今回のテーマは「他人の目」です。
気にしているのはどっちだろうね。
※この記事は、「人の目」をテーマにどうすれば他人を気にせず、自分の言動に制限をかけず自分らしさを発揮できるのかを多角的に考える内容になります。
他人の目を気にするべきではない!という人はわりと多いのですが、一方で人の言うことを聞きなさい。という価値観を僕らは子供のころから教わります。
この相反する矛盾の塊から、常に他人の目を気にしがちな人は、逃れる術がわからないケースが多いと想像します。気にするなと言われても・・って感じです。
人の目を気にすることはもちろん、役立つときもあります。
一方で、自分の考え、意見、行動に制限をかけすぎると、よくわからなくなり、迷子の状態になります。
この記事では、人を気にすることにおけるメリットとデメリットを考え、他人の目を気にする人の心理的な仕組みをみつつ、一歩抜け出す方法を提案してみます。
みなさんは人の目を気にするタイプですか?それともあまり気にしないタイプでしょうか?
今回のお話の流れ!
- 人の目を気にしてしまうのはいいこと?悪いこと?
- 人の目を気にしてしまう理由
- 人の目を気にしてしまう人の特徴
- 人の目を気にすると受け入れるの違い
- 人の目を気にしない方法と10のテクニック
- まとめ
人の目を気にしすぎる性格の長所と短所
他人の目を気にすべきではない⇔他人の気を読める優しい人になりなさい。
みたいな相反する教えや価値観を教わります。
当然ながらどちらが良いか悪いかは本当に人それぞれの価値観によりますが、ここではメリットとデメリットをまずみてみましょう。
他人の目を気にしすぎる長所
人の気持ちをくみ取ったり、他人の態度を先読みするのには当然ながらメリットがあると僕は思います。
例えばですが、
- ハーモニー・調和が生まれる
- ルールや規律を保てる
- 共感力が高められる
人間関係を構築するうえで、相手の領域と自分の領域をマッチさせることはほぼすべての文脈において必須能力の1つとなり得ます。
他人の態度を気にすることで、相手の領域と自分の領域の心地いいスポットを探るために共感力はかなり役に立つと僕は思っています。
だから他人の目を気にすることで空回りしていないうち(自分が不快にならないなど)は本当に素晴らしい能力の1つです。
他人の目を気にしすぎる短所
一方で、他人の目を気にしてしまうことのデメリットも考えられます。
例えばですが、
- 依存度合いが高くなりがち(自分に対する評価がしにくい)
- 自己否定、自己卑下が生まれがち
- 周りにコントロールされがち(言動に制限がかかる)
人間関係の中で、他人の目を気にしてしまう領域が強くなると、自分の安全領域が狭まるリスクがあるため、簡単に言えば、自分がわからなくなること。
これが最大のデメリットだと僕は思っています。
自分の言動、自分自身にプライドを持つ方法がわからなくなったり、自分迷子状態です。
そこから派生して、恐怖心や孤独感、自分を責めるなどの心理作用に発展する可能性があります。
スピリチュアルな言葉で言うところの、自己愛、自分を認める力の欠如ってやつです。
人の目を気にしてしまう理由と仕組み
人を気にするのは、人間関係を構築するうえではわりと大切な能力の1つだと僕は思いますが、しすぎるのは健全ではないことが多いです。
気にしすぎるな!というのはできない人にとっては無理なアドバイスですが、まずなぜ気にしてしまうのかいくつか理由をピックアップしてみます。
①承認欲求が強いから
他人の目を気にしすぎる理由の1つとして、自分で自分を認める、評価するのが苦手。というものがあります。(≒それゆえに完璧主義になることもしばしば。)
そうなる理由は人それぞれですが、他人を慮ることで、自分の安全な境界線を定めようとする人は少なくありません。
②恐怖心があるから
怖さにも色々ありますが、他人を気にするケースで多いのは、拒絶・拒否・批判への恐怖心がメインだと僕は考えます。
心理学的なアプローチでは、こういった恐怖心は子供のころの体験や深層心理に根付くもとだと考えられ、
例えば、両親から認められるための行動・言動を必要以上にしていたり、周りから理由なく怒られる体験が一般的には多いと言われます。
