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Null

無とは何も無いことらしい

果たして無とは本当にあるのか

案外、意味に反して全てあるのが無の正体だったりして

部屋の中を見渡してみて認識してみる

テレビ、テーブル、ソファー、あらゆる小物

空間も認識できる

仮に部屋に物やガラクタで天井まで埋めたとする

その部屋をガラス張り状態で瞬時に見て

人は何かを見出だせるだろうか

一つの認識が達しようとすると

別な一つの認識が覆い被さってくる

意味の頭と尾っぽに別の意味が

概念の頭と尾っぽに別の概念が繋がっている

一つの意味が生まれそうになるが

未成熟なまま別の意味が主張する

この世の全て、宇宙の全て

宇宙を包括する何かがあるかもしれないから

全て

全てという言葉を使って人は全てという概念を支配下に置いた気になるから

全てを飛び越えていった先にあるもの

それを見て吃音的にならずにいられるだろうか

目の当たりにして狂わずにいられるだろうか

究極の混沌が無だとしたら

無という響きにある静謐や虚しさは似つかわしくない

混沌に覆われ『何も認識できない』すら達する前に泡となってはじける

そしてその狂気を勇敢にも認識する意識が『ある』のか

無意識となって何も認識が無い非認識があるのか

空間とは我々の清涼剤であり、正気を保たせるのかもしれない

この御大層な無に死んだ暁には相まみえるのだろうか

やはり、そんな玉じゃねぇと思ってしまうのである

ペドロ

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