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コミュニケーションにおける沈黙とテレパシーの本質とは?

今回は沈黙とかテレパシーをテーマに!

まめたろう(僕)

ペドロ

全力防御とエネルギー交換

※この記事は、ぼくらが普段行うコミュニケーションや対話を他人との距離感やエネルギー的観点から見つめて、テレパシックな会話まで掘り下げる内容となっております。コミュニケーションのイメージを広げてもらえればうれしいです。

ぼくらは、初対面のひとでも、家族、友人、大切なひとでも「会話」をします。会話の目的は、思っていることを伝える。頭で考えていることを相手に共有する。そんな感じでしょうか。

ぼく(まめたろう)のイメージでは、「対話」はエネルギー的な交流も広くは意味しているかなと思います。まあ、すべては波動や意識エネルギーなんであたりまえっちゃあ、当たり前なのかもしれません。

コミュニケーションおける「沈黙」の二面性

沈黙と自己防衛

どうもペドロです。

今回はコミュニケーションにおいて大半を担う会話について思った事を書いてみます。ちなみにシチュエーションは全て目の前にいる相手との会話を想定しています。天気の話から悩み相談など込み入った話まで様々ですよね。

皆さん会話の目的ってなんだと思います?そんなこと言われてもトークはただのトークやん!とならずにちょっと掘り下げてみましょう。

滑らかな意思疎通を開始するための挨拶、自己表現、共有、共感、相手への興味から等色々ありますよね。少しズレますがダイアローグしようと思ったら相手のスピーチだったぜ…ってのもあります。

そこで今回はあまり注目されないであろう会話の効力、とりわけ、自己防衛について考えます。

自己防衛…?一体何を守る為にどんな防衛をしているのか。確かにマシンガントークとかって言いますけど、実弾出てねーから!

でも僕は結構近しいことをしていると思ってますね。

ただこの自己防衛が発動する時って限られていて、どんな時かというと。

気まずいから

これに尽きる。いっそ赤の他人の方がまだ会話が弾むなってくらい微妙な距離感の人いますよね。

そしてなぜ気まずいかと言えば、そう『沈黙』あの忌々しいやつです。なぜああも沈黙が嫌なのか。そもそも沈黙って独特な感じがしませんか。嫌悪感とも違うし緊張感と言われてもピンとこないですよね。

では沈黙のままいたら何が起きてしまうのか。

キーワードは魂。魂って心臓部にあるのを想像する方もいると思いますが、見える人曰く実際は身体を包む程大きいのです。状態によっては一軒家くらいあるとか。パーソナルスペースとかも関係してそう(適当)

それで何が起きる(起こりうる)のか。僕は存在同士が混じり合うのではないかと思っています。高度なコミュニケーション、みたいな。これはお互いが望めば、ですけどね。全体的にふわっとしてますが察して。

大抵はそれが嫌なので会話をすることによっていわば防壁を築くです。

沈黙とテレパシー

ここで会話に関する老子の小話を一つ。老子の住む村にはある習慣があり、それは老子と村人が早朝散歩に出るというものでした。

の散歩には1つルールがあり、それは一言も喋ってはいけないこと

そこに村の新参者の男がやってきて自分も散歩に参加したいと申し出ます。男は散歩の最中妙な空気に耐えきれず『朝陽が綺麗ですね』と言ってしまいます。

散歩が終わり、老子は村人に『朝陽が綺麗なんて言わなくても分かってる。あんなおしゃべりはもう連れてくるな…』と一蹴してしまうのでした。勿論、男は一言しか喋っていません。

老子の人格とか色々置いといて寓話的に何が言われているのかを考えると、聖なるコミュニケーションに水を差すな。こんな感じですかね。

ただ沈黙にも良い面があると思っていて、傾聴なんかはそうですね。ミヒャエル・エンデの『モモ』の主人公モモの能力にも似たものがあります。

ただ相手の話を聴いているだけなのですが問題が次々に解決してしまいます。正確には悩みを打ち明けた本人達が自分で気付き解決するのです。

僕はある人に悩み相談をした際に全て打ち明け解答を待つのみだったのですが、その人は先を促すように黙って僕を見つめるのです。通常だったら耐えられないような沈黙ののち、臨界点を越えたのか僕は奥に潜めた真意を吐露してしまったのです。

結局、人はいくら言葉で防壁を作ろうとも真なるコミュニケーションへの誘惑には勝てないのかもしれません。

余談ですが文字媒体での会話にも触れましょう。家族、友人とのLINE等のやり取りに始まり、匿名性が保たれた掲示板もあります。そして場合によっては現実に面と向かって話す事よりも軽視されがち

これは物の見方の一つに過ぎませんが、重要なのは淡白だの軽薄だのといったところにはなく、情報の減量にあると思います人はコミュニケーションを取るなかで必ず言葉以下的な、かつそれ以上にダイレクトなサインを発するものです。

別な記事で述べた『いらんとこにエネルギー注ぎ過ぎ問題』にも繋がり、だから人はそういった機微を避けられるツールが魅力的に感じるのではないでしょうか。

会話によってコミュニケーションを避け、会話をしないことによるまた別なコミュニケーション。

とりあえず今はこの記事のオチが見つからない気まずさをどうにかしたい。

ご清聴ありがとうございました。ペドロ。

対話とテレパシーとエネルギー交換

今回は面白いテーマですね。ありがとうございます!

