壊してしまった
- 無力感、助けられなかった、役に立てなかった
- 何もしてない、見捨ててしまった
- 恵まれている
- 自分は毒である、けがれている
- 親やパートナーから引き継いだ罪悪感
- そのほか(宗教的価値観などからくる)罪悪感
ピンときにくいのは④かもしれません。
恵まれている罪悪感とは、環境的(容姿や経済など)には恵まれているものの、その価値を周りと比較しすぎて素直に受け取れない深層心理だそうです。
例えば、お金持ちだけど、周りは自分に比べてそうでないから申し訳ない。(妬まれるんじゃないなかという恐怖心)とか。
この本はぼくは特に真新しい発見(心理学などよく言われるやつの言及が多め)なかったんですけど、寄り添ってある感じがグッドです。
罪悪感にさいなまれすぎているひとにとっては良書になるかもしれません。
自分を責めることによるジャッジメント
結局、自分を責める癖が健全に機能しなくなる大きな理由の1つとしては、それが自分のすべてだと思うことです。
つまり、自分はこういう人間です。と表の意識も裏の意識も自動的に解釈してしまうことです。
自分を責めることでインストールされる感情・感覚は以下のようなものです。
- 無価値観・無力感
- 自己否定・自己卑下
- 自己犠牲
- 必要以上の義務感
- 恥
- 不幸≒自分にとっての幸福がわからない
- etc..
こういった否定的な感情が決してぼくはダメだとは思わないんですが、自分で自分を苦しめる結果になることが多いに予想できます。
自分を責めてしまう良い点と悪い点
すべてのものには光があり、闇があります。自分を責めるメリットとデメリットを敢えてピックアップしてみます。
否定感情が根本にあるとどうなるか。っていうイメージです。良い点なんてあるはずない。という人もぜひ読んでみてください。
自分を責めるメリット
まず、自分を責めることによって生まれそうな良いところを探してみます。
- 協調性やハーモニーを保てる
- モラルのある人間になれそう
- 相手を気遣える
- 「良い」人を演じられる(本当の意味での加害者にはなりにくい)
- etc..
自分を責めるメリットのほとんどは、自分の行動を律したり、節制するためにあります。
一見すると、じゃあダメじゃないか。と思われがちですが、自分の行動を制限すると秩序やハーモニーをつくる場面があります。
自分が犠牲になれば、少なくとも自分以外の周りは平和。みたいな。あとは、他人を優先に考える人もでてきそうです。
この状態は自分がバランスを保ちつつ、きつくない限りとても素晴らしい個性として機能しそうです。
なんの問題もありません。
自分を責めるデメリット
自分を責めてそれがマイナスな方向に行く場合、どうなるかというのはけっこうカオスな予感ですが、一部を上げてみます。
- 自己評価を下げる、自分を否定しがち
- 自分の行動に制限をかける
- 相手を気遣いすぎて、自分の本心に素直になれない
- 空気を読みすぎて、自分が犠牲者になる
- 幸せになっちゃいけないと思う(わからない)
- 0か100か極端で物事を捉える(完璧主義になりがち)
- etc..
ちなみに、今回のテーマは自分を責める。なので、罪悪感がきっかけで相手に攻撃的になる(自分が罪をかぶりたくないため)みたいなものは省きます。
自分を責めやすい人の中の多くは、必要以上に完璧主義な側面もあると僕は感じます。(もちろん人に寄りけりです。)
白か黒かはっきりして、NGの部分を自分に全部背負いがちだから仕方ないっちゃあ仕方ないんですが。
また、自分を責めるパターンとして、特にエンパス・HSP気質の人は周りの感情を拾ってしまうので余計きついです。
どこまでが自分の感情や思いで、どこまでが自分の感情ではないかがものすごくあやふやになることが多いからです。
自分を責めてしまう人が身につけたいセルフコンパッションとは?
ここからは責める領域から認める領域にシフトしていく方向をみていきましょう。
セルフコンパッションのルーツ
セルフコンパッションは直訳すると、自分に対する慈悲です。自分に優しくしましょうね。ってやつです。
元々は仏教の概念の1つである、マイトリー(慈悲・慈愛)ですが、近年では心理学やメンタルケア的な分野で研究されているものです。
仏教的な概念で、思いやりや慈悲は以下のような意味を持ちます。
- 万物(生きとし生けるもの)の苦しみ・苦痛に気付く・共感すること
- それらを苦しみや苦痛を和らげたいと願う心
- 万物(生きとし生けるもの)に深い友愛の心、慈(いつく)しみの心を持つこと。また、それらに楽を与えたいという心を持つこと
セルフコンパッションの定義
セルフコンパッションをメンタルケアの分野で昇華させたのは、アメリカの心理学者のクリスティーン・ネフ氏です。
彼女は、セルフコンパッションを
「自分の愛する人を思いやるように、自分自身を思いやること」
と定義しています。よく言われるようなやつですね。
自分に厳しく他人に優しいじゃなくて、自分も他人もイコールですよ。って感じです。
余談で僕の推測ですが、おそらくセルフコンパッション的な概念は、クリスティーンネフ氏以前にもわりとあったような気がしています。
インド人のグルとかよくいいそうですよね。(勝手なイメージ笑)
セルフコンパッションの3つの構成要素
こちらも有名ですが、セルフコンパッションは3つの構成要素からなると言われます。
- 自分への優しさ(Self-kindness)
- 共通の人間性(Common humanity)
- マインドフルネス(Mindfulness)
よくあるやつなんですが、
①は、自分のいいところを認識すること。あるいは他人に接するように、思いやりを自分にももつこと。的な意味もあります。
