ヒーリングセッションやっています

決めつける人やイメージを押し付ける人に対して理解しておきたいこと

https://i1.wp.com/donkey-earth.com/wp-content/uploads/2018/03/3-e1543973510272.png?w=880&ssl=1
まめたろう

今回のテーマは「決めつけること」です。

https://i2.wp.com/donkey-earth.com/wp-content/uploads/2018/03/5-e1543973501539.png?w=880&ssl=1
たっかぶり

あなたは○○なのです!

※この記事は、「決めつけること」「押し付けること」は本当に生きていくうえで必要なのかについてぼくなりの超絶短い人生で逡巡してみる内容になります。

ここ最近、改めて、世の中のほとんどが「決めつけること」でその弊害が立ちはだかっている気がしています。

あらゆる人の性質や性格、病気(病名)、固有名詞に至るまで、この決めつけからの脱却はわりと人生的に楽にいくのにはアリなんじゃないかな。とかなりの文脈で思うことがあります。

結論から言ってしまうと、自分に対しても他人に対しても、レッテル&ラベルをペタペタ貼ることで視野が狭まり、 スピリチュアルで言われるようないわゆる「思い込み」や「ブロック」のエサになるんでしょうね。ザ・ジャッジメントです。

みなさんは、自分や相手に対してどの程度の割合で決めつけて、どの程度の割合でその紐を緩めているでしょうか?

この記事でお伝えしたいこと
  • 決めつけや押し付けとはなにか?
  • 決めつける癖、押し付ける感覚を身に付ける心理や環境
  • 決めつけの何が良くて何が悪いのか?
  • 決めつけとエゴの関係

決めつけること、押し付けることとは?

まずは、今回の記事で扱う「決めつけ」や「押し付け」の定義づけをしていきます。まあ、文章するまでもなく、当然っちゃあ当然だと感じます。

彼女は嘘つき?よく嘘をつく?

決めつけや押し付け(ジャッジメント)でめちゃくちゃわかりやすい例をエックハルト・トール氏がYouTubeで語っていました。

決めつけや押し付けの分かりやすい例

彼女は嘘つきである=決めつけ(ジャッジメント)

彼女はよく嘘をつく=決めつけではない(ノージャッジ)

If We Say, ‘The World Is Crazy,’ Are We Judging?

いやあ、めちゃくちゃわかりやすいですね。さすがのヨーダです。

①の嘘つきだ。に関しては、その後に、嘘つきだから信用してはいけない。とか、信頼できない、ダメだ。なんてぼくらが得意とするエゴの価値判断基準が続きます。

一方で②のよく嘘をつく。は、彼女(彼)の性質や特徴、立ち振る舞いを事実として述べているだけですので、そこに後続するような「ダメ」とか、「良い」などの後続する判断は非常に薄れる気がします。

決めつけや押し付けの視点

もう少しだけ、嘘つきとよく嘘をつくの違いを深堀すると、要するに自分の視点なのか、自分以外の視点に分けられるような気がします。

①の嘘つきだ。になると、それはあくまで自分の基準で、他の尺度を度外視するような傾向になりがちです。もちろん自分の基準がダメというわけではなく、その「基準」はいつどこで何が作ったものかをぼくらは忘れてしまうことが非常に厄介です。

一方で、②のよく嘘をつく。はただの状態ですので、そこに自分の基準というよりは、観察の結果のような要素が強まります。そうなると、ああ、嘘をつくんだなあ。みつを状態で終わりますよね笑

「嘘」だけでなく、ぼくはあらゆる文脈でこれは言えることだと思います。

例えば、彼はうつ病と彼は感情の起伏が激しい。彼女は認知症だ。と彼女は、物事をよく忘れる。彼は常識的な人間である。と、彼は決まり事をよく守る

などなどですね。世の中ってこの微妙なラインが右に偏ったり、左に偏ったりしている状態で、どこの視点で自分や世界を捉えるかでけっこう変わってくるんだと思いますよ。

決めつける人の心理やイメージの押し付けはなぜ生まれるの?

ここからは、決めつけや押し付けをつくるものを、ぼくが想像できうる範囲で共有していきます。

①親のしつけ・教育

妻と子どもを観察しながら改めて感じるのですが、子どもが親から獲得するモノを予想以上に多そうです。

もし、相手が、また自分が、価値観のクセとか、価値判断基準、イメージの押し付けをしがちなパターンなどあれば、自分の育った環境などを思い返すと結構ヒントが隠されていそうな予感です。

②コミュニティ・環境・経験測

次にできうるのが、今所属しているコミュニティ、環境、そして自分が培った経験ですかね。

ニュースやワイドショーのリアクションをみればわかるんですけど、善悪とか称賛とか嫌悪とかって流行り廃りがあって、コロコロ変わっちゃうんですよね。今自分がどのポジションにいるのかってやっぱり『周り』が大きかったりします。

③前世・カルマ

ザ・メタフィジックスですね。ぼくは多次元世界をけっこうな割合で信頼しているので、前世や過去世で引き継ぐ価値観(感情)は大きい人もいるのでは。という印象があります。

男が女を守るべき。とか親はこうすべき。あらゆる感覚をぼくらは今回の人生以外でもっているのかもしれませんね。

④魂

こちらもメタフィジックスな事柄です。

魂が知っている。魂が固執していて、執拗に引きはがしにくい決めつけやジャッジメントは信じるか信じないかみたいな話にどうしてもなってしまうかもしれませんが、あるような気がしています。

もちろん人それぞれなのでそんなの信じないし、気にならねーです。って方も多いとは思います。

決めつけをつくるモノまとめ

少しばかり長くなったので簡単にまとめます。

決めつけや押し付けの根本
  1. 親や遺伝的なやつ
  2. 自分でつくった環境・経験
  3. 前世・過去世

ぼくの経験上、①や②はわりと原因や理由がわかりやすく、意識している部分も多い人がわりにいると感じます。③や④はもはや存在しているかどうかも知らんで。という人もいるので無意識的な部分へのアプローチが多い印象です。

みなさんのジャッジメントを象るモノってなにがあるでしょうか?