③自己否定があるから
①とも似ている部分ですが、他人を気にすることのメリットは肯定感が自分以外から得られハーモニーを作ることです。
裏を返せば、自分で自分を肯定する領域が少ないとも言えます。何かにつけて自分が悪いのかな。などと感じたり、
アグレッシブな場合は、自分は正しいのである!!と相手を否定する人もいるでしょう。(深く見ると実際はそれは自分を否定していることになりがちです。)
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つまるところ、前提条件×自己防衛本能
他人を気にしすぎる。というのは、つまるところ、スピリチュアルな言葉で言えば、エゴが根本にあります。
このエゴというのは、人間関係を構築するうえではわりと必須キットみたいに役立つこともありますが、上記のようなデメリットもあります。
なぜ、自分で満たされない、恐怖心、○○しないと認められない。みたいなエゴできるかは本当に人それぞれ色々なストーリーがあるので、一概には言えませんが、
純粋に自分のテリトリーや存在を守るための本能のようなものです。
言葉を変えれば、Aという条件の下ではこう反応すれば、自分の境界が侵害されない。
という自分なりの経験則の集合体であり、自分なりのオリジナルな世渡りガイドブックのようなものです。
人の目を気にしすぎてしまう人の性格・特徴
気にする人。にも色々いるので本当に一概には言えないと思いますし、正直特徴なんて言うものは人間であれば誰しも少しくらいは持っている部分ですが、
とりあえず羅列してみます。ここでは敢えて大きく分けて2つの方向性をだしてみましょう。
①積極的に出る人の場合
人の目を気にすること。というのは自分なりの経験則で編み出された世渡りテクニックみたいなものですが、アグレッシブにでる場合があります。
例えば、
- 見栄を張りやすい
- 完璧主義
- 責任が強い(負いすぎる)
- 勝ち負けにこだわる(≒負けず嫌い)
- etc..
簡単に言えば、自分で自分を認める領域が少ないため、自分を大きくみせようとする人がこちらのケースに該当します。
完璧に物事をこなすことで、他者の評価を得て、負けないようにあるいは負けても下には下がいるから大丈夫。みたいな主導権を他人譲っている場合です。
②消極的に出る場合の人
気にしすぎる人あるあるで、多いのはこちらのケースかなと思います。もちろん敢えて分けてみましたが、僕はどちらにも共通点があると感じています。
- 不安、心配性
- 自尊心が低い
- 自分が悪いと思う(加害者心理・自分を責める)
- 劣等感や自分に対する否定感情
- etc…
こちらは簡単に言えば、自分で自分を認めることができないため、自分を小さくみせることで、必要以上に傷付かないように防衛線をあらかじめ張るタイプです。
繰り返しですが、特徴なんてものは一概には括れるわけではなく敢えて分けてみた場合です。
人の目を気にすると人にコントロールされるの違い
人の目を気にするのはぼくは大事な能力だと思いますが、気にしすぎるのは健全ではありません。
理由としては、自分の言動に制限をかけすぎたり、ひいては自分で自分を認められず、
責めることにパワーを使いネガティブな循環が自分の中で始まる可能性が高いからです。
人の目を気にかけるのは必要かも
他人を気にすることは必要なことも大いにあると思います。
上述の通り、秩序や調和を相手と築けるきっかけになるからです。まったく気にしなくなると、どうなるかというと、少なくともその相手とは分離します。
さらに人を気にすることで、褒められて喜ぶ、あるいはけなされて反論したり落ち込むのは当然のリアクションです。
それが残留しない限りは、成長過程や人間関係を構築する上では良い養分になりえます。
気にする≠人にコントロールを委ねる
ただ、気にしすぎる人の中には、他人に自分をコントロールさせてしまうことに無自覚な人もいるでしょう。
つまり、他人を気にしすぎることで、自分の思っていること、考えていること、思考パターンや行動がすべて他人ベースになってしまうような状態です。
人を気にかけたり、人の意見・考えに耳を傾けることは必要ですが、そのうえで、必要以上に自己弁護をしたり、反論しすぎるのはコントローラーが、
