この記事の答え:光が見えるとき、まず確かめたいのは目のことで、急に増えた光や飛蚊症、視野の欠けがあれば眼科へ行ってください。そのうえで、あえて見えない世界の側で読むなら、光は特別な力の証拠でもサインの答えでもなく、「いま何を感じてる?」と自分に戻るきっかけかもしれないと、ぼくは見ています。見えた人が上で、見えない人が下、ということもないと思います。

部屋でピカッと光ったら、もう「目覚めた!」でええやん!

目覚める前に、目を見てもらおか。

夢がない!

眼科で「きれいな目ですね」って言われてからの夢が、いちばん楽しいねん。

ほな、そのあとは夢のある方で読んでくれるんやな?

うん。あえて見えない世界の側で読んでみよか。
空気の中にキラキラした粒が見える。部屋の端を、小さな光がスッと飛んだ気がする。目を閉じると、まぶたの裏に白い光や色が広がる。瞑想中やヒーリング中に、光に包まれたように感じた。
そして「光が見える」と調べると、こんな言葉が並んでいます。「魂の目が開いた」「守護霊や天使がそばにいる」「亡くなった人からのサイン」「能力に目覚めた」。うれしくなる方もいれば、なんだか怖くなる方、逆に「自分には何も見えないのだけど」と、さみしくなる方もいるかもしれません。
この記事では、現実の理由を否定せずに横に置いて、あえて見えない世界の側で読んでみます。そして、よくある「光が見えたらこの意味です」の答え合わせとは、少し違うお話をします。
先に、ひとつだけ。ここは冗談ぬきで。次のようなときは、続きを読む前に、できるだけ早く眼科へ行ってください。飛蚊症(蚊や糸くずのようなものが飛んで見える)が突然増えた/稲妻のような光がくり返し見える/視野の一部が欠ける、カーテンや影がかかったように見える/目が痛い/最近、目の手術やけがをした。網膜の病気などでは、数日、ときには数時間の遅れが視力に長く響くことがあるそうです(MSDマニュアル家庭版「光視症と飛蚊症」)。ギザギザやチカチカした光が数分から1時間ほど見えるものは、片頭痛の前ぶれ(閃輝暗点)かもしれません。頭痛がともなわないこともあるそうです。はじめてのときや、いつもと違うときは病院で相談してください。力が入らない、言葉が出にくい、いきなり激しい頭痛がする、見え方の異常が続く、というときは急いで受診を(MSDマニュアル家庭版「片頭痛」)。こうしたサインがなければ重い病気であることは少ないともいわれますが、気になる光はいちど見てもらうと、安心して楽しめます。見えない世界の話は、そのあとでも逃げていきません。
光が見える現実の理由|空のキラキラは白血球かも
スピリチュアルに切り取る前に、ちらっとだけ。全部を説明できるわけではなく、ぼくは眼科医でもないので、「こういう説明があるんだな」くらいで読んでください。
青空のキラキラ。 明るい青空を見ていると、小さな光の点が波打つように走って見えることがあります。「青空の内視現象」と呼ばれるもので、1924年にドイツの眼科医シェーラーが報告しました。網膜の前の細い血管を流れる白血球が関わっていると考えられています。つまり、自分の血の流れを見ているかもしれない、というお話です。
目を閉じて見える光。 光が目に入っていないのに光を感じることを、英語でフォスフェン(眼内閃光)といいます。いちばん身近なのは、まぶたの上から目をこすったときのあれです。暗い場所に長くいるときや、瞑想中にも語られます。しくみは、まだ全部わかってはいないようです。
眠りの入口の光。 眠りに落ちるときには、点や線、幾何学模様のようなものが見えることがあるそうです。
写真のオーブ。 写真に写る丸い光は、カメラのフラッシュが、レンズの近くのほこりや水滴に反射したものと説明されます。ピントが合わないので、ふわっとした丸になるのです。
瞑想中の光。 これを本気で調べた研究があります。アメリカのリンダールらの2014年の論文で、仏教の瞑想をしている28人に聞き取ったところ、9人が光の体験を語りました。小さな丸い光や宝石のような形のものと、チラチラした光や視界全体が明るくなるものがあったそうです。著者たちは、感覚への入力が減ることで脳が自分で光を作っているのでは、と考えています。ただし、それが原因かはまだわからない、とも書いています。

ほな空のキラキラは白血球かいな! ロマン返して!

