まめたろう(僕)
たっかぶり(妻)
※この記事は、日本古来からあるとされる呪術行事「予祝」について、引き寄せの法則なんじゃない?って言われている意見があるのでそこをピックアップしぼくの感覚を共有する内容になります。なるべくめでたい内容満載でお届けします。
予祝とは、昔の人が豊作などを祈って予行演習する呪術行事です。簡単にいえば、その年の豊作祈願として、先取りして「今年も豊作でした~!うぇ~い!」とパーティーするしちゃう感じです。
(厳密には田植えの前に予行で庭にわらや豆ガラを撒くなどパーティーではなくもっとちゃんとしています。笑)
この予祝は日本最強の引き寄せの法則なんじゃない?と話題になったらしいです。まあ、前祝の法則とかそれっぽくすればなんでもウケる人にはウケるんでしょうね。
ただ、スピリチュアルっぽい観点から言っても確かに「その通りやで。」と言える部分もあるのでそこを掘り下げていきましょう。
この記事の内容まとめ
- 予祝、前祝いとは?
- 予祝と引き寄せの法則の共通点と違い
- 予祝のやり方・効果まとめ
- 予祝ってどうなん?現実は思い通りになる?
予祝、前祝いとは?
まずは、「予祝」の定義されているところをみていきます。
予祝・前祝いとは?
[safe title=”予祝とは”]豊作や多産を祈って,一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事。農耕儀礼の一つとして〈予祝行事〉が行われることが多い。
あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると,そのとおりの結果が得られるという俗信にもとづいて行われる。
引用:コトバンク
[/safe]辞書にはこう載っています。予祝行事の中には、庭田植、繭玉、粟穂稗穂など、地方、村々によってやり方、方法が異なるようですが、基本的には、豊作祈願、お祝い事で行われるいわば伝統行事のようなモノだったらしいです。
まあ、昔は「食べ物」は生死に直結する最重要事項だったから、自然との対話の中、生まれた「ならわし」に近いんでしょうね。ぼくは歴史マニアではないので、詳しくはないですが、おそらく諸説あると推測しています。
ちなみに、春に桜をみながらワイワイやる「お花見」も、お米の収穫の前祝いとして行われいてた予祝なのでは。という説もあるらしいです。※諸説アリです。
予祝は現代でいう・・
ぼくらは21世紀に生きているので、日本にいれば99%くらいの人が豊作を祈ったりすることはないので少しイメージが湧きにくいかもしれません。
もっとラフに捉えれば、スポーツ選手、プロアスリートのイメトレとかはまさに予祝っぽいですよね。新記録を出してインタビューを受けている自分を想像する。とかですね。
予祝の場合は、想像に留まらず、インタビュー受けちゃうとかなんでしょうね。面白いです。
いわゆるアファメーションを先にやっちゃうイメージです。
予祝と引き寄せの法則をわかりやすく説明してみる
ここからは、予祝と引き寄せの法則の違いなんかをちょっとみていきましょう。なるべく簡略化してお伝えしています。
引き寄せの法則のイメージ図
まず、引き寄せの法則をめちゃくちゃ簡単なイメージにすると以下の感じです。
みなさん、お馴染みですね。①意識とか無意識が②行動を作って、③現実になる。そんな単純な図式です。
この意識の部分に対するアプローチとして、アファメーションがあったり、無意識を変えるためにノートをつけたり、宇宙にお任せしちゃったり、スピリチュアルっぽいやつではわんさかでてきます。
予祝(前祝い)のイメージ図
一方で、予祝のイメージは以下の通りです。
予祝の場合は、①意識+無意識が②行動をつくり、それが③現実っぽくなるんでは。という前提を活かして、①+②を一気に予めやっちゃうイメージです。
どちらもやっていることは一緒なんですが、予祝の場合、もうやっちゃうんでその分、キモイけどそうなりやすい部分もあるかもです。
引き寄せの法則と予祝の違いと共通点
引き寄せと予祝の共通点は、「意識が現実をつくる」これに限ると思います。
また、ぼくの感覚ではさほど大差はないんですが、予祝に関しては、○○になりました~!と意識するだけでなく、予め祝っちゃうので、考えない人にとってはわかりやすいんだと感じています。
スピリチュアルにおける予祝のやり方や効果まとめ
ここからは、スピスピ言われている予祝のやり方や効果をまとめていきます。やり方はまあ、シンプルですよね。
予祝のやり方
予祝のやり方を簡単にまとめるとこんな感じです。潜在意識を変えるには・・とか、ブロックを外すには・・・。みたいなところを考えずにパーティーすればいいんで楽っちゃ楽ですよね。怪しいケド、あほになればいいんだと思います笑
ここでいうパーティーとはもちろん実際にパーティーしてもいいんですが、孫正義さんは、大きなプロジェクトをやる前にガッツポーズしてあらかじめ成功を祝福したりするそうです。
エジソンに至っては、発明するまえに「発明したで!」って発表しちゃったとかいう逸話が残っているとか。
各々のオリジナルやり方をみつけたいところですね。
予祝の効果は?
