まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、スピリチュアル系男子と女子が気にしがちな波動と自分の人間関係や不幸、トラブルうんぬんの関係性について、ぼくなりに思うところを共有していく内容になります。波動や波長って高いと思えるときはいいんですがって感じでしょうか。
自分の波動や波長が低いとトラブルや不幸が続いたり、人生がうまくいかないなんて説明はけっこう蔓延しているかもしれません。
確かに、ぼく自身、自分の人生を振り返ってみて、ちょっとうまくいかないなあ。って感じるときは、なにが原因なのか原因探しをしたときもあったし、(内側の)波動が関係しているなあと感じたときもあります。イラっとするときってなんか世界がイラついてみえます。
大枠では同意しますが、例えば言われようのないイジメだったり、突拍子もない事故がすべてスピリチュアル系で片づけられるのかといえばそうではないでしょうね。
例えそれが真であったとしても、スピリチュアルに求める必要はない出来事もたくさんあるのではないでしょうか。占いでもスピリチュアル的な考えやそれっぽい人の教えみたいな部分も「良いところ」だけを拾って人生にコピー&ペーストするといいかもしれません。
鏡の法則とは?すべては自分の写し鏡?
鏡の法則については、野口嘉則さんという心理カウンセラー&作家という肩書をもつムッシュが出した考えで、2005年にブログが公開され、2006年に書籍化、100万部のミリオンセラーとなったので、読んだことのある人も少なくないかもしれません。
「鏡の法則」の意味
鏡の法則は、以下のように定義されています。
自分の出したモノが返ってくるとか、因果応報みたいなところをイメージしてもらえればいいでしょうね。例えば、友人や知人・仕事仲間にやっかまれていて、その原因が過去の自分が誰かをやっかんでいたところにあるみたいな。
もう少し、鏡の法則を遡ると、作家のジェームズ・アレンさんという人にたどり着きます。1902年に出版された、彼の著書『「原因」と「結果」の法則』」(As A Man Thinketh )がかなり似たところを突いています。
彼は今ある環境(結果)は、すべて自分が考えてきた(思考)部分の反映やでと言っていますね。スピリチュアル的な意識の力と思考の現実化の祖みたいな人です。偶然ではないでってやつですね。徹底的に内をみていたんだと思いますよ。
ちなみに、As A Man Thinketh は、聖書に次いでベストセラーになっているとかなっていないとか。ジェームズ・アレンさんはけっこう面白いのでまたの機会にご紹介します。
スピリチュアルにおける「鏡の法則」
鏡の法則に関しては、一応、スピリチュアルにおいてもそれっぽいものがあります。みなさん大好きバシャールの宇宙における五原則によると、
What you put out is what you get back.(出したものは返ってきたもの。還ってきたものは出たもの。)
作用と反作用で、鏡の法則っぽいですね。ただスピリチュアルなのでもう少し広くて、あなたが起こしたことは全部あなたが原因やで。と問い詰める「罪と罰」のようなものではなくて、ただそうなだけというニュアンスをぼくは勝手に感じ取っています。
他の4つの原則を絡めて理解するとなんとなく伝わるか思います。以下の関連記事で詳細があるので、興味のある方はどうぞ。
鏡の法則は絶対なのか?波動が低い人は不幸やトラブルを引き寄せる?
鏡の法則がご紹介できたところで、今度は出したものが返ってくる。人生の現実は、自分の心を映し出した鏡っていうのは絶対なのか。ってところですね。
これ、波動のお話とも関係がありそうですよね。つまり、波動が高い人はラッキー!波動が低い人はトラブルや不幸が多い。みたいなところです。
波動高い系
意識高い系という言葉があるので、「波動高い系」と総称してみます。波動やエネルギーで人間や場所、あらゆるものを判断する波動マニアですね。
確かに鏡の法則、波動の特性みたいなモノ、バイブレーションの関係で人間関係が築かれたり、人生の出来事が散りばめられることは多いと思います。「類は友を呼ぶ。」みたいなところですよね。
ただ、すべてをそこに落とし込んで波動高い系になる必要はないと思っています。理由は明確で、ぼくらには色々な側面があるからですね。
波動の低さと不幸やトラブルは関係ない?
