まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、エゴ(自我)とはなにかわかりやすく説明し、スピリチュアルでよく言われるエゴを向き合う、手放す方法についてぼくが思いつくところを共有する内容になります。エゴとはどんなもので、何が問題なのかを改めてみていきましょう。
エゴサーチ、エゴイスト、なんて言葉があるように、ぼくらはエゴと共に在る生き物ですね。人間たるゆえんともぼくは感じています。
日本語だと、自我に当たるこのエゴですが、悪いモノとされ、手放した方がいいで。という意見、また上手に付き合ったらいいで。という考え色々ありますね。一体なにがエゴの罠で、なぜ手放した方が良いと言われているのかについてわかりやすく説明を試みます。
いずれにせよ、わからなくなった自分を取り戻すためのツールの1つなんでしょうね。
エゴ(自我)の意味をわかりやすく説明します
まずは、エゴの意味を辞書的な意味合いを引き合いしつつ、みていきましょう。まあ、簡単にいえば、自分を保とうするがゆえの防衛本能ですね。
エゴとはなにか?
デカルト、カント、ウィトゲンシュタイン的な哲学でも、フロイト的な心理学でも出てくるこのエゴですが、実際にエゴとはこうです。って言う明確なものはないですね。
辞書的な意味合いだと、以下になります。
[safe title=”エゴ(自我)とは”]- 自分。自分自身。我(われ)。
- 他人や外界と区別された認識、行為の主体であり、しかも体験内容が変化しても同一性を持続して、作用、反応、体験、思考、意欲の働きをする意識の統一体。
- 意識の主体。自我意識。精神分析では、人間の行動を調整し現実に適応させるものと規定している。 引用:日本国語大辞典
少しわかりにくいので噛み砕いて表現してみます。
エゴ=何人もいる自分の1人?
ぼくの認識の中のエゴはいくつか意味がありますが、シンプルに言えば、何人かいる自分の人格の1つですね。(他人や常識、社会的価値観と)比べちゃう自分と言ってもいいかもしれません。
その人格の1つであるエゴの役割は、主に2つです。
- 他者との区別
- 生存競争・(変化への)防衛本能
1は、上の②と一緒ですね。自分が何者かっていうのは別の何かや他人があって初めてわかる部分もあると思うんです。成長していく過程ではなおのことでしょうね。
2に関しては、いわゆるスピリチュアルでいわれるようなエゴの大半がここに集約されるでしょう。
他人と区別して自分がわかる・知るだけならばまだ、この終わりない競争社会にピリオドを打てそうですが、誰かや何かと比べて優であれば安心できて、逆に劣であれば、不安に襲われる、自分を責めるみたいな役割を果たします。
また、大人になればなるほどぼくらは慣れていくので状況や環境が変わってしまうと、(慣習になれた)自分を守らねば。という役割も果たします。
自己中心的な考え=エゴイストという認識が強いかもしれませんが、ここに関しては、何を基準にするかによって変わってくるとぼくは感じます。謙虚なことがイエスな世界であれば、自己中心はエゴイストにみえるくらいなもんです。
当然かもしれませんが、赤ちゃんにはエゴはありませんね。言葉を習得したり、母親・父親と認識し、それ以外の人と関わっていく中でガンガン形成していくのでしょう。
エゴに関しては、以下の関連記事でも詳細に書いてますので、興味がある人は読んでみてください。
エゴの特徴:エゴ(自我)のメリットとデメリット
エゴは他者と区別する自分だ。ということがわかったところで、エゴのメリットとデメリットを考えてみましょう。大前提として、良いも悪いもなくて案外決めつけているだけかもしれませんね。
エゴのメリット
エゴのメリットに関しては、ぼくは1つしか思いつかないんですが、自分を認識できること。これに尽きる気がします。自分の中にはいろんな自分がいると思います。その中の1つとして認識すると、あ、こんな自分もいるなって感覚がつかめると思います。
自分にはA面とB面があるとして、今の自分の状態はA面なのか、B面なのかなってエゴのおかげでわかる気がします。
それが強くなったりすると、他人と比較して躁状態かうつ状態になるかのトラップになりそうなんですけどね。
ポジティブなエゴ
また、ポジティブっぽいエゴとして思いつくのは、「欲求」です。○○したい。こうなりたい。ああなりたいなどですね。
ただ、これが比較、例えば、Aさんと比べると自分はブサイクだからイケメン・美女になりたいとなると、そうならない場合の現実パワーで躁鬱のどちらかが待っていそうです。そうなったとしても、終わりない競争のスタート地点に立つので生産性でいうとゼロっぽいです。
好きな人、片思いの相手に関しても一緒です。一緒になりたい。私だけの彼でいてほしいというのは強くなりすぎると、自分の無価値観を強調するツールにもなりえます。
要するにバランスですね。まあ、恋におけるエゴは盲目になりがちです。いずれにせよ、ピュアなエゴ、純粋な欲求はポジティブな意味合いがありそうです。子どもが遊びたい。っていうのはなんとなくですが、ポジティブなエネルギーがありそうですもんね笑
- 自分のポジションが把握できる
- ピュアな欲求はポジティブなエネルギーかも?
