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時間における思い込みとペインボディ。スピリチュアルにおける時間解釈論

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まめたろう

今回のテーマは「時間」です。

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ペドロ

時間概念とペインボディです。

※この記事は、「時間」についてスピリチュアル的な視点から改めてみつめてみる内容になります。

時間は生まれたその瞬間から、この世界とものすごく密接になっています。(厳密に言えばそう錯覚しています。)

いわば法則やルールの類と一緒です。

スピリチュアル界隈では、過去や未来はなく「今ここ」にすべてがあるという見方がポピュラーになってきましたが、みなさんはどう捉えているでしょうか?

今回は「時間」の価値観をもう少し角度を変えてみることの提案に近いものかもしれません。

ここがポイント!

  1. 時間とはなにか?
  2. 時間とペインボディ
  3. 時間における思い込み
  4. まとめ

人にとっての時間とはなにか?

時間をアフレコしている感覚

どうも、ペドロです。

今回は『時間』を掘り下げてみようと思います。究極言ってしまうと永遠なので時間無いです!笑。

諸行無常で時間が無くとも一つの法則(変化すること)を除き全て変化していきます。いわばこの世界に人類は時間という現象をアフレコしている感じでしょうか。

時間が無いと思えないのはしょうがない面もあります。日常的に時計が無い場面が少ないですからね。スマホにも常に右上だか左上だかに表示されています。

あるいは太陽の位置なども時間を想起させるでしょう。人類と時間は深刻な癒着を起こしているんですね。

凄く悪く言っているように見えるかもしれませんが、便利なことには変わりはないです。というかなんなら今の社会構造から言えば必須ですよね。

僕が言いたいのは宇宙に君臨する何か、ではなくて、それは一本のナイフだったかもしれないし、人が休むのに適した切り株だったかもしれない。

そういうニュアンスなんです。

時間はペインボディ?

「経過」の思い込み

はじめは便利だった概念がエックハルト・トール氏の言うところのペインボディになっているとも捉えられます。

なぜなら、略奪者のような立場になっているからです。親を奪い、物を腐敗させ、老いを撒きます。もちろん良い見方もあります。

子供の成長や国によっては四季を与え、悲しみを癒すとも。しかし、どれも誤解であり冤罪です。結び付いているように見えるだけなんですね。

絶対的な価値観ではありませんが、そういう風潮や雰囲気があるのは間違いないと思います。どちらの見方も可能ですが、個人的にはネガティブ寄りに感じます。

時間の在り方

別な角度から攻めてみましょう。本来時間は湖のようなものです。海流や川の流れのような動きとは無縁です。

僕らが時間と共に生きる時、秒針と一緒に移動する時にはボートに乗りパドルを駆使して川下りをしています。川上は過去であり、川下は未来です。

激流の中では常に前方(未来)を確認し、後続(過去)も意識します。船(今)はあるものの、ないがしろにしているのが特徴でしょうか。

時間認識と「今」

また、僕らが時間をフラットに認識したときは湖(今)にいます。湖の上にいるときは水平的な移動はしません。

水平的な動きに意識を向けなくなった場合何処に向けているかと言われれば、上です。垂直的な在り方になっている。

垂直軸は=今なので、有り体に言えば没頭してる感覚とか体感時間が異常に早い経験などであると思います。水平と垂直では時間の密度が違います。

時間とか言っちゃってますが、例えるなら永遠に終わらないマラソンがあったとして、水平が競技場を3周している間に垂直は3000周しているイメージです。

別に辛そうな例えで垂直的な在り方のネガティブキャンペーンをしているわけではないです笑。

時間の方法と存在

水平と垂直のもう一つの特徴は水平がやり方(Doing)に対して、垂直は在り方(Being)要素が強いです。

あくまで要素ですけどね。

時間を見抜くなら時計が無い世界を想像してみたり、今まで時の流れで変化していたと思っていたものをフィルターかけずに見てみるのはどうでしょう。

ただ、老いただけ、ただ、ほころびただけ、ただ、癒えただけ、などですね。今更時間の無い生活は急ブレーキが過ぎるってもんです。

そこまでいかずとも時間というビジネスパートナーとは一度決裂しましょう。そうすればパワフルになり、律儀に老けることもなくなるかもしれません。

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ペドロ

ありがとうございました。

ペインボディとは?エックハルトトールが語る心の痛みの解放と溶かし方

スピリチュアルにおける時間と今

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まめたろう

時間と癒着してますか?

