まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、スピリチュアルにおける「豊かさ」を誰がどのように定義しているのかを比較しながら、ぼくなりに感じている「豊かさ」をシェアしていく内容になります。
スピリチュアルっぽい豊かさは「愛」とか「エネルギー」、「感謝」なんて言う人が多いですよね。
ただ、ぼくらが「豊かさ」と聞くと、その根底には物質的豊かさを含有していることがほとんどなので、スピリチュアルっぽい豊かさがけっこうギザギザしているイメージがぼくにはあります。
今回は、スピリチュアルで定義されている豊かさをもう一度みつつ、みなさんに豊かさについてちょっとだけ共有できたら嬉しい限りです。
今回のポイント
- 豊かさの種類
- スピリチュアルにおける豊かさとはなにか?
- 豊かさのバリエーションを増やす
- 豊かさを増やして手に入れる方法はある?
スピリチュアルと物質世界における豊かさの違い
まずは、スピリチュアルと物質世界に敢えてわけてみて、それぞれが定義している豊かさをみていきましょう。
ぼくらの考える「豊かさ」
「豊か」の語源を辿ると、日本語と英語でこんな意味があります。
- 日本語→豆の器にあわ・ひえなどの穀物を神に感謝し捧げている状況
- 英語(abundance)→水がたくさん湧き出てくる状態
日本(アジア)地域では、「食」、英語圏では、「水」。
昔はいわゆる飢餓とか水不足の過酷っぽい環境が敷かれている地域が多かったんでしょうね。ここから転じて、「不足がない状態」とか「満ちていること」なんて定義がされていますね。
だから、豊かさをぼくらなりのレベルに落とし込むと、以下のような豊かさがピックアップされます。
- お金・モノ
- 愛・パートナーの有無
- 人間関係・人脈
- 仕事
- 自由な時間
- 生活の「質」
- 社会的地位
- 肩書
- etc
書き連ねればまだまだありますが、大枠でいうと、目にみえやすく、他人との比較で生まれる「優」の部分が豊かであると考える人が多数派なのでは。と推測します。
そして目に見えないいわゆる心や精神的豊かさも比較で生まれる人がわりと多い気がします。これでいいのだ。っていう境地に至っているひとはもちろん別ですが。
ただ、やっぱり人それぞれなところはありますよね。
スピリチュアルにおける豊かさ
一方で、スピリチュアルにおける豊かさは、『これです』というモノはないですね。
強いて言葉にするのであれば、
自分で自分を認められる能力。とか、自分が(現実をつくっている)『神』だとわかる能力。とか、それっぽい言葉を使えば無条件かつ無限の愛を常に受け取る実感。とかですかね。
このあたりは、スピリチュアルっぽい人とか、チャネラーさんがそれぞれ定義していることで違いがあるので次の章でゆっくりみていきましょう。
敢えてぼくらの考える豊かさの違いを挙げるとすれば、目に見えるわかりやすいだけじゃないところに豊かさがあるとは思います。
スピリチュアルにおける豊かの定義は?
こちらは色々な人が色々な定義をしているのでみていきましょう。みなさんはどのコンセプトが好きでしょうか?
①バシャール
ワクワクといえば。のバシャールは、豊かさを「する必要のあることを、する必要のあるときにできる能力。」と定義しています。やりたいことをやりたいときにできる能力。と言ってもいいですね。
形は、お金とか、ギフトとか知識とか環境や変化であらわれているらしいですよ。
②エネルギー
豊かさはエネルギー。もうちょっと深堀りするとエネルギーの交換や、入れ替えと言えるでしょうか。
エネルギーを受け取ること、与えること、感じること、これでOKだ。と思えることすべての動詞を含むとぼくは思います。
③愛の交換
豊かさは愛の交換。とか無条件の愛。だ。というスピリチュアルっぽい人もいますね。
うん、確かにぼくもこれはそうだと思います。
ただ、ここでいう『愛』は、いわゆる恋愛感情の好き嫌いとか、人間の好き嫌いとかではないでしょうね。
強いて言葉にするのであれば、すべてをつなげるエネルギーとしての愛だと思います。愛がないとたぶんすべては無になります。
豊かさの定義はバラバラだけど・・
スピリチュアルのおける豊かさの定義は言わずがな人によって違いいずれにせよ完全完璧に説明しうるものはないでしょうね。人それぞれ異なるので。ただ、ちょっとまとめみてましょう。
- やりたいことをやりたいときにできる能力
- エネルギーや波動(の交換など)
- 『愛』(交換などの動詞を含む)
ぼくなりの解釈では、どれも言っていることは同じなんですよね。それを敢えてわかりやすく、ぼくらの言葉に変換すると、
「これでいいのだ。」ですかね。それっぽく言うと、「自分が自分の世界では『神』で現実を作っていることを実感する能力」になるとぼくは感じています。
スピリチュアルっぽい視点に立つと、成功も失敗もありません。幸せも不幸もありません。そして、もちろん「不足」はありえません。
だから逆にいうと、「豊かじゃない」って状態がないんですよね。これは誰でも、そして、どの瞬間でもそうです。
なぜなら、ぼくらは『存在』していることがパーフェクトという宇宙の法則が在るからです。
このあたりはいくら言葉を積み重ねても完全完璧に説明しうるものはなく、「豊かさ」をエネルギーで表現してくれと言われればおそらく超絶シンプルにできるんですが、なんとも歯がゆいところではありますね。
豊かさを得る方法やバリエーションを増やしていく方法は?
