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思考の現実化と引き寄せの法則における解釈論について

今回のテーマは現実についてです。

まめたろう(僕)

ペドロ

ワクワクの方が直感的かも。

※この記事は、「意識が現実をつくる」をテーマに、引き寄せの法則やらワクワクやらを取り上げて、人生で起きている現象をどう捉えていくのかを掘り下げてお伝えする内容になります。

あなたは自分の人生は思い通り描いた世界だと感じていますか。それともにっちもさっちもいかない退屈な現実だと感じていますか。そんなの日々変わるよ。って言う人もなにか伝わるモノがあれば嬉しいです。

ぼくらの人生はすべて、解釈論に落ち着いてはくるのかもしれませんね。

日常における解釈論と引き寄せの法則

能動的な引き寄せの法則

どうもペドロです。

今回は「本質と現象」、日常的に人は何をしているのかってとこに焦点を当てていきます。

本質の方は何も難しいことはなくて『ただ事は起きている』これに尽きますね。仏教のタタータってやつです。この起きているは簡単過ぎて分からないというか、分かる分からないと評された時点でズレてしまいます。

この境地に在る、のは良いのですが後生大事にする価値観的なものではありません。

僕はほぼ現象の方が人生においてメインになると思ってます。この現象は解釈とイコールですね。起きたことの解釈を日々人はしていくわけですが、ある意味これが全てと言えますね。

精神世界最強のツールに引き寄せの法則があります。ポイントはツールであるのと法則でもあるというところです。引き寄せの基本は『思考が現実化する』なんですが、これだけじゃ足りなくて、感情が乗って初めて働く作用なんですね。

じゃないと僕二万回ぐらい死んでるんで。

よくそれが叶ったように振る舞えと言いますが、正確にはそれが叶った時の気持ちを持ちましょうということです。リアルにワクワクしないとダメなんですね。ツールと言ったのはこちら、能動的に引き寄せを使うことです。

環境、物、人、全て引き寄せる事ができると思ってます。ただし、ワクワクしたらです。

受動的な引き寄せの法則

次は法則が『働いてしまった』時です。法則とは別に自分の意識どうの関係無くあるものです。ツールが能動的ならば法則は受動的といった感じでしょうか。ここで解釈が登場します。

起きた事を不幸と解釈し、まず思考が『なんで俺ばっかり…』だったとして、そこに感情(負の)が乗った時に『なんで俺ばっかり』的な状況を引き寄せるんですね。ただ時間と空間があるので叶うまでにラグがあります。

ですのでできる限り気持ちを切り替えれば大丈夫だと思います。

引き寄せのパイオニア(多分)、エスターヒックスさんはエイブラハムという意識集団にその法則を伝授されますが、一日に約20分くらいは自分の引き寄せたいものをイメージする時間にあてたほうがいいと言っています。

これは1つのものを引き寄せる時間ではなく多くのことを引き寄せたい場合と、まとまった時間を取った方が効果的という意味です。なんなら引き寄せは個人差あるので五分で充分な人もいるわけです。

まとまった時間を取るのは基本的に人は意識が散漫になっているからです。そのわりに不幸と思われることには意識を向ける傾向にある気もしますね。幸福は当たり前で不幸に異物感を覚えるというか。もちろん全ての人がそうではありません。

注意点は法則と言っても人生の全ての舵取りをしているわけでは無いということです。冒頭のただ起きているですね。だってどう転んだって親が子供の誘拐なんて引き寄せませんからね。不条理な事には無理に好意的に取る必要はありません。

強いて言うならその時起きた感情を感じきることだと思います。

起きた出来事Aがあったとして、それを幸福か不幸と取るかは極端な例を除き、人それぞれですよね。その微妙な差というのは僕はもはや才能だと思ってます(笑)

この良くも悪くも厄介な解釈なんですが、ごく稀に非解釈状態になることがあります。今日たまたま窓を開け放っていたら、風が吹いて僕の全身を撫でていったんですね。この風に吹かれる為に僕は生まれてきたんだなって感じました。