ここからはぼくまめたろうが少し時間における思い込みに触れてみます。

スピリチュアル的な考えでは、時間は過去から未来に流れるものではなく「今」という考えはポピュラーなものです。

この「今」をペドロさんは、湖に例えてくれました。非常にわかりやすいと思います。

なので、ぼくからは少し提案をしてみます。

時間だけがなぜ馴染むのか?

ぼくらは年を重ねるごとに経験値としていろんな価値観や人格形成をしていきます。

例えば、親、目上の人は敬うべき。神様やお天道様がみてるから倫理に反することはしない方がベターなどです。

他にも、3食ごはんきちんと食べた方がいい。とか、先祖はちゃんと敬意を表してお墓参りしましょう。とかです。

あらゆるものが、本来は絶対的ではないはずなのに、それをかなりの文脈で絶対であるはずだ。という一見すると不可逆的なプロセスを例外なくたどります

これらのメリットの一例は、社会や人間関係の構築に役立つ面もある部分です。

デメリットの一例はそれが絶対だと思い込むことで視野が狭くなることです。

「時間」についてもまったく一緒です。

時間概念におけるペインボディ

エックハルト・トールは、ペインボディを「人がエネルギーフィールドに抱えている古い感情的な苦痛の集積のこと。」と定義しています。

この観点から言うと、生まれたその時点で時間もかなりの文脈で思い込み、価値観形成が完成されている可能性があります。

例えばですが、

時間におけるペインボディ例
  1. 時間は誰にでも平等に与えられるもの
  2. 過去、現在、未来に一定に流れる
  3. 時間厳守は美徳
  4. 過去の行動が未来をつくる
  5. etc..

少し誇張した表現を用いれば、ぼくらは時間を体現していると生まれながらに錯覚している状態です。

時間概念のアップデート

ぼくらの価値観は塗り替えられる瞬間があります。例えば、今まではAということを信じていたけど、Bという観点もアリ。なんてことはわりとおきます。

だから、スピリチュアルで言われるような「今この瞬間を大事に!」と肩の力入れて無理に思い込む必要はぼくはそこまでないかなと感じています。

一定方向でしかみられなかった時間概念を少し肩の力を抜いて見つめてもいいのでは。ということです。

例えばですが、過去の行為や言動が、今不幸な自分をつくっているに違いない。と一定方向でしかみられないとしたら、

時間概念を「都合良く」アップデートさせて、「今」に因果はないから、まあ楽しんでみるか。みたいにです。(なかなかそれが難しいところではありますけどね。苦笑)

時間もそのくらいのレベルまでフラットに落とし込んでみるシチュエーションやそんな日があってもいいのかなと感じています。

まとめ:時間も都合のいい価値観に再定義してみましょう

ぼくらの価値観に癒着しがちなお金と一緒で、時間は、すごく曖昧な概念ということに気が付く過程も楽しいかもしれません。

ペドロさんの言葉を借りるなら、今までは、水平・やり方でしかみられない、みることの選択肢しか与えられていないと錯覚していた自分から、

21世紀的に、時間に垂直・在り方という選択肢を与えてみる状況やシチュエーションをつくっていくと、案外すっきりする部分もあるかもしれません。

みなさんはこの時間マジックどう感じているでしょうか?

いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

質問や意見などあればコメントにてお待ちしております。

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