まめたろう(僕)

ここからは、ぼくまめたろうが、ペドロさんの「沈黙」をテレパシーに交えてまたまた掘り下げます。

沈黙とはなにか?

存在同士が混ざり合う沈黙ってペドロさんが言っていましたが意味わかりますか?(笑)

ぼくはけっこうわかります。電話だろと直接話していようと、お互いのエネルギーや魂の部分が自然と混ざり合っていくんですよね。沈黙ってより一層それを加速させるというか。

話していて言葉遣いとかじゃなくて、心地いいとか悪いとか、人によって違いませんか?初対面だとフィルターがかかっていないので余計わかりやすいかもしれません。なんか話していて楽だなあ。みたいな。アレってたぶんエネルギー交換です。

ここで、話を沈黙に戻します。ペドロさんのいう「沈黙」には、2つあります。

互いが混ざり合う気まずい沈黙、②テレパシックな沈黙

①はイメージしやすいですよね。初対面の人が話していて、天気の話とか、出身地とか方言とかそういう話題作りに一生懸命思考をフル回転させちゃうアレです(笑)

②は、テレパシックな沈黙ってもはや言葉として意味不明ですが、あえて言葉にしないことで、成り立つコミュニケーションみたいなモノでしょうか。ペドロさんの体験談&ミヒャエル・エンデのモモ、そして老子の小話でわかりやすいと思います。

関係ありませんが、ミヒャエル・エンデのモモはかなりおすすめです(笑)

すごく極端な例を挙げると、お葬式で、うわーめっちゃ悲しい!!とか大声で叫んでいたらどう思います?(笑)せっかくの悲しい雰囲気を故人の思い出をぶち壊しません?たぶんちょっと違うけどこんなイメージです。

思考的な会話と直感的な会話

今回のテーマと共通するのが、思考と直感だとぼくは思いました。

つまり、①のようなシチュエーションのとき、ぼくらはたいてい思考を使って対話しています。次に何を話そう?沈黙させないために、飽きさせないために、次の話題はどうしよう?頭をフル回転させます。

どうしても話題が出ないとき、沈黙して、エネルギー交換が起こりそうなタイミングで、ぼくらはストップ!的な感じで沈黙を破る次のテーマに移ります。けっこう疲れます(笑)

一方で②のようなときは、直感をたくさん使っているイメージがぼくにはあります。

言葉は要らないようなシチュエーション。悩み事を相談しているうちになぜかわからないけど自分で解決して納得しちゃうとき。

考えなくても次から次へと言葉が出てくるとき、ぼくらは思考よりも直感をつかっています

みなさんも一度は経験しているのではないでしょうか。そして、ぼくは、思考的な会話より、直感的な会話の方が10000倍楽です(笑)

気を遣う、気を遣わないとか、どちらが良いとか悪いとかそういう話ではなくて、あくまでぼくは直感的で結末やシナリオがどうなるかわからないような沈黙と会話はめちゃくちゃ楽しいですね。みなさんはどう思いますか?

テレパシーの本質とは?

みなさんは普段、テレパシー的な部分を使っていますか?

テレパシーって思ったことを言葉にせずに相手に伝えるという風におそらくたいていの人が解釈していると思います。

ぼくはテレパシーと直感的な会話ってほぼイコールだと思っています。ようはすべてはエネルギーで波動なのでまあ、どう捉えるかによるんですけどね。

つまり、直感的な対話はテレパシックな対話の登竜門にちかいイメージです。そしてここでいう直感的な対話は、もちろん受け手にもなり得るので②の沈黙も含みます。

相手がどんなことを考えているのか、何を伝えたいのかって一生懸命考える国語や現代文のテストとは少し違います。意図を汲み取ろうと努力しなくても「わかっちゃう」そんなイメージです。

ぼくがいう、テレパシックな沈黙も一緒です。相手の本質、意図すること、もっといえばエネルギー、意識を汲み取るためにぼくらはだんまりを決め込むことがあります。もっといえば決め込んだ方がわかりやすいときがあります。

ぼくのイメージする、テレパシーはここにあります。つまり、テレパシーって相手の意図することを絵や図や言葉じゃない部分で汲み取る行為っていうことももちろん含みますが、

ぼくらがイメージしやすいところだと、いかに相手の意識やエネルギーと混ざっていくか、統合していくかなのかなって感覚です。それこそが、ぼくらが対話やコミュニケーションをとる意味だし、テレパシックな会話の本質には近いような気がしています。

みなさんは普段の対話やその時に起こる沈黙をどう捉えているでしょうか?

小難しいこと考えずに好きな相手には好きって伝えた方がもちろんテレパシーよりは有効かもしれませんね(笑)

いつもありがとうございます!

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