豊かさについて整理がついたところで、ここからはぼくらが「豊かさ」をどう捉えて、どう表現して、何を学んでいくかについてのぼくの勝手な提案です。
ぼくらが魂の存在であると仮定すれば、せっかく肉体を持ったので豊かさでも遊んだほうがいいで。というところがぼくの今回一番お伝えしたいところではあります。
ただもちろんですが、執着や所有の形を捉え直してから。をおすすめします。
自分は完璧だ。
自分の存在は完璧である。を実感する能力が豊かさだとすれば、その基準は自分にしかわからないですね。そしてそれが分かる方法というのは絶対的にこれです。というのはもちろんないです。
豊かさはこれを感じ取るゲームのような側面として捉えちゃってもいいのかもしれません。
そのゲームへのおススメ参加条件は、①執着がわりと少なめのとき、②エゴがわりと薄い時なんて感じでしょうか。
①お金やモノ
お金やモノを得ていくor減らすというゲームで、自分パーフェクトやで。がわかる人もいるでしょう。
豊かさはぼくのイメージだと、有限で底尽きるものではないので無限にあります。
なので、お金を増やしたらダメ。慎ましく、周りを幸せにしたら善いというのはかなりの部分が思い込みですね。
お金を増やすゲームに関しては、見えない部分に関していうと不安や恐れなどを外す引き算と人によっては足し算もあるかもしれません。
減らすことで豊かさがわかる人は、ガンガン使っちゃえばいいんだと思います笑
②人間関係やパートナーシップ
人間関係やパートナーシップで豊かさが学べる人もいると思います。
たくさん人脈を増やしましょう。とか心通わせる人に出会いましょうとかそういう単純な話ではもちろんありません。それで実感できる人はいいんですが、あくまでぼくらが今回主軸に置くのは自分が神である。ということです。
そこを念頭に切り離す関係、得ていく関係などなど色々あります、それは人次第ですね。
③スピリチュアル
スピリチュアルっぽい方法もゲーム感覚として豊かさを実感できる可能性はありますね。
五感で感じるサイキックな自分とか、勘違いかもしれないけどなんかメッセージ受け取っちゃうとか。成功や失敗を念頭に置いたらけっこうリスキーですけどね笑
④その他なんでも
やりたいことはやりたいときにできる能力とか、自分は完璧だ。って感じるゲームや方法はこの世界ではめちゃくちゃあるような気がしています。
ただ散歩するだけでそれ実感するかもしれないし、漫画や読書でそうなっちゃう人もいるだろうし、ただ寝てるだけでそうなる人もアリです。方法に関しては1つかもしれないし、複数ある人だっているでしょう。
煌びやかなもんでもないでしょうし。
単一で一義的な「豊かさ」ではなく、バラエティに富んだ豊かさを実感して遊ぶことをけっこうおすすめしておきます。
まとめ:豊かさを再定義してみる
豊かだわ。って実感することは、願望が実現していなかったり、目の前にある現実がめちゃくちゃ辛い時点ではけっこう不可能に近いですよね。「現実」の圧倒的圧力が半端ないですからね。
ぼくも今までの人生振り返ってそんなときはめちゃくちゃあるし、悟ったぜ。という人間ではないので、何が豊かさだよ。っていう自分が顔を出す日もたまにあります。
ただ、言えるのは突き詰めてしまうと、そういう闇夜っぽいときも豊かでないという自分はやっぱりほぼ幻想で、どこかで小休止している、一過性のものに過ぎないんだと感じています。
スピリチュアルっぽい豊かさについて言えるのは、常に自分にマッチした豊かさとはなにか?そしてどうすればその豊かさで自分が神っぽいわ。と実感できるかということを念頭に置いておきたいところですね。
みなさんはどんな豊かさが自分に合っていると思いますか?そして日々その豊かさをベストに感じているでしょうか?
質問や意見などあればコメントやSNSでぜひ。
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
豊かかぁ 自分が必要と思ったものを思った時に躊躇なく受け取れるマインドと
誰が必要と思った時に躊躇なく与えることのできるマインドがバランスよく自分の中にある時かな 物質的な面、精神的な面両方込み込みで(゚∀゚)
あいおさん、コメントありがとうございます!
そうですね~!両方大事だとぼくも思います。