自分ではないどこかに言っている可能性が高いです。
大げさに例えるなら、「あなたの意見はわかる。私はこう思うよ。」は気にするレベルですが、気にしぎるになると、
「あなたの意見は絶対違う。そんなもの人間が考えるやつじゃない」とか、
「あなたの考え、私もそう思う。あなた(と私)以外の考えはダメよね。」みたいなイメージです。
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人の目を気にしない方法と10のテクニック
人の目を気にしない方法は色々あると思いますが、気にするけど、捉え方(思考パターン)変えることで、
結果をやんわりしていきましょう的な視点で紹介します。
「気にすべきじゃないから、それやめよ。」なんてことはたぶん気にする人は何回もやってきたはずなので。
①人の目を気にする自分を認める
まずは、自分の人の目を気にする性格を素直に認めてみましょう。
自尊心が低い、ネガティブ思考、前提条件がないと自分の存在が保てない、そんな自分がいることを確認してみるのが第一歩です。
ファインティグポーズはいつでも取れるのでまずは自分で自分に白旗あげることです。
②人の目を気にするさ、人間だもの
気にする性格に気づいたら、それを一旦よしとしてみるのもアリです。
自分の考えや性質など、主には内側の気持ちに正しいも間違いもありません。
人の評価が気になる人ならそれを求めていいじゃない、人間だもの。です。
前提条件がないと自分に素直になれない(承認欲求が満たされない)のはたいていの場合、幼少期や家庭環境で育まれるとされると心理学の分野では考えます。
人の目を気にする心理の1つは、前述ですが、自分で自分を認められない癖がついているからです。言い換えれば、否定・拒否・拒絶に慣れている状態です。
最後の砦である自分がどんな状態でも(たとえ承認欲求マックスだとしても)、まずはそんな自分に素直にイエスと言ってあげてみるのも大切です。
③自分で自分を虐げている可能性に気が付く
人の目を気にする性格にうんざりしている場合、めちゃくちゃな完璧主義か、あるいは自尊心の欠如から自分をののしっている可能性が高いです。
他人からの承認があなたを癒し、拒絶があなたを傷つけるのであれば、まずは自分だけは癒す方向にパワーを使ってあげてはどうでしょう。
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④なぜ気にするのかを考える(キズの発見)
すべての自分にオールOKができている人は、しっかりファインティングポーズがとれているので、理由・原因を探せる準備ができているでしょう。
この領域では、なぜ自分は気にするのか。いつ頃からそれが始まったのか。どういうときに出やすいのか。
などなど、5W1Hを基本ベースに自問自答するとヒントが出やすいと思います。
エックハルトトールでいうペインボディ(傷)の認識です。
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⑤「気にすること」の長所と短所を並べる
理由・原因がわかったらすぐに変われる!という人は多いかもしれませんがじっくり自分と向き合ってあげるのもありです。
気にすることで良かったこと、そして損してしまったことを自分のカウンセラーになったつもりで羅列してみましょう。
紙に書くのもいいですね。僕は自分を掘り下げる時はよく書いたりスマホのメモに打ち込みます。
⑥自分の価値を再発見する
気にしすぎてしまう人のなかには、自分には価値がないと思い込んでいる人もいます。
気にする性格で良かった点(長所)、単純に自分の好きなところ、わりと褒められるところなどをリストアップします。
この時注意点として、わりと褒められるところ(他人の評価)がリストの中心だと、自尊心の回復にはならない可能性が高いです。
なので、純粋に自分の好きなところ、良さげなところをピックアップしてみましょう。
苦手な人は、例えば、歩ける。話せる。落ち込んでもたくさん食べられる。とかそういうので良いと思います。
僕の場合、てきとうだけどよく眠れる。漫画を読むのがまあまあ早いとかがリストにあがります。