波動が低ければ、鏡の法則だから、不幸とかトラブル、人間関係やお仕事、恋愛でうまくいかないって極端すぎやしないですかね。リスクをはらんでいそうです。
つまり、自分の何かがダメだから、うまくいかないとか、自分に変えるべき欠点があるからトラブルが続くんだ。とかですね。原因探しをしたら、たぶん完璧なひとっていないです。
波動の低さに焦点を充てて、鏡の法則とかを知って、自分で、あ、確かにこういうことしまくっていたなあ。と気付ける人はそれでいいんだと思うんですけど、それでもわからない人っていると思います。
それは、元も子もない表現をしてしまえば、波動が低くないからなんじゃないでしょうか。
魂レベルが高ければ試練があって人生が辛いって言っているようなもんですね。まあ、ぼくら試練とか、原因探しが好きなので仕方ないところはあるんでしょうけど。
因果関係や鏡の法則を適用させるべきではない不幸やトラブル
スピリチュアルなこと全般に言えますが、盲信したり、絶対的にそうだ。と決めつける必要はぼくはないと感じています。というのも人それぞれ考えがあるし、まずは自分に落とし込んで噛み砕く作業が一番大事だと思っているからです。
鏡の法則も一緒ですね。それ適用させない方がいいよっていう不幸やトラブルをちょっとだけご紹介します。
①不慮の事故や病気
事故や病気、嫌なことが続くと、先祖の祟りだとか、自分のエネルギーがとか、鏡の法則や。みたいなところってよぎるときもあるかもしれません。それでそれっぽい原因がみつかれば、そこを摘まんで解釈できるんですけど、そうでないときもあります。
突然亡くなることだって人間あります。突然病気になることもあります。それをスピリチュアルっぽいことや鏡の法則に求めなくてもいいんじゃないですかね。もちろん求めたければ話は別ですが(笑)
②トラブルが続く
確かに、似たようなトラブルが起きたり、おんなじところをグルグルしている感って誰しもあります。それがメッセージだったり、自分の中で振り返ってみたら。っていうサインもあります。
ただ、すべてではないです。人間って浮き沈みする生き物なんで、たまたまトラブル続くなんてことは往々にしてありがちです。
③抵抗不可避な暴力
幼少期に受けたイジメとか、DVとか身体的なモノから精神的なモノまで全部ですね。これを鏡の法則に適用させると何が起きるかと言うと、自分を責めまくるんじゃないでしょうか。自分がダメだからとかですね。
毒親に関してもそうです。自分の外側&内側が原因で今こんな状況って、不可避なことさえにも求めたら余計苦しくなるだけかもしれません。
④その他自分が納得できないすべて
その他、自分が納得できなかったり、腑に落ちなかったすべての不幸やトラブルを鏡の法則や因果応報に見出す必要はないです。ただ、これにはエゴも入るとは思います。
でも、無理に原因を自分に求めてみたり、霊的なものとかそれっぽいやつに求める必要は本当にないです。そんな日もあるか。で片づけた方がめちゃくちゃ健全ってときはたぶんありますね。
まとめ:鏡の法則を適用させるのはフラットになってからがいいかも?
不幸やトラブルの起因を探すってのは確かに自分を振り返るうえで、自分の内側を見つめ直すうえで、有効な手段にはなります。それで発見できる自分とか、変えられる自分がいるっていうのは救いになります。
ただ、それがみつからなかったり、わけわからん不可避なモノに遭遇したとき、すべてをスピリチュアルっぽいことや鏡の法則や自分の内側に集約させるのはぼくは違うと感じています。
調子のいいときは、自分の日頃の行いが完璧すぎると思い込んじゃっていいとは感じますが、調子が悪かったり、慢性的に幸福論を追っているときに、そういう考えを出してくることは毒にもなりかねないですよね。
だからわりと、ゼロポイントというかフラットなところにいるときに内側を見つめた方がぼくは有効なんじゃないかなって感じています。そういうフラットっぽいところにいれば自然と不幸が不幸にみえなくなってくるっていう摩訶不思議なことも起きるんですが(笑)
すべては確かに写し鏡っぽくはなるんですけど、それが真実ではなく、要するに、自分のエゴではない都合の良い解釈をしてみたら、なーんだそんなことか。となるかもしれないというよくわからん提案でございます(笑)
いつも読んでくださってありがとうございます!質問などがあればいつでもコメントください。
この記事を書いて頂き、本当にありがとうございます。
自分も、とても思い悩んでいる時期に鏡の法則や波動のお話を知り、さらに思い詰めてしまった経験があるので…。
様々な過去や大きなトラブルに対する見方が変わり、今後の希望を見出した途端にこの記事に出逢えました。
この世界って、とても面白くて不思議ですね。