自分の血の中を白血球が走ってるのが見えるって、けっこうロマンちゃう?

……ちょっと元気出てきたわ。

白血球も朝から晩まで通勤やからね。
ここまでが、現実の側のお話。
ぼくは、これを否定しません。ただ、それで「ぜんぶ白血球」「ぜんぶ脳のしわざ」と決まったわけでもない気がしています。逆に「天使がいると証明された」わけでもありません。どちらにも決めずに、ここからは、あえて見えない世界の側で読んでいきます。
光が見えるスピリチュアルな意味|光は答えではない気がする

よく言われる説
スピリチュアルの世界では、目を閉じて見える光を丹光(たんこう)と呼び、第三の目(第6チャクラ)と結びつける説があります。空気中の光の粒は、プラーナ(生命エネルギー、気)と説明されることが多いです。ぼくも プラーナの記事 で、プラーナの呼び名のひとつとして「光の粒子」を挙げています。第三の目の記事 もあります。
そして、ぼく自身の話をすると、宇宙からのサインの記事 でこう書きました。
ぼくはあんまり普段からめちゃくちゃみます!っていうタイプではないんですが、自分のエネルギーが高めのときは、青白い光を目にします。まあ、妄想や疲れといわれたらそれまでなんですが(笑)
瞑想の記事 にも、こう書いています。
目を閉じると、ぼんやり光が見えてきます。ただの円です。瞼の裏にできた反射だとは思うのですが、そこに意識を持っていきます。
ただの円です、と書いているのが、自分でもちょっと好きです。光そのものをありがたがるというより、そこに意識を置いて、ぼーっとする。ぼくの光との付き合い方は、そのくらいなのです。
同じ光の点を、1924年の眼科医と1927年の神智学者が見ていた
神智学のC・W・リードビーターが1927年に出した『The Chakras』に、おもしろい話が出てきます。
遠くの水平線、とくに海の上の空を眺めていると、透視能力のない人にも、とても小さな光の点があらゆる方向にすばやく飛び回るのが見える、というのです。リードビーターはこれを、プラーナを帯びた粒だと説明しました(著者が透視で見たと語る世界の話で、証明された話ではありません)。
さっきのシェーラーの報告が1924年。わずか3年ちがいです。
同じものを指しているのかは、ぼくにはわかりません。でも、よく似た「空の光の点」が、片方では白血球に、片方ではプラーナになった。ここが、この記事でいちばん話したいところです。
光には、「これはこういう意味です」と札がついているわけではないのかもしれません。 札をつけているのは、見ている側なのだと思います。
瞑想の伝統でも、札はそろっていません。リンダールらの論文によると、仏教の中でも、光を瞑想が深まったしるしとして大事にする流れもあれば、気づきをくもらせるものとして警戒する流れもあります。禅の「魔境」のように、気にしないでおくものとする教えもあるそうです。何千年も瞑想してきた人たちの間ですら、光の意味は決まっていないのです。
答えじゃないから、楽しめる
じゃあ、光に意味はないのかというと、ぼくはそうは思っていません。
答えではないけれど、問いのはじまりにはなる。ぼくはそう見ています。
UFOの記事 で、ぼくは本物と偽物の見分け方として、「テンション爆上げしたらそれはホンモノ」と書きました。ふざけているようで、わりと本気です。光も同じで、光の正体より、光を見たときの自分のほうが、よっぽど話を聞く価値がある気がするのです。
「これは天使か?目の錯覚か?」と裁判を始めなくても、「きれいやったなあ」「なんか今日、ゆるんでたんかな」で十分だと思います。答えが決まっていないから、ずっと面白がっていられる。見えない世界を楽しむというのは、ぼくにとっては、そういうことです。
光を見たあと、自分に聞いてみたいこと
答えは出なくても大丈夫です。
「あの光を見たとき、どんな気持ちだった?」
「最近、ぼーっとする時間や、ゆるむ時間はあった?」
「光がなくても、今日のぼくはぼくのままで大丈夫そう?」
ほかにも、こんな読み方ができる
- ゆるんだ合図:がんばりがほどけて、ふだん気づかないものに気づける時間だったのかもしれない
- 今に戻る合図:考えごとの中から、「あれ?」の一瞬で、今ここに戻されたのかもしれない
- 遊びのお誘い:意味を探すより、もう少しこの世界を面白がってみたら?くらいのことかもしれない
光が見える人は特別?見えない人は遅れている?
「光が見えた=覚醒」「魂の目が開いた」と書かれていると、見えた方はうれしいですよね。そのうれしさは、大事にしてほしいです。
ただ、ぼくがちょっと引っかかるのは、その裏側です。「ということは、見えない自分は遅れているのか」と感じてしまう方がいること。