⑦気にしたくないのになぜそうするかを考える
ここまでの状態ができている人は自分をわりとフラット目線でみられるはずです。
なので、冷静に落ち着きつつ(自分を決して責めないで)、なぜデメリットがあるのにもかかわらず、気にしてしまうのかを考えてみましょう。
④のキズの発見テクニックと似ていますが、この領域では、もう少し深い部分をみていくといいです。
ヒントとしては、やめたいけどやるっていうのはどこかの何かに役立っている認識があるからだと思います。嫌なものを好んで食べる人はいませんので。
青汁も苦いけど健康になるから飲む。みたいなそんなイメージを持って自分探ししてみましょう。
⑧他人をジャッジ(否定・批判)していないか確認する
「気にする人」にも本当に色々な性質・性格があると僕は思います。
そんな中には、知らず知らずのうちに誰かを否定することで自分の正しさを強調している場面もあるかもしれません。
もちろん、自分の正しさを主張することは自分を守るために必要だ。という状況もたくさんありますが、最終的には脱いだ方が楽です。
理由としては、いくら相手をジャッジしても解決には向かわないことが多い(自分の傷の根本は癒えない)のと結局はエネルギーが自分に向かないからです。
ただ、いきなりこれをやると、ディフェンシブに気にするが出ている場合は、自分で自分を責めるに至るのでちょっと注意が必要です。
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⑨これまでとは違う言動をしてみる(一歩引いてみるとか)
このゾーンにいる人は、なぜ自分が気にしすぎてしまうのか、そしてその原因がどこにあるのかがわかり、そんな自分をケアする準備ができているでしょう。
原因や理由がわかれば、あとは行動面、言動面で少しずつ、対応を変えてみましょう。
コツとしては、いきなり全部やろうとすると疲弊しちゃうので、条件反射として反応した自分とそうでない自分を線引きしてあげることです。
条件反射的にならない方法の一つとして、一歩引いて、感情や心を整えてから実践モードに入るといいでしょう。
⑩自分のニーズに自分で応える
①-⑨をしてもたぶん気にする人は気にします。
ただ、自分の仕組みや取扱説明書が増えるほど、結果が変わってきます。
他人からのニーズで自分のニーズを満たしていた人は、自分のニーズに自分で応える練習をしてみましょう。
簡単に言ってしまえば、やりたいようにやるです。親や兄弟姉妹、肉親であれ他人を言動をコントロールすることはできませんが、
自分で自分の自由意志に応えることはいつどんなときも可能です。だから人間というのは肉体があって素晴らしいのだと僕は勝手に思っています。
世のため人のために尽くす生き方こそが価値があり幸せな人生なのか?
まとめ:人の目を気にしないのは厳しいけど気にしぎるを変えるのは可能かも
今回の紹介したテクニック的なのは、あらゆる感情・思い込みへのアプローチとして応用できる部分もあると思います。
①認識する→②理由を探す→③痛みを癒す≒フラットにみる→④手放すというやつです。
最近の僕の肌感覚では、痛みや傷(自分の短所的な部分・思い込み)は手放さなくとも共存することで、あらゆる場面に適応することができると思っています。
自分で自分に対する説明書が増えていくとすごく最高!!というわけじゃないんですが、緩やかで穏やかになっていく気がします。
人の目を気にせず自分の言動を自由に!内側を大事に!という考えは素晴らしいです。
ただ一方で、人の目を気にしてハーモニーを保つ!自尊心低いけど、わりと楽しいかもって言える個性も素晴らしく、
甲乙は誰にもつけられません。
気にすることが良いか悪いかを考えるのは本当に不毛で、自分にとって何がベストで何がワーストかを考える方が健全だと僕は思います。
生きてる限り気にしながらも色々な発見があるので大丈夫でしょう。
みなさんは自分の気になる・他人の目を気にしてしまう性格どんな愛で方をしているでしょうか。
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
いつも素敵なブログありがとうございます:-)
こちらこそいつもありがとうございます(^^♪