まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、日本っぽいスピリチュアルを自己啓発の入り口にすると逆効果になるんじゃないかという、まあみなさんお気づきのところをぼくの感覚でシェアしていく内容になります。
自己啓発セミナーってけっこう色々な種類がありますよね。ぼく自身、行ったことはないので塵の欠片ほどの説得力もないんですが、入り口が不幸だったり、現状が不満で理想の自分に、生活を、未来をみたいなところが大きいイメージがあります。
これは、スピリチュアルにも適用できるところで、理想の自分になるでえ!みたいな自己啓発の入り口をスピリチュアルにするとけっこう相性が悪そうなイメージが強いです。
これはさかのぼれば宗教とか、日本で強調されている「教えや美徳」みたいなところにも関わりがあるような気がしています。今回は色々な角度から自己啓発やスピリチュアルをみていきましょう。
自己啓発とはなにか?
自己啓発といっても、種類はたくさんあります。今日日、「自己啓発 本」とか「自己啓発 セミナー」なんてググればめっちゃ出てきますよね。まずは、自己啓発とはなんなのか?っていうイメージの刷り合わせをしていきます。
自己啓発とは?歴史やルーツ
自己啓発が辞書的に定義されているのは以下のようなことです。
自己啓発の定義
仕事に関する知識,技能,経験などを他律的な形式に支配されずに自主的に向上,啓発していくこと。
潜在的な能力を啓発したり,新たな技能,知識を身につけようとする性質は本来人間にそなわっているものと仮定し,自分から進んでこれを実現しようとするのを援助して,従業員の意欲を高めるとともに仕事の遂行能力を伸ばそうと意図したのが自己啓発の制度である。
コトバンクより
まあ、要するに、自分の心と能力を成長させるためにいろいろやっていこうで。って感じのものですね。
こちらは歴史を辿ると、オカルトチックですがアメリカ軍の洗脳研究に至る説もあります。洗脳というとアレですが、別のことばを使えば自己変容とか、自己改革なんて感じかもしれませんね。
捕虜を捉えて、自我と自己を分けて、自我を(ある意味)壊して、新しい都合の良い自己を植え付ける。そんなイメージです。1940-50年代の戦争っぽい時代を経て、平和になっていくとそれがより営利に集団心理療法と重なり合って進化していきます。
21世紀のいまは、ここにニューエイジ(スピリチュアル)とか、アスリートの哲学とか、偉人のマインドとか、思考とか科学的っぽいところもいれつつ日々変化しているのかもしれません。まあ、自分探しぼくら好きですからね。入り口はなんでも良いんだと思います。
とにもかくにも、自己啓発というのは、易しい言葉を使えば、新たな自分を発見する手段だったり、自分の思考や意識をグレードアップさせる方法みたいな感じです。
日本の宗教や慣習が形成するスピリチュアル観
自己啓発とはなにかが整理できたところで、次に日本が形成してきたスピリチュアル観をみていきましょう。
スピリチュアルになるとぼくらがなぜ一気に神格化するのかとか、スピリチュアル=怪しい、宗教となるのは、まあ一概にはいえないし、そう思ってもいいとは思いますが、案外ぼくらのルーツにあるのかもしれません。
日本の八百万と神道
日本の宗教といえば、神道ですね。神道は、アニミズム(自然崇拝)にルーツがあり、生き物や動物の生物だろうと、植物や空気など無生物だろうと、すべてのモノに魂や霊が宿っているで!という信仰に根本があります。
すべてのものに魂や霊が宿っている=すべて神っていうのは、とても宇宙っぽいですよね。だから、一神教のその他の宗教よりもスピリチュアルと結びつけばイメージがしやすいメリットがあるように感じます。
守護霊、ハイヤーセルフ、スピリットガイド、その他いろいろな神様がサポートしてくれる存在っていうのはなんとなく信じるにせよ信じないにせよわかる価値観のひとつでしょう。
八百万の神とかでもかなりイメージしやすいですもんね。
均一&集団意識
日本には、イケイケ押せ押せですべて自分のおかげでうまくいっているという考えはおこがましいとか、慎ましくないとか少し毛嫌いするような風潮があります。均一や集団というのをとても重んじますね。
学校でも社会でも少しでもレールからはみ出ると「むむむ。」という声をたくさん聴くことになる人もいるかもしれません。本来ならばみんなちがってみんないい。というところをわかっているはずなんですが、
みんなおなじでみんないい。と刷り替わってしまう現象が気づいたら起きていますよね。
自力より他力。
ぼくらは、縁とか祈り、神頼みなんかをとても大事にします。神様・仏様を大事にして、先祖を大切にして、徳の高いことをすれば往生できる。みたいな仏教的な考えです。仏教の意味するところの「他力」はもう少し違う場所にあるのは別にして、
神社にお参りすれば、神様や仏様に幸せを祈るだろうし、不幸があれば、自分の行いを悔い改めるひとももちろんいますが、厄とか凶日とかそういうところに理由を探すこともあります。
スピリチュアルがこの「他力」と結びつくと、サイキックな能力に目を光らせたり、宇宙人であることに特別感を感じたり、ハイヤーセルフの声を聞かなければとか、アセンションするには・・みたいな話になりがちかもしれませんね。
他力になることがダメとか、スピリチュアルは自力を求められるとかそういうところにはなくて、もちろん好き好みに分かれるとは思うんですが、バランス感覚を失うとけっこう窮屈なモノにはなるかもしれません。
まあ、日本では謙虚さとか自力で神にとかいうとちょっとおこがましいとかって考えするひと多いですよね。特に神社系のひとがスピリチュアルを批判するときに、そんな特別な力を利益的に使うとバチが当たる理論はこういうところをルーツにしているかもしれません。
そして、日本でスピリチュアビジネスが話題に上がるのはこの「他力」と絡めるとけっこう理解できるところが多いですよね。
スピリチュアル系の自己啓発は不幸への入り口?