決めつけや押し付けの何が良くて何がダメなのか?

ぼくは決めつけや押し付けをなくすことはけっこう無理なんじゃないか説をとっています。というのも、決めつけを無理になくす作業はまた別の決めつけをつくる作業とあまり変わらないからです。エゴの原理とおんなじですね。

ただ、ぼくらは非常に優秀なボディとマインドとスピリットを兼ね備えているので、「認識する」ことは可能です。決めつけのメリットデメリットをみていきましょう。

決めつけることのメリット

決めつけること、価値判断を右か左に寄せることのメリットは、ぼくはそこまで思いつきませんが、自分を知る契機としてはもってこいです。

いわゆる立ち位置の確認作業ですね。なぜ、自分は○○という考えをしがちであるとか、○○という性質を持ちガチとかですね。

決めつけや押し付けは全く悪いことでもなんでもないのですが、それを相手に強要してしまいがち(共感を得ないと不安になりがち)なぼくらの性質と掛け合わせるとかなり厄介な部分はあります。

そして、それをエゴと比較要素とごちゃ混ぜにするといとも簡単に善と悪でくくれる世界とか、正しさとか倫理観、道徳観が強まった少しさみしい世界に閉じ込めてしまいがちになりそうですね。

決めつけのメリット
  • 自分の立ち位置を把握
  • 知るキッカケ

決めつけることのデメリット

決めつけや押し付けのデメリットも考えていきましょう。

デメリットは捉え方にもよりますが、ぼくが感じるところでは、視野が極端に狭くなりがち。そして、価値観が固まる、一定方向しか向かないことはやっぱりバリエーションが減るのでこの世界がけっこうつまらなくなるような気がしています。

付随する感情としても、自分に決めつけがむいた場合、○○だから正しい(間違い)。相手に向けた場合であっても、××だから、仕方がない(良くない)とか、一義的な色眼鏡でしか覗けなくなりそうですね。

シンプルに表現すると、気付きも学びもなくてロボットになっちゃいそうな勢いです。

デメリット
  • 視野が狭まりがち
  • 一義的な意味合いをもちがち
  • ロボットになりがち

決めつけも押し付けも根本はエゴにあるかも

決めつけや押し付けの根本はやっぱりぼくら特有のエゴだとぼくは思います。

エゴと決めつけの関係

以前もお伝えしているように、エゴそれ自体は良くも悪くも別になんともないです。

ただ、厄介な部分として果てがないところですね。決めつけや押し付けも性質はじゃっかん違うとぼくは感じていますが、結局指標や完全完璧な正答がないところ(そんなものは幻想という点)の理解があったほうがより楽だと感じます。

エゴに関しては、比較競争や防衛本能が働く性質がある一方で、決めつけや押し付けは防衛本能を突き抜けて、攻撃的な部分がむき出しになるイメージがあります。

そこを理解しておくだけで、おそらくあの人は○○だ!とか自分は××である!というキツめなところからもうちょい俯瞰してみる自分にであえる可能性が広がる予感です。

まとめ:決めつけや押し付けもこの世界を面白くするツールです

今回一番ポイントとして伝えたかったことは、ぼくらが生きているうえでほとんどがこの決めつけや押し付けでできていやしないか。という純粋なる疑問です。

決めつけがダメです。押し付けはよくないです。という価値観さえもジャッジメントにはなるんですけどね。笑

ただ、やっぱり、ラベルやレッテルをペタペタ貼ってしまうと、一気に人生や世界の彩りが歪む可能性は高いですよね。大枠で言えば、正しいと思えることも、いろんな角度から照らし合わせていきたいところです。

そしてもし、自分や他人に決めつけや押し付けを見出したら、それがどこから来るのかを分析&観察して、エックハルト・トールが言うように、やっぱり世界はクレイジーかもしれない。なんて面白いところにいるんだろう。と感じられるようになると、

少しだけモノクロ世界が変わるかもしれません。

みなさんはどんな尺度や価値判断基準を自分のマインドやスピリットに持ち合わせているでしょうか?そしてどれだけそれが好きでしょうか?自分の中に聞いてみると何か発見があるかもしれません。

いつも読んでくださってありがとうございます。

P.S.しばらくお休みしていましたが、来週辺りからブログの方もセッションの方もガンガンいこうぜモードになるかと思います。引き続きよろしくお願いいたします

2 COMMENTS

なめこ

お帰りなさい(๑╹◡╹)またこちらでまめたろうさんのブログが読めて嬉しいです!
ちょうど明日、暫く苦手になってしまっていた人と会う予定です。この記事を読んで、心の枠がパカっと開いた気がしました。明日は決めつけを外して観るチャンス、有り難いなと思いました。いつも心の広がる記事を、ありがとうございます( ´∀`)

返信する
まめたろう

なめこさん、いつもありがとうございます。
嬉しいです^^
常にチャンスは目の前に広がっているかもしれません。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください