今回のテーマは「罪悪感」です。
私は存在するだけで価値があるのです。
※この記事は、「罪悪感」をテーマに、それがどんな意味をもち、どこにつくった原因があり、どうやって消していくのかをぼくなりに思いつく限り共有する内容になります。
「しまった生まれてきちまった。」って感覚、どこかにないですかね?
また、人格形成や社会認識を獲得していく中で、私には価値がないんではないか?という見えない罪悪感、けっこうある人多いような気がしています。
罪の意識や罰の感覚は言わずもがな、ぼくらオリジナルの感性です。大きい視点、広い枠組みからみたらタブーなんてものはありません。生まれてくる人、それぞれに価値しかないんですが、
今回はスピリチュアルっぽい内容にも触れつつ罪悪感を深堀りしてみましょう。
- 罪悪感とはなにか?
- 罪悪感の種類やアレコレ
- 罪悪感の原因
- スピリチュアルからみた罪悪感のテーマ
- 罪悪感をやんわり消していく方法
罪悪感とは何か?
まずは、罪悪感とはなんぞや。というところを少し覗いていきましょう。めちゃくちゃ乱暴に言ってしまえば、しまったやっちまった。っていうアレです。
罪悪感の意味
コトバンクより
罪 、悪いこと、非難されるべきことをおかしたという気持ち
わかりやすいですね。罪悪感は、要するに「悪」「罪」などをやっちまった。という自分の気持ちです。
罪悪感と社会性
なぜ、ぼくらは罪悪感を持っているのかと言えば、「悪」があり、「罪」があるからです。反対からみえれば、「善」があり「正」があるとも言えます。
簡単にいえば、一定のルールや社会的価値観ですね。ぼくらは社会的生き物ですので、この罪悪感があるおかげで、社会やいわゆる倫理観なるモノを保てているし、
罪悪感を獲得したおかげで、秩序が成り立っているようにうまくみえています。罪悪感それ自体は良いも悪いもなく、外側の世界を生きるサバイバルチップのようなもので、誰しもが、自然と入手することになるでしょう。
罪悪感の種類
何が罪でどれが悪いことなのかは、ぼくらが実感するところだと、家庭環境や一歩抜け出した社会がつくるので、偏に罪悪感といってもかなりのバリエーションがありますよね。
ぼくがなんとなく分けられるんでないの?と感じている部分を羅列していきます。
①道徳的・社会的な罪悪感
まず1つは、いわゆる社会的なルールに基づく、「罪」と「悪」の意識です。
法律的観点はもちろんですが、「なんとなく」暗黙の了解となっているような規範がたくさんあります。日本であれば、電車内ではガヤガヤしているよりシーンとしましょう。とか、道端にツバをはいちゃダメ。とかですかね笑
②加害者心理から来る罪悪感
①に派生したものですが、自分のせいで。。とか自分の行いが、、、自分の存在が誰かを傷つけたり、なにかを壊したんでないの?と自分をダメなやつと決めつける罪悪感もあります。
わかりやすく「ダメっぽい」言動もあれば、わかりにくく罪悪感を抱かせるような言動・指標もありますよね。
③自分や他人の基準から来る罪悪感
ぼくらは生きていると一定のゴールや目標を設定します。そのゴールは自分でも他人でもつくられます。例えば、○○歳になったら働かなければいけない。とか、○○歳までには自立するのが当然である。とか、
女性だから××しなければ。男性は○○すべき。などです。これに満ちていない、(幻想の)不完全な自分をリアルに感じるとき、ぼくらは罪悪感を抱きがちかもしれません。
○○さんに比べて自分はなんもしていないで。というのもここに分類させましょう。(心理学の用語で言うところの不実行罪悪感です。)
④責任に付随する罪悪感
なんでもかんでも自分の責任にある。という感覚を抱きがちな人が多く駆られる自責の念です。
責任それ自体も自分への期待値などプラスに働く面もあれば、罪悪感や漠然とした不安感とタッグを組むとわりとマイナスに働く状況もあります。
罪悪感の種類はいろいろ・・
上記に挙げた罪悪感以外にもまだまだ、ぼくらは罪的な意識を負いがちです。
ちょっと長くなったのでまとめてみましょう。
- 道徳や社会性ベースの罪悪感
- 加害者マインド
- 自分(他人の)指標や基準
- ザ・責任
罪悪感のプラス面とマイナス面
ここからは、罪悪感が良い時に動きそうな場合と、マイナスに働きそうな場合を少しみていきます。要するにバランスが大事で、自分が・・と重くなり過ぎたらそれは要らんでというサインなのかもしれません。
プラスに働く罪悪感
プラス効果を罪悪感に見出すならシンプルに大枠で以下の2つだと思います。
- 協調性・ハーモニー
- 誠実さ
- バランスが大事!