主に精神向上とか、意識変容としての自己啓発系スピリチュアルはぼくは、人によっては、理想と現実とのギャップを惑わすトラップになりうることもあるんじゃないかなと感じるときがあります。
そのあたりを少し共有していきます。
幸福論からみるスピリチュアル
引き寄せの法則、悟りなどの見性体験に重きを置いたスピリチュアルは自分がいま不幸やで。という人にとっては、とても煌びやかに映るでしょう。いとも簡単に理想の現実が、、みたいな部分ですね。
以前もこの辺りは記事にしていますが、ここからスピリチュアルに入るとけっこうドツボにハマる感覚がぼくにはあります。端的に言えば、ぼくらは幸福に慣れて、さらに幸福が「続く」のを求めがちだからですね。
引き寄せの法則もアセンションも、面白いのは幸福論で留まるのではなく、ぼくらの存在とは?ぼくらの存在は意識体なのか?みたいなところまで掘り下がるところだとぼくは感じています。
現実に感じる感情の強さ
スピリチュアルは目に見える部分も見えない部分も取り扱う守備範囲の広いモノだとぼくは感じていますが、主に理想の自分を手に入れる的なスピリチュアル系の自己啓発だと、それが一気に縮小されて、完全に理想と現実に分かれるのではないでしょうか。
ここで、スピリチュアル系の自己啓発にハマると忘れがちなのが、ぼくらが常に格闘している感情とエゴの部分です。ハイヤーセルフの声を聞くよりも、またサイキックな能力に目覚めることよりも、そして、引き寄せの法則をやってみることよりも、
ぼくは「感情とエゴ」をどのようなバランスで保つのが自分にとって心地いいかを確認&アップデートしていくことがめちゃくちゃ効果的だと感じています。
感情やエゴの部分を感じきるといいでとか、感情部分を書き出すでいいでとかそういうことではなくて、大前提にマインド部分ってめっちゃ影響しているで。っていうことをすっ飛ばすと一気にドツボにハマりそうということですね。
そこで救いを目に見えないじぶんの部分に求めつつ、他力思想、神様意識になるとめっちゃごちゃごちゃしてくるかもしれません。なんと燃費悪めのぼくらが誕生しそうです笑
スピリチュアルも自己啓発も一長一短
何事においても言えますが、すべて表と裏で、光と闇があるとぼくはあると感じています。ぼくらはコピペが得意な生き物なので、どこをどう切り取ってどう人生に適用させていくかはめちゃくちゃ自由ですが、のめり込みすぎるのは、バランス感覚を失って、
ある意味悪循環になるかもしれません。まあ、難しいこと考えずに、今の自分はどこに好奇心があって、どんなとき感情がぶち上げするかを日々確認&実行していけばいいだけなんですけどね。
自己啓発もスピリチュアルも心地いい音楽を聴くときのように、自分がスッキリしてなんとなく楽になるのなら、それを自分の中に獲得していけばいいだけなのではないでしょうか。
まとめ:スピリチュアル系の自己啓発に頼るよりは自分のエゴとお付き合いを
今回は、自己啓発をテーマにスピリチュアルなことや、ぼくらのルーツっぽい神頼み的なところまで触れてみました。
日本人も色々おるで。なんですが、集団意識とか協調性としての意識をもっているぼくらは世界のいろんな国と比べてけっこうレアかもしれません。
まさにスピリチュアルでいうところのワンネスにはなるんですけど、このワンネスっぽい意識が(誰かにとって都合の良い)同調だと一気に窮屈になるでしょう。
少し話が逸れましたが、幸福論や魂の成長、能力的な向上に関する自己啓発をスピリチュアルっぽい目に見えないなにかに求め過ぎることで苦しむひとは多いかもしれませんね。
ぼくにとって、スピリチュアルの好きな考えはいくつかありますが、ぼくらはいびつだろうと、歪んでいようとフラクタルな宇宙をそれぞれつくっているで。というところにあるかもしれません。
いつも読んでくださってありがとうございます!