ほな、光が見えへん人は遅れてるん?

光のレースちゃうからね。

ほな順位もなし?

なし。ゴールテープも光ってへん。
ここで、インドの聖者ラマナ・マハルシの問答集『Be As You Are』(日本語版は『あるがままに』)に、心がほどける場面があります。質問者が、こう聞くのです。ここに来た人たちはビジョンを見たと言う。自分は1か月半いても何も体験していない。自分にはふさわしくないからでしょうか、と。
今もどこかで検索されていそうな悩みです。ラマナの答えは、こうでした(訳はぼくです)。
「ビジョンや想念の流れは、その人の心の状態によって起こるものです」「それに、そうしたものは重要ではありません。大切なのは心の平安です」
光だけの話ではありませんが、この記事の答えがほとんどここにある気がします。編者の解説によると、ラマナは自然に起きたビジョンを進歩のしるしと認めることもあったけれど、たいてい、心の中の一時的な体験だと付け加えていたそうです。喜んでもいい。でも、それで人を測らない。
エックハルト・トールも『The Power of Now』の中で、人の意識の状態を示すのは、困難にどう向き合うかであって、「目を閉じてどれだけ長く座っていられるかや、どんなビジョンを見るかではない」と書いています(訳はぼくです)。
ぼくも 霊感の記事 で、「一部の霊能力者すげー。とかヒーラーすげー。とかいう意見は意味をなさないです。ぼくらは、例外なくそういう能力があるので。」と書きました。サイキック能力の記事 では「みんなあるやつ」とも。幽霊の記事 でも、「幽霊みえればその人はすごいのかと言えば、たぶんぼくはそうではないと感じています」と書いています。
感じる力は、誰でも子どものころ持っていたと、ろばのせかいでは考えています。そして、人それぞれ得意な感覚が違います。目で感じる人もいれば、音で、においで、体の温かさで、あるいは「なんとなく」で感じる人もいる。オーラ診断の記事 に書いたとおり、ぼくがセッションでオーラを見るときも、きれいに色が見えるというより、「なんとなく」のことが多いのです。「あまり窮屈にしないでみてください」と、そこでも書きました。
ヒーリング中の光の話
実際のセッションの感想を見ても、光の話はいろいろです。
「途中から白くキラキラした光の玉に入って浮いているなぁと思ったら、寝てしまい、終わる頃にちょうど目覚めました。」(40代の方)
「色々な光が見えた事です。」(40代の方)
「セッション中、頭の中がずっと暗かったことです。光が見えないというか。」(50代の方)
アンケートには「特に変化は感じなかった」と答えてくださった方もいます(40代の方)。感じ方は、本当に人それぞれです。光の玉に入って寝てしまった方の話、ぼくは好きなんです。すごい体験をして「覚醒しました」ではなく、「寝てしまい」。なんだか、それがいちばん受け取り上手な気もします(笑)
ぼくらの めいそうのせかいの誘導瞑想 でも、「真珠色にキラキラと光輝く白い光が見えて」という言葉を使っています。あれはイメージへの案内なので、実際に見えなくて大丈夫です。瞑想の記事にも「画が出てこなくても大丈夫です」と書きました。
横になって受け取るだけの ヒーリングセッション もありますが、光を見るためのものではありません。見えても見えなくても、そのままで受け取ってもらえたらと思っています。ヒーリングそのものについては ヒーリングとは? に書きました。
光のために、目や眠りをけずらなくていい
「光を見る修行」として、寝る時間をけずったり、太陽を見つめたり、目を押したりという話を見かけることがあります。ぼくは、おすすめしません。光が見えるようになるために何かを差し出す必要はないと思うのです。
もうひとつ。目の不調や急な光を「覚醒の好転反応だから」と、がまんしないでほしいです。つらさを前進の証拠にする考え方は、もしかしたら古い慣習なのかもしれません(好転反応とは?)。目の話は、目の専門家と。見えない世界の話は、そのあと楽しく、でいいと思います。
光が見えるのは亡くなった人や霊のサイン?
調べると、「ご先祖や亡くなった家族が、光でサインを送っている」「お盆や命日に見える光は故人」という説がよく出てきます。