ぼくらは、ある一定の基準 (罪や悪) があると思い込んでいるので、そうならないように先回りして事前に予防線を張れます。結果、ある程度の秩序や協調した枠組みがあります。
もちろん、人によって、その枠組みが窮屈に感じることもありますが、みんなが暗黙の罪悪感を認識しているおかげでええ感じのコミュニティがあるのは一つの事実としてもっていてもいいでしょう。
もう一つの側面は、「ザ・モラル」です。この正しさも、押し付けに変わるなどの一定の厄介なリスクをはらんでいますが、自分の中にだけこっそり持っていればそこまで暴走はしないはずです。
マイナスに働く罪悪感
マイナスに働く罪悪感はあげればキリがなさそうですが、ここもシンプルに大枠で2つ挙げてみます。
- 自己否定・自己評価を下げる
- 他人軸・自分を制限しすぎる
- こちらもバランスが大事!
罪悪感の厄介な点は、どこからがアウトでどこまでがセーフか、その「基準」が外側にあるように見える点です。
そしてその外側の基準の回答や判断は自分に委ねられます。結果、罪意識の強い人は、自己否定や他人の目ばかりを気にしたり、自分の可能性や言動に極度に制限をかけてしまいがちです。
簡単かつ乱暴に言ってしまえば、自分で自分を満たすことがかなりニガテになっちゃうんでしょうね。言わずもがな、こちらも人それぞれのバランスがあるとは思います。
なぜぼくらは罪悪感を抱くのか?原因と理由
ここからは、なぜぼくらは罪悪感を抱くのか?についてちょこっと羅列していきましょう。罪悪感をつくるモノは、環境がほとんどなんですけどスピリチュアルっぽいやつもせっかくなのでみていきます。
①親や遺伝
一番わかりやすく認識しやすいのは親や遺伝的な部分でしょう。こちらは、わかりやすくあなたのせいで!とかあなたがいたから!なんてモノもあれば、わかりにくく気づかぬうちになんてモノもありそうです。
小さい時はすごく純真ですからね。親は天使にでも悪魔にでもなるような気がします。
②環境やコミュニティ
こちらは、実際に自分が原因(のように感じて・思えて)で、罪深さを味わうなんてこともありますよね。
宗教観が強い人はもう生まれた時点で罪悪感を担うことになりそうですよね。
ぼくが覚えている限りで、初めて罪悪感を抱いたのは、小学校で金魚のエサやりをサボってたら、金魚たちが飢えまくってたことですかね。ルールはムズイです笑
③前世や過去世
ザ・スピリチュアルですね。
信じるか信じないかの話になりますが、前世や過去世で「やっちまった感」が残留していて、それを無意識に引き継ぐ人もいるようです。
ぼくは、極悪人の前世もあるんですが、何故かはわかりませんが別に罪悪感はそこまで引き継いでなかったです。よかったよかった笑
罪悪感はつくられるもの?