文字起こしするとこんなんです。完全であることに酔いしれるというか。解釈が起きなかった場合こうなるのかもしれません。これは番外編に通ずるものでもあります。

ただ起きている

ここからは番外編で最初のただ起きているの掘り下げをします。最後までただの側面、そういう視点もあるという認識で見て下さいね。

単刀直入に言って人に自由意思は無いです。本当は自由意思があり、かつ無いのですが側面や1つの視点と散々言っているので自由意思が無いを強調します。

僕が僕である要素ってなんだろうって考えた時に見つからなかったんですよね。例えば先天的、生まれ持った才能や嗜好はただのプログラムみたいなもので僕じゃない。後天的要素、生きていく上で獲得したものはたまたまその環境があっただけで僕じゃない。

では選択は?昼にカレーを作るとして、なぜそうしたかを突き詰めると説明不能にぶち当たります。試しに自分でなぜか?を繰り返してみましょう。冷蔵庫に材料があったから、ということは材料が無かったから作らなかった。

突然思いついたから。なぜか?分からん。しばらく食べてないから、それはしばらく食べてないという状況を僕に与えると僕はカレーを作る、になります。

なにがしかの問いかけにイエスと答えた場合なぜノーと言っても良かったのにイエスと言ったのか?その説明ができないんですね。説明できてもその説明を説明できないんです。

この自由意思が無い、は起きることは全て決まっているに繋がります。それで?って感じですが分かることが1つあって、それは自分の人生をどう捉えているかです。

反感を覚える、そこまでいかないまでも否定したくなる人は自分の人生の手綱を握りたい、握っていると思っている傾向にあります。今現在自分の人生で苦しんでいる人はある程度の安らぎを得られるかもしれません。

当時僕はうつとパニック障害と自律神経失調症を併発していて、この見方をした時楽になったのを覚えています。断言しますけど精神的病で苦しんでいる方、あなたは何も悪くありませんから。自分を責める必要はどこにもありません。

全て決まっているってのは萎えるポイントではあります。よろしければ穴を見つけて自由意思あるよ!って教えてほしいくらいに。まあぶっちゃけ自由意思云々を意識して生きていないので全然問題無いという良心的な面もあります。

先も何が起こるか決まっていようが分からんものは分からんですからね。その辺のストレスは無いです。

でもこれ慣れると結構良いというか僕の人生今後どう展開していくんだろうっていうワクワク感をたまに覚えますね。究極の客観って人には起きないと思うのですが、それに近くはなれるのかなぁと感じます。

ここまでありがとうございました。

ペドロ。

自分中心の宇宙で思考が現実化しない状態とは?

ぼくは先日スパイスカレーを作りました。理由は説明できないのですが。

まめたろう(僕)

ここからは、ぼく、まめたろうが引き寄せの法則に触れつつ、思考が現実化しない状態を少し色々な視点から見つめてみます。思考が現実化しない状態。と言いましたが、100%思考は現実化しています。だから、ここでいう「思考が現実化しない。」は、

自分の理想(思い描いた現実)と、実際の現実のギャップにフォーカスするイメージです。

引き寄せの法則におけるワクワクの正体は?

ペドロさんが出してくれた「ワクワク」、英語で言うとexcited(exciting)になるんですが、スピリチュアルなこと、精神世界のことを本やセミナーで学んでいくと必ずと言っていいほど、登場しちゃうんじゃないでしょうか。

ぼく自身、ワクワクって言葉、欲まみれにデコレートする人が多くて、このワクワク自体のもつ本来のパワーがグレードダウンしている気がしています。完全な思い込みではあります。

引き寄せの法則についてもパイオニアのエスターヒックスさん、エイブラハムの教えについてもぼくは本など読んだことはありませんので勝手なイメージではありますね。

これは完全に好みなんですが、ワクワクをぼくなりの語彙で表現するのであれば、無ですね。voidです。ワクワクと無はぼくの世界ではほとんどイコールです。ここでいうvoidは空虚で、物足りない、つまらない。なんてことを想起させそうですが、