大切な人を亡くしたあとに見た光を、「あの人かな」と感じること。ぼくは、それを否定したくありません。そう感じて少し楽になるなら、それはとても自然なことだと思います。
ただ、「亡くなった人が心配しているから光で知らせてきた」「供養が足りないからだ」と言われて苦しくなるのなら、それは少し違う気がします。亡くなった人が夢に出てくる記事 で、ぼくは夢についてこう書きました。亡くなった人の意志で会いに来ているパターンもあると思うけれど、いつもそうとは限らない。そして、恨みや後悔をわざわざ伝えに来るなんて「費用対効果わるすぎですから」と。光の話でも、ぼくは同じように思っています。
霊だったらどうしよう、と怖いとき
「光の正体が悪い霊だったら」と怖くなる方もいるかもしれません。幽霊の記事 に書いたように、ぼくは、幽霊を恐怖の存在と思っていると、そういうものとして感じやすくなるような気がしています。つまり、怖さが札をつけている部分もあるのかなと。
低級霊の対処の記事 の見出しには、「ほとんどの低級霊は雑魚キャラです」と書きました。光を見ておびえる必要はないと思います。不安をあおって高いお祓いをすすめてくる話からは、そっと離れて大丈夫です。怖い夜の過ごし方は、金縛りの記事 にも書いています。
光が見える場面の早見表(遊び半分でどうぞ)
答え合わせではなく、遊び半分で。右の列は、ぼくならこう読むかな、くらいのものです。冒頭に書いたようなサインがあるときは、この表の前に眼科へどうぞ。
| 見える場面 | 現実の側の説明 | あえて読むなら |
|---|---|---|
| 青空にキラキラ、光の粒 | 血管を流れる白血球ともいわれる | 世界がちゃんと動いているのを、ちらっと見た |
| 部屋で小さな光が飛ぶ | 車のライトや機器のランプ、目の光視症など | 考えごとから、今ここに戻された |
| 目を閉じると光が見える | 眼内閃光。目をこすったときなど | 外を見るのを休んで、内側を向いた |
| 瞑想中に光が見える | 感覚の入力が減るためという説も | ゆるんだ。ただし、追いかけなくていい |
| ヒーリング中に光が見える | はっきりしたことは言えない | 受け取る時間だった。寝てしまっても正解 |
| 寝る前に光や模様が見える | 眠りの入口でよく語られる | 魂の故郷へ帰省する前の、駅の明かり |
| 写真に丸いオーブ | フラッシュがほこりや水滴に反射 | その場が楽しかった、という記念に |
光の粒やキラキラが見える
空気中の粒は、プラーナと説明されることがあります。リードビーターの言う空の光も、これに近い話なのかもしれません。うちのブログの 枕元の記事 にも、庭で本を読んでいたら「沢山の小さな球体が日差しを浴びて虹色にキラキラ輝きながらクルクル回っていて」とても幸せな気分だった、という話が出てきます。ぼくは、この「幸せな気分」のほうに札をつけておきたいなと思います。
オーラとの違いですが、オーラは人やものをつつむ空気のようなものとして語られます。くわしくは オーラとは? へ。
目を閉じても白い光が見える
いわゆる丹光です。色が広がったり、模様が見えたりすることもあります。見えたら、ぼくの円の話のように、ぼーっと眺めていればいいと思います。追いかけるとだいたい逃げます。見えなければ、それはそれで、ただ休めばいいのです。
瞑想中・ヒーリング中に光が見える
リンダールらの論文でも、9人のうち7人が、集中が高まった時期と結びつけて語っていたそうです。ただ、光を目標にしはじめると、瞑想が「光待ち」の時間になってしまいます。禅の人たちが気にしないでと言う理由は、ここかなと思っています。
寝る前に光が見える
ぼくは 夢の記事 で、「ぼくは睡眠を宇宙にいくとか魂の故郷にいってくるわ。と勝手に呼んでいる」と書きました。だから寝る前の光は、帰省の前の駅の明かりくらいに眺めて、そのまま寝てしまって正解だと思います。
部屋で光が飛ぶ
窓の外の車や、スマホや家電の小さな明かりを、ちらっと確かめてみる。そのうえで「なんやったんやろ」と面白がるくらいで。何度もくり返して気になるときは、部屋より先に目を見てもらってください。UFOかどうかは、UFOの記事 でテンションを測ってみてください(笑)
光が見えるときの色の意味|調べるほどページごとに違う
色の意味も、知りたいですよね。よく見かける説を並べてみます。