冒頭でも言いましたが、罪悪感はぼくらのモラル指導をしてくれるやつで、自然に獲得していく部分です。
エゴが自分を守る自己防衛本能みたいなやつだとしたら、罪悪感はそのコミュニティ・社会バージョンとざっくり捉えてもいいです。
ただ、その罪悪感は本来の自分がもともと先天的に持っていた部分ではないかもしれません。そして、ある1点、その時その場面では必要だったかもしれませんが、もう要らないで。という罪悪感も中にはある可能性があります。
そこの棲み分けがけっこうぼくはキーポイントになるような気がしています。
スピリチュアルからみた罪悪感の意味と愛
ここからは、スピリチュアルっぽい枠組みから罪悪感をみるとどんなテーマがあるのかいな。ということについて少しだけ共有していきます。
もちろん、人それぞれ違うし色んな学びが含まれると思うのですが大枠では、いわゆる愛ですかね。なんとも胡散臭いですね笑
罪悪感から学べそうなこと
罪悪感からいわゆるスピリチュアルっぽい学びやレッスンに繋がることは以下のような観点です。たぶんこれはいろんなスピリチュアルっぽい人も言っていると思います。
- 自分を尊重する
- 自分や相手を許す・許可する
- 無条件の愛を知る
- 否定感情の解消
- 多様性やバリエーション
愛のテーゼ
ものすごく広い視点からみれば、「罪」や「悪」はないです。幻想ですね。ゆえに、罪悪感なんてものを感じる必然性は消失します。
ただ、やっぱりぼくらはザ・人間を演じていますので、罪悪感があることで、その表裏にある、愛とか自己実現とかバリエーションがわかっちゃうのもその一部の脚本として組み込まれているような気がしています。
けっこうまどろっこしいんですけどね。
しまった生まれてきちまった→お、生まれてきてよかったで。のプロセスがなんとも言えない恍惚感になるのかもしれません笑
結局、それっぽい言葉を使うなら、光の輝き具合とか、愛の煌めきを再確認するツール足るものの1つが、それっぽい意味のある罪悪感なのでしょう。
みなさんの中に、もし消せない罪悪感があったら、なぜ生まれてきたのかを考えるアンチテーゼだと捉えてみてもいいかもしれません。
消えない罪悪感をやんわり癒す対処方法
ここからは、自分でできそうな罪悪感の調理方法をぼくの思いつく限りで共有していきます。
罪悪感を手放すステップ
なにが原因なのかに気付いてみましょう
原因や根本がわかれば、あとの方法はいろんな選択がありそうです。
罪悪感無理に消す必要もなくて識別しておくくらいでいいのかもしれません。
罪悪感を癒すファーストステップは自分を尊重することです。
だいたいですが、こんな感じの流れでいいんだと思います。スピリチュアルっぽい感じのブロック系とか思い込み系は、完全完璧に消失がゴールかと言われたら、そうでないこともあるような気がぼくはしています。
罪悪感のいる自分がわかるということはイコールで、その裏面にいる自分もはっきり在ることへの証明になるのかもしれません。
ごにょごにょする。の部分に関しては、人それぞれ、いろんな選択肢があるでしょう。どうしても消えないで。という方はスピリチュアル的なアプローチもアリかもしれません。
まとめ:罪悪感に留まることなく次のステージへ
罪や悪のめんどくさいところは、繰り返しにはなりますが、その正体が幻想でいかようにも変幻自在なところです。
これは善や正にもつながるところですが、とりわけ社会やモラルの話になるとより一層のその傾向が強くなります。
こんなこというと怪しさ満点ですが、ぼくらの本質は愛であったり、光であったりするところです。要らない罪悪感はガンガン捨てていくと生まれて存在するだけでいいんですよ~とゆるキャラ仕立てに仕上がってくるかもしれませんね。
みなさんは、罪の意識や悪の認識、どこかにありますか。人間ってけっこう卑しい生き物なのでそこが魑魅魍魎の世界では抜群の面白さなのかもしれません。
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いつも読んでくださってありがとうございます。
やはりまめたろうさんの話はスッキリしますね✨。
どこかで罪悪感があったんでしょうね
。あまり深く考えずはず外すものは外していきます。
ベドロさんの他の話も読んでみたら面白いようにスルスル腑に落ちるのでベドロさんの話も良いですね。
まめたろう君、ありがとう✨✨。
まめたろうさんはするどすぎです。
昨日辺りに気がつきましたが、どっちの私も居ますね。
またあっちも読んでみたんですけど…。
スルスル話が腑に落ちてる自分も居るんですよね。確かに。
私の決め付けですね。確かに。でも最終的には楽しくいたいですね。
そのところは変わらないんですね。
匿名さん、ありがとうございます!
鋭い頂きました~
社会の価値観にどっぷりハマり、湧き上がる罪悪感に悪戦苦闘しつつ、そんな自分を眺めながら、心の片隅でこっそり「わたし今、めっちゃ生きてる!(キラキラ)」
とかやってる自分は地球に産まれてきた醍醐味を存分に味わっているような気がします。
楽しいですね!
まよまさん、コメントありがとうございます!
おもろいですよね~