スピリチュアルっぽい観点では、「意識が現実をつくる」説はポピュラーに浸透しています。
そして、宇宙っぽい法則からいえば、たしかに出したものが還ってくるので、予祝の効果はあるとかないとかじゃなくて、「そうなる」のは当然っちゃあ当然なんです。
ただいくつか注意しておきたいところがあるので、今回はそこを掘り下げてみましょう。
予祝の効果がない?現実が引き寄せられない理由
こんなにやっているのに、理想の現実こないやん。ってときはけっこうあると思います。まあ、それがスピと揶揄されたりする理由にも繋がってくるんでしょうけど、そこをぼくなりに共有してみます。
①自信のなさ。自己否定のクセ
人間生きていれば、誰しもめちゃくちゃ落ち込んじゃうとき、ダメージ受けまくりなとき。あります。ぼくもそうです。
そして、ずーーっとそんな状態に仮にいると実感している場合、それが自分のマインドに植え付けられる可能性が非常に高いです。
そんな状態で、予祝や引き寄せっぽいやつやってもぼくは無理ゲーだと思います。理由はシンプルで、思った通りになっていない「現実」の方を実感しているので。
そこから予祝をやっても、たぶん思い通りにたまたまならなかった場合、そこから喪失感や自己否定に拍車をかけそうな予感しかしません。なので、パーティーする前に、まずちょっと復活することをおすすめします。
②エゴが強すぎ
どうにもならないことはどうにもなりません。
例えば、今、この瞬間に、身体の一部だけ異次元にタイムトラベルしたい「現実」を作ろうとするとしましょう。できない人がいないと断言はしませんが、その証拠をつくれ。といわれれば十中八九無理ゲーですね。
自分のエゴ意識Maxの状態で、予祝やら引き寄せやらをやってもたまたまそうはならなかった場合、エゴパンパンな自分を認識することなり、理想じゃない現実に落胆を覚える可能性がありますね。
③エネルギーの入れ替え・デトックス時期
たまたま現実化しない場合にあるあるですが、エネルギーの入れ替えとかデトックスという観点からも説明になりうることもあります。
つまり、今の自分にその現実はピッタリフィットしてないから、要らないらしいで。っていうやつです。
こんなこというと、怒られそうですが、エネルギー交換はたびたび起こるのでそこに抗っても無理ゲーですね。
期待した現実がこないとき
引き寄せたい出来事、予祝でかなえたい理想の現実、なんでもいいんですが、総じて言えば、そうならなかったときの現実のパンチ力が強すぎるところがぼくはトラップのように感じます。
そうならない現実は、突き詰めればないんですが。
例えば、めちゃくちゃ不幸です。お金もないし、身体もガタがきているし、信頼できる人だっていません。もうピリオド打ちたいです。
という人が、引き寄せを神ツールと解釈して、予祝を神アプリと咀嚼して、一生懸命頑張ったとしましょう。でも、なかなか「現実」がやってこない、歯がゆい、もう自分はダメだ。グルグルします。
たまたま現実がきたときはいいんですが、ごにょごにょしている最中に現実への苛立ちがきたらもう悪循環の一路を辿るかもしれません。
そうなったら、どこをより所にしていいかわけわかめ。みたいなことは多々あるんだと思いますよ。
予祝と引き寄せの本質はエネルギー?
ここからは現実になるならないの話ではなく、引き寄せや予祝のぼくなりの捉え方を共有していきます。
結論から言えば、これらのツールは、単なるエネルギーやそれっぽいモノを感じ取れる可能性のあるやつなだけです。存在の本質までいくところがおもろいんですよね。
理想の現実なんてないかも?
スピリチュアルっぽい話でよくある話、人生は中立だ理論です。その観点に立てば、良い現実も悪い現実もないんですよね。
もちろん、自分が圧倒的に不幸にいるって実感がある人にこんなこというと怒られるんでしょうけど。
ぼくらは、好奇心やあらゆる体感を身をもってしたいがために人生を過ごしている節があるので、それこそ意識とかエネルギーとかそれっぽいやつを感じるツールとして、引き寄せやら、それっぽいやつを捉えてみてもいいかもしれません。
遊び道具としての予祝や引き寄せ
ぼくは、引き寄せはいわゆる意識遊びのようなもんだと思っています。自分の波動とかそういうやつの状態確認にも使えそうですね。
ぼくらの存在の本質は、意識であり、魂であり、エネルギーです。すべて一緒です。そしてぼくらは1つっぽいところですね。
その観点から言えば、実験集とか、(そんなものないんですが)成功っぽい事例、失敗っぽい事例を生きている間にできるだけたくさん収集して自分の身体を通して、体感したいところですね。
引き寄せや予祝も一緒で、ちょっとキモイけどおもろそうだからやってみるか。程度で、ガチガチに頑張るものでもないかもしれません。エネルギーっぽいやつを実感できそうなツールの1つに過ぎないです。
もっと突き詰めると、自分はわりと神かも。なんてところに遊び感覚でいっちゃいそうな人も登場しそうなところにおもしろさをぼくは見出しています。
否定するでも、盲信しすぎるでもなく、もうちょいゆるく意識で遊んでみることをけっこうおすすめしておきます。まあ、楽しければなんでもいいんでしょうけどね。
まとめ:予祝で現実は変わるかわからんけど遊び感覚が楽かも
今回は、引き寄せを改めて見直しつつ、「予祝」についてまとめてみました。
個人的にですが、ザ・ジャパンスピリチュアルで引き寄せが語られるときは、いわゆる「理想」とか「成功」とか「失敗」にフォーカスする部分はそこまで面白さを見出せないです。
ぼくらはみんなオリジナルの存在で、成功していれば「良い」、失敗したら「ダメ」という価値判断に「進歩」はないからです。思考の停止とも言えます。
そういう部分もエンタメとして踏まえつつ、もう少し深いところー意識とかエネルギーとか、体験とか経験などーまで踏み込めると、よりなんで魂→肉体をもつぼくらが「今」存在するのかに触れられそうな気がしてなりません。
ぼくはそんな「現実」を勝手に引き寄せて今宵パーティーでもしてみようと思います。渋谷とかでみんなで祝っちゃうアレって捉えようによっては予祝なのかも。って思うと未来はかなり明るそうですね笑
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