| 色 | 見かけた説 |
|---|---|
| 白 | 浄化・純粋さ/高い次元からのメッセージ |
| 金 | 高い波動・守護/つらい時期を経た魂の成長 |
| 紫 | 高い存在とのつながり/心と体のバランス |
| 青 | 洞察力/人間関係のチャンス |
| 緑 | 癒やし・調和/見返りを求めない愛情 |
| 赤 | 活力・情熱/現実に向き合う時期 |
見てのとおり、同じ色でもページごとに言うことが違います。100年前の本まで戻ると、さらに違います(オーラとは? の色の話を見てみてください)。
だから、ぼくのおすすめは、色の意味を暗記することではなく、その色を見たときに自分がどう感じたかを聞くことです。金色を見てうれしかったなら、それでいい。赤を見て元気が出たなら、それでいい。「赤だから悪いサイン」なんて札は、はがしてしまって大丈夫だと思います。
光が見えたときに、ぼくがおすすめすること
- 目のことを先に片づける:冒頭のサインがあれば眼科へ。なくても気になるなら、いちど見てもらう
- いつ・どこで・どんな光か、メモしておく:眼科でも役に立つし、あとで読み返すと面白い
- 「きれいやったなあ」と言ってみる:意味を決める前に、感想を
- そのときの気持ちを聞いてみる:さっきの3つの問いかけ
- 追いかけない:次も見ようとしなくていいと思います。見るための修行も、ぼくにはいらない気がします
- 人とくらべない:見えた話はすてきな話として聞いて、自分の順位にしない
- ふつうにごはんを食べて寝る:見えない世界の探求は、ちゃんと暮らしている体があってこそかな、と思っています
光が見えるときのよくある質問
Q. 急に光が見えるようになりました。まず何をすればいいですか?
飛蚊症が突然増えた、稲妻のような光をくり返す、視野が欠ける、カーテンがかかったように見える、目が痛いときは、できるだけ早く眼科へ行ってください。網膜剥離では、痛みがないまま、まず視野の端から見えにくくなることがあるそうです(MSDマニュアル家庭版「網膜剥離」)。だから「痛くないから大丈夫」とは考えないでください。ギザギザの光のあとに手足の力が入らない、言葉が出にくい、激しい頭痛があるときは、急いで病院へ。「覚醒のサインかも」は、そのあとでも間に合います。
Q. 光の粒が見えるのは霊感が強いからですか?
そういう説もありますが、ぼくは特別な力の証拠とは思っていません。感じる力は誰にでもあって、たまたま目で気づく人もいる、くらいに見ています。見えなくても、見えない世界は十分に楽しめます。
Q. 光が見えるのは、亡くなった人がそばにいるサインですか?
ぼくには、そうだとも違うとも言えません。あなたが「あの人かな」と感じて少しあたたかくなるなら、その感じを大事にしていいと思います。「供養が足りない」のように怖くなる話は、気にしなくて大丈夫だと思います。
Q. 目を閉じると光が見えるのは、よくあることですか?
まぶたの裏に光や色が見える話は、よく語られます。ぼくも瞑想の記事で「ぼんやり光が見えてきます」と書いています。ただ、急に強くなった、片方の目だけ、といった変化が気になるときは、眼科で聞いてみてください。
Q. 光を見るようになったら、能力に目覚めますか?
約束はできません。能力に目覚めると言い切るお話には、ぼくは少し距離を置いています。光が見えたあとも、あなたはあなたのままで、それで十分だと思います。
Q. 光が怖いです。悪いものでしょうか?
悪いものと決めなくて大丈夫だと思います。怖さが続くときは、部屋を明るくして、ごはんを食べて、よく寝る。眠れないほど不安が続くときは、ひとりで抱えないで、身近な人や専門の窓口に話してください。
まとめ|光が見えたら、答えより「きれいやったなあ」
- 急に増えた光・飛蚊症・視野の欠けは、先に眼科へ
- 空のキラキラも、目を閉じた光も、現実の側の説明がある。それでも、ぜんぶ決まったわけではない。ぼくはあえて見えない側でも読む
- 似た光の点が、1924年には白血球に、1927年にはプラーナになった。光に札はついていないのかもしれない
- 見えたかどうかで、人の上下は決まらないと思う。見えない人が遅れているわけでもない
- 答えじゃないから、楽しめる。光の意味より、光を見たときの自分に聞いてみる