②は、「人間だもの。」ってやつです。つまり、自分だけがダメ。という孤独な心理状態ではなく、自分にも誰かにも似たような短所あるよね。
というつながる共通認識です。(心理学的な分野では、逆境を肯定するときによく用いるやつです。)
③は、感情と一体化せず、あるがままを認識するというやつです。自分は○○ができずにダメな人間だ。というのものではなく、ただ自分は○○ができなかった。
みたいな事実を切り取る(ジャッジしない)認識です。
ありのまま受け入れるマインドフルネスとジャッジする生き方を比較してみた
マインドフルネスとセルフコンパッション
マインドフルネスとセルフコンパッションはしばしば同じような文脈に乗っかることがあります。
理由としては、マインドフルネス瞑想の1つの手法に、慈愛・慈悲の瞑想、セルフコンパッションがあるからです。
僕はずぼらなのでどっちでもいいや。という考えなのですが、
敢えて、違いを言及するとすれば、マインドフルネスは、自分の外側のものも内側のものもあるがままを受け取る。認識する。で、
セルフコンパッションは、主には自分の領域、内側にある者に対して、ありのままを受け取る。認める。(ちょっと優しくする)って感じです。
ちなみに、エックハルト・トールの説く、思いやり(コンパッション)もなかなか面白いので気になる方はぜひ読んでみてください。
自分を責めてしまう人がセルフコンパッションを高める5つの方法
セルフコンパッションしていくには、本当に様々な方法がありますが、僕がわりとやるなあ。みたいなやつを今回はご紹介します。
①正しい場所にいると思っておく
自分を責めるパターンの1つは、完璧でありたい(≒裏では自分は完璧じゃないんじゃないかと疑う)という深層心理から来ています。
もちろん、常に上を向くという姿勢は素直に素晴らしいものですが、行き過ぎた完璧主義は疲れます。そして常に不足感のある自分を根っこに植え付けます。
たまには、自分は常に100%正しい場所にいると勝手に思っておくのをおすすめします。
人生で間違った道を歩いている時のサインと進むべき正しい道にいる違いとは?
②ないものよりあるものをみる
自分を責めることで僕らが学べることの1つは、自分で自分の存在を認める側面がたくさんあることです。
より良い自分になりたい。と願うことは目標を達成するうえで必要な部分もありますが、あなたが何者かに取って代わる必要はありません。
すべて必要なものをもっている存在です。今あるものがすべてパーフェクトな弧を描いています。
③ネガティブもポジティブも認め、手放す
突き詰めれば、ネガティブな自分を否定し肯定的に置き換えることも、ポジティブな自分をより肯定するのも、あなたが存在するうえでは必要ありません。
理由は、ありのままのあなたはどこからどう切り取っても完璧すぎるからです。
自己肯定とは、否定的な自分にサヨナラを告げることだとよく言われますが、
いたちごっこにさよならを告げたい人はダメな自分もよき自分もすべて許可を出す日をつくってみましょう。
自己受容とは?その定義。自己肯定や自己否定の違いを解説してみた
④自分とマイベストフレンド
もし、あなたの一番大事な友人が傷ついていたら、ハードに当たって批判や否定的な言葉を投げかけるでしょうか。
たぶん自分を責めてしまう人はそんなことはしないでしょう。
自分もひとりの人間だと労わって、自分で自分を励ましてみましょう。他人にも優しくできるので自分にも優しくできるのがあなたです。
⑤毎朝自分とハグする
自責癖が染みついている人はなかなか難しいですが、イメージでもいいので自分自身にハグをする日があってもいいでしょう。
「毎朝目をさますたび、私は至福の喜びを味わう。そう、サルバドール・ダリであるという喜びだ。このサルバドール・ダリなるものが、いったい今日はどんな奇跡を起こすのだろうかと、驚嘆しつつ私は自分に問うのである。」
byサルバドール・ダリ
ダリが本当にこんなことを言ったのかはとても謎ですが、朝起きる前とか夜寝る前に、
とりあえず自分自身とハグをするとたぶんですが良い感じに怪しくなれます。
セルフコンパッションから学べること
自分自身を思いやっていく方法は正直これ以外にもたくさんあるとは思いますが、なんせ見えない部分ですので、なかなかわかりにくいです。
スピリチュアル的に言えば、自分を責める、罪悪感から学べることの1つは、無条件の愛と言われます。
もう少し物理的な表現に頼るなら、自分に優しくし、自分の価値を認めることで、他人のみえなかった優しい領域や価値のある範囲を見出すこと、
結果、自分の心地いい世界を築いていくうえでの必須ツールです。
自分を責めることで苦しんでいるうちはなかなか見えない部分も大きいですが、ぜひいろんな角度から自分をのぞき込んでみましょう。
まとめ:自分を責めることも認めることもイコールです
罪悪感や自責の念というのは、とても厄介な部分があります。
というのも、一定の基準というのが、自分のいる場所、コミュニティ、関わる人や物事の中で移り変わる可能性が非常に高いからです。
また、罪悪感や自分を責めることで、自分の人生が好転したり、前向きになっていると錯覚しやすいところもあるからです。
ゆえに、終わりがないように思えます。ただ、罪や罰というものはたぶん1つもないとだんだんと思い出していくと、世界はすごく優しい場所になるはずです。
秩序や協調性がなくなったらダメじゃないか!と大いに突っ込まれそうですが、そんなことはなくて、僕らの共通点がまた1つ増えていくだけだと思います。
ついつい自分を責めてしまう人は、スパルタな自分を少しずつ解放してあげて、いろんな思いやりに気が付くきっかけにしていく日をつくっていきましょう。
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
質問や意見があればぜひ!