そうではなくて、ペドロさんでいうところの「非解釈状態」です。このときって、よくよく自分を見つめると勝手にエクスタシー感じているんですよね。キモイんですけどね(笑)時間にしたら数秒とか数十秒なんてこともあります。

ワクワクするな。悟りなさい。とかそういう意味ではもちろんありません。ぼくの人生の経験上、引き寄せの法則が能動的であれ受動的であれ、めっちゃ働くわああ。ってときは、「働いていること」さえ意識の外にあるんですよね

だから、引き寄せてワクワクしていることさえも忘れて、ただそこにいるだけです。言葉で的確に表現するのは難しいんですが。

理想と現実のギャップに在るとき

理想と現実のギャップに在ると思っている人の状態を少し考えてみましょう。

例えば、Aという理想を引き寄せてみたいとしましょう。

巷に溢れる「キラキラなワクワク引き寄せ」状態になるとどうなるでしょうか。ぼくは大枠で2パターンに分かれると思います。

たまたまAという現実になる

Aと真逆な状態が現実になる

①はたまたまで、もうそりゃあハッピーな状態にあるので、たいていの人は気にならないでしょう。やっぱり引き寄せの法則ってあったんだ!よしよし。ニヤニヤなんて感じでしょうか。

問題は②です。Aという理想を描いて、自分が現実を作っているのに、なんでAはこないんだ。Aという現実が来ないじゃないか。というときです。このとき、人はAという現実が来ない。というところにパワー全力で降り注ぐ傾向にありますよね。

ペドロさんも言っていましたね。まあ、そこが人間っぽくて愛くるしいんですけどね。

覚醒の理想と現実

ぼくのアウェイクニングの話を例にしますが、覚醒したい!っていう現実をイメージします。当時、この覚醒には、ぼくのエゴと欲をたっぷりと塗りたくってやりましたよ。そりゃあもう豪勢に。

サイキック能力がすごくて、未来も過去もわかって、オーラも感じて、ハイヤーセルフとばんばん対話して、理想が現実になりまくる。みたいな。ちょっと言いすぎですがせっかくなんで極端にいきましょう。

でも、覚醒しなきゃ覚醒したい覚醒させろってイメージしても全然、未来もみえないし、過去もわからないし、宇宙人は来なかったんです(笑)

で、どうやったらアウェイクニングっぽくなったかというと、「全部気にしなくなったんです。」

投げやりになったとか、無機質な感覚に身を委ねたとか、そうではなくて、文字通り、気にならなくなったんです。覚醒が気にならなくなって、なにが気になるようになったかというと、それはやっぱり自分です。

朝起きる瞬間の自分の感覚だったり、ごはん食べているときの自分だったり、知人や友達と会話しているときの自分だったり、仕事しているときの自分だったり、そりゃあもうエピソードなんてまったく出てこない日常に在る自分なんです。

自分の1日や行動、振る舞いを、まるで主役:自分、エキストラ:その他全部、観客:自分の意味不明な映画でもみるようになったんです。

そしたら、いきなりイメージングできたり、オーラみえたり、宇宙人が来ちゃったんです。そして、理想と現実のギャップが埋まっておっしゃあああ!ってなるかと思いきや、実際そうなったのに、いまこの瞬間でさえ、ぼくはまだ映画をみているような感覚にいるんです。

そんなことも別に気にならないんです。だって、映画って何が起きようが、やっぱり続きが気になるじゃないですか。

表情で言うと、exciteというよりは、半跏思惟像みたいな。赤ちゃんみたときに思わずこぼれちゃう笑みみたいな。キモイですよね。

自分の映画で脚本もストーリーも描いているはずなのに、どんなストーリー展開になろうがニンマリしている自分だけが映画をみているんです。そうなると理想も現実も結局一緒にはなっては来るような感覚にはなりますよね。

よくわかんないですけど。予測不可能な映画の展開に、次は何が起きるのかなとか、自分はどう演じるのかな。とかそういう文脈でワクワクと無が入り混じっているのかもしれません。