エゴのデメリット
エゴのデメリットは、周りを気にせざるを得ない社会、圧倒的競争社会においては、かなりあるんじゃないですかね。
社会的や世間一般の価値観をゼロとしてそこにエゴを加えると、気弱タイプな方であれば、そのゼロ地点の基準点に自分は満ちていない感覚から、自己否定、自己嫌悪、孤独、欠乏、不安、恐れ、悲しみ、絶望感などを抱きがちです。
逆に、マウントとるのが好きな気が強めなタイプの方であれば、怒り、憎しみ、妬み、嫉妬などを抱くと感じます。
ネガティブなエゴ
ぼくの感覚にあるネガティブなエゴに関しては、ほぼすべてが(家族も含む)他人との比較で生まれ、残りの数パーセントが過去や未来の自分との比較で誕生すると思います。
このネガティブなエゴに関しては、主に2種類で、いわゆる欠乏感、孤独感が1つ、もう1つは、将来の不安、人へのジェラシーからくるような焦りだとぼくは思います。
- 比較から生まれる自己否定
- 比較することで優越感
- その他、不安や欠乏感などの焦り
エゴの特徴
エゴの特徴というより、ぼくがエゴにおいて一番厄介だなと感じているのは、それが凝り固まることです。つまり、よくも悪くも習慣化するところですね。思考が限定的になる、視野や価値観が一定になるといってもいいですね。心理学でいうところの自我の発達です。
この「(思考やマインドの)凝り固まり」が、一概にエゴのダメなところとは言い切れない主な理由としては、世間を渡るのに役に立つ点くらいなもんですかね。人によっては一番重要なところかもしれません。
ただ、思考やマインドが自分基準ではなくて、社会性や世間、「ふつう」の価値観になるとなにがしんどいかというと自分がこれでもいいか。とOKサインを出せなくなるところではないでしょうか。
そして価値判断基準を自分ではない他に求めると、そこには上に行っても下に行っても切りのないバッキバキの競争に知らず知らずのうちに巻き込まれるかもしれません。そこが楽しく見える場合もあるんですけどね。
それが深層心理や無意識の部分にあり、そこが温室であればエゴ界のエゴにおいては、切れ味・破壊力ともに群を抜いてピカイチでしょう。エゴの自分と本来の自分(ピュアな欲求のある自分など)の切り分けも難しくなりそうです。
エゴの特徴
- 凝り固まる
- 思考の限定化
- 視野や価値観の習慣化
スピリチュアル視点でのエゴ(自我)とアセンション
ここからはちょっとスピリチュアルっぽい話に舵を思いっきり寄せてみます。
ぼくの感覚ですが、スピリチュアルでいわれる、5次元世界や4次元密度への次元上昇、アセンションをしてもエゴが消滅することはないと思います。エゴはあるかもしれませんが、必要なさそうですよね。ぜんぶ1つなので。
ワンネス意識
仮に、次元が違う世界があって、5次元っぽい世界とか4次元密度にアセンションすると、エゴは必要なくなる感じでしょう。
理由としては、非常にシンプルで、大前提として、「みんなで違ってみんないい」という共通のコンセプトにピュアな気持ちで賛同しているからでしょう。
この「みんな違ってみんないい」はどこから来るのかといえば、やっぱりぼくらの存在のルーツやソースが一緒ってところなんだと思います。そのルーツやソースというのは、神だったり、愛だったり、光だったり、エネルギーや意識体だったり表現は異なります。
いわゆるワンネスとかって言われることですね。
存在しているだけでいい
ぼくらの感覚だと、他人との区別で使われるエゴや自我はしばしば個性だからいいやつと説明されることもあります。確かに、他がいないと自がわからない気がします。
ただ、その前提条件にあるのは、「みんな違ってみんないい」ではなく、「みんなと違って特別で在りたい。」あるいは、裏を返せば、「みんなとおんなじでなければ。」というところもありますね。
だから、エゴを使って、比較するだろうし、比較したうえでそれを価値判断基準にもってきます。なんとも歯がゆいですね。
エゴ(自我)があろうがなかろうが、本来的には自分の存在は消えないので、その認識を心にもっておけるとかなり楽になりそうです。そして、やっぱりみんな特別なので、終わりない競争にはピリオドを打っておきたいところですね。
エゴと向き合い・手放す簡単な方法は3ステップ?