ほな次ピカッとしたら、どうすんの?

気になるサインがあったら眼科。なんもなければ、「きれいやったなあ」って言う。

それだけ?

それだけ。ほんで晩ごはん食べる。

光より晩ごはんかいな!

光は待ってくれるけど、晩ごはんは冷めるからね。
この記事を書いた人
網倉彩人(まめたろう)|ろばのせかい
ヒーリングセッション経験1万件以上。シータヒーリング認定インストラクター。運営:株式会社ろばのせかい。見えない世界を、楽しみながら本気で探求しています。
→ プロフィールを見る

「光が見えないのは、感じる力がないから?」「見えたけど、これって何なんだろう」。見えない世界のことを調べていると、そんなふうに揺れることがあります。
ろばのせかいの公式LINEでは、無料の「3日間シータ波体験講座」をお届けしています。何かを見えるようにするためではなく、楽しみながら探求して、自分の感じ方を面白がるためのヒントを、ゆるっとお送りしています。もっと深く遊びたくなったら、オンラインコミュニティ『さとりのせかい』のワークショップもあります。
こんな方におすすめです
- 光やサインの話を、正直に、楽しみながら知りたい
- 「見える人がえらい」という空気に、少し疲れている
- 怖い話で不安になるスピリチュアルより、ゆるく探求したい
登録は無料です。合わなければ、いつでもブロックして大丈夫です。
あわせて読みたい
- オーラとは?正体・意味・見える仕組みを正直に話す
- 宇宙からのサインやメッセージの種類と受け取る方法をまとめてみた
- プラーナとは。気?呼吸?食べ物?プラーナの意味と取り入れる方法
- 霊能力やサイキック能力は本当に特別で特殊な能力なのか?
- 目がピクピクするスピリチュアルな意味
- 目のスピリチュアルな意味とは?
- 目の覚醒とは?スピリチュアルな変化・症状・病気との関係
- 幽体離脱のスピリチュアルな意味|危険?やり方と戻れない不安
- ヒーリングとは?意味と効果をヒーラーが正直に話す
参考にした本・資料
- デーヴィッド・ゴッドマン編『Be As You Are: The Teachings of Sri Ramana Maharshi』(日本語版『あるがままに』)(ビジョンと心の平安の問答)
- エックハルト・トール『The Power of Now』(目を閉じて座る長さやビジョンではない)
- C・W・リードビーター『The Chakras』1927(空に見える光の点とプラーナ)
- Lindahl JR, Kaplan CT, Winget EM, Britton WB. A phenomenology of meditation-induced light experiences: traditional Buddhist and neurobiological perspectives. Frontiers in Psychology, 2014(https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2013.00973/full)
- MSDマニュアル家庭版「光視症と飛蚊症」「片頭痛」「網膜剥離」
- 健康長寿ネット(長寿科学振興財団)「飛蚊症」(https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/ganshikkan/hibunsho.html)
- Wikipedia(英語版)「Blue field entoptic phenomenon」「Phosphene」「Hypnagogia」「Orb (optics)」