それでもそんなことわかりきってはいても、やっぱりぼくらはあらゆる余計なことをあらゆる方向で解釈していくので、そこがまた人生のおもしろさではあるかもしれません。

関連記事も読むと、もしかしたら違う角度で伝わるモノがあるかもしれません。

気になることがあればぜひぜひコメントしてください。シェアも喜びます。

いつもありがとうございます。

8 COMMENTS

Navi

またまた、楽しい興味深い記事をありがとうございます!もう、本当に不思議なんですよ。昨日のことが次の日、随所に記事にupされていますからね。(笑)あー私のことみてるのかな?あるいは自分が文字起こししてるのかな?って勘違いするくらいの感覚です。子どもが修学旅行でヨロン島に行ったことがあり、とても良いのでいつかあなたも行きなさいって言われています。特に今!鹿児島のヨロン島に行きたくて仕方ないです。エアヨロン島を脳内でやっております。(受験生いなくなったら、1カ月滞在するぞの勢い)加えてこのブログで今めちゃくちゃテンションあがります。void time 好きです。まめたろうさんの離島暮らしいいですねー。

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まめたろう

Naviさん、
コメントありがとうございます!
(笑)チャネリングしているかもしれません
お子さんのセンター試験、応援お疲れさまでした。
ドキドキしますね。
ぼくもエア○○はしょっちゅうしますよ。最近だと、エアスリランカしました。
いつもありがとうございます◎

返信する
Navi

チャネリングってあまりわからないのですが(笑)
エアスリランカ見てたら今までコーヒーにシナモンステックを折って少し入れて飲んでいたのですが初めて口に入ったから噛んだら甘くて美味しいから食べてしまい、もう一度食べる為に袋を見たら原産国スリランカ!!あーこういうことですね。ありがとうございまっす~

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あっこ

こんばんは。ついに待ち望んたポスト読んで、なぜだか怒りと苛立ちがおさまりません。笑

②Aと真逆な状態が現実になる が今起こっているからでしょうね。

「意識的」に気にならなくなる「状態」を創るってむずかしいですよね。
わたしの場合、その「状態」を創るためになんか気づきとかが必要になってると思うんですけどそれを気づくのにどうすればいいんでしょう?っていうのが今の最大の問です。

なにかアドバイスください、私の宇宙さん・・・

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まめたろう

あっこさん、
コメントありがとうございます!

この質問で実はこの記事が完成すると思っていました(笑)

>「意識的」に気にならなくなる「状態」を創るってむずかしいですよね。
わたしの場合、その「状態」を創るためになんか気づきとかが必要になってると思うんですけどそれを気づくのにどうすればいいんでしょう?
っていうのが今の最大の問です。

宇宙の法則っぽいやつが、ぼくの経験上働くときは、意識的に気にならなく状態を作ることさえ気にならないんです。
「状態」をつくることに意識をもってくると自分がどうなるかイメージしてみてください。
たぶん、気にならなくなることを気にしています。(笑)

なぜ必要と感じるのでしょうか?
誰かに言われたから?
自分の宇宙が本当にそう言っているから?
現実が思い通りになっていなから?
うまくいかないから?

どの思考回路でも、もうもはやそれは気にしている状態をつくる作業に近くなってきちゃうんです。
不思議ですよね(笑)

自分の①「たまたま」思ったことが現実になったときはどんなときだったか、
よーーーーーーーーーーく思い返してみれば答えがあるはずです。

モヤモヤが晴れないようであれば直接連絡ください。
いつもありがとうございます!

返信する
匿名

宇宙からの「ビンゴ!」な声が聞こえてきて、且つこのサイトに貢献できて嬉しいです!笑

とりまよく思い出してみますね。うっすら解っているんです・・・もう少し、頑張れ。

そしてモヤモヤしたら別途お知らせ致します。

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まめたろう

ありがとうございます!(笑)
そんな風に捉えてくださって本当に感謝です!
ぜひぜひ、お待ちしております^^

返信する
あっこ

すみません、上記コメント私が間違えて新たなスレをつくってしまったようです。
私へのまめたろうさんからの返信に対する返信でした!!
失礼いたしました。

今後とも宜しくおねがい致します。

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