エゴと向き合い手放す方法はたくさんアプローチがありそうですが、今回は初歩的なアプローチを共有していきます。
①エゴに気が付く
まずは自分の中にあるエゴに気が付きましょう。なにがエゴで何が自分の声なのかって棲み分けをしてみることですね。
基本的にピュアな願望や欲求以外はほぼエゴっぽいので、そのエゴが強めなのか、弱めなのか、自分のすべてを占めているのか、どの部分を占めているのかを探ることもおすすめします。
②エゴを理解する
気が付いたら、あとはそのエゴに話しかけて探るだけですね。
いつそのエゴができて、なぜそのエゴがあるのか。エゴがあるとどんな自分ができて、その自分のどこがどんな風に好きなのか嫌いなのか。だいたいですが、自分なので理解できることが多いでしょうね。
③自覚するor放置プレイ
自分にあるエゴが何者でどこからそれが来たのかが理解できればもうそれに向き合う必要はほぼないです笑
あ、こんな自分もいるんだな。って思っておけばだいたい大丈夫でしょうね。自覚する、そして放置プレイですね。無理矢理取ろうとする必要ないですし、たぶん自然に消える人もいると思います。
仮に、なかなかしつこくて消えない場合、インナーチャイルドを癒すとかちょっと目に見えないそれっぽいやつに頼むとかって技が有効になるときもあるでしょう。
まとめ:エゴ(自我)と上手に付き合って自分の声を聞き分けるといいかも
今回はエゴの基礎的な部分の共有になります。
エゴに関しては、このブログでもなんども言葉しては登場させたんですが、改めて復習を兼ねてとりあげてみました。
基本的に、本来の自分の声とエゴは違うよ。って認識ができればぼくはそれで良いんだと思います。エゴをなくしなさい。手放しなさい。逆にエゴは大事にしなさい。っていうのはどちらも確かにまったくもってその通りなのですが、
やっぱり、理解しておく程度がぼくは健全なのかなと感じています。あ、これはエゴだなとわかっておけば、自分がわかりそうですし。その上で、比較競争社会が好きならそちらを選択すればいいし、やーめたって白旗あげて、自分の価値を認めてあげるのも手ですね。
いずれにせよ、自分のことなので、自分で決断した方がよさそうです。ぼく個人の感覚としては、ぼくもエゴたくさんあるんですが、比較競争的な意味合いでのエゴは日常的に顔を出すことは稀です。ゼロではないですけどね。
理由としては、やっぱり自分で自分に疲れちゃうから、というのとみんな違ってみんないいなあ。という感覚がなんとなくわかる日もあるからです。他人と区別する必要も究極的にいっちゃえばないんでしょうね。まあ、そうしたければ別ですが。
みなさんは普段、エゴをどう捉えていますか?どう向き合っているでしょうか?
ちなみに、エゴ&意識マスターである、エックハルト・トールのニューアースは読んだ人も多いかもしれませんがおすすめです。エックハルト・トールのヨーダ感がぼくも妻も大好きです。笑
いつも、読んでくださってありがとうございます。
「あなたを信じる」と「あなたに自分を曝け出す」は何が違うのか?
相手を信じる事と、自分が無防備な状態になる事はイコールではない?!自分と他人の境界線がハッキリしている感覚がある時、誰かを疑い無く信じる事は出来るのでしょうか?
はまゆうさん、
コメントありがとうございます!
んー、とてもムズイです。
信じるとさらけ出すの違いはちょっと今度記事にできたらしてみますね^^
ありがとうございます!